誰も「戦後」を覚えていない [昭和20年代後半篇] (文春新書 547)
- 文藝春秋 (2006年12月18日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (246ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166605477
作品紹介・あらすじ
昭和25年から29年までの5年間。その後の日本のアウトラインを決めた最重要期なのに、なぜか顧みられず影の薄いこの時代を、世相の硬軟とりまぜてユニークな視点から描く。
感想・レビュー・書評
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若干雑駁ながら、同時代史として面白く読めた。戦後を体験した人にとって、あの歴史的事実はこんなふうに見えていたのかという発見になった。
英語、アメリカに対する憧れと出ていってほしいという相反する気持ちがないまぜになっていることや、演歌がない(演歌師というものがあったが、全くの別物)など改めて知ることが多かった。
警察予備隊や逆コースを、アメリカの弾除けにされるという危機感で人々が捉えていたことは興味深い。そのあたりが安保につながっていくのではないか。
ハードボイルドがもたらしたアメリカの文化と日本語の変容、乾いた日本語の発明もおもしろい。
イライラしていた時代というのも言い得て妙だと思う。
水木先生のブリガドーン現象の元ネタが映画だとは知らなかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦後の社会史の中でも、庶民の生活史に焦点を当てた一冊。
朝鮮戦争から、庶民の娯楽である歌舞伎、その間のGHQによる内容の改変、歌謡曲、ジャズ、昨今の芸能事務所の創設者、ホリプロ、ナベプロもここから始まっているなどなど、その他、映画に、進駐軍に、文学にと。
日本人の悪い癖、所謂アメリカナイゼーションの走り、現代にまでその潮流は脈々と刷り込まれている。
レッドパージの頃の密告の章を読んでると、政府はこれ正に今再び繰り返そうとしてるね。恐ろしいよ。
読物としては、中々面白い。
とは言え、タイトルが誰も覚えていないなんて書かれてるけど、赤提灯やスナックなんかで飲んでると、割と年配のジイさんバアさんから聞かされる内容だな。
寸分違わぬから、時代の語り部が生きている内に色々と生身の話を伺っておくべきだな。
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新書文庫
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清張が「黒地の絵」で描いた朝鮮戦争の時、集団脱走した米兵たちが一般日本国民を暴行した事件とそっくりの事件が沖縄で続いていること、その事件そのものがまるで知られていないこと(にデビュー前の清張が衝撃を受けたことが執筆の動機になった)。
橋本忍が映画化を企てたが、頓挫したことも併せて思い出した。 -
影が薄いが、その後の「長い戦後」の形を決めた昭和20年代後半。
「鳥瞰図」の手法を用いて描くその姿は魅力的。とくに、著者が青年期の入り口(高校生〜大学生)だったころだけに、メディア(映画や演劇)を中心に生々しかったり、逆にそれにからめとられたりしているようにも思う。
吉田茂のバカヤロー解散を「イライラ・暴力衝動」と捉えて、それを扇の要にして世相を表現したり、英語の語感やハードボイルドの文体など、皮膚感覚で捉えるその味方は鋭い。
意味のない表現かもしれないけど、前作の昭和20年代前半を「有楽町」というのならば、昭和20年代後半は「新橋」といいたい。
しかしその反面、2006年刊の本なのだから、「昭和の黒い霧」の世界ではなくて、90年代以降明らかになった資料も使ってほしいというようには思う。
昭和50年代からかえりみた昭和20年代という感じが抜けないところはある。 -
朝鮮戦争、映画、音楽。日本がダイナミックに変わっていく前夜。国民の「飢え」が感じられる時代。
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終戦直後の前作の続編。
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日本史の中でもスポットライトがなかなか当たらない、昭和26年から29年の出来事を同時代的な視点からかかれたもの。