ニュークリア・エイジ (文春文庫 オ 1-1)

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (655ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167218171

作品紹介・あらすじ

ヴェトナム戦争、テロル、反戦運動……我々は何を失い、何を得たのか? 六〇年代の夢と挫折を背負いつつ、核の時代の生を問う、いま最も注目される作家のパワフルな傑作長篇小説。

感想・レビュー・書評

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  • この作品、ティム・オブライエンの国=アメリカでは、壮大な失敗作としてあまり評価されなかったようです。あれ? どうしてそうなるのかさっぱりわかりません。これほど「生きる」ということに愚直で真剣な小説はそうないのではないかしら……とても面白い作品だな~と感じました。村上春樹さんの上手い翻訳にくわえ、60年代の歴史的背景が理解できるよう挿入された訳注はなんと75頁! 彼がいかに入れ込んだかわかります。ということで訳注も大変丁寧で、なおかつ面白いのです、はい。

    ***
    東西冷戦やベトナム戦争を経験した60年代のアメリカ。核戦争の極度の不安と脅威に怯えるウィリアムは、大人になると本格的なシェルターを作りはじめます。愛する妻と娘をまもるため、自宅の庭をせっせと掘って。そんな彼を妻は白眼し、娘は小馬鹿にします。くる日もくる日もひとりぽっちで穴を掘り続けるウィリアムは、はたして狂人なのか? それともただのピエロなのか?

    「死者は本当に死んでいるのだろうか、と僕はふと思う。
    穴は笑ってこう言う。信じろよ、と。
    僕は信じている。死者はおそらく記憶の中に生きているのだ、と。
    でも記憶が去ってしまえば、死者もまた去っていくのだ。
    記憶する人間が存在しなければ、記憶だって存在しない。だからそこには歴史はなく、また未来もない。それはゼロの集合である。記憶バンクはきれいに払拭されている。そこには弁別というものがない」

    オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』では、物語という虚構をとおして、事実を超えたある種の真実を伝えることに成功していて感激しました。
    この作品でも、オブライエンは物語の力を駆使しながら――その完成度はさておき――ある種の大きな真実を伝えていることは間違いありません。しかも、愛と暴力、善と悪、ノーマルとアブノーマルといった人間の複雑怪奇な両面性が発露したすさまじい内容にたじろいでしまいます。

    巷では「記憶の風化」という言葉が常套句のように使われますが、これってよくよく考えてみるとかなり恐ろしい。一人の人の記憶の風化もさることながら、それがドミノ倒しのように世界の記憶の風化となって、「時間」という怪物は、人間の記憶もあらゆる歴史も丸ごと呑み込んでいくようです。
    世界の人々は、懸命に核の脅威に抗い、時間の怪物と歴史の風化に挑もうとしています。が、72年前に唯一の被爆国となった国は核兵器禁止条約の署名をこばむ惨憺です。いつも同じ、意味不明な詭弁を弄する為政者の醜態は、ひどくみじめで薄ら寒い。

    読み進めていくうちに、じわじわと迫る恐怖、底なしの哀愁と虚無の深淵になんだか言葉も少なくなってきて、こんな作品こそ身近に語りあえる人がいればいいのにな……と思うほど(身近じゃないけれど、村上春樹さんがいるから、まあいいかぁ~素晴らしい翻訳をありがとう♪)。

    もともと私は小説の登場人物の好悪はないし(作者がそういうキャラクターを設定したわけですから、それに素直に憑依しないと小説は体験できない…笑)、ひどく感情移入するタイプでもないのですが、正直、ウィリアムはなかなか難儀です。でもふと気づけば、
    「がんばれ~! こうなったら地球の裏側まで掘るんだぁ~」
    彼の孤独な闘いを応援したくなる。これって果たして私だけかしらん?

    ***
    「怪物と闘う者は、自らも怪物にならぬよう気をつけろ。深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれている」(ニーチェ)

  •  とても面白かった。
     英語勉強用に使ってる「ハイブ・リット」の中にティム・オブライエンの「レイニー河で」が入っていて、とてもよかったので買ってみた。
    とても心を揺さぶられた。

     ベトナム戦争や東西冷戦の時代で、核戦争がリアルな危機として感じられていた時代の話。核戦争に備えて庭に穴を掘り続ける男の話と、その男がどういう風に成長してきたかという二つの話が交互に登場して話が進行していく感じだった。
     アメリカでは学校で核戦争用の避難訓練とかしてたとか、そういう時代背景を詳細に注釈としてつけてくれていたので、主人公たちの置かれている状況を把握しやすかった。

     タイトルにもあるように、話の中では「核」が大きな意味をもっていたけど、この話は核についての話であるというよりは、核というものを使って書かれた、おびえ方というか、心の病み方の話なんじゃないかなと感じた。
     自分は核戦争の危機というものを当時の人ほど差し迫ったものとは感じてないと思うけど、それでもとても強く感情移入しながら読めたからそう思った。
     正しいと感じることをしようとすると頭がおかしいように見えて、頭がおかしく見えないようにしようとすると、狂ってるとしか思えないことを信じないといけない。
     そういう何を信じていいかわからないような状況でどんどん決断を突きつけられて、それでもなんとかやり過ごしているうちに、気がつくと取り返しのつかないところまで来てしまっている感じ。でもどうしたらいいのかは全然わからなくて、そういうのにおびえたり、心がおかしくなりそうな感じ。そういうのに強く引き込まれたんだと思う。
     つよく感情移入してたからか、ハッピーエンドじゃなくてもいいから、どうか破滅的な終わり方だけはしないでくれと思いながら読んだ。

     アメリカではこの本は失敗作という扱いらしい。信じられへん。

     印象に残っているシーンはたくさんある。以下。
    ・船で夜の海に出かけて、エンジンを切ってラファティーと二人だけで飲みながら話すシーン。
    ・ラファティーと銃を沈めるシーン。
    ・サラが主人公に、他にもありえた未来を細かく上げていくシーン。
    ・主人公が逃げ出すのを家族が送り出すシーン。
    ・逃げ出した後のキーウェストでの不安に満ちた平穏の日々。
    ・父親の葬式に双眼鏡をつかって覗き見るシーン。

    あと、村上春樹はティムオブライエンから思ったよりも影響をうけているのかな、と思った。スタンスが似てるっていう方があってるかな。
     人生をダンスのステップに例えるくだり、チェーホフの銃の話の引用もそうだし、ラファティーと主人公の会話はダンスダンスダンスでの主人公と五反田くんの会話と雰囲気がそっくりだ。
     読む順番が逆だったらにやりとしながら読めたんだろうと思うと少し残念かも。

  • ・読み終わって色んな気持ちが残ってる。言いたいことが山ほどある。でも、この小説をどう表していいか全くわからない。でもがっつり揺さぶられた。そんな小説(どんなだよ?)。
    ・村上春樹のあとがきも、「現代の総合小説」とか言っちゃってるけど結局のところどう捉えていいかわかんないと書いてるとしか思えない。
    ・これ村上春樹が訳したわけが良くわかるわ。
    ・正直に言って、自分の妻子を手にかけちゃうほどの核妄想については全く理解も共感もできない。でも自分も子供の頃核兵器の存在を知って眠れないくらい怖かったことを思い出した。使うと世界が終わっちゃうものが存在していることが怖くて仕方なかった。
    ・結局60年代ってのがどういう時代だったのかについて書かれた本なのかもしれない。
    ・ずっしり100ページほどもある訳注がまるでエッセイのようで、村上春樹好きには凄くお得な感じがする。思わずにやりとさせられる内容。

  • 久々に足先から頭の上までその世界に浸ることができた小説。決して万人受けする話じゃないけど、この物語が持っているエネルギーはすごいと思う。
    話は男が一人急に家の庭に穴を掘るところから始まるのですが…
    まあ気になった方はぜひ。

  • 主人公ウィリアムの少年~青年時代までの過去の回想場面と、49歳になった現在の場面が交互に描かれる作品。

    タイトルにあるように、ニュークリア=核(兵器)の存在が全編にわたり主人公の精神に影響を与え続ける。

    主人公の過去から現在にいたるまで、主人公に影響を与える3人の女性たち(妻のボビ、娘のメリンダ、大学時代の恋人であるサラ・ストラウチ)と、家族、とりわけ父、そして現代のウィリアムが掘り続ける「穴」(とそれに付随してベトナム戦争)が、大きな要素になっている。

    小学校時代からの同級生であるサラとは、大学時代に結ばれることにはなる。だが、サラには強烈に惹かれはするものの、そこに愛はない、と述べられている。愛はなくても激しく惹かれる、という点が印象に残る。リオに行き、子どもをもうけることを夢見るサラだが、ウィリアムは現実としてとらえられない。目の前の女性に強烈に惹かれ、しがみつきながらも、ずっと先の将来まで一緒にいることをイメージできない女性との関係を簡潔に、しかももらさずに言い表しているよい表現だと思う。

    ボビとの出会いや、彼女を求める点にもそれに似たことがあるのではないか。結局妻は最終的には別居を申し出る。奔放なボビにも問題はあるだろうが、自分にはない異彩を放つものに強烈に惹かれ、激情的に動いてしまうという点を見ると、ウィリアムは女性関係で共通した傾向があるように思われる。

    メリンダについては、登場する女性として一番良好な関係を築けているように思える。部屋に閉じ込めてしまうなどある種ゆがんだ愛情の形だと思わなくもないが、それでもメリンダはウィリアムを信頼しているし、ウィリアムからの娘への愛を感じる。
    ベトナム戦争がらみの流血の描写が散見される中で、自らの血を分けた存在であるメリンダはやはり特別な存在として描かれているように読める。ウィリアムとメリンダの会話は、作品の中でも軽みというか、軽快なタッチで描かれていることが印象的だ。

    父との関係は、描き方としてはやや比重の軽いものになっているようだが、父の死の場面の描写では落涙を禁じえなかった。
    死に値するものなど、この世にはない。彼はテロ組織の兵士となるための訓練のさなかにそれを身をもって痛感するのだが、その言い回しが父の死の場面でも繰り返される。父が毎年、町のお祭りの際に演じる人物も必ず死を迎えるので、そのことも重なる。
    徴兵逃れのために家族との交流も絶たれたウィリアムの悲痛が巧みに表現されているように思う。

    「穴」については、彼の内面を映すもう一つの人格ともとれるし、彼の狂気の産物ともとれる。彼が穴を掘り続ける理由も、シェルターとしての役割だけでなく、自らのもとを去ろうとするボビをつなぎとめるための手段としてもとれる。ここから垣間見えるのは、ウィリアムが常に外的なものに振り回され続けているということだ。ベトナム戦争なり、放射性物質なり、サラなり、ボビなり…。そしてそこに、ウィリアム自身の強迫性や狂気も相まって、彼の行動、ひいては人生が規定されていく。「穴」の声は、強烈な外部との軋轢から生じた彼の一種の逃げ場所、想いのはけ口として彼の内側から生じたものなのだとも考えられる。

    ただ、これはウィリアムだけがもつ際立った特質なのだろうか。
    多かれ少なかれ、誰しもが外的要因に影響を受け続けていく。
    奔放に見えるサラでさえも、追い求められることを求める。次々と相手を変えて自分の位置を定めないボビも同様だ。

    私はウィリアムの行動に狂気や妄執を見て、読み進めるのに辟易するような場面もあったが、その行動の中に情状酌量の余地を与えたくなる。

    訳者によるあとがきには、この小説が多くの人の心をつかむ理由が簡潔に述べられているが、その理由の一つは彼の中に自分を見るからかもしれない、と思った。

  • 長い小説だったが3日で読了。不思議な小説である。核について、ベトナム戦争について、身近に感じながら60年代を過ごした世代にとっては特別な思いを馳せながら読むことができるのかもしれないが、平成生まれには物語についていくのがやっとである。それでも筆者が全てを絞り出そうとしながら書き進めているというのは、なんとなく感じた。使命感というのか、なにかを背負っているというのか、なんとしてもこれを書くぞという気迫がこもっている。そういった点で、他にはない特別なものを持っている小説だといえる。

  • 面白くもあり、面白くない。掴み処ない作品というのが率直な感想。この当時、第三次世界大戦は本当の「いまそこにある危機」だったんだろうなぁ。
    現在の作家では描けない空気を感じますな。
    あと訳注、正直読書が散漫になるので基本は反対の立場ですが、これ位の教養というか知識が無いと本を本当の意味で理解できないと言われているようで、それはそれで耳が痛い。

  • 著者はベトナム従軍体験あるが、その痛切な体験が、主人公を「兵役逃れ」に仕立てたらしい。
    ヒロシマナガサキに原子爆弾が落ちて以来、我々はSFの中にいる。ことに米国民は人類もろとも集団自決する音頭を取る役割を担わされている、らしい。主人公の推定はこのうえなく論理的で、「核兵器と共存できる」と考える暢気が正常か?「将来ある若者」は“マーフィーの法則”思わずにはいられない。主人公は小学生の頃、ピンポン台をシェルターに転用することを考えた…幸い正気をわかつ賛同者がいた、ただし方法論が違っていた、スポーツの種目が違うように。彼女はチアガール。セックスもスポーツのように扱われ、ベトナム反戦は敗北後は常識…

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  • 再読して確信しました。
    これ、オブライエン名義で村上さんが書いたに違いない。
    どこをどう読んでもも村上ワールドそのものです。
    どうなんでしょう、村上さん。

    • midnightwakeupperさん
      村上春樹よりはるかに面白い。アメリカのヴェトナム徴兵時期前後の青年の心情の推移を描いている、と思います。
      村上春樹よりはるかに面白い。アメリカのヴェトナム徴兵時期前後の青年の心情の推移を描いている、と思います。
      2018/12/15
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著者プロフィール

(Tim O'Brien)1946年ミネソタ州生まれ。マカレスター大学政治学部卒業後、1969年から1年間ベトナムで従軍。除隊後ハーヴァード大学大学院博士課程で政治学を学び、1973年に自らの体験をもとにしたノンフィクション『僕が戦場で死んだら』(中野圭二訳、白水社)を出版。『カチアートを追跡して』(生井英考訳、国書刊行会)で1979年に全米図書賞を受賞した。他の著書に、『ニュークリア・エイジ』(1985年)、『本当の戦争の話をしよう』(1990年)、『世界のすべての七月』(2002年、以上村上春樹訳、文春文庫)、『失踪』(1994年、坂口緑訳、学習研究社)などがある。

「2023年 『戦争に行った父から、愛する息子たちへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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