- Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
- / ISBN・EAN: 9784267018855
感想・レビュー・書評
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行間を読む。
本書で述べられている「小説の読み方」を一言で言うならばそうなるだろう。
小説とは物語をおうものでも、何らかの教訓、主題を見出す物でもなく、「言葉に表せない」何かをその行間で描き出す物なのだ――と著者は言う。
小説=物語、筋書きではないという箇所には同意。
著者は再読、反復して読むことを薦めているが、そこは平野啓一郎『本の読み方 スロー・リーディングの実践』 (PHP新書)と同じ。
しかし何せあの『もしドラ』作者がいうことなので、説得力がない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ベスト・セラー『もしドラ』の著者が小説を楽しむ方法について語った本です。
小説のおもしろさは、行間に「言葉では説明できない何か」を読み取ることにある、というのが著者の主張です。マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』を例に読み方を解説しています。
小説には「書かれていること」と「書かれていないこと」があります。文字に書かれたことは、ゲームや映画、アニメなどに比べると、ありありとした実感に乏しいのは事実ですが、だからといって文字で記された小説が、他のメディアに比べて魅力がないということにはならないと著者は言い、余白や行間に想像力を働かせる余地があることが、小説のおもしろさの理由になっていると論じます。
ところが、その一方で著者は、「正しい読み方」や「自らの人間的な成長につながる」といった説教じみた言葉を、何の疑いも持つことなく使っています。こうした発想はひどく窮屈で、それこそ想像力を働かせる余地を著しく狭めているのではないかという気がします。 -
まさに自分のために書かれた本だった。
マーク・トゥエインの言葉が胸をついた。
この物語に主題を見出さんとするものは告訴さるべし、そこに教訓を見出さんをするものは追放さるべし、そこに筋書きを見出さんとするものは射殺さるべし。
私はまさに誤った読み方をしていた。小説を物語を知るものと考え、一度しか読まないし、いつも教訓を読み取ろうとしていることに気付いた。
簡単に理解しようとするな。理解しようとせずにわからないまま丸ごと飲み込む。わからないものは、わからないままでいいのだ。それを考え、問いを発生させる読み方が良い。
読みにくい部分や受け取りにくい部分は、今の自分の器では受け止めきれないことを示しているのだ。これを飛ばさずにわからないまま素直に受け入れてこそ、人間としての成長につながる。
これは小説だけではなく、映画にも通じることだ。
結末を予想しない読み方、そして再読すること。これから練習していく。 -
「世界の名作を読むなんて苦行」と感じているような中学生や高校生に読んで欲しい本だけれど、タイトルからして一番届いて欲しい人には届きにくい感じがする。
小説の読み方の本であると同時に、著者の”面白い”論であり、著作業を生業とする宣言のような本になっている。
もしドラの著者が書く内容としては想定よりかなりスタンダードかつストレートだけれど、ナボコフの文学講義の入門編とばかりに全編にわたって徹底的にやって欲しかった。 -
「結末を予想するな(結末を知ってから読め)」というのは鋭い指摘。作者も読み手も、意外性のある結末ばかりを追い求めて、対話ではなく、駆け引きをしてしまい、小説読みや映画を見る事がゲーム化している側面はある。単にワクワク・ドキドキしたいならTVゲームかギャンブルをやった方がいいし、文芸作品である必要はないし。その他、作者の葛藤は?素直に読め、問いは何か?等々、見落としがちな真っ当なアドバイスがある。
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小説にも読み方があるという主張は新鮮だった。ドンキホーテ、百年の孤独を読んでみたいと思う。
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ドン・キホーテ
ヴォヴァリー夫人(フローベル)
白痴(ドストエフスキー)
ハックルベリー・フィンの冒険
浮雲・吾輩は猫である
「問い」の永続性
「問い」をなげかける作品の永続性