孔丘

著者 :
  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (578ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784163912707

感想・レビュー・書評

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  • 聖人孔子ではなく、頑固でやや傲岸不遜、探求心旺盛な飽くなき求道者・教育者、孔丘の生身の姿を描いた力作。

    孔子が激動の戦国時代を生き抜くことができたのは、本人が知恵者で器の大きな人物だったこともさることながら、有能で献身的なたくさんの弟子達のお陰だったんだな。弟子を集め、磨き育て、そして生涯慕われ続けたところにこそ、孔子の真の凄さがあるのかもしれない。

    「儒」とは「埋葬をふくめて葬儀を請け負う者たち」のことであり、「儒者ということばには侮蔑のにがみがこめられてい」たという。このため、孔丘が開いた私塾は「貴族と庶民から、儒教すなわち卑しい葬儀教団と詆られて」いたようだ。知らなかった。

    古代中国の歴史物を読むといつも感じることだが、謀略に継ぐ謀略で内紛や戦争が絶えず、安穏とした暮らしを望むべくもない古代中国の荒んだ風土、本当に不気味だ(こんな風土を代々生き抜いてきた人達の逞しさ、したたかさを思うと恐ろしい)。

    著者が本書執筆の参考にしたという、白川静「孔子伝」も読んでみたい。また、斉の空前絶後の名輔相、管仲に関する小説にも興味が出てきた。

  • 面白かった。孔子の解釈には自分も難しい部分も多く、何が正解かはわからないけど、一定の答えが出ている内容になっていると思われる。

  • 著者本人があとがきに書いているように、孔子を小説にするのは大変なことだ。だがそれを実行してくれたがために、論語で書かれていることやその他の孔子関連の書籍に書かれていることがどういう文脈だったのか想像しやすくなり、門弟一人一人も言動を伴うことでその個性がよくわかるようになった。
    決して孔子を神格化するものではなく、かといって凡人に降ろすのでもなく、人間孔丘をしっかり描き切っている。

  • 孔子だけでなく、その時代の王たちの骨肉の争いが伝わってくる。読んでる間はタイムスリップしてる感じになる。酒見賢一先生の「陋巷に在り」と、このなかにも書かれてるが、白川静先生の「孔子伝」も合わせて読むと楽しい。「陽虎」てどんな人やったのだろうか。。城壁を壊す孔子の施策とか。飛び抜けていて面白い

  • 登録数100冊目は著者の書籍にしようと以前から思っていた。論語のから伝わる孔子は言葉に感銘する事が多いが、孔子の生き方については自分の中でもほぼ謎であった。ほんの一部かと思うが人間孔丘(孔子)の物語を少し読めたと感じる。引き続き著者の作品を読んでみようと思う。

  • 久しぶりに宮城谷昌光の本を読んだ。作者がどういう心持ちでこの本を書いたのか知りたかったので、あと書きから読んだ。作者のお歳に改めて驚く。
    話自体は孔子の一生を綴ったもので、変に神聖化されず、人間的な姿を描いたものだった。私は後年の流浪の頃のことが一番記憶に残っていたのだが、話の中心はそれ以前の、魯で失脚するまでだった。流浪の頃の話もあるが割とさらっと流すような書きぶり。
    相変わらず幼年から青年にかけての書き方が上手い作家さんだと思う。父と子についての解像度も高い。孔子の実子は数々の高弟に埋もれている印象があるのだが、要所要所で登場して最後まで人生を描ききったのが良かったと思った。

  • 学ぶものは学ばない者を超えて行く。
    孔丘は、弟子と共に学んでいく姿勢をとった。
    孔丘は礼の祖であり、礼は形式を重んじるが、それが形骸化することを嫌った。まごころを持って礼を行えば、多少形式からはみ出してもよしとするのが孔丘の考え方であった。儒者とは、元々は葬儀屋を指すことばだった。孔丘もその出身であり、若者に葬儀の礼を教えることが広がりを持ち、礼法を教えるようになった。

    孔丘は、士あるいはそれ以下の階層の者を政治的指導者とすべく教育している。礼と政治とは別物ではなく、礼の理義を高めてゆけば政治に到達すると考えているのだ。

    孔丘は、弟子に政治とは何かと聞かれた際に言った。先んずること、労することである、と。
    これは、率先して行うことであり、また、ねぎらうことを言う。ほかには、倦むことなかれ、と言った。飽きていやになることなく行えと言うことだ。

    孔丘は教育している。教育というものは、本当の自己を発見させることだろう。そのために礼が要り、楽が要り、芸が要る。ここでいう礼とは、確かに古来からの礼、作法というものではあるが、当時、学ぶものといえば、言い伝えであり、歴史であり、多くが礼儀作法的なものだったのかもしれない。だとすると、礼を学べとは、勉強をしろ、色々な知らないことを学べと言うことだったのかもしれない。

    本書は、孔丘の生涯を描いているが、なんだか孔丘の顔が見えない。孔丘は不遇で、政治を任せてもらうことがなかったため、この行動に感動したとかなかった。宮城谷さんの作品だが、ちょっと楽しめなかった。あとがきに著者は書いている。書こうか迷っていたと。

  • 礼による国造りで、どんなすばらしい国を作ったのか、
    もっと知りたかった。

  • 孔子の生きた時代背景と弟子たちの活躍が詳しく描かれ、孔子の生涯を知ることができました。

  • 孔子の生涯の物語。
    孔子といえば、素晴らしい「論語」が思い浮かぶが、子供がありながら離婚して、人の生きる道や道徳を教えている。家庭がうまくいっていないのに他の人に人の生きる道を教えていることに違和感を感じる。
    印象に残った文章
    ⒈ 人を樹木にたとえてみれば、礼は幹である。幹がなければ、樹木が立たぬように、礼がなければ、人は立てぬ。
    ⒉ 近くの者が悦び、遠くの者がやってくる。それが政治です。
    ⒊ 心の欲する所に従って、矩を踰え

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著者プロフィール

宮城谷昌光
1945(昭和20)年、愛知県蒲郡市生れ。早稲田大学文学部卒業。出版社勤務のかたわら立原正秋に師事し、創作を始める。91(平成3)年『天空の舟』で新田次郎文学賞、『夏姫春秋』で直木賞を受賞。94年、『重耳』で芸術選奨文部大臣賞、2000年、第三回司馬遼太郎賞、01年『子産』で吉川英治文学賞、04年菊池寛賞を受賞。同年『宮城谷昌光全集』全21巻(文藝春秋)が完結した。他の著書に『奇貨居くべし』『三国志』『草原の風』『劉邦』『呉越春秋 湖底の城』など多数。

「2022年 『馬上の星 小説・馬援伝』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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