心理学化する社会 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309409429

作品紹介・あらすじ

トラウマ、癒し、ストレス、プロファイリング…あらゆる社会現象が心理学・精神医学の言葉で説明される「社会の心理学化」。精神科臨床のみならず、大衆文化から事件報道に至るまで、分野を超えて同時多発的に生じたこの潮流の深層に潜む時代精神を鮮やかに分析。来るべき批評と臨床の倫理を追求する。

感想・レビュー・書評

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  • 様々な分野で見られる「社会の心理学化」という現象を、精神科医の斎藤環氏が解説・批判している本。
     社会の心理学化とは、“教育・福祉・家庭など社会の様々な領域で心理療法の技術が多く使用されるようになり、文化の中で心理療法的言説の比重が大きくなってくるような事態”のことである。Ⅵ章までは、文芸やサブカルチャー・事件報道といった分野における社会の心理学化を紹介している。例として、ファッションと化した「トラウマ語り」や事件報道に精神分析が担ぎ出される現状、心理学ブーム・脳ブームなどが挙げられている。2003年に書かれた本なので、今読むと多少時代遅れ感があるのは仕方がないだろう。もっとも、心理学ブームというのは日本でも遅くとも大正時代には見られた現象らしい。
     という訳で、本題は、社会の心理学化の理論的な解釈を試みた終章 「心理学化」はいかにして起こったか である。筆者によると、社会の心理学化というのは“精神分析のシステム論的応用”のことである。つまり、精神分析の知識が人口に膾炙し、それが自己言及的に使われる状況のことを言う。本書に挙げられている例として、ある人が「自分は母親が好きではない」と言うのを聞き、「それなら彼はよほど母親が好きなのだ」と「分析」したりするが、実は、言っている本人が聞き手にそう思われることを期待して言っていることがあり得る。このように、精神分析(擬き)を自らに対して行うことによって、自身に潜む僅かな狂気も掬い取られ、臨床心理学と精神医学への需要が上がったのが、社会の心理学化だという訳である。
     最近でも俗流の心理学や脳科学の本はよく売れているようで、そのような「マニュアル本」・「取り扱い説明書」には何処か違和感を感じていた(そういう本に全く価値がないとまでは言わないけど)が、本書に述べられている「心の身体化」、或いは「心のモジュール化」という観点から考えると分かりやすい。
     読んでいてハッとさせられたのが、“誰にとっても「自己分析」は不可能”(p.171)ということだった。分析の本質はあくまで治療行為であって、自己分析は一般論にならざるを得ない。平たく言えば、自己分析なんて言っても、畢竟自分に都合の良い解釈でしかないということだ。
    “断っておくが、ネガティブな解釈のほうが「都合のいい」ことだって珍しくない。たとえば自罰的なことばかり言う人が、ぜんぜん謙虚じゃなくて、むしろかたくななことが多いのは、その人にとって「自罰」のほうが「都合がいい」事情があるからだ。(p.171)”
    これは(特に精神科医の口から)言われると確かに頷けることで、我が身を省みて無闇矢鱈な自己分析には気をつけなければと思った。その一方で、このこと自体も結局はメタな「自己分析」、すなわち自己分析の自己分析、自己分析の自己分析の自己分析、…に回収されてしまうのではないかとも感じた。自己の内面を探る、みたいなことがもはや染み付いてしまっていて、この点に関してどう考えれば良いのか難しい(これも自己分析なのだろうか?)。

  • 映画やドラマに「トラウマもの」があふれ返り「癒し」がブームになっている現在の状況に対する違和感から出発し、「心理学」的な解説が社会のアーキテクチャとして機能してしまっていることの問題性を鋭く指摘している本です。

    「猫も杓子もトラウマ」といったような風潮にどこかいかがわしさを感じているというひとはおそらく少なくないでしょうし、わたくし自身も本書で紹介されている小沢牧子の著書にかなり説得されるところがあったのですが、本書ではそうした「心理学化」の傾向と、表層的にはまったく異なるように見える「脳ブーム」とのあいだに共通する問題を見通しているという点で、単なる素朴な違和感の表明とは一線を画しているように思いました。

    われわれは、わかりやすく耳に心地よく響く説明を求めてしまいますが、そのことがわれわれの生きるシステムのなかに組み込まれているのだとすれば、単なる個人の決意によって問題の解決を図ることは絶望的なのかもしれない、と思ってしまいます。

  • ドラマも映画もトラウマ大安売り。ワイドショーも専門家気取りが精神分析。もはや心理学は一種のブームでありエンタメである。トラウマ・AC大いに結構。でも、そうした現象に尾ひれがついて、誤解を受けやすくなっているのもたしか。。人は、不安定な状況も、説明さえできれば安心するし、媒介されることに快楽を覚える。なんでも可視化したい世代なのですかね。PSYCHO-PASSみたいな世界も、社会は(ひとりひとりの個人ではない)少し望んでるのかも。

  • [ 内容 ]
    トラウマ、癒し、ストレス、プロファイリング…あらゆる社会現象が心理学・精神医学の言葉で説明される「社会の心理学化」。
    精神科臨床のみならず、大衆文化から事件報道に至るまで、分野を超えて同時多発的に生じたこの潮流の深層に潜む時代精神を鮮やかに分析。
    来るべき批評と臨床の倫理を追求する。

    [ 目次 ]
    1章 表象されるトラウマ―書籍・音楽編
    2章 表象されるトラウマ―ハリウッド映画編
    3章 精神医学におけるトラウマ・ムーブメント―PTSD、多重人格、ACにおける濫用
    4章 カウンセリング・ブームの功罪―来談者中心の弊害、そして心のマーケット
    5章 事件報道にかつぎ出される精神科医―「不可解な犯罪」を物語化する欲望
    6章 こころブームから脳ブームへ?―「汎脳主義」への批判
    終章 「心理学化」はいかにして起こったか―ポストモダン、可視化、そして権力
    付録 「ひきこもり系」×「じぶん探し系」

    [ 問題提起 ]


    [ 結論 ]


    [ コメント ]


    [ 読了した日 ]

  • 311後、被災地では「心のケア」が拒否されたという。ここに「モノより心」の非被災者と「心よりモノ」の被災者の断絶を感じた。モノがない世界においては社会は物質化を求め、心理学化しないのである。当たり前と言えば当たり前なのだが、そんな想像力も欠如してしまうぐらい現代はモノで溢れ返っているという事だろう。
    成熟社会でモノが売れないから心を商品化(癒し・関係性)、大きな物語(思想・イデオロギー)から小さな物語(トラウマブーム)、社会より個人(自分探し)等々、心理学化(さらには脳ブーム化)する社会の構造は重層的で多面的である。著者は心理学化への傾倒により社会問題が隠蔽される事や、固有かつ一回限りの生を科学化する事への懸念をしているが、他人の心を理解(情報幻想・視覚化・分類・媒介への享楽)しコントロールしたいという万能感への欲望を止めることはできないだろう。
    村上春樹は宗教との物語対決に挑んでいる。それは結局トラウマ物語の派生系という点においては同様なのかもしれないが、少なくとも選択肢は与えている。心理学化の誤用拡大がこれらの物語に取り込まれることなく、システム論的応用により「生きづらさ」の解決策を提示できる新たな選択肢になりえるかは「心の市場」関係者の矜持次第なのかもしれない。

  • お年寄りが病院に行くのは病名を与えられるためのように思う
    痛み苦しんでいいという権利を病名は与えてくれる気がする
    ココロも同じく、この苦しみに理由を、物語を!というニーズが
    昨今の心理学ブーム、心のマーケットを生み出しているとのこと

    心は胸ではなく、脳にある
    感情の原因物質である脳内神経伝達物質を出す・受け取る部分に
    先天的な器質の違いがあるかもしれないのに、
    全て心理学的物語に乗っ取りますか?と問われていると感じた
    物語も正しい部分はあると思うけれど、安心材料の役目が大きい

    “親はまさに子供を管理する存在に他ならない。それが自然な姿だ”
    自然体のひどい親より管理マニュアルに沿った親の方がいいじゃん
    と言っていますが、なるほどと思いました 親は管理者という発想
    先天的な器質異常(性悪説的)でも親はコントロールしなければいけない
    という発想は物語崇拝から離れた発想、私には新しく魅力的でした

  • こういう時流的本はすぐ古びる、というかいま読むタイミングが悪かったのかもしれない。10年後だったら風俗史として価値がでるかも。

  • 心理学という言葉は多義的だが、ここでは特に「臨床心理学」をターゲットにしている。

    ちょっと古いデータだと女子大生の希望職種の第二位に「カウンセラー」が来ることなどからも読み取れるように、良かれ悪かれ私達は臨床心理学的なもの(たとえば「トラウマ」という概念とか)を意識せざるを得ない時代を生きている。

    なぜこのような時代になったのか。そして現代に起きている心理学化とは何なのか。筆者は以下のように述べる。

    「昔は思想の時代だった。わかりあうために、みな議論をした。しかし論争だけでは人は救えないことがわかってきた。その結果、思想から感情へ、共有から不干渉へというシフトが起こった。議論の場面が失われて、かわりにガス抜きのようなカウンセリングだけが流行した。心の安定だけが、最大のテーマとなった。状況を切り離して感情へと焦点を当てることで、カウンセリングは問題の所在を見えにくくした。それが心理主義だ」

    別に思想の時代に戻れというわけにはいかない。しかし現代をある程度相対化してみる必要性は絶対ある。私達は多分、あまりにも心理学化しすぎている。そういう意味で、一読の価値がある本。

    ちなみに通俗心理学批判とかそちらの方向ではおとなしめなので、そういう本を求めている時は違う本を読んだほうが良いとおもわれる。また、存外カジュアルな書き方なので、もっと学術的なものが読みたければ別の書籍のほうが適しているだろう。

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著者プロフィール

斎藤環(さいとう・たまき) 精神科医。筑波大学医学医療系社会精神保健学・教授。オープンダイアローグ・ネットワーク・ジャパン(ODNJP)共同代表。著書に『社会的ひきこもり』『生き延びるためのラカン』『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』『コロナ・アンビバレンスの憂鬱』ほか多数。

「2023年 『みんなの宗教2世問題』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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