- Amazon.co.jp ・本 (315ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167671013
作品紹介・あらすじ
国際会議に欠かせない同時通訳。誤訳は致命的な結果を引き起こすこともあり、通訳のストレスたるや想像を絶する…ゆえに、ダジャレや下ネタが大好きな人種なのである、というのが本書の大前提。「シツラクエン」や「フンドシ」にまつわるジョークはいかに訳すべきかをはじめ、抱腹絶倒な通訳稼業の舞台裏を暴いたエッセイ集。
感想・レビュー・書評
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2020-5-26 amazon 199
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再読。
ロシア語通訳者である米原万里さんの、通訳稼業や言葉を主なテーマとしたエッセイ集。
同時通訳という脳と舌をフル回転させる職業、海外の重要な会見を中継で聞く事も増えた昨今、本当に大変な職業だと気付かされる…。国特有の言い回し、ことわざ、ジョーク。意味する所は同じでも例えが万国共通ではない。
訳を間違えば国際問題に関わる点も、某有名報道局の誤訳とそれに気付かず報道してしまった一件を思い出し痛感。
通訳稼業の舞台裏を描く…とあるが、実際にはそれだけではページ数が足りなかったのか様々なエピソードが混じっている。大体は「言葉の壁」「文化の違い」等でまとめようと思えばまとめられるが…。通訳者のジョークに関しては、個人的には笑えるよりも「成程うまいな」という感じ。
抱腹絶倒、というより新しい知見の広がる楽しい一冊 -
高校2年生まで本を読んでいなかった、というのが私のオハコの台詞です。
新潮社から当時新装版で出ていたスティーヴンスンの『ジキルとハイド』が火付け役となって読書に没頭するようになったんです。それはそれで事実なのだが、高校2年まで読んでいなかったというのは厳密にいえば誇張である。図書館に通う熱心さはないまでも、本は家のそこここにあったのでぱらぱらめくっていた。たまにはナケナシの貯金を書籍代に向けたこともある。ではなぜわざわざ隠蔽しているかというと、本との向き合い方に難があったように思えてならず、少しでも文学少年のふりをするにはあまりに後ろめたいんだ。米原さんの本書を読んで告解する気を起こした。
米原さんが通った在プラハ・ソビエト学校では、児童間で文学全集を回し読みするという信じがたい遊びが営々と繰り広げられていた。全集本といえばいまのわたしでも怯む厚さである。その学校では分厚い一巻を落ち着いて読むこともままならないほど級友がせっついてくるので迅速に読まなくてはいけない。それで読む、読む。一回読んでヤレヤレと辟易するのかと思いきや再読、再再読、と粘り強く挑みかかったというのだから、アア彼らと我はどうやら生来違う生き物のようでと降参したくもなる。がしかし、全地球からプラハに集った児童たちを熱烈な輪読へと奔らせた根源は、じつは黎明を迎えたばかりの性衝動だったのである。世界の名だたる全集にみんなで踊りかかって未知なる性描写を汲み出しては歓喜に打ち震えていたのだという。それならわが身にも覚えがある! あまりに縁遠いエリート交友関係が展開されはじめた紙面から遠ざけかけた目が、ぎゅうっと引き戻された。
高校2年になんなんとするより先に、わたしは本を読んでいました。
ただその読みかたがいかんせん衝動の命じるままだったのでこれまで固く口を鎖ざして秘匿していたのです。上橋菜穂子の傑作『獣の奏者』は単行本で全巻読みました。王獣や闘蛇とエリンが意思疎通できた喜びや、ときにまったくのディスコミュニケーションゆえに起こる苦しみなど、読みどころが豊富にある本です。ご飯もおいしそうです。が、わたしが丁寧に丹念に、それこそ再再読するほど重きを置いて読み込んだページといえば殺戮と性愛の描写でありました。酸鼻をきわめる殺戮シーンは児童むけの文庫版が扱わなかった単行本後半におびただしくあり、鼻血を垂らすほどの性愛は件のシリーズの『外伝』がばっちり収録していた。大学の小説サークルで同級生が『外伝』について「昼ドラみたいだった」と論じていたのをわたしは聞き逃しませんでした。プラハ学校の児童たちが公然と衝動を共有したのに比して、胸のなかで禿同を表明するにとどめた点にわたしの小心者たる所以が宿っています。幼いあの日、ひとに決して明かさないまでもわたしは確かに猛烈に本を読んでいた。東野圭吾作品はその方面の衝動を(彼の名誉のため、も、と付しておこう)満足させる描写に富んでいたのであらかた読んだ。手塚治虫『ブラックジャック』についていま思い出せるのは第一に豊満な裸体というありさまである。学校をずる休みして全巻引っ張り出すほど愛読したのは『ケシカスくん』。読んでいたら妄想が膨らんでほんとうに熱が出た。また、早すぎるきらいはあるが筒井康隆に触れていた記憶もある。母が好きだったという原田宗典の文庫本も夜な夜なめくった。絶対明かさない衝動を秘めて読書に取り組んでいたわたしがはじめて公然と愛するようになった本が、二重人格を扱う『ジキルとハイド』だったというのはなんという因果だろうか。うまいこと時宜を得て、そして明かすための語彙を獲得して急遽文学青年の土俵に浮上できたといえそうである。
わたしが現在繰り広げる、節操を欠いた読書小史を振り返ったとき、断崖があるかに思われたそこに、じつは地続きの広大な大地があったことを思い出すいいきっかけになった。認めましょう、ずっとそこに本がありました。 -
何回も寝落ちしながら聞いてた本。米原さんの本、好きな割に寝落ち頻度高め。多分内容が固いからだと思うんだけど、聞いてるとなんとなく眠くなるんだよね‥面白かったんだけど、笑えるような話かと思って期待してた割にあまり笑えるところはなかった笑。
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米原万里のエッセイ集。その中でも、特に彼女の職業であった、「同時通訳」に関するもの(とても真面目なものから、ユーモアたっぷりのものまで)をテーマにしている。
本書は、書下ろしではなく、米原万里が色々な雑誌に書いたものを集め、再編集したもの。本書の単行本の発行は2000年12月であるが、雑誌に書かれたものの初出は、97年から00年まで、特に00年のものが多い。
米原万里は1950年生まれであるが、作家としてのデビューは遅く、1995年。亡くなられたのが2006年なので、作家としての活動期間は10年強と非常に短い。しかし、多作の人であり、Wikiによれば、この期間中の単独での著作を20冊以上、その他の共著や対談集等、作家として非常に多くの仕事を残されている。彼女の著作の愛読者であれば分かるが、著作は1冊1冊にボリュームがある、けっこう分厚さのあるものが多い。多作で饒舌。単行本以外にも週刊誌に連載を持たれていたり、テレビ出演をされていたり、とても活動的な方であったようだ。文庫本のあとがきにも記されているが、おそらく、エネルギーの固まりのような方だったのであろう。
私は彼女の著作を10冊以上読んでいるが、同時通訳をテーマとしたものは、実は苦手。同時通訳の苦労や、その難しさは著作を通じて伝わってくるのであるが、やはり自分の日常とほとんど関係のないテーマであり、あまり実感を感じることが出来ない。本書を読んで、米原万里さんを、更に尊敬するようにはなったが、面白い読書だったかと言われると、少し答えるのが難しい。 -
国際会議に欠かせない同時通訳。誤訳は致命的な結果を引き起こすこともあり、通訳のストレスたるや想像を絶する…ゆえに、ダジャレや下ネタが大好きな人種なのである、というのが本書の大前提。「シツラクエン」や「フンドシ」にまつわるジョークはいかに訳すべきかをはじめ、抱腹絶倒な通訳稼業の舞台裏を暴いたエッセイ集。
(2000年) -
ロシア語同時通訳者である米原万里さんが、日露文化に触れる中でピックアップされた日常のクスッとなる小噺を集めたエッセイ集です。
ただし、タイトルにガセネッタ、シモネッタとありますがガセネタもシモネタもあまり出てはきません。
◯女人禁制の聖域にも
米原さんの知人である田丸公美子さんが通訳者として掘削現場に同行した時のこと。日本側JR幹部が恐縮しきり、『女の方が立ち入るのは、どうかご勘弁を。工事現場の人間が騒ぎますので。』というと、田丸さんがこう返したそうです。『ええ、どうせわたくしはフジョー(不浄)の身でございますから。まあ、でもこのトンネルはリニアモーターカー用でございましたよねえ。かえって、フジョー(浮上)しめよろしいんじゃございませんこと。』
冒頭に、同時通訳者は常に時間との勝負であるためニュアンスを伝えにくい駄洒落を嫌うはずだが、意外と駄洒落好きが多いという話題があります。こんな頭の切れる会話を人生で一度でもしてみたいなぁと思ってしまいました。
◯浮気のすすめ
『外国語や外国文化に接したとときの病的反応には、それに夢中になって絶対化するか、逆に自国語と自国文化を絶対化するかの二通りある。』
とっても心当たりがあり、それを文章にされていたのでどきっとしました。外国語学習はどうしても長い時間と努力を費やさねばならないためについ忘れてしまいがちな部分ですが外国語や外国文化に触れて初めて知ることに驚いたり新鮮味を感じたり、面白く感じたりする純粋な気持ちをもっと積極的に感受していきたいと思いました。 -
皮肉や嫌味を楽しく味わいたい気分にちょうどいいエッセイ。少年少女世界文学全集は本棚に並べておこうと思いました。
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米原万里の社会言語学、とでもいうべき本です。
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何度目かの再読。先日みたゲンロンイベントで翻訳の奥深さに感銘をうけ、久しぶりにこの抱腹絶倒の通訳エッセイを読みたくなった。「つまるところ、言葉からどんな意味を読み取り、どんなイメージを立ち上らせるかは読み手次第なのだ。」p.259。