- Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167209117
感想・レビュー・書評
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2020.11.19
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沢木耕太郎のエッセイ集『不思議の果実―象が空を〈2〉』を読みました。
『あなたがいる場所』、『夕陽が眼にしみる―象が空を〈1〉』に続き、沢木耕太郎の作品です。
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インタヴュアーの役割のひとつは、相手の内部の溢れ出ようとしている言葉の湖に、ひとつの水路をつなげることなのかもしれない…。
彼ないし彼女を理解しつくしたいと願いつつ、人と会う。胸揺さぶられる一瞬を期待し、ボクシングを、映画を、オリンピックを見る。
デビュー以来、飽くことなく続く「スタイルの冒険」。
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1993年(平成5年)に刊行された『象が空を』を3分冊にして文庫化した作品の第2作… 本作品には、インタヴューに関するエッセイ『第二部 水路をつなぐ―会う』と映画やスポーツ等の見るものに関するエッセイ『第四部 不思議の果実―見る』が収録されています。
■水路をつなぐ―会う
・兄貴分
・オーケーよ
・知恵の木
・幻の「西四十三丁目で」
・言葉の湖に水路をつなぐ
・使い古された言葉でなく
・一期一会なんて言わないで
・理解しつくしたいという情熱
・純白の濁り
・女優 吉永小百合
・秋のテープ 美空ひばり
■苦不思議の果実―見る
・挽歌はもう歌えない
・自己の再生という幻想
・さらさらとした悪夢
・映画のための風景
・揺れて、揺れて
・三枚の写真
・恋と呼ばずに
・カウント・ダウン
・持てる者と持たざる者と
・夢見た空
■解説 和谷純
インタヴューの要諦とは、相手の言葉の湖に水路をつなげることなのだ…… 人と会い、映画をスポーツを見る日々の心の震えを語る。
インタヴューに関するエッセイ『第二部 水路をつなぐ―会う』では、大女優や大歌手のさらされていない一面を知ることができた『女優 吉永小百合』と『秋のテープ 美空ひばり』が印象に残りました… 沢木耕太郎のインタヴュアーとしての力量や文章の巧さを改めて感じましたね。
映画やスポーツ等の見るものに関するエッセイ『第四部 不思議の果実―見る』では、小津安二郎監督作品に関する『挽歌はもう歌えない』や『揺れて、揺れて』、ロバート・キャパの写真に関する『三枚の写真』、高倉健に関する『恋と呼ばずに』、ヘルシンキで開催された第1回世界陸上選手権に関する『カウント・ダウン』、カシアス内藤に関する『持てる者と持たざる者と』ロサンジェルスオリンピックに関する『夢見た空』が印象に残りました… 特に沢木耕太郎のスポーツに関するエッセイやノンフィクションは面白いですね、好きです。 -
この作品は内容が雑多だが、得るものがあった。
沢木耕太郎でもインタビューに際して毎回臆しそうになるという点は、参考になった。 -
「会う」と「見る」に焦点をあてた軽めの作品集。
著者としては珍しく非難めいた記述が目立つ気がするので、著者の別の作品を読んでいない人にはあまりお勧めしない。 -
まあ、前巻と同じく、「深夜特急」やら「一瞬の夏」やらの落穂拾い的エッセイが主( ´ ▽ ` )ノ。
ずいぶん前に読んだきりだから、むしろ記憶を蘇らせてくれてありがたい気持ちになったけど、まとめ読みしてるときだったら、「手抜き......」と思ったのは間違いないところ(>_<)。
サワコーが「特異」だと感じていたロサンゼルスが、その後の五輪のスタンダードになっちゃったね(>_<)。
商業主義が行き着くところまで行き着いて、ソチの惨状・東京の不安(>_<)。
まあ、主流作品のサブテキスト的な小品集ながら、文章力はさすが( ´ ▽ ` )ノ。これだけでも、充分読む価値はある( ´ ▽ ` )ノ。
2015/09/14 -
沢木さんの映画評が好きです。しかし『ゴンドラ』と言う映画を絶賛していたので、どんなんかな、とネットで調べると監督、主演男優、女優のすべてが、その後目立った活躍をしていませんでした。「オレが一番に目をつけた」状態になるのは、難しそうです。
また『カウント・ダウン』というエッセイのなかで、ドーピングを完全肯定していました。なんだか私達が飲んでる席でのバカ話で、「ドーピング、ドーピングって問題になるんやったら、ドーピングの粋をあつめたドーピング五輪をやったらええんとちゃうのん」と同じだとうれしくなりました。 -
「象が空を」シリーズ第二弾。
全体の前半部分はとてもすぐれたインタビュアー集だったのに、後半から特定の人物当てに綴った文章や、日記からの転載で占められていて、失速感は否めない。
「高倉健」や「美空ひばり」という「超」がつく大物相手でも、物おじすることなく・・でも出しゃばることなく相手に「敬意」を持って接し、心の奥底に眠っている彼・彼女たちの「個人」としての言葉を引き出させる彼のインタビュー手法は本当に素晴らしいの一言。それだけでも一読の価値あり! -
1982年から10年間の間に書かれたエッセイや書評をまとめた本。『路上の視野』の続編という位置づけです。やはり僕にとって一番興味深く読めるのは、「第1部 夕陽が眼にしみる:歩く」。中でも「異国への視線」で展開されている小田実『何でも見てやろう』論、吉行淳之介『湿った空乾いた空』論は秀逸です。第3部に収録されている「彼の視線:近藤紘一」も、何だか泣けるなあ。
文庫本は、『路上の視野』同様3冊に分けてまとめられています。 -
携帯。端末。メイル。音楽。テレビ。ゲーム。食事。化粧。へたしたら これ。歩きながらでも全部できる。見た目には今どきごくフツウの光景だけど。よく考えたらどこへ行っても自分の好きなことが自由にできている状態。自分の部屋ごと移動しているリアル状態。フィクションもノンフィクションも別に分けるほどないってくらい混在しちゃって。ちょっとマッタ。。この本に小津安二郎の映画のお話が出てくる。一度見ればわかる。人間のリアル感っていうのは感情が揺れにゆれたときの「あれ?なんだ?これ」だし。小津映画は人間のリアルそのもの。でも作品の中には携帯もメイルも音楽もゲームもなーんもない。つくりモノの映画。でもなんだろね。リアルって。なんだろかね。ノンフィクションってなんだろかね。
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080914(n 081101)
091110(a 100111)