名古屋駅物語 - 明治・大正・昭和・平成~激動の130年 (交通新聞社新書094)

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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784330668161

感想・レビュー・書評

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  • 思っていたより面白かった。
    そもそっも東海道側に鉄道を導いた当時の名古屋区長、吉田禄在のこと、知らなかった(はじめ中山道というか岐阜側のほうに計画されていたことくらいは知っていたが…)

    中川運河のことや、その付近(笹島)に貨物駅があったこと。
    駅西のドヤ街や遊郭があったこと。
    あるいは、私鉄との乗り入れやコストカットのことも考えて建設された地下鉄(そして市電からの移り変わり…)。
    平成元年のデザイン博覧会のときに金山総合駅ができたこと、等々。

    駅の歴史を知ることで、名古屋という都市のこともよりよくわかるきっかけになったとまで思う。

    また著者自身の駅での思い出がところどころにちりばめられていることで、臨場感が増したとも思う。銭湯があったとか、新幹線に乗せてもらったとか、結婚式列車とか…

  • JR名古屋駅(名駅)が開業して、今年で130周年であります。駅構内に「ありがとう130周年」ののぼりが掲げられてゐるので、目にした人も多いでせう。
    このタイミングで、『名古屋駅物語』が上梓されました。著者は東海地区の鉄道事情に関する著書多数の徳田耕一氏。徳田氏は自身が名駅界隈で生まれ、その成長ぶりを生で知る一人であります。これ以上の適任者はございますまい。

    現在でこそ名駅は中部日本を代表するタアミナルですが、元来東西を結ぶ幹線鉄道は、中山道経由で建設される予定でした。即ち名古屋はメインルートから外れる運命にあつたと。それを当時の名古屋区長(現在の市長にあたるさうです)であつた吉田禄在が、中山道の山越えでは工期も資金も膨れ上がると主張、東海道本線の優位性を説きそれを実現させたとか。ほほう。吉田禄在氏は名古屋の大貢献者なのですね。

    元元名古屋は城下町として栄えましたが、決して交通の要衝ではありませんでした。そんな名古屋のタアミナルは、西の外れ笹島に設けられたのであります。今から130年前、1886(明治19)の事でした。当初は名護屋駅と名乗りましたが、翌年名古屋駅に改称されてゐます。もつとも周囲の人々は「笹島ステンショ」と呼称したとか。
    この初代名古屋駅は、僅か2面2線の小ぢんまりした規模で、現在とは比ぶべくもないものでした。しかし1891(明治24)年の濃尾地震で駅舎は倒壊、直ちに二代目駅舎が再建されました。規模こそ二倍になりましたが、施設としては2面3線と、特段に変化があつた訳ではありません。

    そして1937(昭和12)年、客貨とも利用が膨大に増えた名古屋駅は、手狭な二代目から北北西に位置を移し、三代目駅舎の誕生を迎へます。ホーム4面13線となり、タアミナル駅としての風格も具へ、「東洋一」の規模と呼ばれました。
    翌1938(昭和13)年には関西急行(近鉄の前身)名古屋駅が国鉄駅の地下に開業し、さらに1941(昭和16)年には、名鉄の新名古屋駅も開業。これは、北の押切町と南の神宮前で市内タアミナルが分断されてゐたのを、地下を介して直通させたもので、名古屋本線がここに全通したのでした。このあたりが戦前の名駅全盛期でせうか。

    戦中戦後の最悪期を乗り越えた名駅は、1957(昭和32)年、念願の地下鉄が開業。同時に路面電車の衰退が始まります。
    1964(昭和39)年は、ご存知東海道新幹線が開業。名古屋の新幹線駅は、在来線の西側に作られました。ドヤ街の立ち退き問題とかありましたが、この一大闇市はさう簡単に消滅しません。駅西の妖しい匂ひは、現在でもプンプンいたします。

    一方国鉄は分割民営化といふ歴史的転換を迎へ、名駅はJR東海の顔として君臨します。1999(平成11)年には、新たなシンボルとなる超高層ツインビル「JRセントラルタワーズ」が開業。以後名駅周辺の高層ビル化が進むのであります。
    次なるビッグプロジェクトは、何と言つてもリニア中央新幹線の名古屋駅開業でせう。如何なるスーパーターミナルとして生れ変るのか、目が離せぬところであります。

    徳田氏は名駅の歴史を、自らの成長と重ね合はせながら、思ひ入れたつぷりに語ります。幼時、高嶺の花だつた「はとガール」との触れ合ひ。少年時代、名駅構内で写真を撮りまくつた日々。家出した母を名駅中央コンコースの待合室で発見したこと。“ばあちゃん”にせがんで乗せてもらつた「夢の超特急」の思ひ出。名鉄電車内で行つた、自身の結婚披露宴二次会(須田寛氏、宮脇俊三氏、種村直樹氏らも列席。スゴイ!)......
    徳田氏の著書だけあつて、鉄分は相当高いですが、専門的な話は少ないため、一般人でも大丈夫。特に地元の方々には興味ある一冊となるのではありますまいか。

    ぢやあまた。ご無礼します。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-651.html

  • 内容充実で読み応えあった。著者の徳田さんは本当に鉄道が好きなんだと思う。

    名古屋人として読んでよかったと思える本だ。

    なかでも興味深かったのは徳田さんの披露宴のこと。

    徳田さんの結婚披露宴は名鉄の貸切車両で行われ、宮脇俊三さん、種田直樹さん、当時国鉄の名古屋管理局長の須田さん(JR東海初代社長)、名鉄の犬飼常務(当時)などが列席。豪華な列席者に驚くとともに、このような披露宴列車は日本初だったとのこと。
    徳田さんの行動力に脱帽です。

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著者プロフィール

交通ライター。1952(昭和27)年、名古屋市生まれ。名城大学卒業。 
名古屋駅の近くで生まれ育ち、今も居住する生粋の名古屋人。 
周囲の環境から鉄道に興味を抱き、半世紀にわたり名古屋都市圏の鉄道の動向を記録してきた。 
旅行業界で活躍した経験もあり、実学を活かし観光系の大学や専門学校で観光学の教鞭をとり、 
鈴鹿国際大学(現:鈴鹿大学)など複数校では客員教授も務めた。 
また、旅行業が縁で菓子業界とのパイプもでき、製菓会社で観光土産の企画や販路開拓にも活躍。 
総合旅行業務取扱管理者、総合旅程管理主任者、鉄道旅行博士、はこだて観光大使(函館市)。 
主な著書に『名古屋駅物語』・『名古屋鉄道 今昔』・『名古屋発 ゆかりの名列車』(交通新聞社新書)、 
『117系栄光の物語』・『パノラマカー栄光の半世紀』(JTBパブリッシング)、 
『まるごと名古屋の電車 ぶらり沿線の旅』シリーズ(河出書房新社)、ほか多数。 
ちなみに、本書はこれらの50作目となった。

「2019年 『DD51形 輝ける巨人』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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