ハリーと千尋世代の子どもたち

著者 :
  • 朝日出版社
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784255001432

作品紹介・あらすじ

子どもたちの「生きる力」は本当に弱くなっているのか!?ユング心理学の理論家であり、臨床医でもある著者が、二十一世紀の冒頭に大ヒットを記録した二つの映画、『ハリー・ポッターと賢者の石』と『千と千尋の神隠し』をモチーフに、今を生きる子どもたちの心の深層と、子どもたちの置かれる環境を読み読く。

感想・レビュー・書評

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  •  気になったところだけまとめておく。
    子供との接し方について
    ・子供と接するときは、あくまで子供に主体があるため、子供が何をしたいのか・どうしたいのかを一歩引いて見守るようにしなければならない。そのため、親に主体がある「子供とどう付き合えば良いのか」といった問いの立て方はそもそも間違っている。
    ・子供をきちんと見守るということは、とてもしんどいこと。でも、それをしなければならない。

    『千と千尋の神隠し』について
    ・千尋は、ハクの行いの謝罪を自ら買って出ている。また、リンは千尋の礼儀を厳しくしつけ、釜爺は大人の庇護者としての役割を体現している。これらの側面が、『千と千尋』では、お説教ぽさなしにさらりと描かれている。
     この本を読んで、釜爺のかっこよさがストンと理解できた。
    ・名前を奪うという行為は、相手の人格を奪うということに他ならない。人格を奪った後で、二次的効果として支配・被支配の関係が生まれてくる。
     この点は、安部公房の『壁』の中でS・カルマ氏が名前を失った(正確には名刺が消えていったかな?)描写にも見られて、激しく同意できた。
    ・千尋の両親は、豚になってしまったが、あれは「お金さえ払えばいいだろう」という不遜な心が現れた、現代人の姿。
     ちょっとギクリとした。自分もそうなっているかも。
    ・千尋はカオナシの顔を見て、カオナシの根底にある寂しさのようなものが直感的に理解できた。カオナシは、千尋にそのように理解してもらえたということから、仁義を感じて、種々の行為に繋がった。
     千尋はカオナシに初めてあった時、会釈をしていた。会釈をするということは、カオナシを、応答可能な相手として認めたということになる。つまり、カオナシはここで存在を認めてもらえたのだろう。レヴィナスが応用できたりするのだろうか。

  •  ものっそ読みやすい!!!記者さんのインタビューに答える対話形式で書かれているのですが、会話というのもあり、すごく読みやすかったです。するする読める!山中先生は講演も凄くわかりやすいので、先生ご本人の人柄も顕れているのかもしれません。また、インタビュワーさんが頭の回転がすごい方で、的確な質問をぶつけているというのもありそうでした。

    ◆同性の友人というのは自分を映し出す鏡だと思っている。・・・・・・そして、鏡がないうちは自分が見えない。人から自分がどう見えているのか、世界と自分がどう関わっているのかということを、客観視することができないやん。(p46)

    ◆指導を展開していった時に、ある事態が起こったとします。その時、その中心に目がいっていなかったら、全体を維持できるわけがない。その子が本当に大変な時に、先生がちゃんと助けになってくれるかどうか、他の子どもたちはみな見ている。もしも、目の前の子の問題に陥っているのに、「あんただけにかかわっていられない」という言い方で逃げていたら、それは全員にそう言っているのと同じことなのです。(p73)

    ◆信頼関係を保つためには、「礼儀」というものがあり、してはいけないこととするべきこととがある。(p81)

    ◆言葉というのは体験を明確に眼前させるための手段なのだ。(p107)

    ◆今、日本では、「労働と等価の金が払われる」という資本の論理だけで、「働く」ということが語られているから、みんな働きたくなくなり、最低限しか働かないようになる。「働く」ということのポジティブな意味を評価していないからです。人が「働く」ということは、本来そうではありません。見てごらんなさいよ、千尋の顔を。目をキラキラ光らせて、働いていたでしょう。「働く」という字は、人が動くと書くじゃないですか。

    ◆分裂とは、本来の自分とあるべき自分とが、完全に離れてしまっているという意味なんです。(p168)

     湯婆婆と銭婆がパラドクスだとか、カオナシは①金で人の心を操ろうとする悲しいストーカー男②顔がないというアイデンティティの喪失者③食べて吐くという行為を持つ、その意味とか、現代はどの境界にも入れずにどの世界にも自分がアイデンティティできずにいる境界ばかりうろうろしている「境界例の時代」などなど、もの凄く納得しました。はー(・ω・)

     内容全部、ハリーポッターと千と千尋はこういうことを伝えているから面白いと多くの人に思わせるのではないか、ということを解説して下さり、また精神分析の一端にも触れて下さる御本となっております。

  • 偶然目にとまった一冊。腑に落ちたポイントがとても多くて、じっくり読み直そうと思います。不登校の子に対する言及がとても的確な気がしました。

  • 図書館の教育カテゴリーに置いてあったのだけど…
    まぁ、教育関連でもあるか、という感じだったかな。
    だいぶ映画の話に偏りがちだった気も…(^^;

    タイトルを見て、『ハリー・ポッター』と『千と千尋の神隠し』が流行った時期に小中学生だった子供たちの話だと思って借りたんです。ハリーや千と千尋を見たり読んだりした子供たちはどんな子供か…みたいな。
    しかしそういう意味ではなくて、ハリーと千尋と同年代(10、11歳くらい)の子供たちはどんな性質か?ということを書きたかったみたいです。
    完全に誤解だった!(笑)
    私自身がハリー千尋世代でありゆとり世代であるのでそれらを含めた話が読めるものかと思って借りてきたのになぁ。

    10、11歳くらいの時期を前思春期と言うんだそうです。思春期の前の、複雑化する前の時期。

    なんだか途中から『千と千尋の神隠し』の内容を解釈する内容にすり替わってたように思います(笑)
    それはそれでとても面白かったんですけど(笑)

    若者が「働く」ことの価値を見いだせなくなっている、という話や、親と子、教師と子、親と教師の関係性が上手くいかない、という話、子供たちの興味の芽を摘み取ってしまわないで、という話、この辺りが教育に関係のある話だったかと。
    残りは社会的な話と映画の解釈や感想の話。

    ハーマイオニーがイメージと違ってた、なんて、こっちはそんな話が聞きたいんじゃないっての(笑)
    あと、フリットウィック先生は浮遊の呪文「ウィンガーディアム・レヴィオーサ」を教えた先生であって、決して「飛行の先生」ではありません(笑)飛行の先生はフーチ先生ですね(笑)
    そして、「妖精の呪文」の授業の先生であって決して先生自身は妖精ではないんじゃないかなと思います(笑)

    そんなことはさておき、『千と千尋の神隠し』の解釈はとても面白く、特に湯婆婆と銭婆、カオナシの話、千尋の成長、千尋の両親、リンと釜爺の話など、とっても興味がわきました。
    気づいてなかったことがたくさん書いてあったのでなるほど!と思いました。
    最近見てないし、今度見ようかな?

  • 10歳から12歳の子供の心理学を絡めて「ハリーポッター」と「千と千尋の神隠し」なんかを交えて2002年に発売された本。
    原作が完結したけれどこの教授は原作をどういう風に見るようになったんでしょうね。
    インタビュー形式なので口語文が大阪弁?なのでちょっと「?」と突っかかるところが出てしまうのが微妙な好みの差なのかな。

  • 千と千尋,ハリー・ポッターの映画を再度見たくなった。そういえば心理学やりたいって思った頃に出会ったのも山中先生だった気がする。近頃,科学とか二元論への疑問が膨れ上がって苦しいので,久しぶりにユング心理学に触れて楽になった反面,これから教師という一つの枠の中に収まらなければならないことに恐怖した。あと,21世紀はボーダーラインの時代云々のくだりで,自分がどうしようもなく現代人なのだということを認識した。

  • ちょっと考え方が偏り過ぎな感じがした。

  • 小学校3年生くらいの頃、というのを焦点にあてていた気がする。そこが、こどもと大人の境目であり、純粋なものと生きていけるかの境目なんじゃないか。

  • 映画について語るというより、編集者の方と山中先生の対談みたいな…。今時の親は子供をきちんと育ててきた、という自信がないから結局子供が大きくなっても甘やかしてしまう、というのにはなるほどなぁと思った。

  • 前思春期=十歳前後
    "一部の子供が、人間が到達しうる最高点なり最深点に到達したかのように見える時期"
    "人間が最も輝く時期"

    "子どもの側に視点を置いて、そちらのほうに主体を置いたら、見えてくるものは違ってくる"
    "子どもが千人いれば、子どもの持っている能力や可能性がまさに千通りある"
    "子どもが目を光らせたものをこそ大事にするということ"

    "出会いというのは、一つ一つの出会いが、世界との出会いであり、宇宙との出会いであり、自分の心の内界との出会いなのです"

    "本来、子どもが持っている可能性を、どうやって導き出すか?"
    "どうやってその「窓」を開けるか?"
    "ここに自分の本当の可能性が見える窓があるよと、子どもと一緒にそれを探す"
    "窓っていうのはみんな必ず持っている"

    "言葉は意思であり、力であり、その人自身である"

    "自分を大事にする方法には二通りある"
    "「みんなの一員ということで安心する自分」と、「みんなとは違うということを主張するための自分」"
    "出会いから自分自身は何のためにこの世に生まれてきたのかということに気がついて、そして初めて「自分」を生きはじめる。自分を大事にするということはそこからはじまるもの。"

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著者プロフィール

北海道大学大学院環境科学院准教授/理学博士(東京大学)


「2010年 『Sustainable Low-Carbon Society』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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