北方の原形 ロシアについて (文春文庫 し 1-58)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (259ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167105587

感想・レビュー・書評

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  • 特に極東ロシアについて、モンゴル、シベリア、中国、そして日本との歴史を辿りながらの考察。

  • ソビエト連邦からロシア連邦に国名が変ったが(1991年12月)、政権の体質は旧ロシア帝国を継承しているように思う。不凍港を求めての南下政策と領土拡大が国家の至上課題だけに、日本固有の北方四島の返還の掛け声は、跳ね返されるだけの状況に変わりがない。

  • 北方四島への関心から20年ぶりに再読。司馬さんがこれを書いてから30年以上経ち、ジャパンアズナンバーワンは遠くなり、ソ連は崩壊しています。歴史書ではないし、参考文献もありません。でも、司馬さんの縦横無尽で俯瞰的な視線は、今も魅力的です。ロシアについて書かれていますが、他の作品同様、日本のかたちも模索しています。ただ肝心の北方四島の記述が浅いのが残念。

  • いつもと同じ「どうだ、僕の知識は大したものだろ! えっへん! By司馬遷」でした。あっぱれあっぱれ(^o^)/

  • 氏が「菜の花の沖」「坂の上の雲」を書く際に考え続けていたロシアという国の本質について考察した本。現在読んでも全く古さを感じず、この国の本質を考えるヒントを与えてくれる。

    国の成り立ちや侵略された歴史から国家としての性格が形作られていった様子がよく分かる。特にシベリア等の極東開拓の歴史は日本人として知っておくべきだろう。

    ロシアの側から見れば、北方領土とモンゴルをセットにして捉える必要があるなど、北方領土問題を語る前に我々国民もロシアのことをより知る必要があることを再認識した。この問題においては変に国民感情に訴えることは慎まなければならないという、氏の考えには全く同感する。

  • 20161126

  • 坂の上の雲、執筆中に調べていたロシアの歴史
    遊牧民族蒙古に殺戮で想像以上のひどい目にあっていた
    略奪しかしない。自分達で作るかわりに技術者を連れ帰り武器を作らせた。燃えた石が飛来してきた時の恐怖。
    蒙古の精鋭部隊は10000人にも満たない。広大なロシアの地を治めるには少なすぎた。突然の内紛で蒙古が消失
    シベリアに進出したのはクロテンの毛皮とり。
    シベリアには産業がないので、食えない。日本という国があるのを知ったのあhコロンブスアメリカ大陸発見の200年後
    徳川家光の頃だった

  • 著者が「坂の上の雲」と「菜の花の沖」を十数年かけて手がけた中で考えたこと、集めた情報をまとめた本。
    日本とのかかわりにおけるロシアを描いている。

    著者が連載していた当時、ソ連と日本の間の関係、特に北方領土問題について世論が煽られていることを受け、ロシアの置かれている立場(中国とのモンゴル高原との問題)を理解した上で、ヤルタ協定を理解した上でロシアについて考える必要がある、と説いている。

    印象深かったのは、ロシアのシベリア活動を説明した後に、その状況と日本明治末期の満州の領地での状況を類似化し、領土を分不相応に有することで悲劇を生む、と論じている部分。

  • (2016.05.12読了)(2016.05.08借入)
    副題「北方の原形」
    トルストイの『戦争と平和』を読みながらちょっと寄り道で、ロシアの歴史を読んでいます。
    三冊目は以前から気になっていた司馬さんの本です。「図説ロシアの歴史」栗生沢猛夫著、を補完してくれる本でした。
    9世紀のキエフ国から説き起こしている点は同じなのですが、タタールのくびきの部分は、こちらの方が興味深く読めました。
    そのあとは、シベリア征服、カムチャッカ、千島列島、と東方に進出してくるのですが、そのあたりは、「図説ロシアの歴史」では、ほとんど触れられていないところです。
    司馬さんは、『坂の上の雲』と『菜の花の沖』を書きながらロシアについて考えたことを改めてまとめてみたということですので、日本との接触についてが、大きな関心事だったわけなので、ロシアの東方での活動に重点が置かれているのはもっともです。
    東方の拠点としてのバイカル湖やモンゴルについても触れられています。
    アラスカの露米会社についても述べられています。知らない話が多いので、興味深く読めました。
    ロシアはカザックと調停してシベリア征服を行い、東方進出したけれど、食糧確保のために、日本との交易を望んだけれど、日本は江戸時代で、鎖国中だったために何度も交易を断られ事件を起こしたりしたようです。
    そういえば、「世に棲む日日」でも、対馬がロシアに一時占領された話が出ていたような気がします。
    北方領土問題に関しては、無償で北方四島がロシアから帰ってくることはないだろうと述べています。もし、無償で帰ってきたら、ほかの領土も返さないけないところがいっぱいあるので、ということです。この本が出た後、ソ連が解体しているので、多少事情は変わっているのかもしれませんが。
    最近、安倍首相とプーチン大統領の間で、新しい発想で領土問題を解決するというようなことが言われていたようですが、日本がロシアにお金を払って、北方四島を返してもらうということなのかもしれません。
    ロシアの東方進出と日本との接触について興味のある方にお勧めです。

    【目次】
    ロシアの特異性について
    シビル汗の壁
    海のシベリア
    カムチャッカの寒村の大砲
    湖と高原の運命
    あとがき
    地図(ロシア関係図)

    ●ロシア人国家(15頁)
    ロシア人は、国家を遅くもちました。ロシアにおいて、国家という広域社会を建設されることが、人類の他の文明圏よりもはるかに遅れたという理由の一つは、強悍なアジア系遊牧民族が、東からつぎつぎにロシア平原にやってきては、わずかな農業社会の文化があるとそれを荒らしつづけた、ということがあります。
    ロシア人の成立は、外からの恐怖をのぞいて考えられない、といっていいでしょう。
    ●キエフ国家(17頁)
    九世紀に樹てられるキエフ国家の場合も、ロシア人が自前でつくったのではなく、他から国家をつくる能力のある者たちがやってきたのです。やってきたのは、海賊を稼業としていたスウェーデン人たちでした。かれらは海から川をさかのぼって内陸に入り、先住していたスラヴ農民を支配して国をつくったといわれています。
    ●皇帝と将軍(26頁)
    皇帝は、貴族団の巨大なものであるという点、将軍家が大名の大いなるもの、という本質と似ています。また皇帝も貴族もそれぞれ領地をもっている、将軍家も大名もそれぞれ領地をもっている、ということでも似ています。似ていないのは、日本の封建制では、将軍家も諸大名も、その領地支配のあり方は、ロシア皇帝・貴族のように、地主ではなかったということです。
    ロシア貴族は、領地をもつ場合、地主であっただけでなく、その所有地の上に載っている農奴も私物でした。農地・農奴は地主の貴族の意志によって売買されます。
    ●農奴制(31頁)
    ロマノフ朝にあっては、地主貴族が農奴を私有することが、その基礎になっていました。
    一人の人間が多数の人間を私有するという慣習および法制化(1649年以後)は、キプチャク汗国時代と本質的に変わっていません。ロシアの農奴にとっては、モンゴル人の貴族が、ロシア人の貴族にとって代わっただけではないかということであったかもしれません。
    ●黒貂(43頁)
    シベリアの大地は、ながいあいだロシアにとって毛皮を採集するためにのみ存在した。とくにそこに多く棲んでいた黒貂の毛皮はパリの市場に出せば、当時のロシアの産業水準の低さからみれば慄えるほどの高価な値段で売れるのである。
    ●イヴァン四世(50頁)
    ロシア史にとってイヴァン四世はロシア人のロシアを確立する上では功が大きく、スターリンも、レーニン以前の政治家としてはもっとも高く評価した。
    ●コザック(61頁)
    コザックは歴としたロシア人ながらも、ロシア人一般とは文化を異にする漂泊の辺境居住集団と見るほうがいい。
    かれらは、本来、ロシア体制からの逃亡者であった。
    ●蝦夷地と大坂(87頁)
    この時代、蝦夷地(松前藩)と大坂間には織るように船がかよい、その船は魚肥を満載して大坂に荷上げした。大坂の魚肥問屋はそれを全国に撒くのである。魚肥は棉作に欠かせぬものだが、北海道の鰊は綿のかたちになって四民に衣料を提供していたことになる。
    ●北方経済(90頁)
    千島アイヌが、仲介者として活躍するようになった。大坂を本拠とする商人が、コザックの必要とする食糧(米や酒)を千島に持って行き、コザックから蝦夷錦を手に入れ、大坂の市場に出すようになったのである。
    ●海員らしさ(118頁)
    露米会社の船乗りたちから察するに、この時期、ロシアの商船はなお、世界の普遍的な海員らしさというものを獲得していなかったのだろうか。普遍的な海員らしさというのは、軽快さと機敏さ、そして清潔、注意深さ、さらに欲を言えば身ごなしのカッコよさということになるが、とうてい程遠かった。
    ●世界周航(131頁)
    ピョートルの航海はじめから百六年経って、1803年、ロシアは最初の国家事業としての世界周航に乗り出すのである。クルーゼンシュテルン航海がそれであった。
    ●商業(139頁)
    商業がおこる社会は、人間意識を変えて、合理的なものの見方へ方向づけるものなのである。従って、商業ときびすを接するようにして、科学と文学が勃興した。
    ●アレクサンドル一世(152頁)
    ロシアではパーヴェル一世が謀殺されて、アレクサンドル一世(1777~1825)が即位することになる。この新皇帝は、善への能動と極端な猜疑が一身に同居しているといわれた皇帝である。
    ●海軍兵学校(166頁)
    十八世紀にあっては、文明の最先端の事象と世界把握の方法のほぼすべてが、この海軍兵学校という場所で得ることができた。天文から風浪という地球の生理、世界の政治と経済、さらにはヨーロッパの知識階級を過熱させていた非ヨーロッパ世界の地理、政治、文化、民族、動植物を探査する教養―もしくは探査できる技術―が、この場所に詰め込まれていた。
    ●非武装の国(175頁)
    江戸期の日本は世界の文明国の歴史のなかで、類がすくないほどに非武装の国であった。
    ●シベリアにおける婦人の不足緩和(192頁)
    コザック及び産業化は、ロシアを出発するにあたり、結婚の約束又は結婚を世話する約束をもって、婦人や娘を連れだし、シベリアに来て、彼女等を奴隷として売った。
    ●元の滅亡(204頁)
    元の場合、帝国維持が不可能とみると、じつに淡泊だった。中国内部にいたあらゆるモンゴル人が、騎乗する馬に鞭を当て、武装したままで北のモンゴル草原を目指して帰ってしまった。当時、漢民族は、この歴史現象を、「北帰」とよんだ。

    ☆関連図書(既読)
    「トルストイ『戦争と平和』」川端香男里著、NHK出版、2013.06.01
    「戦争と平和(一)」トルストイ著・藤沼貴訳、岩波文庫、2006.01.17
    「戦争と平和(二)」トルストイ著・藤沼貴訳、岩波文庫、2006.02.16
    「戦争と平和(三)」トルストイ著・藤沼貴訳、岩波文庫、2006.03.16
    「戦争と平和(四)」トルストイ著・藤沼貴訳、岩波文庫、2006.05.16
    「戦争と平和(五)」トルストイ著・藤沼貴訳、岩波文庫、2006.07.14
    「図説ロシアの歴史」栗生沢猛夫著、河出書房新社、2010.05.30
    「女帝のロシア」小野理子著、岩波新書、1994.02.21
    「おろしや国酔夢譚」井上靖著、文春文庫、1974.06.25
    (2016年5月17日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    巨大な隣国・ロシアを、いかに理解するか。歴史をつぶさに検証してロシアの本質に迫り、両国の未来を模索した評論集。読売文学賞受賞。

  • 16/5/8読了

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著者プロフィール

司馬遼太郎(1923-1996)小説家。作家。評論家。大阪市生れ。大阪外語学校蒙古語科卒。産経新聞文化部に勤めていた1960(昭和35)年、『梟の城』で直木賞受賞。以後、歴史小説を次々に発表。1966年に『竜馬がゆく』『国盗り物語』で菊池寛賞受賞。ほかの受賞作も多数。1993(平成5)年に文化勲章受章。“司馬史観”とよばれ独自の歴史の見方が大きな影響を及ぼした。『街道をゆく』の連載半ばで急逝。享年72。『司馬遼太郎全集』(全68巻)がある。

「2020年 『シベリア記 遙かなる旅の原点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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