氷室冴子: 没後10年記念特集 私たちが愛した永遠の青春小説作家 (文藝別冊)
- 河出書房新社 (2018年8月28日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309979533
感想・レビュー・書評
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氷室冴子 1957.1.11-2008.6.6 51歳没
没後10年特集として氷室氏を多面的に解剖する。
氷室氏の顔はこの本の表紙で今回初めてみたかも。線が細くはかなげな感じがする。でも亡くなって1カ月後に行われた高校の同級生7人による座談会では、高校時代に「ルーシー」と呼ばれていたことが判明。スヌーピーに出てくる、おせっかいでお喋りな女の子のルーシーに氷室氏がぴったりだったという。
実は小説は読んだことがないのだが、エッセイの「プレイバックへようこそ」「委員物語プレイバックへようこそ2」は昔、涙が出るほどなつかしく読んだ。実は同学年。
2018.8.30初版 2018.11.10第3版 図書館詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『文藝別冊 氷室冴子』の中の、氷室冴子論の一本として、
「『銀の海 金の大地』と古事記」(pp.202-207)を書きました。氷室さんのこの作品は、未完の未完、全六部で構想された古代史ロマンの第一部の書き出しの「序章」といっていいような作品(といっても文庫本11冊)なのですが、すごくおもしろくて、とても怖い小説です。この小説が書かれていたころ、私は神保町にある女子短大に勤めていたのですが、そこの学生たちにとって氷室さんは大人気作歌で、『銀金』も愛読書の一冊でした。学生に勧められて読んで、女子学生はこんなすごい小説を読んでいるのかとびっくりしたのを覚えています。そして、氷室冴子というすごい作家を知ったのです(でも『銀金』以外の作品はほとんど読んでいないのですが)。
この本『別冊文藝 氷室冴子』に執筆依頼を受けたとき、学生たちが作った雑誌で氷室さんのインタビューをした号があったのを思い出して、編集者に紹介したところ、ほかでは言っていなことを発言していて面白いというので、本の巻頭に「1992年 氷室冴子インタビュー」と題して掲載されました(『あかね』第38号、共立女子短期大学国語研究室、1993年3月)。もし、このインタビューを当時雑誌を作った学生たちが読んでくれたら喜んでくれるでしょう。(三浦佑之) -
『なんて素敵にジャパネスク』、『銀の海金の大地』、思春期のころ夢中になって読んだ本があった。
少女小説というジャンルを生み出し、最後には否定した作家。多くの名作を生み、晩年は寡作で知れた人。
没後10年という記念誌として、氷室冴子という特異な人について、さまざまな友人、編集者、作家、評論家が語った一冊だ。
すごくすごく好きだった物語の片鱗を、思い出す。改めて考えると、氷室さんの作品に感受性の強い年齢で出会えたのは豊かな体験だったと思う。読んでいるその当時は思いもしなかったけれど、作品には、確かな知識と裏付けと強いストーリーと強いキャラクターがいて、なんて贅沢な物語だったのだろう。
寄稿した名のある作家の面々を見てもこの人は類い稀な作家だったなのだなと思う。
どれだけの人間が彼女の作品に夢中になり、影響を受けたことだろう。
一つの時代を、大袈裟ではなく生み出した人だったのだと改めて思う。
読んでいて、すべての作品を再読したくなった。 -
府立図書館の本棚を眺めていた時に見つけた図書。集英社のコバルト文庫を代 表する作家の回顧誌である。私にとって氷室作品は学生時代のバイブルで、ほぼ 全書籍を所蔵している。代表作の「ざ・ちぇんじ」「ジャパネスク」は平安時代 の話で、漫画版も発行され、面白い。「海が聞こえる」はスタジオ・ジブリでア ニメ化された作品だ。
さて 内容 は あれ ?「 クララ 白書 」「 アグネス 白書 」 のイラストは 原田治 が 描 いている ⁈…え?藤田和子の宝塚漫画「ライジング!」の原作者は、氷室冴子 ? 連載中、宝塚ファンだった氷室が取材名目で宝塚市へ引っ越したエピソードに驚 いたが、それどころか、藤田との電話代が膨大にな り、今度は藤田が東京へ移住 したのにもびっくり。驚きだらけのムックだった。
氷室冴子の人となりが分かってとても面白い。山村美紗と並び、もっと生きて 作品を書いてほしかった作家である。 -
『 命だに こころにかなうものならば なにか別れの悲しからまし
さて、いい歌でしょう。これは、わたしが好きな歌の、ひとつです。『古今和歌集』の離別歌の巻にはいっている歌で、だから正確にいうと、恋の歌ではありません。別れを悲しむ歌です』―『ジャパネスク・エッセイ「古今和歌集」編』
中学三年の夏に、清原なつのの「花岡ちゃん」に魅入られて、少女漫画を読むことへの心理的な抵抗感が緩んだ後、やはり理系テイストの強い新井素子の「あたしの中の…」から、立原あゆみの「麦ちゃん」へと、コバルト文庫の置かれている本棚へも手が伸びるようになり、その流れで「クララ白書」も読んだのだと思う。へえ、この人、中島みゆきと同じ学校の人だ、と思った記憶がある。麦ちゃんに倣った訳ではないけれど(札幌にあるH大学獣医学部といえば佐々木倫子の「動物のお医者さん」の方が有名でその影響で獣医学部の人気も上がったらしいけど、それは卒業後のはなし)、札幌に越してからもオーロラタウンの紀伊國屋書店で「雑居時代」とか「アグネス白書」、「ざ・ちぇんじ」から「なんて素敵にジャパネスク・2」までは出版される度に読んでいた(ちょっと大学生協では買いにくかった)。一度だけSTVかHBCかの番組に出演されているのを観たこともあるが、年表を見るとちょうど宝塚から札幌に戻りそして東京に引っ越す間の出来事だったよう。
卒業してからはさすがに(なんせ氷室先生の書くものは「少女小説」って今やコンプライアンス的にどうなんでしょうって感じのラベリング、ですから)読み続けなかったのだけれど、丁度その頃からエッセイ集も出版されるようになり「冴子の東京物語」から「ホンの幸せ」まで全て読んだ(と思う。本棚を調べたら全部は揃っていない。実家に残してきたものもある筈だけれど。しかし、すっかり忘れていたけれど「氷室冴子責任編集 氷室冴子読本」も買っていたことが判明)。なので、ヘビースモーカーだったことも、中国製の喉に良いとも言われていた漢方煙草を愛咽されていたことなども、エッセイで読んで知っていたし、肺癌で亡くなったことも知っている。でもネットでこれらの書籍を買っていた訳ではない。なのに、よくお薦めしてきたものだ、とデータマイニングの進歩に驚いてしまう。
エッセイしか読まなくなっていたのは、詰まらない世間体ってやつが邪魔してのことだったけれど、氷室冴子の書く物語はその世界への没入感が大きく、現実世界へ戻ってくるのが少ししんどくなるような気がするのも一因だったかも知れない。もちろん出版社の意向も反映してのことだろうけれど、クララ~アグネスも、なぎさ~多恵子も、ざ・ちぇんじ~ジャパネスクも、読者が氷室冴子の紡ぎ出す物語の世界を次々と欲してしまう気持ちにさせられるからこそ、続編が出版され続けたのだろう。その位に中毒性の高い文章だと思う。その証拠に、冒頭に引用したエッセイの途中から展開する物語を読むと、古歌に閉じ込められていたかのような物語の奥行が拡がる様に惹きつけられ、他の和歌でもやって欲しいと(清原先生の「飛鳥昔語り」なんてのもありましたが)思ってしまうし、この作家が真に優れたストーリーテラーであったことが改めて解る。それに加えて、見えているのに見えていない世界を解き明かしてくれる(もちろん、大上段に振りかぶって、ではなく)才も、また、この作家の特質だったのだと実感する。特定の読者層に対する執筆にあたってどんなことを思っていたのかは、このムックに再録されている、やや硬質の「こちら側から」というエッセイの中に言及があり、国文学を学んだ者としての矜持も垣間見えるように思う。
四〇代以降の新作が出なくなった時代を経て、今なら差し詰め佐藤愛子のような作家として次の段階に居たのかな、などと想像してもみる。田中二郎氏へのインタビューがとても沁みます。 -
小説であれ、音楽であれ、絵画であれ、
自分の心にまっすぐに触れたなら
それがどんなジャンルだろうが、マイナーだろうが、メジャーすぎようが、
そのことは、とことん大事にした方がいい。
その作品を生み出した人が、あっという間に別世界に旅立っていってしまうかも知れないのだから。
私には、氷室冴子さんのことでした。
生前の彼女のインタビューや周りの人たちから寄せられた文章がたくさん。
彼女について、知っていたこと、漠然とそうじゃないかなぁと思っていたこと、意外だったことがいっぱいつまっています。読んでいると、氷室さんの作品を夢中で読んだ時が戻ってきます。
せっかくだから、感じたことを少しだけ。
久美沙織さんのエッセイに出てくる氷室さんが久美さんに語った言葉
「売れ行きも人気も幻よ。私たちは少女のこころに深く響いて残るもの、十年後二十年後の少女たちにもそのまま届くようなものを書かなくてはならないのよ!」
氷室さんは、その通りの作品を生み出されたと思います。さらに、それは、たんぽぽの綿毛のように風にのって広がって、当時の少女、今も心は少女の多くの人々の心に中に根をおろし、次の花を咲かせたのではないでしょうか。ある人は小説家を志し、ある人は古典文学に惹かれ、みんなの心のどこかに、今も、応援歌のように残っているのではないでしょうか。
「海がきこえる」の挿絵やアニメ化に携われた近藤勝也さんのインタビューに出てくる話
かの宮崎駿さんは、拓が酔いつぶれた里伽子をベットに寝かせて布団をかけるシーンについて、あの年頃の男ならいろいろ思うことがあるはずなのに、なんであんなにさらっと表現するんだ、それでも表現者かと言い、対抗して「耳をすませば」を作ったらしい。
でもね、宮崎さん、そこは怒るとこじゃないでしょ。だって、同じ10代後半の女の子の恋の話でも、描きたいものが違うのだもの。どっちの作品がいいとかの話じゃなくてさ。それはそれで、いいんだから。
(柚木麻子さんは、本屋さんのダイアナで、全く別の10代後半の女の子の恋を描いてるしね。) -
氷室冴子が亡くなってから没後十年となり、私自身はおばさんになりましたが、中学生の頃に夢中で読んだ作者の本は今なお色あせずに思い起こされます。何せ卒業アルバムには友人からのいつまでも高彬ファンでいてねというお言葉までもらっているくらいです。
そんな氷室冴子を知る人々からの想いが詰まった別冊本はとても読みごたえがあり、中には氷室冴子のエッセイまでもが再録されているというお得な本でありました。
多分少女小説というジャンルを知った最初の作者であり、多分ほぼすべての著作を読みつくして、何故続きが出ないまま亡くなってしまったのかと嘆いた作者の一人でありました。 -
なぜか私の中で再ブームが巻き起こっている。
高校時代、氷室冴子の『海がきこえる』『なんで素敵にジャパネスク』『ざ・ちぇんじ!』を読んで、きっと、私の人生は変わってしまったのだ。
ちょっと大袈裟かもしれないけれど、氷室冴子と出会わなければ、古典文学はなんだかよくわからないものっていうイメージが付きまとっていたと思うし、青春小説の中で描かれる女性の心のキビに興味を持ったりしなかっただろう。
氷室冴子の文章は実に軽快で楽しく、それでいて人間観察の鋭さ、多くの書物や資料に裏打ちされた確かな知識があって、読み応えがある。
漫画チックでテンポの良い楽しい小説、少女たちの内面に入り込んだ繊細な小説、平安時代を大胆に現代に蘇らせた小説、骨太な神話物語を味わう小説、そしてパワフルなエッセイなど、氷室冴子を追うだけでどれほどカラフルな読書体験をしてきたことか。
前置きが長くなったが、本書はそんな氷室冴子に関わる人々のインタビューや、エッセイ、そして氷室冴子自身の言葉などが掲載されている。
さまざまな人から語られる人柄が魅力的で、エネルギッシュで…。
時折もしかしたら生まれていたかもしれない新作の構想の話や、『銀金』の話などを読んでいると、本当に亡くなられたことが寂しく思えた。
会ったこともない氷室冴子の生の人柄がイキイキと伝わる。
こんな人柄だからこそ、あの軽快な文体が生まれたんだなと。
読まなくなって久しかったが、やはり氷室冴子は私に宝物をたくさんくれたと再確認した。
今のように国語を教える立場になり、自分にも古典のあれこれがわかるような教養が身についてきたからこそ、氷室冴子が描いた平安時代や、少女たちの心の葛藤に、もう一度寄り添ってみたい。 -
没後10年記念で出版された、子供のころ大好きだった氷室冴子さんのムック本です。
冴子さんと親交の深かった方へのインタビューや、作家さんによるエッセイ、単行本未収録の短編やエッセイなんかも収録されており、読み応えのある内容でした。
当時はまだ子供だったので、作品に夢中で冴子さんの人となりにまで関心がいかなかったのだけれど、今回本書を読んでいろんな一面を知ることが出来ました。
めちゃパワフルな方だったようですね。瑠璃ちゃんが誕生するわけだ。
冴子さんに夢中だった小中学生、それ以降は少し距離が出来たけど、冴子さんのコバルトシリーズは全巻持っていると思う。
本屋さんに吊るされた発売日一覧を毎月チェックし、新刊を待ち望んでいた日々。
近寄りがたいクラスのヤンキー女子が、少女小説家は死なないが好きだと知って
ちょっと仲良くなったり、本を読まない友人にも冴子作品を知ってもらいたくて、少女隊のクララ白書や斉藤由貴の恋する女たちの映画に誘ったり・・・
本書を読んでいたら今まで忘れていた同級生のことなんかも思い出し、まさに青春そのものだなあ、としみじみしちゃった。
私の読書人生は、冴子作品&若草物語からはじまり、平安時代好きはあさきゆめみしよりも先、冴子さんのジャパネスクやちぇんじからなんですよねえ。
冴子さんには本当に感謝でいっぱい。
今回初めて知ったけど、銀金シリーズは6部構成だったそうですね。
もっと長生きして欲しかった…
懐かしくて懐かしくて興奮して読んだはずなのに、最後はしんみりした読後感になってしまいました。
お悔やみ申し上げます。 -
遠い昔に読んだ「シンデレラ迷宮」もこの方の作品だったとは!!!
ジャパネスクも漫画から入ってはまったなぁー