- Amazon.co.jp ・本 (508ページ)
- / ISBN・EAN: 9784167903183
作品紹介・あらすじ
狩野派を引き継ぎ変革した天才の生涯安土桃山時代。権力者たちの要請に応え「花鳥図襖絵」など、次々と新境地を拓いた天才画家・狩野永徳。芸術家の苦悩と歓喜を描く。
感想・レビュー・書評
-
安土桃山時代に活躍した、狩野永徳が主人公。
曽祖父の代に始まった狩野一門は、足利将軍家、織田信長、豊臣秀吉など、時の権力者に愛された御用絵師の家系だから、永徳は生まれながらにしての、絵師の家の棟梁。
小説の主人公としては、少し感情移入し難い立場の人物だ。
なぜならば、芸術家の一代記となるとどうしても、「カビの生えた伝統をぶち破る風雲児」…的なキャラクターが愛される。
狩野派といえば、そういったニューカマーに対してはどちらかと言えば「敵」の立ちはだかる壁側だからだ。
(実際に永徳は、長谷川等伯に発注された仕事を圧力を掛けて取り上げたりもしている)
しかし、有名な絵師の家といっても、いいかげんな仕事をしていて続くはずはないのである。
そして、長く続く組織の中でも、新陳代謝が必要だ。
生まれながらに天才的画力を持っていても、常に、「己の絵とは何か」を追い続け、新境地を開こうとあがき続けた永徳の姿は鬼気迫るものがある。
そして、高みを目指す者が避けて通れないのが、他者の才能に対する嫉妬。
これも、長谷川等伯に対する複雑でどす黒い感情がエグいほどに描かれている。
また、上手くてもありきたりな絵を「つまらない絵」と言ってみたり、情熱をぶつけ過ぎて個性的なものを描けば今度は「見ていて圧迫感がある」と、勝手な言い分の顧客も、芸術あるある。
移りゆく時をとどめて、或いは目に映る以上の絵師の魂を込めて…襖や壁に描いたものは永遠ではなく、多くは建物とともに失われて行ったことが儚く残念だ。
一番身近な弟子として、いつも付き添っていた友松が、検索してみたら、桃山時代最後の巨匠とうたわれた有名な画家だったことを知ってびっくりでした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
造り手として読むと
苦しくて苦しくて逃げ出したくなる本。
永徳と等伯
桃山展で並んで展示されているのを観て
息が止まったし、
少し離れて眺めて涙が出そうになった。
才能の方向がちがったんだよね…
苦しかったね。
って思った。 -
狩野派中興の祖と言われる永徳の物語。
信長、秀吉、と仕える相手が移り変わる世の中で、ひたすらに自分の絵をより良くしようとする。一生懸命とか精進しているとかいうレベルを超えて、神がかっている、あるいは画狂のようとまで見えるその姿がだんだん怖くなってくる。それでも、求道者としての反面、一門のことを考え父を尊敬したり、仕事は断らず受けたり、注文主の意向に従ったりと、大派閥を抱える者としての面も垣間見せる。その二面性が、怖さだけでない魅力につながってるのかな。
自分の絵に絶対の自信を持ちながら、納期のためには弟子の手も借りなければならないというもどかしさや、等伯の技量を認めたくなくて嫉妬からケチをつけずにいられないというような心境も手に取るように感じられる。史実かどうかは別にして・・・天才にも、そういう気持ちがあるのかなと思った。 -
長谷川等伯の「松林図屏風」を観てから、等伯に興味を持ち、安部龍太郎の『等伯』をずっと前に読んだ。『等伯』に描かれる永徳の、ここまで悪人にしていいの?という位の冷血なイメージがあった為、こちらの作品との対比も楽しみだった。
折しも、大徳寺聚光院の特別拝観で「花鳥図」を観たばかり。以前「洛中洛外図」「楓図」も観た。
芸術職人集団の大組織率いるリーダーと、絵師永徳個人との葛藤と苦悩が読んで辛いほど。等伯への激しい嫉妬がありながら、認めたくない自身を、統率者として狩野派を肯定する事で隠す。本当はもっと自由に、楽しく、新しい世界に、挑戦したかったのだろうな。
ストイックに自分を追い詰めている姿は、絵を観る人の場所がない、と言われた永徳の絵そのものなのか?しかし、狩野永徳あっぱれ!と思わずにいられなかった。
山本氏の作品は初めてだったが、素晴らしく熱のこもった作品だった。若くして亡くなられた事が大変残念です。 -
期待通りに面白い。自分の生活からはわからない芸術家という世界の中に入り込めるのが良い。また、きれいごと、英雄伝ではなく、人間の汚い部分、弱さが織り込まれていて共感できる。解説にあるように「等伯(安部龍太郎)」と合わせて読むとより深くなる。
-
狩野永徳が信長と秀吉と千利休に出会い、山本兼一によって生き返る
-
狩野永徳の絵師としての生涯。描くことへの執着と自分への過信、そして情熱。長谷川等伯との確執に至る絵画観の根本的な差違。芸術論であり人間論でもある狩野永徳の一代記。絵のなかに鑑る人の空間を作る必要があるか否か、描く姿勢が真剣過ぎて鑑る人を疲れさせないか、描くことが楽しくて仕方なくそこにしか生きている実感を感じられない等々、絵師永徳の本領を山本兼一が存分に表現している。
-
江戸時代の絵師・狩野永徳。狩野派の工房を背負う葛藤と苦悩。そして描くことへの喜び。
等伯への激しいライバル心と嫉妬心。自由に描きたいと思いつつも、伝承され続けてきた狩野派としての基礎は崩せないし、責任もある。まったく共感できない人ではあるけれど、絵にとらわれていたのか、絵を自分のものにしていたのか、苦悩に充ち満ちていたんだろうなと、ある意味気の毒になってしまった。
それにしても火事や戦乱の多い時代。どれだけの宝が燃えてしまったことか。もしも永徳の作品がもっと残っていたら、永徳は狩野派以上の絵師として、後年は祖父、曾祖父以上にもっと評価されていたのかもしれないな。