- Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
- / ISBN・EAN: 9784314005586
感想・レビュー・書評
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ご多分に漏れず、読みたいところだけ読んでいます。
まず書かれ方について。
非常に変わっていると思います。右脳で直感的に書いていると思わせるような、飛躍ぶりですが、文体はロジカルな風に書いているので、気持ち悪く思う人もいるかもしれません。
また、宗教や過去の哲学者や心理学者を批判する一方で急にそれらや彼らを根拠として理論を展開します。
でも、私はこの本が比較的好きです。
なぜなら、とても直感的で、所々良いと思える言葉があるからです。
・東洋では昔から 、人間にとって肉体的にも精神的にも良いことは 、最初は多少の抵抗を克服しなければならないとしても 、快いものでなければならない 、と考えられていた。
・人は自分自身にたいして敏感になることができる 。たとえば 、疲れを感じたり 、気分が滅入ったりしたら 、それに屈したり 、つい陥りがちな後ろ向きの考えにとらわれてそうした気分を助長したりしないで 、 「何が起きたんだろう 」と自問するのだ 。
上記の文体の気持ち悪ささえ許容できれば、一読する価値あり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
”愛とは「世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のこと」という定義(p.76)に強く共感。ただ、これはある程度いままでの自分のなかにもあった考えで、新たな行動にはつながらない。
「合一感」「生産的に生きる」「息づいているものを与える」あたりに強く興味をひかれた。いまの自分に足りないもの、いまの自分が欲しているものかな。
<抜き書き>
・成熟した愛は、自分の全体性と個性を保ったままでの結合である。愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。p.41
※やわらかい優しいものではなく、もっと力強い、猛々しいものなのだ。岡本太郎みたいだね (^^)
・与えるという行為のもっとも重要な部分は、物質の世界にではなく、ひときわ人間的な領域にある。(略)自分自身を、自分のいちばん大切なものを、自分の命を、与えるのだ。(略)自分のなかに息づいてるものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているあらゆる表現を与えるのだ。p.45?46
※SNSやブログなどはこのために使いたいな。
・愛とは、特定の人間にたいする関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。p.76
※世界全体!方向性!! → でも、これはある意味で誰もが納得するフレーズだな。
・異性愛には、もしそれが愛と呼べるものなら、一つの前提がある。すなわち、自分という存在の本質から愛し、相手の本質と関わりあうということである。p.90
・理にかなった信念の根底にあるのは生産性である。信念にしたがって生きるということは、生産的に生きることなのだ。p.186
※「生産性」という意外な言葉!!
・信念をもつには勇気がいる。勇気とは、あえて危険をおかす能力であり、苦痛や失望をも受け入れる覚悟である。
※勇気はあるか? 覚悟はどうだ?
・能動とはたんに「何かをする」ことではなく、内的能動、つまり、自分の力を生産的に用いることである。愛は能動である。p.190
<きっかけ>
人間塾 2015年12月の課題図書。
墓参りの帰り道に読了。これも何かのご縁!” -
メンヘラちゃんに読ませたら溶けそうだと思った。
愛するってとってもハード -
技術の習練
①規律
②集中
③忍耐
④関心
愛には...
信念(自分・他人)、謙虚さ、客観性も。 -
愛する事は全方位に対して能動的的になる事。
あと抜粋で良かった所
その人を知れば知ろうとすると遠ざかるばかり。知りたいために、サディズムにはしり、洗脳して思うがままに動かすようにする。
苦しめて秘密を白状させる、人間の秘密を。白状やバラバラに暴力分解するだけではしれないが、愛を通して相手のうちに入り込めば知ることができる。
人間は、超越への欲求がある。それは自分が創造された、生まれたとの受動的な役割から、創始者と思いたい欲求である。女性は子供を産んで愛し世話をすることがそれだが、男はできないから人工物や思想を作って超越したくなっている。
それなら女性で人工物や思想を作る人はなに?
さらに母性愛は巣立つから手離れするまでを望んで後押ししなければならない。
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さおちゃんには愛があるので大丈夫!
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良本。いいトライ。ほぼ永遠と語り継がれるだろう、哲学本であり、絶対にたどり着けない領域の話だなぁと思いつつ、近づきたいとも思える。
・愛は能動的で自由な行動である。自分の人間的な力を信じ、自分の力に頼ろうという勇気を獲得しているとき、初めて、愛することができる。
・愛するということは、共感することとは違う。愛する者の生命と成長を積極的に理解しようとし、気にかけることである。
そうありたい。 -
「愛とは技術である。」
精神的に成熟していない人間は誰かを愛することが出来ない。
人々は愛されたいとは願うが、愛しようとは思わない。
というのも、「愛すべき人」が現れたら、勝手に愛することができるという思いが人々にあるのだ。
先ずそこが間違っている。
隣人を愛することができる人間でなければ、真に人を愛することができないのだ。
愛について知りたい人におすすめ -
自宅の本棚にはありますがこれを読んだのはもう四半世紀前。私の中では「利己的な遺伝子」とセットで読むべき本。人間的である、という観点ではどちらもシニカルな内容ともいえるかもしれませんか、絶妙に相補的でそれぞれの本を豊かにしている気がするのです。他人への溢れ出る愛なんてないですよ、とフロム先生は言い、ドーキンス先生はそれを自然科学的考察から裏付ける。でも愛そうと努力することが愛とちゃう?とフロム先生が説き、ドーキンス先生は同種内での慈愛的行動の道理を説く。そして我々を一段上の迷宮へと導く。
フロム先生がこの本で仰るように、愛するということが愛そうと努力すること、努力し続けることであるならば、君の事を心から愛してると確信を持って言える人はウソつきなんじゃないかと思えてきます。実際そういう傾向がないとは言えなくもなくないかい?そうするともう「100年先も君を愛している」とか歌っている嵐の5人なんてもう大嘘つきですな。
話が逸れましたが時代を超えて心に届く内容だと思います。名著です。是非とも。 -
愛とは(愛するとは)、人間の真の欲求だった。わたしたちは、愛するということに対して、資本主義活動の影響を受けすぎている。市場価値がある人を愛すのではない、自分が愛する人を愛すのである。愛されることがいかに自分を幸福にしてくれるを考えるばかりだったが、人を愛することによる自分の幸せが真実なのだと考えさせられた。