- Amazon.co.jp ・本 (273ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166606368
感想・レビュー・書評
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音楽評論家・中川右介によるクラシック演奏家たちの最後の演奏についてのエッセイ集。
【構成】
第1章 音楽は止まったか-トスカニーニ
第2章 第三楽章で止まった指揮棒-バーンスタイン
第3章 何の事件もなかったコンサート-グールド
第4章 交響曲史の「始点」と「終点」-フルトヴェングラー
第5章 「ゴルゴダの丘に向かうイエス・キリスト」-リパッティ
第6章 ブルックナーでピリオドを-カラヤン
第7章 札幌・厚生年金会館にて-カラス
第8章 「俺を聴きたければ地の果てまでついてきな」-クライバー
第9章 ステージも客席も涙した<<悲愴>>-ロストロポーヴィッチ
相変わらずのトリビアなエッセイである。
有名演奏家のラストコンサートというのは、往々にしてレコード会社から死の直後に発売されるものなので、誰でも聴こうと思えば聴くことができる。当たり前のことだが、そのをCDを聴くにあたって、こういう裏の事情を知ったところで、その演奏に変化があるわけではない。既にそれは録音されたものであり、CDは聴く場所と時間を選ばないのだから。
しかし、当のコンサートの会場で奏でられた音楽は、演奏家のみならずその会場に居合わせた人々にとって歴史的に意味のあるものなのである。
リスナーである私たちがその歴史的意味を理解することによって、演奏そのものとは切り離された演奏家の生き様や人生の最期への「感動」が生まれるという見方もあるだろう。その一方で、本来リスナーは音の響きという即物的で物理的効果だけに心を動かされるのではなく、その背後にある文化的な背景もそこに加味されているものだという見方もあるだろう。
ただ、この本を読んだところで、演奏に対する思い入れが変わるとも思えないが… -
ここに出てくる巨匠たちの多くは自らのカリスマを維持するために最後まで足掻く。
「引き際が思ってたよりかっこ悪くてがっかりした」との声も何度か聞いた。
けれどそれでいいんじゃないだろうか。ときに醜いほどに、ときに滑稽なほどに足掻いてこその人生。天晴な最期だと思う。
個人的に大好きなのがバーンスタインのラストコンサート。
「そこにいる」だけでオーケストラを支配した、死にかけのマエストロとかかっこよすぎるだろ。
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僕はこの本を楽しめた。音楽を生業とする人々、それも巨匠と呼ばれる人たちの引き際のかっこ悪さにはまったく同感。
アマゾンの読者レビューがとにかく面白い。クラシック音楽ファンというのは、この類の書き方、巨匠の扱われ方に我慢が出来ないらしい。著者をクラシック音楽を理解しない人、音楽に愛情が無い人とこきおろすレビューが並ぶ。 これは愉快である。 そんなレビューを書く人こそ、音楽と向き合う能力が無い人のような気がしてならない。 -
カラヤン、バーンスタイン、ロストロポーヴィチをはじめフルトヴェングラー、トスカニーニ、カラスなどなどの巨匠のラストコンサートがどのようなものであったかをまとめた一冊。演奏家が意図したラストコンサートが実はいかがわしいものだったり、図らずも最後になった、など面白い話がある。
p.265からの「おわりに」という章で、筆者のラストコンサートについての考察が書かれている。ここも興味深い記述が多い。なかでも以下の部分についてとても共感を覚えるのであった。
「知る限りにおいて、その後カムバックしないということも含めた上での完璧なファイナルコンサートは、二つしかない。どちらも、テレビであったが、リアルタイムで見た。」
著者の中川氏は1960年生まれ。同世代である。 -
音楽家の最後って意外と格好良くないというか,引き際の美学がないって感じでちょっぴりがっかりしました。