独裁者のデザイン : ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、毛沢東の手法 (河出文庫)

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (400ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309418940

感想・レビュー・書評

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  • ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、毛沢東がどのような手法で人心支配をしたのか、それをポスターや演説スタイルなどを「独裁者の目線」という方面から分析する本なのですが…、
     この本、目立つ!
    赤を基調とした表紙にはヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、毛沢東の顔が読者を見つめます。特に本文内にも「心霊吸血鬼と呼ばれた」と書かれているヒトラーの目線は落ち着かなくさせられるーー。
    そして本文内には多くのプロパガンダポスターが掲載されています。さらに本の小口(めくる部分)には、前からはムッソリーニの顔、後ろからは毛沢東の顔が印刷されていて、本を閉じて正面から見るとそんなに気にならないけれど、本を読んでページをめくるために小口の部分に余裕が出るとムッソリーニの顔が自分に向かってどーんと主張してくるんです。
    これらがまさに「見ている人に当事者感覚を起こさせるデザイン」で彼らの目線を気にしちゃう私はまさにそのデザインに乗せられてしまう民衆の一人って感じなんですけれど、この本は外出先で開くのがためらわれますね…(^_^;)


    さて。
    独裁者は孤独だ。世情や時節に機敏で、頭の回転は良く、戦略家としても優秀でなければならず、そして冷酷で暴力も辞さないこと、なんといっても運と状況にも恵まれていなければならない。(禁欲的な独裁者もいるので権力などへの”欲”は必須ではないらしい)
    そしてその独裁体制を維持するためのシステムを確立させなければいけない。だいたいが「不安と恐怖」だ。そのために常に敵を作り国民の怒りを向け、常に国民のことを監視していることを分からせる。そのためには汚れ仕事を請け負う人物(秘密警察など)も必須だ。
    そして監視や恐怖を示すためにはそれぞれの独裁者のデザインがある。
    この本では以下の6つの方向から独裁者のルールを見てみる。
     1.呪力のある視線
     2.燃える視線
     3.拒否する視線
     4.遠望する視線
     5.反復する視線
     6.記憶する視線

    ヒトラーとムッソリーニは一般国民からの支持を必要としたため、ポスターや演説など一般受けするものを行っている。
    もともとヒトラーはムッソリーニを尊敬していた。ムッソリーニはヒトラーの友情は信じていたが、理屈っぽさは辟易していたらしい。ムッソリーニは、本書のメイン四人の中でも知的というか情があるというか、数カ国語が喋れてドイツ語は堪能で、ヒトラーの虐殺には眉を顰めるという、人間らしさを感じさせられる。そのムッソリーニの写真は怒りが現れている物が多い。国を放浪したり投獄されたり(ヒトラーも投獄されているが)、経験による国への怒りなどが出ているのだろう。

    ヒトラーとムッソリーニに対してのスターリンは、党内でレーニンの後任になれればよかったので一般大衆への人気は必要なかった。ロシア革命で活躍した人たちは、戦線が終わった後の国の運営はできなかった(明治維新も、新政府の中心には第一線で幕府を倒した人たちはあまりいないですよね)。そこでスターリンは確実に実務を握り国を掌握した。ヒトラーやムッソリーニは「独裁者の孤独」はあったが、熱心な信奉者も多かった。しかし国民にアピールをする必要はなかったスターリンは誰も信用せず、側近さえも粛清し(自分の近くにいるので余計に信用できなかったらしい)、国民や政治家の信奉者も少なく、「ただ恐れられただけ」だったという。毛沢東は国内外での戦い(日中戦争、蒋介石の国民党)のあとの近代化や農地改革を行うため、国民には画一的な統制を必要とした。

    独裁者たちはプロパガンダとしてポスターや腕章やバッジなどを使った。それらは国民へのアピールだけでなく、「見ているぞ」の重圧であり、誰が味方で誰が敵かの判別であったり、募金や支持の有無を皆に知らせる(ポスターを貼っていない家、バッジを付けていない人は迫害される)使い方もされていた。

    人物写真をプロパガンダに使う場合は、顔の向きにも伝えたい意思が込められる。
    正面の写真は、見る人に当事者の自覚を促している。現代でも人が真正面を見ているポスターは、見ている人に直接訴えかけ、当事者意識をも足らせる。
    独裁者のなかではヒトラーが正面写真が多い。輝きの少ない目が相手に呪術的効果をもたらせるようで、頭角を現してきた頃は「心霊吸血鬼」と呼ばれたのだそうだ。そのためヒトラーの写真は真正面から見るものが多い。相手を魅入り取り込みそして疲れさせる。ヒトラーは演説のときの腕の使い方も効果的だった。演説の内容よりも演説する姿を宣伝にしていたのだ。

    横顔の写真は、未来を遠望する視線の定番ポーズとなっている。切手やメダルのデザインにも使われる。正面でなくても横顔でわかりやすいという効果もある。
    真横ではなく、反対側の目が少し見えるくらいがポスターとしては効果的なようだ。複数の人間が横を見上げるようなデザインだと「同じ未来を見ている」というメッセージを感じさせられる。
    20世紀は「大量生産」が盛んになった。大量生産と連続性というものは、ベルトコンベア、タイプライター、連発制の銃などに見られる。工場での機械的な生産は、人間性を薄れさせるとして映画「チャプリンのモダンタイムス」や「オーソン・ウェルズの審判」などの映画でも見られる。

    そんなプロパガンダにさらされ、独裁者や政権が正しいと教え込まれた青少年や子供たちは、実に無邪気に「独裁者(政権)のための正しい行動」を行う。自分の親が独裁者を批判したら「お父さんお母さんはおかしくなっちゃったから治してもらわないと」として密告したり、収容所の監視などに任命されたら(大人を戦争に行かせたり、粛清しすぎて子供しかいなくなってしまったという結果でもあるようだ_| ̄|○)実に無邪気に処刑なども行ったという。
    しかし毛沢東は、自分のシンパだった紅衛兵の青年たちが邪魔に慣れば農地に追いやる。そして毛沢東の農地改革失敗により彼らは餓死していった。だが国として出されたポスターは「特大の毛沢東と、同じ方向を見て喜びを持って働く労働者・農民たち」といった構図だ。他所から見たら実に皮肉に見える。

    独裁者は過去を否定し、自分は全く新しい明るい未来を国民にもたらすと主張する。だがその反面過去の権威も利用しようとする。その一つが昔からあるアイコンを自己利用するというものだ。
    ナチスのハーケンクロイツは、ヒンドゥー教や仏教などの宗教、アメリカ州の先住民族や西洋では太陽マークとして、吉祥として使われていたものを逆にしてさらに勢いを示すために45度傾けたものだ。
    余談なんですが、私の知り合いがアメリカの大学留学で少林寺拳法の演舞を見せたところ「ハーケンクロイツ?」と聞かれて、「いや、こっちが本物、あっちはモノマネ!」と苦笑していたんだが、もともと良い意味のものを悪いイメージにされちゃって迷惑だーー。

    プロパガンダのデザインは、モンタージュやサブリミナル効果を狙ったもの、そして技術が進むと写真加工も行われる。
    加工やCGやAI技術で嘘の情報や記憶の改竄を行うとすれば、焚書により過去の記憶を抹消を行う。戦争や侵略で、図書館や本を焼き払うことは頻繁に行われてきた。本の力、影響力を恐れていたということだろう。しかし禁止するということは、恐れている、影響力がある、ということを認めることでもある。作家や芸術家にとっては「ロシアで作家にとっての最高の栄誉は『禁書目録』に名前が載ること。ナチス・ドイツで音楽家・芸術家にとっての最高の栄誉は『禁止目録』に表現が載ること」などと言われるくらいだ。そして国民に学を禁止し、その禁止して取り上げた書物を独裁者がコレクションするのが特権だというのだからなんとも皮肉。

    本書では日本についても書かれている。太平洋戦争回線の翌年には前線を題とした「FRONT」という対外的雑誌が出ていた。外国向けのため、戦争当初は勇ましく、戦況が不利になると大東亜共栄圏の連帯を求める平和的論調を載せていたらしい。日本国内では本物は残っていない(国立国会図書館にも無い)ので幻の雑誌となっている。
    対外的な雑誌の場合は、飛行機で運ぶには思いので軽い紙を使ったのだとか、当たり前なんだけど勝つためには細かいプロデュースが必要だなあと感じられた。

    独裁者が権威のための方法をデザインイから見直しているのだが、その国々のやり方により、国民性や歴史や宗教、地政学なども考えられるようになっている。そしてこの本で書かれたデザイン手法は、独裁者や政治だけでなく、マスコミの報道や企業CMや素人のSNSでも使われているよね…と思ったのでした。

  •  ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、毛沢東といった独裁者たちが、プロパガンダを駆使してどのように大衆を踊らせ、抑圧していったかを、デザインの観点から考えようとするもの。
     同じく独裁者といっても、その置かれた政治的位置や個々の性格によって違いはあるが、「アメとムチ」を使い分けることには共通性がある。
     本書では、多数の写真やポスターが紹介されていて、見るだけでも面白い。これらによって、多くの人が支持を与えたり、熱狂したりしたことを思い起こすと恐ろしいが……。

     本の小口に、ヒトラーとスターリンの顔が現れるのも、モノとしての本のありがたさ。

  • 美術の知識も入れつつ独裁者のデザイン手法を「目」をテーマに解説。イギリスやアメリカの手法も紹介されている。
    ファシズムとしては教養豊かなムッソリーニの方が先鞭をつけているが各所からいいとこどりして最大限に自分の強みを見せたヒトラーは元が画家志望としてもセンスに長けていた事が伺える。宣伝大臣のゲッペルスがいかに有能でも最終決定者がヒトラーなのだから。その点スターリンは猜疑心が強すぎたせいかデザイン方面も固いように感じた。
    個人的にインパクトがあったのは毛沢東。この4人の中で長命を保ったが善意か気まぐれか分からぬ空回りで人民が大量餓死しているのにポスターでは彼が食糧を受け取るというブラックユーモア。天安門のかの肖像を自分の顔と差し替えたアーティストの勇気(蛮勇)も忘れ難い。文化大革命での極端な焚書で国民の知能を下げてでも天安門の肖像画は取り下げられないしやはり偉大な人物なのかもしれない。
    続編として他の独裁者のデザインも取り上げて貰えたら嬉しい。

  • 独裁者の歴史をデザインの観点から紐解く。四人とも基本的にやってることは同じで、それは現代社会にも繋がる。嘘をつく。デマを流す。真実を隠す。情報統制。敵を作る。歴史は繰り返される。

  • 強烈な装丁だ。ヒトラーがにらみつけ、スターリンがほほえむ小口。デザインという切り口から独裁者の戦略、そしてマインドセットを読み解く試み。
    デザインの誘引は強力なもので、独裁者の手を離れたあと我々の生活の中で政治家のポスターや化粧品の広告において活用されるほどだ、とのこと。
    目指す志向とデザインが軌を一にすることで生まれる強烈なダイナミズムと、現実に目を背け美辞麗句を並べることの空虚さ。2023年現在、彼の国に想いを馳せながら読みたい一冊。

  • 【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
    https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/784289

  • 社会背景として独裁者の持つ権力をデザインとして表すとこうなるということ。

  • 文字通り、独裁者のやり方についてデザインの観点から分析するもの。

    デザインについてはよくわからないが、独裁者のやり方については勉強になった。

  • 独裁者の特徴や、ポスターの表現、民衆を服従させる心理行動など、デザインから派生して色々なことが学べた。

    そして、自分が独裁者がいる時代や国に生まれなかったことは本当に幸運なことだと思う。

    この本を読むと、今様々な疑問や問題を抱える中国や北朝鮮、ロシアといった国の見方も変わるし、視点が広がる。

    とても勉強になる本だった。

  • 1 呪力のある視線
    2 燃える視線
    3 拒否する視線
    4 遠望する視線
    5 反復する視線
    6 記憶する視線

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著者プロフィール

松田行正
本のデザインを中心としたグラフィック・デザイナー。自称デザインの歴史探偵。「オブジェとしての本」を掲げるミニ出版社、牛若丸主宰。『眼の冒険』(紀伊國屋書店)で第37 回講談社出版文化賞ブックデザイン賞受賞。著書に、『デザインってなんだろ?』(紀伊國屋書店)、『デザインの作法』(平凡社)、『にほん的』(河出書房新社)、『独裁者のデザイン』(河出文庫)、『眼の冒険』『線の冒険』(ちくま文庫)、『RED』『HATE !』『急がば廻れ』『デザイン偉人伝』『アート& デザイン表現史』『戦争とデザイン』『宗教とデザイン』(左右社)などがある。

「2023年 『グラフィック・ビートルズ(3,600円+税、牛若丸・Book&Design)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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