新装版 菜の花の沖 (6) (文春文庫) (文春文庫 し 1-91)
- 文藝春秋 (2000年9月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (435ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167105914
作品紹介・あらすじ
突然の災厄が、嘉兵衛を襲った。彼自身がロシア船に囚われ、遠くカムチャツカに拉致されたのだ。だが彼はこの苦境の下で、国政にいささかの責任もない立場ながらもつれにもつれたロシアと日本の関係を独力で改善しようと、深く決意したのである、たとえどんな難関が待ち受けていようとも…感動の完結篇。
感想・レビュー・書評
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▼疾風怒濤、涙、涙、の最終巻。
▼高田屋嘉兵衛は、ひょんなことからロシア軍艦に「拉致」されます。なんてひどいこと。ところが、ロシア軍人の側も、別段「悪の権化」なわけではありません。彼らなりの事情と道理があって、拉致った。(そのあたりの事情のために、第5巻めいいっぱい全部使ってますから)
▼嘉兵衛は、全く言葉が通じないのに、なんとなくロシア下士官と、「信頼と友情」を作り上げてしまう。ここンところが理不尽にすごい。
▼ただ、それでもストレスと不信感で大変に疲弊する。やがて、日本に戻れる日が来る。人質の交換が狙いなんだけど(ゴローニン事件)、ここでまた嘉兵衛が大活躍して、
「人質じゃなくて、俺を交渉人にしろ。俺を信用しろ。解放しろ。そしたら俺が、日本に軟禁されているロシア下士官を解放してくる」
という無茶苦茶な交渉を、なんと飲ませてしまう。ここがすごい。
▼そして有限実行、全てを成し遂げてしまう。このあたりは歴史の流れの「幸運」も、もちろんありますが。そして、いろんなことがあった、1年以上にわたった、ロシア人たちとの、別れ。ロシア人たちの「大将!ウラー!」の大合唱。
▼この事件が終わったところで、この小説、晩年の司馬節は、しゅるしゅるしゅる・・・・と融通無碍に終わってしまいます。さささささっと、嘉兵衛の余生。ゴローニン事件から10年以上平和に長生きしたんですが、死の間際に「たいしょう、うらー、とさけんでくれ」と言って亡くなった。
▼これは、分かりますね。その時期の生死ぎりぎりの色々な出来事と、人間関係が、いちばん刻み付けられた愛着のある風景だったんでしょうね。実に芳醇な人間ドラマでした。パチパチ。この枯淡の深みは、司馬さんの小説群の中でも晩期のものにしかない味わい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
18世期末から19世期初めにかけて、廻船業者として活躍した、高田屋嘉兵衛の伝記小説最終巻です。
前巻で長いページに渡って描写された、ロシアの歴史。
その流れを経て、千島列島を南下していたロシアの軍艦と、嘉兵衛の商船との出会いから、この巻は始まります。
日本とロシア。
これまでの二国間の関係の経緯が、巡り巡って嘉兵衛の運命を急展開させることになります。
その運命に対してどう、嘉兵衛が対応したのかが、最終巻の読みどころになっています。
そしてこの巻でも、以下のようなことを学ばせてもらいました。
・自分は何をすべきかを理解し、その目標に向かって意志を保って行動することの大切さ
・精神的、肉体的に過酷な状況が続くと自らの精神を保つのが非常に困難になること、しかしそれができるかが、生死の分け目となること
・人は社会的立場に応じて、相手への態度を決めていること、反面、個人間の信頼関係はそれぞれの人格により醸成され、その信頼はときに、社会的立場を超える場合があること
歴史というのは、つきつめていくと個人個人の判断・行動によって、積み重ねられてきたのですね。
その片隅には自分自身もいるのだということに、気づかせてもらえた作品でした。
『新装版 菜の花の沖 (5)』
https://booklog.jp/users/makabe38/archives/1/416710590X
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嘉兵衛、ロシアに拉致される。長かったけど読んでよかった。リコルド少佐との友情。嘉兵衛の人徳。外交交渉を町民がやってのけたこと。全く知らなかった出来事、これは知っとくべき。
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末記の谷沢永一氏の解説が明媚。もう一度読みたい。
・畏れ入るの精神(日本的精神)
・愛国心は国民である誰もが持っている自然の感情。この感情は可燃性が高く平素は眠っている。これにこと更に火をつけようと扇動する人々は国を危うくする。
・意地悪の功罪
・科学や文学が商業(商品経済の隆盛)の後から踵を接して興る
・利という海で泳ぎながら自分自身の利に鈍い人間の魅力(利他の精神)
・裸の人間同士の関係の中に国籍は関係なくなる。 -
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この時代、差別が強く辛い思いをした人がたくさんいたのでしょう。蝦夷地の人もそうですけど、主人公の高田屋嘉兵衛さんも。貧しく身分の低い中きら登りつめた主人公は立派です。
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ついに最終巻。『サンケイ新聞』で1014回に渡って連載された歴史小説である。
本巻は,嘉兵衛とロシアのリコルドとの,不思議で,純粋で,思慮深く,責任感のあるやり取りが余すところなく描かれていて大変面白かった。
しかも,両者とも実際に日記のような記録を残しているので,その記録を基にして,ある出来事(言動)に対して,嘉兵衛側から見た描写・感想と,リコルド側から見た描写・感想を並列して解説されていて,これがとても興味深いのである。その時の二人の機微に触れることができて,臨場感で溢れている。
江戸時代の後半に,ロシアとこういうやり取りをした一船頭がいたとは。
最終巻を読むためには,第5巻の長々としたロシアの説明は必要だったんだなと納得した。
題名にちなんだ部分を転載しておこう。
かれが,その晩年を送るために都志本村に建てた屋敷は,小さな野にかこまれていて,季節には菜の花が,青い沖を残して野をいっぱいに染めあげた。(p.347)
菜の花はむかしのように自給自足のために植えられているのではなく,…中略…肥料になって,この都志の畑に戻ってくる,わしはそういう廻り舞台の下の奈落にいたのだ,それだけだ,といった。(p.348)
みなさんも書いているように,ロシアの船が去って行くときの
「ウラァ、タイショウ」
「ウラァ、“ぢあな”(ディアナ)」
の場面では、目頭が熱くなっちゃったよ。
人間はわかり合えるんだよ。 -
司馬遼太郎が江戸時代の商人高田屋嘉兵衛の生涯を描いた長編歴史小説全六巻。日露双方、文化、風土の違いはあれど分かり合える部分も多いのが印象に残る。
江戸時代も後半、蝦夷地の開発が進む中、高田屋嘉兵衛はロシアとの争いに巻き込まれ日本が捕虜としたゴローニンの報復的にロシアに囚われる。
あくまで一商人の嘉兵衛なのだが使命感や大局を見渡す視点など江戸時代の人々の文化的な水準の高さを表象しているように思える。言葉遣いや態度など司馬遼太郎は浄瑠璃の影響を指摘している。
日本が初めて本格的に直面する近代国家の進出。硬直的な幕府の官僚と対象的な嘉兵衛の生き方、態度を現代社会に置き換えてみるとどうなるのだろうか。
嘉兵衛の故郷淡路島。対岸の本州に送る菜種油の原料の菜の花が咲きほこる地。そして故郷を飛び出し船乗りとなる嘉兵衛。江戸時代の商品経済の勃興を象徴した題名。
司馬遼太郎ならではの日本人論とロシア論も含め、間違いなく歴史小説の名作の一つでしょう。 -
司馬さんを悼む年忌のことを「菜の花忌」という。
一個人にして、まだ国際交流、異文化理解という言葉も存在しない時代に、日露の架け橋となった高田屋嘉兵衛を主人公にして、江戸後期の北前船、ロシア情勢、蝦夷地の様子を描く。
司馬さんがまだ戦車に乗っていた頃、対峙していたロシアというものを、「坂の上の雲」そして、この「菜の花の沖」で書き尽くしている。
リコルドと嘉兵衛が言語の壁を超えてわかりあい、ゴローニンの釈放、帰還という歴史的事件を成し得たということにただただ感動してしまう。「タイショウ、ウラァ」というおらび声を後に、ディアナ号が去ってゆくさまは、胸に切々と訴えかけるものがあった。
江戸時代という時代のどうにもならなささというか、仄暗さというか、ときに歯噛みしたくなるようなおもいを感じた。