八本脚の蝶 (河出文庫 に 12-1)

著者 :
  • 河出書房新社
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感想 : 76
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  • Amazon.co.jp ・本 (608ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309417332

感想・レビュー・書評

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  • 圧倒的なまでに凝縮された情報量。
    感受性と知性の宝庫。猛毒、劇薬。

  • こんなに美しいものを愛し、守ろうとしていた人がどうして世界から居なくなってしまったのだろうと読了後もずっと考えている。

  • 八本脚の蝶 下書き

    例えば山田風太郎の日記もおもしろいと思ってはいたが、ぱらぱらと拾い読みで、「日記」を通読したのは今回が初めてかもしれない。
    それほど本書は続きが気になった。
    日記で続きが気になるというのもおかしな話かもしれない。
    本書は著者が自死する直前まで書かれていたものになる。日記がまさに書かれているとき、その終わりがいつになるかは著者には想定できていなかったはずだが、気のせいなのかもしれないが、なぜか、終わりに向かって、だんだんと思考をまとめ上げていくような気さえした。おそらく、日記が書かれたその時の現在よりもかなり前のことも取り上げて(例えば過去に受け取ったメール、手紙の内容などについて)書いているから、日記全体が、過去から日記における現在までの思考の過程を、あらためてまとめ直している作業のようにも感じられたのかもしれない。

    故人である著者について憶測により述べることはしてはいけないと思うが…、
    以下思ったことについて。

    内容について。

    読んだ本や本にまつわる記載がもちろん多い。
    カトリック、キリスト教、殉教者についてと、
    他方、サドやレアージュなどの作品。
    著者はキリスト者ではないが、神…ではないがそれに近い存在に関する記載が多い。神のような存在がもしいたとしても、それはこういうものと言語化することはできない、描写した時点で真の信仰とはいえない。
    著者が関心を抱いていたのは、自ら苦行を課し信仰に生きた女性。神への絶対的な帰依は、マゾヒズム的でさえあるが、ここから、『O嬢の物語』などの女性像にリンクしていく。
    この、著者が何度も書いている「あなた」=神、のような存在は何か。結果、それにたどり着くことはできなかったのか。もちろんそれらの問いは本書で重要な要素と思う。だが、もっと現実的で、形而上学的でない苦悩も垣間見えることがある。明晰過ぎる、繊細過ぎるが故の、他者との軋轢。女性であることによるトラウマのように受け取れる記述もあった。ただ、私たちはより具体的な葛藤や懊悩の方に飛びつきがちだ。そう、本書を読む者は、自死に至る過程がそこから読み取れるという誠に不徳な期待を抱いてしまう。しかしそれは本来何か「答え」のようなものがあるものではない。

  • 目覚めなさい。現実から目覚め、「私」から目覚めなさい。もっと深く夢見たいのなら―。二十五歳の若さで自らこの世を去った女性編集者・二階堂奥歯。亡くなる直前まで書かれた二年間の日記と、作家や恋人など生前近しかった十三人の文章を収録。無数の読書体験や鋭敏な感性が生み出す、驚くべき思考世界と言語感覚。著者没後十七年、さらに鮮烈さを増す無二の一冊。2016年本屋大賞・発掘部門「超発掘本!」

  • 以前から噂は耳にしたことがあって少し気になっていたので、文庫化を機に購入。聞きしに勝る凄まじさでした。膨大な引用と独特の感性に彩られた、わずか二年弱の日記。でも「わずか」なんて思えないほど濃密で、息が詰まりそうでした。
    本の趣味が合う部分が多くなくとも、本が好きな人ならこれは引き込まれてしまいます。本に対する愛情、好きなものに触れる幸せ、それをひしひしと感じられる前半は、穏やかな気分で読めます。乙女っぽい記述の数々も微笑ましく読めるし、ひたすら美しくきらきらした世界に生きておられたように思えたのですが。
    後半がきついなあ……明日が来ることさえ恐怖、という気分は幸いにして味わったことがないのだけれど。どれほどにつらいことだったのか。その危険なほどの繊細さがありあまる才能と引き換えだったというのは惨いことですが。これはもうどうしようもなかったのかも。自殺はダメ、と言うのは容易いけれど、それ以外にどうすれば救われたというのか。ただ、怖がりで痛がりだった彼女が最期の瞬間、怖さと痛みを味わわずに済んだのか、それだけが心配になりました。

  • 本文(日記部分)を読んだ印象は、「社会的感覚異端者の哲学思考とその敗北」というものだった。
    しかしその後の、関係者による回顧録を読むに至って、あれ?なんか普通以上に社会生活出来てんじゃん?と感じ、なんだかよくわからなくなった。周りから結構愛されてますよ、あなた。なんでそんなに追い詰められてしまったのですか?
    子供の頃から頭が良すぎて、脳が金属疲労を起こしてしまったのかな。読み進めるにしたがって、日記からは切実な悲鳴が聞こえてくる。しかし僕にはそこに共感は起きなかった。思考の次元が違いすぎてるからかな。同じ社会的感覚異端者ではあると感じているのですが。
    有能な人だったのだろうと思う。周りに何かを残すこともできたのだろうと思う。でもやっぱり、これは著者の敗北の記録でしかないと思う。
    雪雪さんの存在が不可思議で仕方なかった。
    「八本脚の蝶」というタイトルは素敵です。

  • 凄まじい読書量。書痴とはこういう方のことをいうのか。

    コスメオタとして生きている私には、この時代にすでに「イエベ 」「ブルベ」の概念があることに驚いた。でも、それは著者が特に美意識の高い人だというだけかもしれないな。

  • 二階堂奥歯さんの亡くなる直前まで書かれた2年間の日記と彼女と関わりがあった人達13人による文章を掲載。日記を読んでいて彼女の趣味趣向が私と重なる部分が多くて親近感を覚えました。また彼女が紡ぎ出す言葉の数々は私の奥深いところまで刺し貫いて、激しく共振するよう。奥歯さんの圧倒的な知識と読書量、感性の鋭さ、豊かさには目を瞠るばかりです。日記は2003年4月になってから彼女の悲痛な叫びが書き込まれ、書物からの引用のみの内容が続いたり、身近な人達の言葉も記され、今にもバラバラに砕けそうな自己を、あらゆる「言葉」で保ち、ぎりぎりなところで生に繋ぎ止めていたその有様には只胸が痛むばかりです。それと同時に言葉が持つ力の限界さ、脆弱さに、無力感をまざまざと突き付けられて打ちのめされたような気分です。もっと奥歯さんが綴る言葉を読みたかったし、彼女の深い思索を辿りたかった。編集者として携わった本を読みたかった。それが叶わないのがとても寂しいです。

  • まずは……なぜ、この本を読もうと思ったか。
    人様のブログに影響されたのです。

    この本の感想が書いてあって、『この人の前に、「死なないでほしい」と差し出せるものがない』みたいな事が書いてあった。(色々湾曲してますが、まぁ。こんな感じ)
    で、それを読んだ私は田植えのイメージが沸き上がったのです。
    若くして死んでしまった奥歯さんは『田植えをした事があるのだろうか?』と、それが知りたいがために読んでみたくなりました。

    ネット上にブログがあると知ったので、それを検索した。
    最初の方だけを読んで世界が違いすぎて断念しそうになった。

    けれど、図書館で探したら『本』があったので、本を読みました。
    (私が読んだのは『本』なので、編集されてる個所もあると思う)



    で、読んで奥歯さんが田植えをしたという表記は見当たらなかった。
    けれど、かなりのお金持ちらしい。お庭があって、池があり、石畳があって、裏庭があって、薔薇が植えてあって……ごめんなさい。想像力の限界。

    彼女自身は『読んだ本の殆どを持っていない。借りたものがほとんど』みたいな事を書いていたけれど…
    読んでる量が半端ないので、借りたものがほとんどだとして、持ってる数もかなりあるハズ……と思った。

    これを、異世界だと思わずに読むのは無理です。



    私は普通に田舎の一軒家の子供なのです。田植えや稲刈りを手伝い、花を愛でると言えば、コスモスやタンポポと言った野草です。



    おそらく彼女に田植えの経験はなかったんじゃないかな……と思いました。書いてないので、判らないけれど。

    そして、妄想する。『田植えなんて泥だらけの事、乙女がやるものじゃないわ!』と言われそうだ……と。
    彼女の美学からは反していそうだな。いや。わからないけど、文章も中身もそんなお嬢様な感じなのだ。





    最初の疑問は一応、解決した。(分からないという答え)





    で、次に沸き起こるのは

    『彼女はなぜ死を選んだのか?』



    25歳。
    知識に教養、容姿もあって、愛する恋人や家族友人もいる。
    仕事も順風満帆。(のような事が書かれている。事実かどうかは別にして)
    彼女が死ぬ理由はどこにもない。
    やりたいことも書き連ねてある。



    唯一、ギリギリの『生(存在)』の言葉が時々、にじんでいる時はある。


    彼女の知人は彼女を『図書館』に例えていた。

    膨大な量の本を読んだ彼女はまさしく『図書館』なのかもしれない。



    けれど、私は『禁書』のような気がした。
    立ち入り禁止の禁書の棚で、他の禁書達を読み、選ばれた知を求める人達とだけ語り合う。

    一般の人達が触れることも見ることもない『禁書』

    そこでなら、彼女はのびのびとどこまでも遠くまで行けたのではないだろうか。



    そんな事を思った。

















    と、長々と書いちゃった。
    ああー。ダメだ。頭、沸騰した。難しい話、きらーーい。

  • 少しずつ読み進め、途中で止まり再び最初から読み始め…とうとう読み終わってしまった。日記の中にあった「彼女」の日々は、彼女自身が決めた日に途切れた。
    彼女が亡くなった頃、自分はまだ彼女自身の事も、愛し、作製に関わった作品も知らない子供だった。多分、当時に文章を読んでも理解も共感も出来なかっただろう

    二階堂奥歯さんの事を最初に知ったのは「ゴシックスピリット」だったか…名前は伏せられたまま語られた人として、後に「八本脚の蝶」を知り、文庫化によってやっと読む事が出来た。
    偏愛する本やアイテムに囲まれ、物欲に振り回され嘆きつつも喜びを抑えきれない姿。とてつもない読書量と知識。哲学。抱える苦痛。
    彼女が自ら命を絶った当時、何も知らなかった子供は歳を取り、亡き彼女が残した言葉や関わった作品を読む事になり、共感している。透明で鋭い感覚から吐き出された1つ1つの言葉は危うさの上にあり、閉ざされた。若く美しく聡明な女性、その自死という最期によってこの本は「完璧」に近い美しさを持ってしまった。それが複雑で残念でもある。架空の物語ではなく、事実故に

    今まだ存命であれば、彼女は何を語っていただろうか。もっと彼女の言葉を聞いてみたかった、生きていてほしかったという言葉も「痛み」を加えただけかもしれないが、それでも思ってしまう。

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著者プロフィール

1977年生まれ。早稲田大学第一文学部哲学科卒業。編集者。2003年4月、26歳の誕生日を目前に自らの意志でこの世を去る。亡くなる直前まで更新されたサイト「八本脚の蝶」は現在も存続している。

「2020年 『八本脚の蝶』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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