- Amazon.co.jp ・本 (104ページ)
- / ISBN・EAN: 9784163911939
作品紹介・あらすじ
時が忘れさせるものがあり、そして時が呼び起こすものがあるある夏の日、僕は父親と一緒に猫を海岸に棄てに行った。歴史は過去のものではない。このことはいつか書かなくてはと、長いあいだ思っていた―――村上文学のあるルーツ
感想・レビュー・書評
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父親についてのエッセイ。
とても個人的な内容だと思った。消えてしまう前に残さねばならない父との記憶を綴った…というふうに受け止めた。
最新の短編集「一人称単数」を読んだ時にも感じたのだが、切実感がある。村上さんが自らの「老い」と闘っているようにも感じる。
棄てられた猫の話は二匹分。
一匹目は能動的に棄てようとしたが、戻ってきてしまった。二匹目は結果として棄てたようなかたちになったが戻っては来なかった。(おそらくそのまま死んで干からびてしまった)
村上さんの小説に登場する、喪失感や虚無感を抱えた何か(ピンボールマシン、羊、ガールフレンド、妻……)を探している主人公の原型は「棄てられた猫」なのかもしれない。
そして、村上さんの父親は第二次大戦時、中国へ出征している。そして、戦後は毎日、当時の仲間の兵隊や中国の人たちのためにお経を唱えた。
中国との間の不幸な戦争。その中で自分の属する部隊が捕虜にした中国兵を処刑したこと。処刑された中国兵が、騒ぎもせず静かに斬首されたこと。その態度に敬意を深く抱いたこと。
父親は自らが体験したこのエピソード(とトラウマ)を、村上さんに引き継いでいる。
ノモンハン事件や満洲国が登場する「ねじまき鳥クロニクル」は父親の影響を強く受けているのではないか、と思った。
本書を読み終えた今、もう一度読んだら、解釈が少し変わってくるかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
村上春樹さんが父親について綴った、とても私的なエッセイ(?)。
子供の頃、父と一緒に猫を棄てに行き、帰宅してみると先に猫が戻っていて出迎えてくれたこと、その時の父親の、はじめは驚きながらも次第にほっとした表情になったというエピソードが標題になっていると思われる。
全体的に淡々と綴られているが、父親が子供の頃に寺に預けられていたこと、徴兵されていたことにより受けたかもしれない心の傷を慮る村上さんの父親への想いも感じられた。 -
何とも美しい装丁に引き寄せられて、手に取ってみて初めてそれが村上春樹さんの新作であることに気付きました。そして、サラッとした紙の質感と本の軽さからは乖離がありそうな、彼にとっては重要な事柄が描かれていることが想像され、更に引き寄せられるように、持ち帰っていました。
台湾のイラストレーターの方による挿絵が豊かに組み込まれて、これまでのどの作品とも異なる読書体験が出来ます。絵本のような感覚で、何度も戻れる、戻りたくなる、不思議な引力があります。
あえてあらすじをまとめるならタイトルの通りであり、帯などに書かれている通りであり、父親の記憶、経験や言葉を引き継ぐ、ということについて、であり。そのある種の普遍性と個別性について、であり。レベッカ・ブラウンが母親を看取るまでを描いた「家庭の医学」が頭を過りました。どちらにもいえることは、似た話しは世の中に溢れていて、要約していくのは容易で、でも要約してしまうと本作の言葉を借りれば「透明」になり、その中の大切なことは見えなくなってしまいます。「家庭の医学」を読んだときにも突き付けられた、ぼやけたレンズで覗くと軽率に共感してしまうような「ありふれた物語」の姿がいかに個別の物語によって異なるか、ということ、そしてそれはどれだけ語られたとしても、当事者の間ですら形が捉えられきっていないもので、第三者には到底理解しうるものではないこと、を改めて感じました。行き着く先、物語とは誰のためのもの、何のために紡がれるもの、なんて問いにも。
したがって、いわゆる「共感」という現象こそ起きないものの、自分の家族の物語の似たエピソードがちらちらと過ることも否定出来ません。自分の親・祖父母の世代が重なるせいか。地元が近いせいか。でも、細かい物語を抜きにしても、私は村上春樹さんには居ない、その子供の世代で、幼い頃に亡くなった祖父の話しを母から聞いて育った立場にあります。それでもなお、伝承の経験を受けて今を生きている感じ、それ以上でもそれ以下でも無い感じ、やはり言葉として形を取るのが難しい、そういう事柄について、形にしうる限り記されているように読めます。
これ以上感想を書こうにも、あまりにも個人的な読み方になりすぎるし、それでは本作自体からはあまりに離れすぎるし、割愛します。作家、読者それぞれのため、として。 -
もしかしたら村上春樹が思っている以上に、この、父親との関係について、読みたかった読者は多いのではないかと思う。
私の印象に残ったのは「棄てられた体験」と「トラウマの引き継ぎ」だった。
父親が幼少期、一時期別の家に預けられていて、恐らく何事もなければ帰って来なかったという体験を読んで、ふと漱石を思い出した。
村上春樹が言うように、体験した者でなければ分からない深い思いがそこにはあるのだろう。
そんな父親と村上春樹自身も、決して良好な関係ではなかったようだ。
だけど、父親が負った戦争殺人にまつわる苦悩を、トラウマの引き継ぎとして村上春樹が負うていくことに、何だか考えさせられる。
親と生い立ちと、私自身の生い立ちや生き方には、どんな繋がりがあるのだろう。
少なくとも、私が生まれる以前の父や母に対する興味はそんなに大きくはなかった。
だから、村上春樹の言う集合としての人間、みたいな大きな所まで思い至ることもなかった。
けれど、いつからか、自分を一人の人間とした時に、同じ等身大の姿として父や母の存在を考えるようにはなったとも思う。
ただ、生きているうちは、私も恐らく踏み込めないような気がする。たとえ戦争のように、生きていく上で関わらざるを得なかった、そんな酷い出来事が起きていなかったとしても。 -
講談社からでている全作品を所有して何度か再読するくらいには村上春樹さんの作品を好んで読んでいる私。
でも小説外の類は一冊も読んだことがありません。彼の小説が好きであると強く自覚はしているものの、エッセイなどは何故か読みたくないのです(他の作家さんのエッセイはむしろ好きなのですが)。
なのでアンテナは全然はっておらず、今回ブクログからの村上春樹アラートにより初めてこの本の存在を知りました。
村上さんのこの類の本は敬遠していたハズなのに何故読んだのか。それは副題に「父親について語るとき」とあったから。
村上春樹さんの小説を読むと父親という存在そのものが気になる作品がいくつもあります。私にとってということなのですが、父親という存在そのものがこの世に存在しないような気持ちになってしまう事が村上春樹さんの小説を読むとままあるのです。当時何度かそのあたりをググったことがあるのですが思ったような答えは見つからず謎のままでした。村上さんの小説を読むと(小説なのに)彼とお父様との間になにかしらあるのではないかと感じてしまう私がいるのです。
私の感じていた事への答えがこの本にはありました。この本を読んだことで私はより一層村上さんの作品を愛する事になりそうです・・・。ここ何年かに世に出た彼の長編よりずっとずっと好きな本になりました。
終わりの方で猫エピソードとしてでてくる作品は短編「人喰い猫」です。久しぶりに引っ張り出してきて、こちらも読んでみましたが、村上さん、短編も秀逸なんですよ。長編がバカ売れしてますが短編集もお勧めです。
そしてまた絵が大変素敵です。表紙だけでなく挿絵も沢山あるのですがどれもいい、猫が、少年が、何もかも滋味深くお部屋とかに飾りたい。結構長い事見つめてしまうくらい。少し寂しい、少し楽しい。 -
作家でなかったら、お坊さん?
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久しぶりの村上春樹でした。彼が、家族、特に父親について語り始めたということに興味を惹かれて読み始めましたが、読み終えて、語られていることが一体何であったのか、ぼくにはよくわかりませんでした。
自らの「老い」なのでしょうか、「父親」との「和解」なのでしょうか、近代文学との永遠の別れの挨拶なのでしょうか。
クヨクヨと考えさせる文章ではありません。むしろ、そっけないほど淡々と描かれた「身辺雑記」風なのですが、どうも怪しいという感想でした。
ブログにもクヨクヨと書きましたが、結論はありません。覗いてみてください。
https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202009070000/ -
後輩ちゃんのお母さまから貸してほしいとのLINEが来て、では読みます、と読んだ本。短いので1時間かからなかったのだけど、1時間かけずに読んだとは思えないくらい質量のものを頂いた。
タイトルの、猫を棄てる、というエピソードからはじまる村上さんのお父さんの歴史、そしてその父との関係から今の村上さんが生きてきた動かしようのない事実の不確かで、透明な流れが、落ち着いた文章で書かれていた。
父の戦争の足跡、僧として生きることを強いられた瞬間、または親からの〝棄てられる“という経験(言葉としても、事実としても違うのかもしれないけれど、お父さんの中の心が受けた現実はこの言葉なんじゃないかと思う)、戦争というものに翻弄されながらも手放さなかったものが後に息子である村上さんが父を読み解く手がかりとして光を当てる不思議、それらがとても一定の距離をとって落とし込まれていて、読んで苦しいような描写も速度を落とさずに読み進められた。
本当にこの人の文章は不思議な形をしてると思う。
物語をつくる文章とはまた違う、でも同じ血を分けている。
読むきっかけをくれた後輩ちゃんのお母さまに感謝、そしてこの本を書いてくれた村上さんにも感謝を感じた。
何と分類が難しい本だけれど、これからの人生でふと考えなくてはいけないことを、先んじて見せてくれたような本だった。 -
作者が村上春樹なので読んでみた。
彼の文体は好きなので、その点はよいのだが、内容はそう面白いものではなかった。
この作品に高評価をする人は、是非こだまさんのエッセイを読んでほしい。「ハルキ」効果で高評価をつけてしまったことに気づくだろう。こだまさんのエッセイはそれくらいすごい。
まあ、春樹ファンが「春樹が好きだから」という理由で読む本ですね。