死んでいない者 (文春文庫 た 101-1)

著者 :
  • 文藝春秋
3.42
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本棚登録 : 671
感想 : 50
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167912444

感想・レビュー・書評

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  • 「死んでいない者」 4/5
    「夜曲」 3/5

  • 高架線、茄子の輝き、と続いて3冊目の滝口悠生。ある老人の葬儀のためにあつまった一族、総勢約30人。その子、その孫、ひ孫から、友人まで。その一日かそこらのことを、語り手をくるくると変え、積み重ねられていく、とりとめもない思いと会話。私たちが出会った奇跡は確率では計れないというダニエル夫婦。十歳年上のひきこもってる兄と月一くらいで長電話してとりとめなく話す、兄のすること考えていることはなんでも知っていたように思う知花。"たしかにあったどうでもいいことは、この世界にどのように残りうるのか" ある一族を舞台に、それを残すとしたら、といった試みでもある、と思った。併録された「夜曲」は謎めいたスナックのママから見た常連たちの会話と声に出さぬ独語、いっときかすった隠しておきたい過去のことなど。"同じようでいて同じ会話は二度とない” ”見つめていればそのうち何でも愛おしくなるものだが、それを続けるのは楽なことではない。"

  • 最初は、ある一族の人たちが
    お通夜の1日にあったこと思ったことを
    ダラダラ書いているだけだと思った。
    しかし頑張って読み進めていくうちに
    不思議な気分になってきた。
    読みながら自分の経験したいろんなことを
    思い出す。
    すごく芥川賞っぽい小説だと思う。

  • わぁこの作家は私と同い年なのか。
    はじめて読んだけど、めっちゃ書きたい内容だった。

    前情報なく手に取って、
    通夜の親戚の集まりを描いてるとわかってかなり身構えた。
    私自身地方の出身で親戚付き合いが濃いもので、
    自分の中の強固なリアリティがあるものだから
    嘘っぽさとかがあると途端に引いてしまうだろうなと。
    でも今作はそんな自分を次第にほぐして行って、
    最終的にはなかなか遠くまで連れて行かれた。

    まるで線香の煙のようにたゆたいながら
    何人もの親戚たちの内側に入り込んでは
    この親戚たちの関係性や複雑な思いを描きつつ、
    型にはまらぬ家族のあり方をいくつも提示する。
    特に後半はかなりドライブしてくる感覚があり、
    フォークナーかと思うような流れる思考。
    しかも死者と生者を巻き込んだ架空の会話が
    そもそも鉤括弧使わない中に自然に挿入され、
    鐘の音や歌やエンジン音とともに混沌としたまま
    夜空へと消えていくような終わり方。
    他の作品も読まざるを得ないね。

  • 何がおもしろいのかわからないかった。まだ芥川賞は苦手

  • 3.3

  • 読書開始日:2021年7月25日
    読書終了日:2021年7月30日
    所感
    読むのに時間がかかったし、正直なところ自分には合わなかった。
    でもその場の雰囲気や景色はなぜかするっと入ってきた。
    題材が他人の親族で、さらに登場する親族が把握しきれないくらい多いから、多分入りずらかった。
    でもここに作者の表現したかった、結びつきの弱さによる、義理を感じないことによる関心の薄さを味わえたと思う。
    当の親族同士ですら、お互いをそこそこにしか知らないんだから、その親族となんらかかわりの無い一読者の自分は、
    関心が薄くてもともとなのだ。
    関係が薄い知り合いと話すとき、思い返しても何を話していたか覚えていない。ただ、何個かの話は鮮烈に興味を持ったりする。
    この本のそれは、ダニエルの義理の話が一つ。
    「義理は文字はない、感じるもの」
    もう一つは思い出の話。
    「思い出は詳細になれば嘘になる」。
    思い出や夢はさまようためにあり、曖昧だからこそ愉しめる。
    きらりと光る箇所が随所にあったが、基本つかみどころのない作品だった。

    お互いにお互いの死をゆるやかに思い合っている連帯感
    露悪的な感じ
    目は何も教えてくれない。ただ見るばかりで、見えるばかりだ。
    そんな返事をすまい、という自己陶酔めいた感慨をともなう否定のために浮かぶ。
    いいよ、いいよ、お兄ちゃん、と歌うように繰り返す
    彼はとにかくいたたまれなさらが怖いのだった
    ただ単に姉の配偶者だとおもっていたかもしれないのは、姉の夫の間に働く義理が、自分に直接働くものではなかったからかもしれない。
    義理を感じるものと考えたところが、えらいね
    父親や自分たちを実体のらない不幸という名の下に縛りつけようとする奴らの存在こそらが自分たちにとって不吉なのだ
    輪郭というか抜け殻のようなものは残っている。
    忘れてはいないのだが、もう死ぬまで思い出さないかもしれない記憶もあっすて、考えようによったら忘れるよりその方が残酷だ
    思い出は、詳細になれば嘘になる。
    いやおうなしに記憶は自ら記憶を掘り返し始め、穴や理由を埋めようとする。余計なことはしてくれるなとおもうが、とめようもない
    思い出は曖昧だからこそ愉しめる。地図の引き合いは思い出に結論が出ることの恐れ。自分の声を自分で聴いてしまうことも夢からの様につながる。夢や思い出は彷徨うためにある。
    誰かと一緒にいて、そのうえで、文句を言ったり、ぶすっとしていられるんだな
    ずっといつかばあさんが死ぬことを悲しみ続けていきてきた気がする。
    おれには何も、お前達の頼りにできるようなものなどない
    どうしてか、かなしみの隙間にこういう晴れやかさとか楽しさがないというのも嘘だ。

  • 語りが移り変わっていくので、色々な人の視点で話が進んでいった

    登場人物が多すぎて家系図がないと分からなくなってしまつ

    2021/3/21 ★3.0

  • 「通夜」という一枚の黒々した布に、その製作過程あるいは身に纏ったことのある人々が様々な角度から手を伸ばしている様を連想した。あらすじと呼べるあらすじも全然なくただ「死者」と残された様々な年齢・立場・関係・人となりを持つ親戚たちが死という一つの出来事に対して、それぞれ淡々と向き合っている。ごく自然に視点が入れ替わり、そこに章分けやカッコ書きなどの心内語と実際に口に出された言葉を分かつ明確なものは存在しない。時間軸もするりと別のところに飛んで行く。文体や進み方は一見奇妙だが、死という究極の非日常が根底にあるその場にしかないリズムが確実に存在する。そんな究極の非日常を描いておきながら、案外「現実」ってこういう流れ方をするよね、人の心ってこういう動き方をするよね、というのを最もリアリスティックに書き起こしたら結果的にこうなった、という印象があった。
    登場人物が多過ぎるのも、かつ彼らの経歴や血縁関係について説明を繰り返しながら全員が面倒臭くなっていくのも、確かに滅多に会わない親戚一同の集い(それも宴会とか結婚式とかと違って、あまりプラスの感情を持ち寄らない負の集い)って、そういうドライなところがある。「死」に対峙した夜なわけだから本来身内ほどウェットにならなきゃいけないのに、結局自分たちのいる「生」側の世界の煩わしさにかまけて、かつ「非存在」の話ばかりする(死者とか、行方不明になった寛とか)。そういう奇妙かつ繊細な日常の「何か」を、この小説はこれまた奇妙なやり方でピックアップしている。そんなふうに思う。
    それにしても、何かに吸い寄せられるように相次ぐ夜中の未成年飲酒は何だろう。

    こういうのって、「合う人」「合わない人」いるだろうな〜!賛否両論が予想されそうだけど、すごくよかった!

  • 詩と小説の中間のような、独特の文体(わたしが初めましてだっただけで、他にも沢山いらっしゃるのかもしれないけど!)
    難しい文章じゃないのに、読むのに時間がかかったのはそういうところかな?

    そこにただ存在する、人間たちのリアルな一晩を切り取ったお話。淡々とゆっくり流れていくリアル感が好きなひとには合うのかもとおもった。

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著者プロフィール

滝口 悠生(たきぐち・ゆうしょう):小説家。1982年、東京都八丈島生まれ。埼玉県で育つ。2016年、「死んでいない者」で第154回芥川龍之介賞を受賞。主な著作に『寝相』『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』『茄子の輝き』『高架線』『やがて忘れる過程の途中(アイオワ日記)』『長い一日』『水平線』などがある。

「2024年 『さびしさについて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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