ワールドカップは誰のものか―FIFAの戦略と政略 (文春新書) (文春新書 754)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784166607549

作品紹介・あらすじ

全世界の注目を集めるサッカーの祭典・ワールドカップ。しかし、華やかなピッチの舞台裏では、さまざまな利権がうごめき、あまたの軋轢が生じてきた。独裁者の介入、国家の政治的思惑、FIFAの権力闘争…。その歴史を紐解きながら、ワールドカップのあるべき姿を考える。

感想・レビュー・書評

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  • 国際サッカー組織内外の勢力争いの歴史の解説は面白い。
    一方で日韓共同開催に持ち込まれた経緯など見ると、相変わらず日本には戦略がないのがわかる。
    話はまるで変わるが、国際映画祭での「政治」をまとまって解説してくれる本はないかな。断片的には耳に入っているのだけれど。

  • 日韓共同開催に向けての韓国のロビー活動が凄い。トップダウン型の成功例。
    満足度7+

  • サッカーも野球も、もっともっと繁盛すると夢が増えるはずだ。勿論相撲も!

  • 何故に南アフリカでワールドカップが開催されたのか。政治的介入、どす黒い権力闘争など、知られざる舞台裏にスポットを当てるとともに、南アフリカの歴史を紐解きながら開催の意義について問い直す。このほか日韓同時開催、これまでのワールドカップの開催の経緯も記されており興味深く読んだ。

  • ○ワールドカップ は誰のものか

    FIFA 会長 ブラッター
    南アフリカのおかげで当選したちめ、ヨーロッパからの反発を受けている

    南アフリカやアジアなどヨーロッパ以外の国に対して配慮しやすい。

    開催国決定の仕方
    理事が24人いる
    ⇒投票

    アフリカとヨーロッパの交互で開催されていたが、アフリカの治安悪化やアパルトヘイト政策の影響から他の国での開催が行われ始めた。

    ワールドカップは政治会の権力闘争と、サッカー界での権力闘争のニつの問題がある。

    第一回目の開催は1930年ウルグアイだった。

    ワールドカップの意義
    一、国交のない二国間での自然な接触ができる
    米中関係

    二、政治体制の宣伝
    主に社会主義など。
    ムッソリーニやヒトラーなど。

    日本の参加
    1937年の盧溝橋事件を皮切りに始まった日中戦争の影響により参加できず、1998年に初参加した。

    東西対立ベルリン⇒1974年西ベルリン開催

    アルゼンチン大会1978年
    軍事政権のおかげでアルゼンチン優勝

    ?アルゼンチンとペルーの関係
    アルゼンチンはスペインから独立後、イギリスの支配下にあったため、イギリス人がたくさん住んでいる

    1940年代がサッカーの絶世紀。

    第二章

    FIFAはもともとヨーロッパの七カ国と南米の数国の連盟から始まったため、立ち位置としてはヨーロッパ連盟的なものだった。

    アヴェランジェ会長ブラジル人
    ⇒初めてヨーロッパ以外の国の人が会長になった。右利きはブラッターだった。ヨーロッパはあまりアヴェランジェを快く思っていない。そこに韓国がつけこみ、ヨーロッパの理事に近づき、アヴェランジェが日本開催を進めようというのを共同開催にした。

    コカコーラとの契約を結び、財政を整えたり、様々な種類のワールドカップ開催を決めたのもこの人。まさに大改革した。

    結構、ワールドカップの理事はなんでもやる。無理やり。
    例えば1990年のアメリカ開催に関しては、スタジアムの小ささや移動の面でかなり問題があったにもかかわらず、サーかーのあやりかにおける低いプレゼンスをどうにかしたいということからアメリカに決めた。

    ○日本のサッカー
    ⇒日本のサッカーリーグは1965年からスタート。
    Jリーグの発足やプロ化への促進が始まったのは1980年とかから。

    <韓国と日本のサッカー関係>
    開催地招致で1994年に対立
    韓国は現代財閥の創始者が理事をやっているが、日本は誰もいない。
    また日本よりも韓国の方がサッカーの歴史もプロ化も早かったちめ、サッカーにおいては有利。

    現代財閥⇒アメリカや日本などからの援助資金で財閥を形成。
    このやり方を開発独裁という。

    ※韓国の人口は日本の半分で、経済発規模は七分の1。

    日韓共同開催は少なからず、互いに向き合ったという面において、友好への一歩となった。


    スポーツの国際大会は、国民意識の統合、特に発展途上国において効果を発する。⇒経済発展や様々な組織の統括などに役立つ。
    ⇒アフリカはヨーロッパによる支配によってかなり分断されているため、そういう点で選ばれた可能性あり。

    アフリカの80%は黒人だが、残りは白人で経済などの権力をまだ握っており、互いに必要不可欠な存在となっている。技術面などにおいて。ネルソンマンデラはこれをよく理解していた。

    国民⇒同じ歴史を共有し、一つの国家を形成しているという意識を持った人々の集団。

    国民国家は二十世紀くら始まる。

    民族⇒同じ言語、宗教、文化を共有している人々の集団

    アフリカの歴史的背景
    先住民族はコイコイ人であり、今言われているアフリカ人はバントゥー系の言語を話す西部からの人々のこと。
    アフリカ人の進出にコイコイ人はおいやられて、西部へ。
    そこへ、大航海時代が始まり、ケープタウンからさらに内陸に入り、オランダ人が進出し、オランダ人対アフリカ人の対立が始まる。

    ※アフリカに住むオランダ人⇒アフリカーナー
    トランスバール共和国、オレンジ共和国などを作った。

    またその後イギリスが力を持ち、進出してきて、オランダ人の進出していたところなどを中心に占領。
    その頃、イギリスでは産業革命がおきて、世界に拡散し始めていた。上海やシンガポール、中国、ケープタウンなど。
    それらの地域で娯楽である競馬やスポーツなど様々なものを作る。
    1806年を機にケープタウンもグリーンポイントに競馬場を作るなどした。それとともにスポーツもはいっていった。

    スポーツと人種差別
    第二次世界大戦前は差別に対して問題意識すら持っていなかったが、1960年代や1970年代にかけ、少しずつ人種別にチームを作ったり、黒人を入場させないなどをしていたことによって、スポーツ界自体が逼迫し始める。

    1991年のアパルトヘイト政策のの撤廃を機に解決し始める。

    アフリカにおいてのサッカーの発展している都市

    ナタール州のダーバン
    1862年頃にアメリカンボードというアメリカの宣教団が作った黒人のための学校からサッカーがスタート。
    サッカーを指揮する団体も造られ、トップは黒人に任された。これはかなり異例。
    ※アメリカンボードは同志社も作っている。

    ヨハネスブルク
    トランスバール共和国の中心地で、1886年に金鉱が発見されてから発展したため。
    ここのアフリカ人居住区のことをオーランド=ソウェトとよばれていた。

    アフリカにおいてのワールドカップによるメリット スタジアム
    改修するものもあるが、普及されるところもある。⇒さらなるスポーツの活発化



    FIFAは放映時間もよく考えて出している。⇒日本でのサッカーへの人気の再興を望む場合は日本時間で視聴しやすい時間にするなど

  • TV番組FootBrainでおすすめ本棚に並んでいるのをみて、図書館で借りる。南アフリカワールドカップにいたるまでのアフリカのサッカーの歴史などが綿密でよい。
    結局ワールドカップはFIFAの、より正確に言えばFIFAの24人しかいない理事たちの胸先三寸で決まるということだが、理事の中で実際にどんな交渉が行われているかについては外部からは見えない部分が多く、筆者をしても想像によらざるを得ないようである。
    やじうま根性にあふれる一読者として理事同士の激しい駆け引きについて今後誰かが書いてくれることを希望したい。

  • [ 内容 ]
    全世界の注目を集めるサッカーの祭典・ワールドカップ。
    しかし、華やかなピッチの舞台裏では、さまざまな利権がうごめき、あまたの軋轢が生じてきた。
    独裁者の介入、国家の政治的思惑、FIFAの権力闘争…。
    その歴史を紐解きながら、ワールドカップのあるべき姿を考える。

    [ 目次 ]
    なぜ南アフリカが選ばれたのか
    第1部 ワールドカップと政治(独裁者たちの介入;FIFAの思惑と権力闘争;韓国側の野心が生んだ日韓共催)
    第2部 南アフリカ開催の意義(スポーツによる国民意識の形成;南アフリカスポーツの苦難の歴史;黒人サッカーの歴史とワールドカップ)
    ワールドカップ開催の意義

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    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
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    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
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    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 10/31:後藤さんの本だ。とあまり考えず手にした。中身は結構衝撃的な内容で、フットボール文化の普及や世界平和を願ったようなFIFAであるが、アヴェランジェから利益や政治的な手段としてワールドカップがつかわれるようになったとさ、とプレイヤーのがんばりとは別の世界での黒い世界があるのだなと。鄭夢準(チョンモンジュ)が現れて、2002年が共同開催まだ引きずり込まれるところとか悔しいよ。今の産業(半導体、テレビ、携帯電話、新幹線等)のグロバルへの展開でも如実に現れているけど、国としての機敏さが日本と韓国とは決定的に違うよね、悔しいけど。歴史と市場の大きさが違うといえばそうだけど、食われますよ。
    後藤さんはフットボールだけの人だと思っていたけど、文章や経歴をみると国際文化や歴史にも明るいのですね。素晴らしいことだ。しかし、後半の南アフリカのサッカー事情については余計だった。あまり知りたい情報ではないですね。

  • 後藤健生「ワールドカップは誰のものか」

    W杯の歴史と、南アフリカのスポーツの歴史について書かれた本。FIFAの内情を暴くような本を期待していたので退屈だった。

    序章
    「なぜ南アフリカが選ばれたのか」
    p16
    ・ブラッター会長が南アフリカの開催にこだわったのは、会長選挙の時、アフリカと南米に票を入れてもらったから。

    1章
    「ワールドカップと政治」
    p33
    ・1934年のイタリアW杯の二回戦の対スペイン戦はレフリーにもプレッシャーがかけられていて、史上まれに見る大荒れの試合になった。翌日再試合が行われたが、そちらも大荒れだった。
    ・イタリアにあるスタジアムはイタリア在住のイギリス人が建てたものが多いので英語の名称が使われているものが多い。例)「ミラン」というのはミラノの英語読み。

    p45
    ・アルゼンチンではサッカー選手や監督が政治的な発言をするのは当たり前の事。
    ・アルゼンチンの軍事政権は経済的危機にあったペルーに圧力をかけたと言われている。その結果、アルゼンチン対ペルーの試合は6−0でアルゼンチンが勝利し、試合の翌日には、ペルーに向けてアルゼンチンから物資を乗せた船がたくさん出港した。

    2章
    「FIFAの思惑と権力闘争」
    p51
    ・アルゼンチンは経済的にイギリスに支配されていた為、多くのイギリス人がアルゼンチンに住んでいた。その関係でサッカーが盛んになった。
    ・ブラジルはアルゼンチンの攻撃に耐える為に4バックを考えだしたと言われている。

    3章
    p69
    ・W杯を日本でやるためには、日本サッカーのレベルをあげなくてはならない。その為にはプロ化する必要がある。プロ化するためには各地にスタジアムをつくる必要がある。W杯を行う為にはスタジアムが必要、と。Jリーグの発足とW杯の誘致は車の両輪のようなものだった。

    p83
    ・日本と韓国の同時開催をする上で運営方法でモメ、ブラッター会長が「二度と共同開催はしない!」と発言した。

    4章
    「スポーツによる国民意識の形成」
    p96
    ・アフリカの国境は、植民地支配をしていたヨーロッパ人達が勝手に線を引いた為に国単位でみると民族がバラバラになってしまい、自分達は「◯◯人」だという意識が低くなってしまった。その低い国民意識を強くする為に必要なのがスポーツで、同じユニフォームを着た複数の民族が一緒に闘う事で国民意識を強める事を狙い、成功している。

    5章
    「南アフリカスポーツの苦難の歴史」
    p112
    ・オランダで盛んなプロテスタントはカトリックに比べ娯楽に否定的なので、オランダに支配された国はスポーツがあまり流行らなかった。

    6章
    「黒人サッカーの歴史とワールドカップ」
    p153
    ・白人に支配されていたアフリカ人にとって「サッカーなら白人に勝てる」という感情は強いインパクトを与えた。

    終章
    「ワールドカップ開催の意義」
    p162
    ・フランスのインテリ層ではサッカーを嫌う人が多く、国内リーグの観客動員数は他のサッカー大国に比べて少ない。1998年のフランスW杯開催1年前でも、フランス開催を知らない人すら多かった。

  • 南アフリカ国内のスポーツの歴史を読めるのは、かなり貴重でした。

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著者プロフィール

1952年東京都生まれ。慶應義塾大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。サッカージャーナリスト。元関西大学客員教授。1964年の東京オリンピックを皮切りに、欧州チャンピオンズリーグからアマチュア大会まで、6000試合以上を現場観戦している。とくにワールドカップは、12大会連続現地取材中。著書に『日本サッカー史』(双葉社)、『国立競技場の100年』『世界スタジアム物語』(ともにミネルヴァ書房)など。

「2019年 『森保ジャパン 世界で勝つための条件』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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