愛するということ 新訳版

  • 紀伊國屋書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314005586

感想・レビュー・書評

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  • 「愛は技術である」という挑戦的なテーゼを築城したと言われる一冊で、技術といっても安易なハウツー本ではなく、「どうあるべきか=how to be」を説く内容。

    ただ正直疑問符を感じる点も多い。端的に言えば、これは「キリスト教世界を前提に書かれた本」であり、それは聖書からの引用を多用した不安定な論展開に見られるような顕在的な部分だけでなく、母性と父性を明確に切り分ける描写や、同性愛を認めていないことであったり、21世紀的見地からは著者自身古典的な宗教観やそれに紐づくジェンダー観に引っ張られすぎではと思わずにいられなかった。

    また、社会と個人的愛の関係について論じた後半部分は正直たるかった…「いや、そうだよね。で?」って内容に終始しており、その中でどう生きるべきかを指し示すような示唆もなし。

    結局言ってることは、愛されることを待つんじゃなくて、「愛されるよりも〜愛したいまじで〜」っていう気持ちが愛だよねっていう、Kinki Kids的恋愛論で、それ以上でも以下でもない本だなと思いました。

  • 愛は技術である、と著者はいう。愛する技術を学ぶための、愛の理論と習練について書かれている。

    人格全体を発達させる努力をしなければ、愛そうとしても失敗するという。愛は、世界に対して人がどう関わるか、その方向性なのだ。

    習練の方法をかなり具体的に示している。しかし、実践はなかなか難しい。この本でも取り上げられている「汝のごとく汝の隣人を愛せ」が難しいように。

    世界がぜんたい 幸福にならないうちは
    個人の幸福は あり得ない

    という賢治の言葉に通じる考え方だと思う。

  • 年齢や経験を重ねるほどに、よく理解できる気がする。何度でも読みたい。

  • 愛する技術に、愛の経験が影響力を持つのは当然で、特に親や家庭から受けた愛の経験が一番強いのは百も承知だった。でも、この本を通してこれからのわたしが愛する経験でそれを超えられると思うことが出来た。

    再読。五年前に読んだときより、断然に理解が深い。五年の間に、愛する経験がわたしの中に積まれていったからだろうと思う。愛することが出来て、幸せだ。「必要だから愛するのではなく、愛するから必要」だと、段階が変わったことをここからも感じられて、幸せ。

  • 愛する「技術」についての記述が多いです。かなり具体的な内容となっています。結論は「自分自身の内面の成熟度に比例した相手しか見つからない。真に愛する為には厳しい自己鍛錬が必要となる。」
    フロムらしく手厳しいが名著だと思う。

  • 愛とは孤独状態からの離脱、恋に落ちるとは一過性の現象であり、それはそこに至るまでの孤独状態の強さに起因する。愛の本体はむしろ愛に留まることにあるのであってそれが難しい。愛は一過性の快感ではなく愛されることより愛することに本体がある。技術であり能力である。愛は能動的なもので自ら踏み込んで行くもの。より具体的に言えば「愛は与えること」

    人間の最大の欲求は孤立を克服し孤独の牢獄から抜け出すこと。互いに異なることを認識した上で愛し合い合一に至ること

    子が受ける愛には母性的な愛と父性的な愛がある。母性愛は無条件の愛であり、存在の肯定がある。父性愛とは条件付きの愛、教育である。母性愛によって存在が肯定され、父性愛を受けるために努力をする。これら両方が必要不可欠でこの両輪で人は成長する。これらはそれぞれの性別を単に切り分けるものではない。どちらの方が優勢である割合が大きいかということでどちらのせいであってもある程度両方持っているものである。

    兄弟愛
    他人に対する責任、配慮、尊敬、理解。私たちは一つだという意識。対等なもの同士の愛であり、助けを必要とするときに互いに助け合う精神

    異性愛
    合一への欲求と排他。フロイトは異性愛を性欲と結びつけるが、性欲と愛は重なる部分はあっても同じではない。
    性欲=あらゆる激しい感情と結びつく。
    異性愛は兄妹愛から生まれ全面的に関わり合い精神/肉体双方の合一。自分の本質を愛し相手の本質と関わる。1対1以上では到底できないために排他的になってしまう。人は人間という全体の一部でありながら一人一人は唯一無比でありだから孤独である。孤独を埋め合一を獲得すべく自分の人生全てを相手の人生に賭けようという決意を異性愛という。感情という刹那のものでなく、意思という任意のものでもなく。

    自己愛
    特定の誰かを愛するために人間全体を愛するという前提がある。自分を愛することは他人を愛することと不可分で自分を愛せない者は他人も愛せない。愛とはその相手への気遣いであり尊敬であり責任であり理解であり知ることである。人生、幸福、成長、自由を肯定することである。ナルシズムは自己愛ではない。自分を愛しきれないために愛しているように見せる行為。非利己主義は結局他人も愛せない。


    神=〇〇ではないという形でしか表現できないもの、二元論で説明のつかないもの。xはaでもあり非aでもある、という説明が成り立つ存在。

    市場原理によって愛の崩壊が起きている。物欲・効率・投資の世界が自分自身も商品化させあらゆるモノから疎外されて最大利益を求めて行動するようになる。二人の合わさった利己主義・契約という形の「愛」という協力体制は真の愛ではない。

    愛するには勇気が必要。これが一番と判断して思い切りジャンプする。何の保証もなくこちらが愛せば相手の心にも愛が生まれるという希望に身を委ねること。信念。

    • 江戸っ子さん
      誰かを愛するというのは単なる激しい感情ではない。
      それは決意であり、決断であり、約束である。
      もし愛が単なる感情にすぎないとしたら「あな...
      誰かを愛するというのは単なる激しい感情ではない。
      それは決意であり、決断であり、約束である。
      もし愛が単なる感情にすぎないとしたら「あなたを永遠に愛します」という約束は何の根拠もないことになる。-フロム

      自分も読み始めたよー
      2017/07/07
    • harukakinouchiさん
      おー!!
      これおもしろい!後半分読んだらまたちゃんと書く!
      おー!!
      これおもしろい!後半分読んだらまたちゃんと書く!
      2017/07/07
  • 世の中には愛されるためのノウハウのような本はいくらでもあるが、愛するということを哲学的に突き詰めていった本はとても少ないと思う。この本で言いたかったことは愛は技術であるという一言だ。そのために配慮、責任、尊敬、知が必要なのだ。汝の隣人を愛する、人間は本来孤立した存在、同一性、兄弟愛と母性愛、与えるということが自分の生命力、愛する者のために働く、超自我、異性愛は排他的、無条件の愛、ルター、フロイト、重要なのは思考ではなく行為、自分を愛しほかの人を等しく愛する、等人間のことを哲学的に考えさせられた。生きることは愛することなのだと思う。

  • 愛をとことん言語化・体系化する、という立場はとても西洋的だが、かなり本質をつきつつある。
    つきつつある、と言うのは、著者というより読者側の問題で、愛にはどうしても言語化できない「イデア」があることを、まずはじめに理解しておく必要がある。そのうえで、明瞭にしておけるところは、やはり明瞭にしておいた方がいいだろう。
    「愛がわからない」という人、あるいは「愛をわかっている」という人におすすめの一冊。

  • 「何も知らない者は何も愛せない。何もできない者は何も理解できない。何も理解できない者は生きている価値がない。だが、理解できる者は愛し、気づき、見る。ある者に、より多くの知識が備わっていれば、それだけ愛は大きくなる。全ての果実は苺と同時期に実ると思い込んでいる者は葡萄について何一つ知らない。」パラケルスス

    現代では「平等」は「一体」ではなく、「同一」を意味する。それは雑多なものを切り捨てた同一性である。残念ながら「男女平等」で、男女が平等なのは男女の違いがなくなったからという思い込みが生まれた。

    現代社会の仕組みは人間の標準化を必要としている。その標準化が「平等」と呼ばれている。

    与えるという意味で人を愛する事が出来るかどうかは、その人の性格がどの程度発達しているかによる。愛する為には、性格が生産的な段階に達していなければならない。この段階に達した人は、依存心、ナルシシズム的な全能感、他人を利用しようとか、何でも貯め込もうという欲求を既に克服し、自分の中にある人間的な力を信じ、目標達成の為には自分の力に頼ろうという勇気を持っている。

    愛は能動的性質であり、それには配慮、責任、尊敬、知の要素が見られる。

    愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかける事。


    男性的性格の特徴は、侵入、指導、活動、規律、冒険であり、女性的性格のそれは、生産的受容、保護、現実性、忍耐、母性である。


    成熟した愛は「愛するから愛される」という原則に従う。未成熟の愛は、「あなたが必要だからあなたを愛する」と言い、成熟した愛は「あなたを愛しているからあなたが必要だ」と言う。

    愛とは特定の人間に対する関係ではなく、世界全体に対してどう関わるかを決定する態度、性格の方向性の事である。もし一人の他人しか愛さず、他の人間には無関心だとしたら、それは愛ではなく、共生的愛着、あるいは自己中心主義が拡大されたものにすぎない。

    誰もが、愛する人以外は誰も愛さない事が愛の強さの証拠だと信じている。つまり、愛は活動であり、魂の力である事を理解していない為に、正しい対象を見つけさえすれば、後はひとりでにうまくいくと信じているのだ。だが、一人の人間を愛するとは、全ての人を愛する事であり、世界を愛し、生命を愛する事である。


    兄弟愛
    あらゆるタイプの愛の根底にあるもの。その人の人生をより深いものにしたいという願望。人類全体に対するものであり、排他的なところが全くない。もし、愛する能力が十分発達していたら、兄弟達を愛さずにはいられない。

    身内を愛する事は動物だって出来る。無力な者や貧しい者、よそ者に対する愛こそが兄弟愛の始まり。

    母性愛
    聖書の「約束の地」は「乳と蜜の流れる地」として描かれている。乳は世話と肯定の象徴であり、蜜は人生の甘美さや、人生への愛、生きている事の幸せを象徴しているが、「蜜」を与える事の出来る母親はごく少数である。蜜を与える事ができる為には単なる「良い母親」であるだけはだめで、幸福な人間でなければならない。

    母性愛の真価が問われるのは、幼児に対する愛ではなく、成長をとげた子供に対する愛において。子供が自分から離れていくのを望めるかという事。母親は子供の巣立ちを耐え忍ぶだけでなく、それを望み、後押ししなければならない。つまり、徹底した利他主義、全てを与え、愛する者の幸福以外何も望まない能力。多くの母親はここで失敗する。

    愛情深い母親になれるか否かは、すすんで別離に耐えるかどうか、そして別離の後も変わらず愛し続ける事ができるかどうかによる。

    異性愛
    ベッドを共にしている時や、憎しみや怒りをぶつけあっている時だけ親しいように見えるが、この種の親密さは時が経つにしたがって失われる。そして新しい人との愛(と錯覚しているもの)を求める。

    もし異性愛が愛と呼べるものなら、自分という存在の本質から愛し、相手の本質と関わり合うという事。

    激しい感情ではなく、意思、決意、約束。そして当事者二人が誰であるかは問題ではない。つまり、異性愛は一部の人にしか見られないような特殊なきわめて個人的な要素を必要とする。


    自己愛
    愛とは、人間の本質的な特質を根本において肯定する事。つまり、一人の人間を愛するという事は、人間そのものを愛する事。自分の家族は愛するが、他人には目を向けないというような者は、根本的に、愛する事ができない事の証明。すなわち、自分自身の人生、幸福、成長、自由を肯定する事は、自分を愛する能力そのものであり、これが出来ないとそもそも誰かを愛する事はできない。

    利己主義と自己愛は正反対。利己的な人は自分を愛せていない。生産性に欠けている証明。当然ながら彼は不幸で、自分で自分の邪魔をしている。真の自己を愛せず、それをなんとか埋め合わせ、ごまかしている。

    利己的な人は他人を愛する事が出来ないが、同時に自分自身を愛する事も出来ない。例えば子供をかまいすぎる母親。

    「非利己主義」者はしばしばこれを良い性格特徴として誇りに思っているが、実はこれはもっとも重い神経症の一種。真に愛する能力や楽しむ能力が麻痺している。背後に強烈な自己中心主義が隠れている。生産性の欠如が原因である事を明らかにし、その生産性の欠如を治療しない限り治癒しない。

    非利己的な母親の子供への悪影響は、利己的な母親のそれよりももっとタチが悪い。なぜならば、母親が非利己的なので、子供達は母親を批判する事が出来ない。子供達は母親を失望させてはならないという重荷を科せられ、美徳という仮面の下に人生への嫌悪を教え込まれる。

    子供が愛や喜びや幸福がどんなものであるかを知るには、自分自身を愛する母親に愛される事が一番。


    「もし、自分自身を愛するならば、全ての人間を自分と同じように愛している。他人を自分自身よりも愛さないならば、本当の意味で自分自身を愛する事はできない。自分を含め、あらゆる人を等しく愛するならば、彼らを一人の人として愛しているのであり、その人は神であると同時に人間である。従って、自分を愛し、同時に他の全ての人を等しく愛する人は偉大で正しい」マイスター・エックハルト


    「哲学者達は世界を様々に説明してきたが、必要なのは世界を変える事だ。」スピノザ


    神への愛は、はじめは母なる女神への無力な者の依存であり、次に父性的な神への服従となり、成熟した段階になると、人間の外側にある力と見なす事は止め、愛と正義の原理を自分自身の中に取り込み、神と一つになる。最終的には、詩的に、あるいは象徴的にしか神について語らないようになる。


    集中力の習得は、一人でじっとしていられるようになる事。これは愛する事ができるようになる為の一つの必須条件。

    もし、自分の足で立てないという理由で誰かにしがみつくとしたら、その相手は命の恩人にはなるかもしれないが、二人の関係は愛ではない。一人でいられる能力こそ愛する能力の前提条件。

    くだらない会話、純粋な会話ではない会話を出来るだけ避ける事。政治や宗教について論じる場合でも常套句ばかり使って話すのは無意味。

    愛を達成する為の基本条件は、ナルシシズムの克服。自分の内に存在するものだけを現実として経験するのではなく、人間や事物をありのままに見て、その客観的なイメージを自分の欲望と恐怖によって作り上げたイメージと区別する事。


    他人を信じる事のもう一つの意味は、他人の可能性を信じる事。

    教育の反対は洗脳。成長の可能性に対する信念の欠如。大人が正しいと思う事を子供に吹き込み、正しくないと思われる事を根絶すれば子供は正しく育つだろうという思い込みに基づいている。

    他人を信じるという事を突き詰めていけば、人類を信じるという事になる。すなわち、人間には可能性があるので、適当な条件さえ与えられれば、平等、正義、愛という原理に基づいた社会秩序を打ち立てる事ができるという理念を持つ。

    理にかなった信念の根底にあるのは生産性である。信念に従って生きるという事は、生産的に生きる事。他人を支配するという意味での力、つまり権力を信じたり、用いたりする事とは正反対。

    信念を持つには勇気が必要。あえて危険を冒す能力であり、苦痛や失望をも受け入れる覚悟。安全と安定こそが人生の第一条件だと言う人は信念を持つ事はできない。

    愛するには勇気が必要。ある価値を、これが一番大事なものだと判断し、思い切ってジャンプし、その価値に全てを賭ける勇気である。

    能動とは単に何かをする事ではなく、内的能動、つまり自分の力を生産的に用いる事。愛は能動である。

    人を愛する為には精神を集中し、意識を覚醒させ、生命力を高めなければならない。その為には毎日を生産的かつ能動的に生きなければならない。


    現在のようなシステムの下で、人を愛するの事の出来る人は当然例外的な存在である。愛の事を真剣に考え、愛こそが「いかに生きるべきか」という問題に対する唯一の理にかなった答えであると考えている人々は、次のような結論に行き着くはずだ。すなわち、「愛がきわめて個人的で末梢的な現象ではなく、社会的な現象になる為には現在の社会構造を根本から変えなければならない。」と。

    愛の性質を分析するという事は、今日、愛が全般的に欠けている事を発見し、愛の不在の原因となっている社会的な諸条件を批判する事。例外的、個人的な現象としてだけでなく、社会的な現象としても、愛の可能性を信じる事は人間の本性そのものへの洞察に基づいた理にかなった信念なのである。

  • 友人が大学生の頃指定図書として読んだと聞き、読んでみた。

    「愛」と一言で言っても、色々な形が存在する。
    家族愛、異性愛。隣人への愛、自分への愛。
    それらを独自に考えるのではなく、全てが関連していると捉えること。
    そして自分を受け入れること。
    それが他人を愛する第一歩だと思う。

    他人に愛されることだけを望む人、相手の気持ちを無視して自分の愛を押し付ける人、自分のことが好きになれない/自分のことを認められない人。
    そんな、自分の周りにいる大好きな友人たちに、是非読んでもらいたいと思った。
    でも、この本は心をオープンにしていないと何も響かないと思う。
    文体も小説とは違うし、哲学者たちの知識も時代背景もわからない状態で1回読んだだけでは理解が難しい。

    それでも、読んでよかったと思えた。
    日々学習していければと思った。
    だから、薦めたいと思った。
    この気持ちが届いてくれるといい。。。

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著者プロフィール

ドイツの社会心理学者、精神分析家。1900年、フランクフルト生まれ。ユダヤ教正教派の両親のもとに育ち、ハイデルベルク大学で社会学、心理学、哲学を学ぶ。ナチスが政権を掌握した後、スイス・ジュネーブに移り、1934年にはアメリカへ移住。1941年に発表した代表作『自由からの逃走』は、いまや社会学の古典として長く読まれ続けている。その後も『愛するということ』(1956年)、『悪について』(1964年)などを次々と刊行する。1980年、80歳の誕生日を目前にスイス・ムラルトの自宅で死去。

「2022年 『今を生きる思想 エーリッヒ・フロム 孤独を恐れず自由に生きる』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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