- Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
- / ISBN・EAN: 9784166607082
感想・レビュー・書評
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技術的・経済的側面が強く、既存メディアの政治的強みについての考察が薄いことで、「消滅」の主張が弱まる気がする。
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2008年、米国では新聞業界で倒産が相次ぎ、新聞業界の崩壊が始まった。米国で起きたことは3年後に日本でも起きる(映画版『踊る大捜査線』の中にも似たような台詞がありました)、その法則でいけば2011年に日本でも新聞業界の崩壊が始まるはずだ。またその年、テレビ業界でも大きな変化の波が押し寄せる。「完全地デジ化」と「情報通信法」の施行だ。
これらの大きな変化により、新聞・テレビ業界の消滅(タイトルでは「消滅」となっているが、本文中では「絶滅」「滅亡」と表現されている)が始まる。マスコミのビジネスモデルは確実に崩れ去ってしまうだろう、というのが本書の主な内容である。
実はこのような話は若い人々の間ではよく指摘されており、それは既存のマスコミへの反発となって主にネットの世界で「マスコミ・バッシング」の流れとなって大きなうねりを生み出しているようだ。
それらの論旨は曰く、新聞やテレビといった大手マスコミはネットにとって代わられる。マスコミが報道しなかった主張も堂々と展開されるようになり、日本の言論はもっと自由なものになる。
ま、それぞれ細かい事は違うけど、ものすごく大雑把に言うとそういった内容の主張をネットではよく見かけるのである。
そしてそれは本書にもある通り、「マスコミ憎し」ありきでその批判が展開されているように感じるのだ。
しかし僕はそこに少し違和感を感じていた。何か違うよなあと考えていた。立場をはっきりさせると、僕はどちらかというと新聞やテレビといった「既存の大手メディア」にまだ価値を見出している人間だ。
実際本書は、既存の大手マスコミの側からしたら耳の痛い話が多い。なぜマスコミの人間は足元に危機が迫っているのに気付かないのか、という話ばかりだからだ。しかし僕が本書の内容に正直に関心したのは、マスコミが直面している危機は、ネットにとって代わられるとかそいうところにあるのではなく、もっと根本的なところにあるのだと主張している点だ。
マーケティングの不在、義理人情の営業、世界不況の影響といった構造的な問題を「コンテンツ・コンテナ・コンベヤ」という三層のモデルを通して指摘し(筆者は一回だけ恥ずかしげに「3Cモデル」という名前出しているが、やっぱりダサいと思ったのかそれ以降は単に「三層モデル」と呼んでいる)、その問題点を一つ一つ、まさに手取り足取り教えてくれる。そして結局、既存マスコミの経営者らの意識改革が必要になるという、今まで口酸っぱく言われてきた指摘を繰り返す事になる。いまさらこんな事を何度も指摘されるのが確かにまずい。もうずっと前からわかっているはずなのに。
ここはまったくもって既存マスコミの反省すべき点だ。
そして前述した、ネットにおける「マスコミ憎し」の論調に僕が感じた違和感の正体も本書で明らかになったと思う。それは、ではマスコミが消滅した後にどんなコミュニケーションが出現するのか、という事にあまり触れている人がいない事だった。
本書でも繰り返し語られている通り、既存の大手マスコミが滅亡してしまうことはどうあがいたって不可避のようである。ではこれらが絶滅した後に何が起きるのか。
マスコミは本当にただの「不要なもの」だったのか。
大きな取材力をはじめとして既存メディアが持つ武器はまだある。
それが消滅した時にブロガーなどが発信するいわゆるネット論壇はどこまでこの世界のコミュニケーションや情報を担えるだろうか。
本書でも「既存マスコミ以後」がどうなるのかという問題について結論は出ていない。しかしその点を指摘し、ささやかなヒントを提起しているだけでも一歩進んでいる。そしてそれを考えるのは我々一人一人だ。我々全員が当事者であるのだから。そしてもちろん既存マスコミの側は真っ先に真剣になってこの問題に取り組まなくてはいけない。
そのように、僕は「既存マスコミVSネット」という仕組みを踏まえて本書を読んだ。他にも立場によって本書は様々な読み方ができるだろう。多くの人が情報に触れる時代だからこそ、本書は必読なのである。 -
佐々木俊尚さんはハズレなし
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文字通り、マスメディアの衰退に関する佐々木俊尚の考察を綴った本。
インターネットによるミドルメディアの台頭により、既存のマスメディアが瀕死寸前になっている現状をわかりやすく解説。
コンテンツ(配信物)、コンテナ(配信元)、コンベヤ(配信方法)の3つに分けて分析するのはさすが。 -
20110824
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佐々木さんの著作はかなり読んでいるけれど、本書はいつもは冷静な語り口からは意外に感じられるほど、他にはない氏の生々しく熱いメディア業界への思いが溢れている。 プラットフォームとしての機能をネット企業に奪われつつあるメディア業界に、しかし危機感も新たなビジネスモデルを産み出そうと言う意欲も乏しく、地デジが開始される2011年には大きな転機を迎えると言うのが、本書の書かれた2009年の指摘。実際にその年を迎え、相変わらず日本のメディアには大きな変化はなく、徐々に地盤沈下だけが進んでいるようにも見える。著者の指摘するように、一度テレビや新聞、雑誌といったメディアが落ちるところまで落ちて、人々が本当に必要なのは何なのかを考える契機を与えるという意味の荒治療を施すのが実は将来的には一番効果的で最短の方法かもしれない。
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新聞もテレビも、マスのメディアにできることは限られているのかも。
大衆ではなく分衆、小衆の時代はインターネットで実現できる?
2年前にここまで見通せていたとはオドロキです。 -
本当にテレビ消滅するのかなぁと思った。でもラテ欄どおりに見なくなるのは確実だよな。