日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集08)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (512ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309728780

感想・レビュー・書評

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  • 仏法説話集4作品を集めたもの。
    仏教の教えに基づき、どう生きるかなどのテーマをわかりやすく説話形式に。
    4編とも何となく似ていたり、同じテーマがあったりして、読んでいるうちに自分がどれを読んでいるのか分からなくなってきた(笑)
    読みながら日本が仏教でなく神道が主流になったらどのような説話集になったのだろう?と思った。仏教説話集だと「被害者になったのも因果応報」「お経を唱えて死ねば極楽に行ける」という結論なのでちょっと消極的と感じてしまうことも。
    いくつか「ラテンアメリカ文学で読んだぞこのテーマ」と思ったら巻末の解説でも描かれていました。距離と時代が隔たっていても人が語る物語は似るのだろうか。

    【景戒(薬師寺の僧)「日本霊異記」新訳:伊藤比呂美】
    平安時代初期に印された仏教説話集。

    『わたくし薬師寺の僧、景戒はつらつらと世間を見るに目に入るは人の卑しい行いばかり。
    人は善悪の報いを識るべきだ。
    中国のとても面白くてためになる説話集に倣い、私もこの国の不思議な話を書き記そう。
    …ただ困ったことにこのわたし、景戒はあまり頭がよくないんだ。元の良い話を私がうまく伝えらるだろうか?
    だがこの話を読むみなさんが、邪な道に進まず善い道に進むことを祈り記して行こうと思う。
     諸悪莫作 (わるいことをするな)
     諸善奉行 (よいことをするのだ)』

    説話集の中身は、人の恩を忘れず善行を進め、仏への祈りを忘れず、日々感謝の心でいきるんだよ。悪い行いをすると戻ってくるよ、というようなもの。
    話は唐突で脈絡がないことも。
    いきなり雷を捕まえたり、女が龍になったり。
    また仏教の”徳”の現れ方も少し不可思議。
    ひたすらお経を読む高僧は死後頭蓋骨で舌だけは生きているように残るとか、身籠った女が肉団子を産んだら吉相とか。
    人の世の不条理さ、酷い目にあった、不思議なことがあった、という説明の出来ないことがあっても生きていくために編み出されたのが宗教や説話なのだとしたら、「前世の行い」「仏の御心」として受け入れていったのでしょうか。

    訳しかたは軽めで流れるような感じです。
    「風のように生きる女がいた」という文体が格好いいなあと思った。要するに「極貧で合っても仏に感謝し自給自足で子供たちに感謝の気持ちを伝えていけば、身分は低くとも神女になれますよ」ということ。

    要するにこの説話集の言いたいことはこれに尽きるような。

    【「今昔物語」新訳:福田武彦】
    平安時代末期。
    冒頭は「今は昔のこと」で始まり、これは「古い昔」と言う意味と「最近過ぎた昔」ともなる。

    訳が福永武彦なのでほかの”新訳”より砕けていないが文章は綺麗で読みやすい。
    個人的には”新訳”だからと言ってあまり現代調にするよりこのくらいの文章が状況を感じやすいと思う。

    テーマは「因果応報」となっているなのだけれど…一方的にストーカーされた側が「ストーカーされたのも前世の因果」となったり、「盗賊から身体を守るためにわが子を捨てた女」が褒められたり、みたいなのは現代とは価値観が違うけれど、それだけ生きるのが厳しかったたのか。(…というのは巻末の解説にも書いてあった/笑)

    のちに「安珍と清姫」「羅生門」「藪の中」となる作品の元の話も収められていう。
    「芋粥」の元の話、「東国の武士が一騎打ち」の話などは当時の武士の猛々しくもまっすぐな気性が生き生きと描かれているが、郎党引き連れて殺し合いが日常ってのもやっぱりコワいな。

    盗賊や詐欺師の出てくる話は彼らがどのようにして人々から金品を奪っていたのかなどが生々しく伝わってくるが、まさに騙される方が悪い、殺される方が悪い時代だ。

    【「宇治拾遺物語」新訳:町田康】
    鎌倉時代初期。
    ある大納言が夏の間の避暑地として宇治に住み、退屈しのぎに道行く人を身分の上下を問わずに招き入れて面白い話を聞いて、それをまとめたものが「宇治大納言物語」。それが伝わっていくうちに話が追加されたりしていったのが「宇治拾遺物語」ということ。
    「アラビアンナイト」がやはり原典からヨーロッパの話し手が加えて行った話が増えていっているが(アラジン、は原典にはなくヨーロッパで追加されたとか)、そのような伝わり方をしているということですね。

    しかし生活は安定して、人々と交わり話を聞いて過すなんて、なんて羨ましいのだろう!!

    新訳は軽目。
    「今は昔」の訳を章ごとに
    「これは結構前のことだが」「これも前の話だけど」「前」「そうとう前」などとなっていて、訳者さん遊んでるなと(笑)
    使われている言葉も「マジマジマジ?」「ヤバいじゃんマズイじゃん」「『良かったね、問題ないね』とはならない話で…」みたいな(笑)

    「こぶとりじいさん」「わらしべ長者」の元の話あり。
    「こぶとりじいさん」は「人の真似したってダメだよ」というのが教訓だったのか。私は「無芸は身を滅ぼす」だと思って、無芸な私はこういう場面に自分が出くわしたらどうしようもないじゃないか~~と昔からびくびくしていたのだが(笑)

    【鴨長明「発心集」新訳:伊藤比呂美】
    鎌倉時代初期。
    『何事につけても自分の心の弱くて愚かなことを忘れず、仏の御教えのまま気持ちを緩めず次の生こそ生成流転する苦しみから逃れて浄土に生まれ変わりたいと願う。』

    訳者は「日本霊異記」と同じ伊藤比呂美さんだが、訳の調子はこちらのほうが少しはかっちり目で断定的。

    高僧が解脱するために入水や生きたまま土中に入ったりと要するに自殺するに当たる心の美しさや、いやその瞬間に湧き上がった恐怖や疑問など…

    現代の価値観だと「念仏を唱えることだけに生きて自殺して極楽往生や来世をを願うなら、善行を積んだ方が良いのでは」と思ってしまうのだが…

  • 日本霊異記
    p37子捨ての縁
    「子を淵に捨ててくるのだ」

    今昔物語
    p174小屋寺の大鐘が盗まれる話
    したがってまた、穢れのある三十日間は、鐘つき法師も鐘をつきにこない。

    宇治拾遺物語
    p233利仁将軍が芋粥をご馳走した
    朝廷での位階が五位であったから、とりあえず五位の人という意味で、五位と呼ぶことにする。

    p257卒塔婆に血が付いたら
    それを予言した者を嘲笑った者は全員、死んだ。嘲笑われた者は生きた。

    p384盗跖と孔子の対話
    けれども、わかった、わかりました。じゃあ、やろうよ。徹底的にやろうよ。もう、このガキ、徹底的に論破しないと気が済まない。

    発心集
    p408小田原の教懐上人、水瓶をうち割る事。
    そして陽範阿闍梨、梅木を切る事
     みな、執着を恐れたのだ。

    p461 462上東門院の女房、深山に住む事
     輪廻は、限りがなく、果てもない。一人の人間が一劫の間に輪廻する身の屍がすべて朽ちなければ、高い山に積み上がるそうだ。一劫でそんなだから、無量劫なら、もっとである
     その間に、いろんな生き物に生まれ変わり、苦も楽も経験しただろう仏の出現にも出会っただろうし、菩薩の教化も受けただろう。でもわたしたちは、楽しいときは楽に耽って仏法を忘れ、苦しいときは苦を憂えるばかりで修行を怠る。今なお、凡夫のまま、さとりのきっかけもつかめていない。過去の愚かだったことを悔いてはいるが、未来も、たぶん、このままだ。



    全部読むのに時間がかかりましたが読了。一気に読む感じではなく、休み休みの読書時間でした。

    町田康さんの訳のある種の奇天烈さが取り沙汰されがちですが、どれも良い訳だったと思います。昔は小説ではなく説話や説法、口伝えで継承されてきたように、作者不詳のお話もたくさんあります。識字率の上昇、エンタメ化、ゴシップ的な要素も盛りだくさん。時代によって求められているものが変化するのは当然で、それは書き手も同様。

    今昔物語は前世の行いが今世に反映されるという観念が強く、いわゆる昔話で教訓めいたものが必ずある感じがどこか懐かしかったです。勧善懲悪、欲張ると痛い目に遭う、底意地の悪さは身を滅ぼす、質素倹約で慎ましい生活が美徳とされたのかもしれません。けれども、当時の貧しさが強いていたムードのようなものを感じないでもありません。悪い意味で。子捨て、姥捨て、乞食に襲われて逃げる女と八つ裂きに遭う赤子など、1,2Pの間に語られる残酷さが目を背けさせると同時に妙に惹きつけられます。

  • 町田康訳『宇治拾遺物語』読了。

    池澤夏樹個人編集『日本文学全集』の第8巻としてさきごろ刊行された、『日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集』の一編。
    町田康による大胆な訳が巷で話題になっているので、読んでみた。

    全編、爆笑の連続だった。中世の説話文学が、21世紀に読んでこんなにも笑えるものになるとは……。
    町田康の才能炸裂。彼に『宇治拾遺物語』を訳させようと考えた池澤夏樹のキャスティングの勝利である。

    町田の小説に見られるぶっ飛んだ言語感覚、文体のグルーヴ感が、そのまま活かされた訳業。

    芥川龍之介の短編「芋粥」「鼻」「地獄変」の元ネタになった説話や、昔話「わらしべ長者」「こぶとりじいさん」「舌切り雀」の元ネタになった説話も収められていて、いずれも町田康のカラーに染め上げられている。

    たとえば、「芋粥」の元ネタになった説話(『今昔物語』にも同じ話あり)の、次のような一節。

    《「え? 芋粥を飽きるほど食いてぇ? それマジ?」
    「マジっす」
    「よりによって芋粥かよ。滓みてぇな奴だな。あ、わりぃ、わりぃ。ごめんな。お客さん、滓とか言っちって」》

    ……などという、ストリート感あふれる文体で訳されているのだ。
    「前世よりキャリーオーバーした宿業」、「あり得ないルックスの鬼」、「入水の聖(ひじり)・狂熱のライブ」、「なにかとストレスが多い宮廷社会に笑いを齎(もたら)してくれる貴重な人材」などという現代語の用い方も、むしょうにおかしい。
     
    親鸞の『歎異抄』の関西弁訳(川村湊)を読んだことがあるが、町田康の訳にも関西弁が随所に織り込まれ、絶妙な効果を挙げている。

    「町田康の訳した古典がもっと読みたい」と思わせる、見事な「超訳」。

  • 『宇治拾遺物語』町田訳を読むべく読んだ。
    想像以上の面白さに脱帽。というかもうこれはほとんど町田康の小説。現代語訳ではなくて、現代語による語り直し。

  • 楽しかった♪
    町田康さんのラジオ出演から2年ぐらい経ってしまったけど、大変面白く読ませていただきました。
    次は何にしようかな?

  • なにがすごいって、町田康による宇治拾遺物語。身も蓋もないというか、人間ってこんなもんなんだなとげらげら笑える。

  • 昔話は大好きで、若かりし頃岩波文庫なんかで、多少エロいやつなんかを読んで、感心したりしたものだった。
    やはり、町田康の宇治拾遺は期待を裏切らない報復絶倒の内容で楽しかった。しかし、同じような内容でも福永武彦の今昔物語は芳香が漂うようで不思議。

  • あんまりおもしろいので、もう少し、もう少しと読み進んでしまい寝れなくなる。
    伊藤比呂美訳が面白く、ドライなところが素敵。
    福永武彦訳はとても読みやすく、するすると入ってきます。
    町田康訳は異様に親しみやすいのですが、時代背景や流れを考えるとなるほど、こうなるなという……
    ストーリーの妙をストレートに楽しめる妙訳ばかりでした。

  • 宇治拾遺物語しか読んでないけど実に良かった。文章に芸があるから、こういう皆が名前だけ雰囲気だけ知っている作品をリライトすると相乗効果で作品が映える。

  • どの説話もとても面白かったです。「瘤取り爺さん」のように私の世代の人ならだれでも知っている話も収録されていました。昔は日本人は性に対して開放的であったことがうかがいしれました。なにより笑ってしまったのは『宇治拾遺物語』の町田氏の訳文です。大阪弁のどぎつく、汚いことはなはだしい。「新妻が平仮名の暦を作って貰ったら大変なことになった話」ぶっ飛んでいます。ハチャメチャが楽しいです。でも、宇治って京都ですよね。この際そんなことは気にするな、って言われそうですが。『発心集』は仏教そのものですね。

著者プロフィール

伊藤比呂美
1955年、東京都生まれ。詩人。78年に現代詩手帖賞を受賞してデビュー。80年代の女性詩人ブームをリードし、『良いおっぱい 悪いおっぱい』にはじまる一連のシリーズで「育児エッセイ」という分野を開拓。「女の生」に寄り添い、独自の文学に昇華する創作姿勢が共感を呼び、人生相談の回答者としても長年の支持を得る。米国・カリフォルニアと熊本を往復しながら活動を続け、介護や老い、死を見つめた『とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起』(萩原朔太郎賞、紫式部文学賞受賞)『犬心』『閉経記』『父の生きる』、お経の現代語訳に取り組んだ『読み解き「般若心経」』『たどたどしく声に出して読む歎異抄』を刊行。2018年より熊本に拠点を移す。その他の著書に『切腹考』『たそがれてゆく子さん』『道行きや』などがある。

「2022年 『伊藤ふきげん製作所』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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