- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167679477
感想・レビュー・書評
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「クチュクチュバーン」「国営巨大浴場の午後」「人間離れ」の三作を収録しています。
「クチュクチュバーン」は、人びとが異形へとすがたを変えていく世界のなかで、生きる意味を求めるなどということがまったくうしなわれてしまった状況をえがいています。他の二作も同様の趣向で、「国営巨大浴場の午後」ではナッパン星人の襲来以後の世界がえがかれ、「人間離れ」は緑と藍色の奇妙な生物が人間たちを襲うなかで「人間離れ」を試みて助かろうとする人びとがおこなう「直腸出し」などの奇妙なふるまいをえがいています。
「解説」を担当している椹木野衣は、「クチュクチュバーン」に登場するシマウマ男が体現している「見る」ことを、本作の重要なモティーフとしてとりあげています。こうした見かたに悪乗りしていえば、世界がその法則性を崩壊させてしまったなかで、なんらかの理論的背景にもとづいておこなわれるはずの「見る」ことが、もはや実践的なふるまいと見分けがつかなくなってしまうような臨界点を示しているところに、本作のひとつの読みかたを見いだすこともできるのではないかと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【本の内容】
ある日突然、世界のすべてが変わる。
蜘蛛女、巨女、シマウマ男に犬人間…地球規模で新たな「進化」が始まる。
究極のグローバリゼーション?
新しい人類の始まり?
「巨大な塊がクチュクチュと身をよじらせて、バーンと爆発する」。
小説界を震撼させた、芥川賞作家、驚異の文学界新人賞受賞作。
単行本未収録作品併録。
[ 目次 ]
[ POP ]
表題作は、あらゆるモノと人間が同化していき、異形の人間というより化け物で溢れた世界で、人々が愛し合い、憎しみ合い、散々に殺し合う。
蜘蛛女にシマウマ男、巨女、犬人間、これは進化なのか?
到底受け入れたくないような、異常な光景。
もうやめて欲しいくらいなのに、なぜか吸い寄せられ、あっという間に読了。
それから、何が起きたのかもう一度確認するように、二回目はもう少し落ち着いて読んでみた。
じっくりと読んでも、未来にこんなことが起きたら、という恐怖は全く沸いてこない。
読む前はクチュクチュバーン?
何それ?
だったのが、読了後は、私たちがいる世界で、他者、情報、開発などと遠い距離感を感じた時の虚無感と、クチュクチュという音が、私の頭の中でもやもやと同化してくる。
このまま行ったら世界はバーンなのかな、等とぼんやり考えが浮かんだ時、著者の想像力が紙の上で今繰り広げている、クチュクチュバーンという世界に、初めてぞっと恐怖が沸いてきた。
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
発想の豊かさに乾杯!納められた作品は必ずしも快適ではないが、力強く響くものがある。
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うーん、すごい世界観w
エログロが耐えられるなら一度読んでみてもいいと思う。
発想は小学生みたいで、舞台も構成もそういう鼻で笑ってしまうような物。だから、この作品は設定とかは気にせず読むべき。
自分が感じたのは圧倒的無力感。
これを読み終わったのが大地震の後だったので、そうした自然災害に対してあまりにも無力である人間という生物がいつもよりさらに惨めに思えるように思えた。
読んでいると洗脳されているかのように作品の世界に吸い込まれ、少し淀んだ薄暗い雰囲気になれるのでそういう気持ちを体験してみ買ったら読んでみてもよいと思います。 -
081009(n 090103)
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トラウマになりかけた、ある意味ホラーとしては逸品。<br>
コレを読んで『純文学』の定義が分からなくなりました。<br>
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実は母と妹は吉村萬一先生ご本人と面識アリ。<br>
頭のバンダナを取ると地球が爆発するんだとか。。。 -
好き嫌いがはっきり分かれそうな作品。
これでもかってくらいバイオレンスですが、ぶっとんでるんである意味爽やか。
宇宙の何を信じればいいのかわからなくなる、素敵なおはなし。 -
クチュクチュっとして、バーン!!