- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309205182
感想・レビュー・書評
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密入国を試みる難民たちのおそるべき末路を描いた「太陽の男たち」、二十年ぶりに再会した親子の中にパレスチナとイスラエルの苦悩を凝縮させた「ハイファに戻って」2つの中編と、5つの短編を収録。
ガッサーン・カナファーニー
1936年パレスチナ生まれ。12歳のときデイルヤーシン村虐殺事件が起こり難民となる。パレスチナ解放運動で重要な役割を果たすかたわら、小説、戯曲を執筆。72年、自動車に仕掛けられた爆弾により暗殺される。
パレスチナの名もなき人々。難民として生きること。どの作品も重く厳しく、打ちのめされた。
「彼岸へ」
難民の男の痛烈な叫び。厚顔な世界、その中に自分自身を見るように迫ってくる。強く心に残った。
「ハイファに戻って」
生後間もない子どもを家に残したままハイファを追われたサイードとソフィアが、20年ぶりに訪れた家には、ユダヤ人の老女ミリアムが住んでいた。そして、成長した子どもと再会することになる。
ユダヤ人のミリアムの苦悩も描かれている。彼女がヨーロッパに戻る決意をするところ(最終的には残ったのだが)は、もうなんとも言えない苦しさが。
誰のことも責められず、解決策もない。この作品が書かれてから、すでに半世紀も経っているのか…
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著者ガッサーン・カナファーニーはパレスチナ人。40年以上前の1972年、36歳の若さで暗殺されてしまい、彼の新作を読むことはできません。巻末の解説がかなり詳しく彼の経歴と著作とを紹介しており、それによるとこの本に収められた短編と中編は1962年から1969年にかけて発表された作品たちのようです。つまり、一番古いものは著者が26歳の時の作品ということ。その若さでこんなに凄まじい世界観の小説が書けるのか、というのが驚きです。
場面はすべて中東。ユダヤ人に住処を追われ難民となったパレスチナ人の流浪の生活、難民キャンプで路上をさまよいながら日銭を稼ぐ子どもたち、キャンプの食糧を盗む難民とそれに加担する国連職員、イラクからクウェートに密入国を図る男たち、幼い我が子を残して逃げざるを得ず、20年ぶりに戻った懐かしい街で奇蹟的に変わり果てた息子との対面を果たすパレスチナ人の夫婦…。
いずれも小説の登場人物ながら、長い中東の混乱の中で恐らくほぼ確実に、この小説に出てきた人々と同じような運命をたどった人々は現実にいたのではないかと思います。それぐらい、限りなく現実世界に近いフィクションを描き出した作品群であるという印象です。
読んでいて辛くなったのが、「彼岸へ」と題された作品で、難民キャンプにいるパレスチナ人が語る一部分。少し長いですがそのまま抜粋。
『俺達は商品的状態なんじゃあねえかって言いたいんですよ。ここを訪れた観光客は、難民キャンプを見落としちゃあいけねえってわけですよ。難民どもは一列になって、できるだけあわれっぽい、本当の悲しさにおまけをつけた顔をして見せるんですよ。すると観光客がその前を通ってぱちぱち写真を撮って、そして自分でもちょっぴり悲しみにひたってみるって寸法ですよ。それから、この観光客がそれぞれの国に帰ると、こう言うわけですよ。”皆さん、パレスチナの難民キャンプをぜひ見ておくべきです。それが消滅してしまわないうちに”
そのつぎには、俺たちは、リーダーシップを取るための材料ってことになってるんですよ。俺たちはその国の声明文に盛り込むためのものとか、人間性を誇示したり、民衆を競売に出すときの、恰好の材料にされるんですよ。旦那さんには、おわかりでしょうねぇ、俺たちは左派とか右派とかの区別なしに、どちらにもご利益のある、政治生命をつなぎとめとくためには欠かせないものの一つにされちまってるんですよ。・・・・・・俺個人としては、単なる一匹の豚ってわけです。それから集団としての俺は、商品として、観光客向けに見世物として、また政治ボスとなりたい者たちには、捨てがたい効能を備えた一つの状態、それが俺なんです。』
この鬼気迫る文章が含まれた短編が、この本で一番古い時代の作品。即ち1962年、26歳の著者が世界に向けて放った痛烈な一撃です。
さすがに今は、難民キャンプを見世物として扱う風潮は影を潜めたと思います。ただその一方で、自分たちの当然の権利を無視され、蹂躙され、苦しむパレスチナの人々の絶望や孤独や哀惜の念もまた、見て見ぬふりの中で影を潜めてしまっているかのように思えます。少なくとも、日本にいる限りは彼らの苦しみについて触れる機会は多くありません。
単なる小説としてではなく、一部の国や指導者の傲慢に酔って踏み砕かれる何気ない日常が今この時も存在しているのだということに気づくためにも、40年以上前のこれらの作品群を読むべきだと思います。ノンフィクションを描いたフィクションとして、必読。
そして、40年以上経っているのに一向に状況に改善の兆しが見えないことについては、遠い日本にあっても何ができるかを考えるべきでしょう。所詮、国と国のやり取りは個人には関係ない、個人では手を出せない、などと諦めずに。 -
パレスチナ人作家カナファーニーは岡真理の名著『アラブ、祈りとしての文学』で知り、凄絶な生き様と悲劇に心捉われたが故に手にするのが怖かった。懸念は当たり、想像を絶する苦しみ、声にならない叫びに背筋が凍る。当事者にしか書けない極限の痛み。しかし明日、人の記憶を剥奪し塗り替える傲慢な国家の一員になるかもしれないし、奪われる側になるかもしれない。そんな危うい世界に生きていることを知らしめる。世界は簡単には変わらない。しかし身を引き裂きながら渾身の力で訴える声がここにある。その声を聞き取り引き継ぐことに希望は残る。
どの話もつらい内容であるし、カナファーニーが暗殺されてから40年以上経った今もパレスチナは解放されていない。が、決して絶望はしたくない。諦めたらおしまい。だから、一人でも多くの人に読んでほしい、祈りを捧げてほしいと、切に願う。 -
1972年に出された本だというのに、全く状況がよくなっていないどころか悪くなっていることに衝撃を受ける。
ユダヤ人もパレスチナ人も家族を愛し、平和に暮らしたい。しかしそれが並び立たない。
ユダヤ人に故郷を追われ、難民となったパレスチナ人の心情が、こちらの心も引き裂かれそうなほど激しく伝わってくる。
日本人はもちろん、アメリカ人にもユダヤ人にも読んでほしい。
どうしたら血を流さず解決できるか、私利私欲を抜きに真剣に考えようよ。
それができていないから、この作品の内容が何度も繰り返される。
この本が過去のものになるよう、何をしたらいいかわからないけれど、何とかしたいと強く思う。
とりあえず、この本をたくさんの人に薦めたい。
文学作品として完成度もリーダビリティも高い。
衝撃的なのは表題作だが、「路傍の菓子パン」のようなユーモア(それすら深い哀しみを湛えているが)のある作品も素晴らしい。 -
4.61/139
内容(「BOOK」データベースより)
『パレスチナの終わることなき悲劇にむきあうための原点。20年ぶりに再会した親子の中にパレスチナ/イスラエルの苦悩を凝縮させた「ハイファに戻って」、密入国を試みる難民たちのおそるべき末路に時代の運命を象徴させた「太陽の男たち」など、パレスチナ抵抗運動の中心で闘い自動車爆弾によって夭折した作家がのこした、世界文学史上に不滅の光を放つ名作群、待望の復刊。』
目次
太陽の男たち/悲しいオレンジの実る土地/路傍の菓子パン/盗まれたシャツ/彼岸へ/戦闘の時/ハイファに戻って
著者:ガッサーン・カナファーニー (Ghassan Kanafani)
訳者:黒田 寿郎, 奴田原 睦明
出版社 : 河出書房新社
単行本 : 272ページ -
命からがら逃げ出した故郷パレスチナを20年振りに訪れる夫婦の話「ハイファに戻って」が哀切きわまりない。生後わずかで別れた息子は、イスラエル軍の制服をまとって、夫婦の前にあらわれた。父と子の会話は、全文を引用したくなる濃密さ。
若くして暗殺された作家カナファーニー。パレスチナをめぐる対立と憎悪とを、一身に引き受けたような最期というのは、幸か不幸か。
本作が書かれてから、半世紀。パレスチナをめぐる状況は混迷をきわめている。新装新版が本屋に並ぶことだけは、小さな希望ではないか。 -
今こそ必読。いやいつでも必読。
カナファーニーが見てきた世界を描いているんだろうけど、オレンジ。靴磨き。密入国。横流し。一遍一遍が重くていたい。
やるせない。
でもそこからの今現在ののパレスチナの状況なんだっていうこと。
誰にも届かないのを知りながらただ叫びぼやくパレスチナのひとたち。でもずっと私たちと同じように生きてるんだ。
手元において読み返したい本。 -
パレスチナ難民の心情など、パレスチナ問題に対してリアリティを感じながら理解を深められる本でした。打ちのめされます。
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パレスチナの物語。
「そのようなことが起こらないこと」が「祖国」である、と。
考えても考えても、感想が書けない。でも読んで、読んだことで何にも変わらないなんてそんなのある訳ない。 -
イスラエル軍の侵攻で赤ん坊をのこしたまま町を追われたパレスチナ人夫婦 20年後赤ん坊はイスラエル兵になっていた