- Amazon.co.jp ・本 (525ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309463179
感想・レビュー・書評
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天国篇では当時のスコラ哲学の神学議論を前提としたダンテの宗教観が最も直接的に表れている分、やはり読み進めるのに苦労するのは否めない。それにしても全篇に渡って挿入されているギュスターヴ・ドレの荘厳な挿絵と平川祐弘による読みやすくリズム感のある素晴らしい日本語訳、そして各歌ごとの丁寧な前文と詳細な解説がなければ、この全3篇100歌14233行からなる叙事詩を読み切ることはとても叶わなかっただろう。3の数字を基底とする、幾何学的に構築されて無限へと向かおうとするこの世界観にボルヘスが夢中になるのも無理はない。
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帝王論?煉獄編の注釈だったか分かりませんが、キリストを裁いた時、法を順守していたからそれは正しいみたいな理論が印象深かったです。
天国篇は例えが抽象的すぎて読みにくい印象はぬぐえない -
言葉にも血にも土にも神にも共通をもたない私が、道中、取り零す以前に直観し得なかったものは、莫大である。が、代わりに極公正な機能でもって眺めた時、一連の旅路を拓ききった詩人の空想・構想・信念・情熱・自負の力、乃ち愛の強大は圧巻だ。
全てを同じに有すべく、又視覚的刺戟——TVやスクリーン、果てはRPGなど含めた処の——の未だ自然の域を出ない時代に産まれた人々には、きっと、本当に詩人は死後の世界を巡って還って来たと思われたのではないだろうか。真摯に心眼見開き耳聳てれば、同じ民だ、同じものを観得ると信じられたに違いない。その信頼のもたらす恩恵は、読書に在っても無論絶大である。書物離れた雑務の時にさえ、それは励みとなって読み手を鍛えたことだろう。
又、「愛の強大」さから言うなら、訳者のそれも詩人の道と同じほどに苦難と祝福とに溢れている。
全てを異にする上、天文数学の頭を幼少からすっかり放擲したきりの私には、殊にこの「天国篇」は、彼の大業なくしては単なる記号の羅列に過ぎなかったろう。辛くも一個の人として何かしらを感じ得たのは、偏に訳者の努力と、また其れに報いんとする私の敬意の賜物である。
趣も信念も別の姿で往く訳本が複数存在する中で、先ず何れを採ろうか迷う向きには、私がそうで在ったように、気負いも気取りも棄て、此の平明にして繊細な配慮ゆき届いた、平川訳から繙くことを薦める。その上で未だ詩篇としての味わいに飢えるなら、他と共に掘り下げるのが佳いと想われる。 -
死後の世界を創造することに罪悪感はないのか不思議。何故天国に階級があるなんて思うんだろう。環境によって死後さえ決まるなんて不公平じゃないか。本当の意味での善悪の判断なんて決して人間にはできないと思うんだ。 ともあれ24歌は大好き。
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三昼夜を過ごした煉獄の山をあとにして、ダンテはペアトリーチェとともに天上へと上昇をはじめる。光明を放つ魂たちに歓迎されながら至高天に向けて天国を昇りつづけ、旅の終わりにダンテはついに神を見る。「神聖喜劇」の名を冠された、世界文学史に屹立する壮大な物語の完結篇、第三部天国篇。巻末に「詩篇」を収録。
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フィレンツェ、イタリアなどを舞台とした作品です。
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眩しいばかりの光で目が眩みそうだった。
神学理論は難解で理解に苦しんだ。
ベアトリーチェの美しさは抜きんでていた。
聖母マリアの慈愛は心を溶かした。
聖母の助けによって至高天に昇った時、全てがわかった。
地獄を下り、煉獄の山を登り、天国で神の玉座まで上昇していく。
「神曲」という建築物を駆け上ることができたのは、平易な現代語訳があればこそであった。
ゴシック建築は立体的な聖書と言われるが、高校時代の無神論者であrと公言していた師が、フランスに旅行に行った折、シャルトル大聖堂に入り、思わず跪いて神に祈ったと語ったことが忘れられない。
たとえ全てが理解できなくともこの3冊を読み通すと同じように神に祈りを捧げたくなる気持ちになる。
自分もキリスト者ではないが、聖書の引用があれば聖書にあたり、ジョットをはじめとするルネサンスの絵画をみたことで少しキリスト教について理解が深まったように思う。