- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167587079
感想・レビュー・書評
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ヨソで本が積んであるなかにこの文庫本があった。ちらちらっと中を見せてもらい、帰ってから図書館で借りだした。久しぶりに読む高峰秀子の本。これは高峰が60をむかえるころに単行本が出て、それからまた20年近く経って文庫になっている。その文庫の発刊も、もう11年前のこと。
文庫のあとがきに、高峰はこう書く。
▼月日が経つのは早いものだなァ、とおもうが、そうではない。六十歳をすぎたころから気力、体力、能力、といったすべての力[りき]が低下して、こちらの生活テンポが緩慢になっただけのことである。(p.268)
70代の後半になっている父、母と同い年の70代半ばになろうとする近所のおばちゃんの姿などを見ながら、かつてのようにすたすたとは歩けなくなること、ひとつひとつの動作や行動がゆっくりになること、重いものが持てない…といった変化を、この数年はとくに感じてきた。自分の先にある、老いるということの実例をみせてもらっているという気がする。
図書館で借りてきてすぐ読んだあと、返却期限のまえにもう一度読みたくなって、またてっぺんからゆっくり読む。
これは、高峰が共に生きてきた道具や小物にまつわる思い出や感慨を綴ったエッセイ集。徳利、手塩皿、しょうゆつぎ、小引き出し…といった、それらのものの写真もかなりたくさん入っている。
少女の頃から、美しい衣装やアクセサリーなどよりも、家の中の道具や食器、それも新しいものよりは「さんざ人の手を経て、こなれた味わいのある古いもの」ばかりに心ひかれてきた高峰は、ひまさえあれば古道具屋をウロついて、一つまたひとつと求めてきた。
▼だから、今日現在、私の周りにある道具や小物たちは、私と共に生きつづけてくれたかけ替えのない戦友のようなものである。常時コキ使っているものばかりで(中略)私にとっては、みんな愛しく、かわいいものばかりである。(中略)いつか私がこの世から片づいてしまったあとも、これらのものは、どこかの誰かの手に渡って、また新しい主人のために生き続けていくだろう。何処の、何方さんか知らないけれど、私はその御方に、「どうぞ、いつまでも可愛がってやってくださいね」と、お願いしたい。(p.5)
たとえば、「大皿」というタイトルの小文には、こんなふうに書いてある。ある日、高峰は大きなお皿が一枚ほしくなった。中国料理屋やふぐ屋で、大皿にデン!と盛られたところへ皆が箸をのばす形式が、昔から好きだったのだ。それから、高峰の大皿探しが始まる。
▼大きな陶器のお皿はどれも高価であった。けれど、人間が力いっぱいにこね上げた土を、あんなに平たくのばして、美しい模様を描き上げた大皿を、そおっとかかえるようにしてかまどに入れて、丹念に焼き上げる人の気持ちを思うと、高くてもしかたがないような気もしてきて、私は大皿を買うことをあきらめなかった。心を入れて作られたものを、心から求めて、心をこめて使ったら、大皿だってうれしいにちがいないだろう、と思った。(p.52)
「心を入れて作られたものを、心から求めて、心をこめて使ったら」のところが、きもちいいなと思った。そして、高峰が母から教えられたことについて書いた箇所がこれに重なって、"気に入らなかったら捨てたらいい"みたいな心持ちとは、まったく違うものを感じた。
高峰は六歳のときご飯を残して叱られた際の、「人さまが作ったものをそまつにしてはいけません。お前は一粒のお米でも自分で作ることができますか? できたら作ってごらん」(p.21)という母のことばを書きとめている。当時を振り返って、自分でお米を作ってみろという難題に子ども心に当惑して私は泣いたらしいと、高峰は書く。
ご飯の茶わんを見ると母を思い出す、自分以上に無学無教養だった母だが「ひたむきににんげんの初歩を私に教え込んでくれた。私はそういう母を偉いと思うし、好きである。」(p.22)と、高峰は母を思う。
高峰秀子が亡くなって三年あまり。高峰が心から求めて使った道具は、いまどうなっているのだろうと思いながら再読を終える。
(12/27一読、1/13再読)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
図書館のリサイクル会で、見つけて、いただく。
琵琶湖に小旅行へ行く時にかばんに入れた。
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高峰秀子さんのエッセイ集。
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暮らしの手帖の香りと白洲正子の香り。自分が良いと思うものはよい。腹の底から自分を生きている人の強さ。そういう人の文章には力がある。
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高峰秀子という人は古風な顔立ちの割には、
サッパリとして、あか抜けた人なのだなぁ。 -
この本に収録されている越路吹雪を追悼する文章に涙が出た。比喩ではなく、ぼろぼろ泣いた。高峰秀子と越路吹雪が仲が良かったの、知らなかったな。
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女優、高峰秀子さんのエッセイ。どちらが本業か?と思うほどの文才だけど、エッセイは人物の魅力ありき、だとも思った。
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この本で、高峰秀子さんのエッセイにハマりました。華美ではないけど上質な生活の香り。こんな暮らし方に憧れます。
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往年の大女優のお気に入りのものについてのエッセイ。今の若い女性が口が悪いといわれるが、昔の美人大女優様も意外と口が悪いのには驚き。昭和の大女優なので出てくる物の品が良い。これは今の大量生産消費物と較べて昔の職人さんの作った物が凄かったっていうのもあるんだろう。ところどころ生き様が透けてみえるのがカッコイイ。大和撫子の心得らしきものもちらほら見えてくる。とりあえず彼女のように高価なものでも溜め込まず使い回すことだ出来るようになったら再読したい。