- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784198638498
作品紹介・あらすじ
不快なマラソンランナーたち、最終学歴「中卒」に込められた思い、某テレビ番組の怒りの降板劇、友人との取っ組み合い――。地味で孤独で、しかしながらどこまでも激しい日々。頑固者、偏屈者を自認する当代きっての無頼作家が、軽快な語り口で世の不徳義を斬り、返す刀でみずからの恥部をえぐる痛快エッセイ集。異色の芥川賞作家の知られざる素顔が明らかに。
感想・レビュー・書評
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西村賢太さんの作品、ブクログ登録は2冊目になります。
西村賢太さん、どのような方か、ウィキペディアで再確認しておきます。
西村 賢太(にしむら けんた、1967年(昭和42年)7月12日 - 2022年(令和4年)2月5日)は、日本の小説家。私小説の書き手として知られる。
今年の2月に、54歳という若さで亡くなられています。
で、本作の内容は、次のとおり。(コピペです)
不快なマラソンランナーたち、最終学歴「中卒」に込められた思い、某テレビ番組の怒りの降板劇、友人との取っ組み合い――。地味で孤独で、しかしながらどこまでも激しい日々。頑固者、偏屈者を自認する当代きっての無頼作家が、軽快な語り口で世の不徳義を斬り、返す刀でみずからの恥部をえぐる痛快エッセイ集。異色の芥川賞作家の知られざる素顔が明らかに。
気になった箇所は、
p37
一月二十九日は藤澤淸造の祥月命日である
著者は、藤澤淸造氏を師匠とされているようです。
最も、藤澤淸造氏は1932年に亡くなっているので、西村賢太さんは、自分のことを「没後弟子」と言っています。
藤澤淸造氏、ウィキペディアには、次のように書かれています。
藤澤 清造(ふじさわ せいぞう、1889年(明治22年)10月28日 - 1932年(昭和7年)1月29日)は、日本の男性小説家、劇作家、演劇評論家。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
苦役列車以来、西村氏の本を読んだ。刹那的でありながらユーモアあり、俗人であり、小市民であり、不器用であり、自分を客観的に見ている。
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リラックスして書いている感が前面に出ている
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著者が繰り返し述べているように、とんでもなく卑屈である。自虐というか自己憐憫が過ぎる。さすがに毎ページに渡り書かれると辟易してくる。ネットなんぞでタダで文章を書かないといいつつ、自分の文章をひたすらに卑下する。それを読者はどんな思いで読めばいいのだろうか…などと突っ込みたくもなる。もっと単純に、下品に書いてほしい。まあ、本など嫌なら読まなければいいだけだ。氏の小説は好きだが、この手のエッセイはもういいかな。
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もうね、一私小説書きの日乗とかも読んでるし、西村賢太の著作はほぼ全部読んでるから純粋に内容だけだと重複甚だしいんだけど中毒してるから読まずにはいられない感じなんだよなぁ。今作も大いに笑わせていただきました。相変わらずの下衆っぷりがたまらないのです。
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図書館借り出し
図書館でようやく発見。
タイトルすごく好き。 -
エッセイ集。この人の小説を数冊読んでからのこれだったので、この人の性格は大体把握している。だからこそ毒の効いたボロクソコテンパンな内容を期待していたが、意外と遠慮ぎみな印象。後半になってややエンジンがかかってきた感じもするが、根が真面目で小心者故か、なにかどこかに遠慮をしているようにも感じた。それでもまあ毒は効いているけど。小説の延長線上にあるようなエッセイ。
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西村賢太のエッセイには偽悪と含羞が見え隠れする。FacebookやTwitterでどうでもいい超個人的体験や感想を垂れ流す輩とは対極だ。もはやデジタルを全否定出来ぬほど、私を含む現代の人間は便利なテクノロジーの奴隷だ。しかし、氏はノック式ボールペンでーノートに下書きし、推敲しながら小説を書く。停電になっても作家稼業に支障がないかと言えば、さにあらず。エアコンには過剰なまでに依存している。そこが可笑しい。
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914.6