- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334753504
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【過去を見失わずにふり返ることの大切さ。】
ローマ帝国の政治の中枢で活躍するも追放、8年の後に、幼年期のネロの教育係として呼び戻されるも、後年その暗殺嫌疑をかけられ自死したルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年〜65年)。
波乱万丈すぎる生涯から、漠然と野心的な内容を想像して読み始めたけれど、良い意味で裏切られる内容でした。
表題の「人生の短さについて」では、人がいかに他人のために時間を浪費して簡単に生を終えてしまうかが指摘され、人生を長くする術として、自分の過去と向き合うこと、過去の哲人たちの思想に学ぶことが大切だとされています。
セネカ、学ぶことや思索することが、大好きだったんだなあ。
「悔やんでいることを思い出すのは不愉快なこと」という言葉に、自分の弱点を指摘された気がしてドキッとしました。
なぜなら、私はそれが、大の苦手だから。
思い返せば、小学生の時から、テストで解けなかった問題をふり返るのが嫌で嫌で。
自分の力が及ばなかったこと、できなかったことに向き合うのが、あまり好きではないのは、大人になった今も同じだなあ。
そういう意味では、今こうやって、古典を読んでいるのも、「読んでいなかった過去」に向き合うという、私にしては一大決心をともなって行っていることなのだけれど、そうやって手にした本の中で、自分自身を鏡にうつしたような言葉に出会うなんて、なんて不思議なんだろう。
過去を受け止めて、哲人たちの知恵で包み込むことによって、安らかで静かな時間が得られる。
そんなセネカの思想が頭に流れ込んでくるごとに、過去と向き合う辛さが温かくほどけていく気がした1冊でした。 -
セネカの哲学の入門テキスト3通とあります。
セネカは、帝政ローマ初期の哲学者で、ネロの家庭教師でもあった人です。ストア派に属していました。
<心にのこった言葉>
人生の短さについて
・多忙な人間はなにごとも十分になしとげることができない
・生きることは、生涯をかけて学ばなければならないのだ。
・ひとはだれしも、未来への希望と、現在への嫌悪につき動かされながら、自分の人生を生き急ぐのだ。
・賢者はいつ最後の日が訪れようとも、ためらうことなく、たしかな足取りで、死にむかっていく
・すべての人間の中で、閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。
・過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる人たちの生涯は、きわめて短く、不安に満ちている
母ヘルウィアへのなぐさめ
・賢者に従い、運命に頼らない自分は、なにも辛い目にはあわない
・順境にあって思い上がることがない人は、たとえ状況がかわっても、落ち込むことはありません。
・人間が自分を維持するために必要なものは、じつにわずかです。(貧困のうちに追放生活を迎えても)
・賢者とは、自分だけを頼りとし、大衆の見解からは距離を置く存在です。
・運命から逃れようとするすべての人が逃げ込むべき場所に、あなたを案内しましょう。すなわち学問です。
心の安定について
・人間の精神は、生まれつき活発で、動きやすいものだ
・まず心に留めるべきは、持たないほうが、失うよりも、はるかに苦痛が少ないという事実だ。
・無益な目的のために仕事をすべきではないし、無益な動機から仕事をすべきでもない。
・なんの成果も得られない無駄な仕事をするべきでないし、得られる成果に見合わない仕事をするべきでもない
・どんな仕事をするときでも、かならず一定の目的を設定し、その目的を見すえる必要がある。そして、仕事に専心すれば、心がぐらつくことはない
・(本書を読めば)心の安定を保つ方法と、それを回復する方法と、忍び寄る欠点から身を守る方法を手にしたことになる。
<解説から>
時代背景 セネカの時代 初代から、五代までを生き抜いた
初代 アウグストゥス ネロまで5代 ユリウス・クラウディウス家という
二代 ティベリウス 晩年は恐怖政治
三代 カリグラ 愚行の皇帝 暗殺死
四代 クラウディウス ただの傀儡、愚帝 セネカをコルシカ島へ島流し
五代 ネロ 后アグリッピナが、その子ネロを皇帝につける、セネカも許されて政権へ復帰、だけども、暗殺計画に参画したとして自殺に追い込まれる ローマ各地で反乱がおき、ユリウス・クラウディス家は5代で終焉する。内乱の時代へとローマは入る。
セネカが属したストア派とは
・ギリシア アテネのキティオンのゼノンが創設者
・自然に従う 人間が作りだした人工物は、人為的であり軽視
・自然と宇宙はロゴスという理性によって支配される世界
・人間は理性的な能力が重視され、苦痛、快楽、欲望、恐怖のような情念は理性の敵対するものとして否定的に評価される
・禁欲的なをストイックというのは、ストア派から派生している
・運命とは、ロゴスによってもたらされる必然的な因果連鎖。
・徳を完成させた人間であれば、何が起こるかを的確に予測して対処できる。
・ストア派の生き方を実践できる有徳者を賢者とよび、理想として掲げた。賢者は完全な徳を実現した人物であり、あらゆる情念から自由でいられる存在である。
目次は以下です。
訳者まえがき
人生の短さについて
母ヘルウィアへのなぐさめ
心の安定について
解説
年譜
訳者あとがき -
「あなたは、どこを見ているのか。あなたはどこを目指しているのか。これからやってくることは、皆不確かではないか。今すぐ生きなさい。」
約2000年前のローマ時代 ストア派の哲学者セネカによる実践哲学書。
妻の近親者(?)・母・友人へ宛てた手紙、3篇。
人生の時間の過ごし方、不運への立ち向かい方、毅然とした心の持ち方を説いている。
2000年前と現代では娯楽も増え、生き方も変わっているとは言え現代にも思想は通じる。ビジネス書のように読みやすかった。
時間という財産の浪費、自分自身を見直すきっかけになる。 -
とっつきにくいと思いきや、生き方のメッセージが詰まっていて、とても面白かった。
人生は多忙さに忙殺され、浪費すれば短い。
過ごし方次第で、人生は長くなる。
じゃあどういうふうに生きたらいいのっていう話になれば、無駄なことに時間を無益に費やさず、また未来に頼りすぎず、今をしっかり生きようということ。
それが難しい。
でもそれを意識して生きることが大切だと思った。 -
「他人のために時間を使っているから『人生は短すぎた』と嘆くのだ。本当に貴方の時間と言えるものの割合はどれだけあるか。」って感じのところは本当に心に響いた。取捨選択しよう。
他にも色々、人生のヒントとなる言葉が沢山ある。それは本当にありがたいけれど、自分の哲学と合わない生き方を(本人が後悔しているのなら別だけど)否定から入るのは好きじゃない。接待とかパーティをかなり貶していたけれど、そう断じるのもつまらない人。現代は様々な生き方が選べる時代。自分にとって良い生き方を選ぶのはとっても大切だけど、逆に他人を受け入れて一度は理解することも、生き方を選ぶ上で大切なはず。理解していない価値観をセネカに押し付けられて、それで良い人生になれるとは思えない。自分は生きてる中で無駄な経験なんてなかったと思ってるから、セネカは視野が狭いように思えて苦手。
解説は気が向いたら読む。おそらく向かないけれど……。-
初めまして。セネカの本はいくつか読んで、学ぶこともありましたが、人柄は良いとは言えませんね。
「怒りについて」は、さらに説教くさいです。
あ...初めまして。セネカの本はいくつか読んで、学ぶこともありましたが、人柄は良いとは言えませんね。
「怒りについて」は、さらに説教くさいです。
あと、子供が嫌いだったエピソードもあります。
生前、当時の社会人として当たり前だった喫煙飲酒とパーティが大嫌いだったことは有名です。
金言も多いですが、哲学者としてはまったく私も魅力を感じませんねェ。。2021/07/16 -
ただ、このうづきさんの、書かれたことと作者に疑問を持ちながら読んでいるのは、哲学者自身が最も喜ぶ読み方だと思います。
セネカは、イメージと...ただ、このうづきさんの、書かれたことと作者に疑問を持ちながら読んでいるのは、哲学者自身が最も喜ぶ読み方だと思います。
セネカは、イメージとは違いそうですが、至って地味で他の人とぶつかる事の少ない哲学者だったそうですよ。
これは翻訳も悪いかと。光文社古典文庫のは、意訳が多いですし。。
うづきさんには、他の作者の哲学書も読んで、ここで感想を見てみたいです。
赤の他人がエラそうに言うのもナンですが……2021/10/02
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岩波文庫はKindleで読めなかったので、こちらにした。訳や注釈も読みやすく、必ずしも岩波文庫にこだわる必要はない。
人生の短さについて、だけを読んでの感想になるが、内容としては残念ながら星2つレベルである。ストア哲学では理性、自省録を書いたマルクス・アウレリウスは自然(宇宙の秩序)に則って生きる事を推奨している。
セネカにおいては、その自然は哲学者になることであると言っている。いや、哲学者とは明確に述べてないが、『英知を手にするために時間を使う人』を定義とし、例として哲学者を挙げているので、哲学者という解釈で問題ないと思う。
この哲学者の話が出るまでは、とても吸い込まれるように読んでいた。時間というものが見えないものであるし、当たり前すぎて、お金の浪費は気にするのに、時間の浪費は気にしない人が多い。とか、他人のために時間を費やしすぎている。とか、そういう話は納得がいった。
だからこそ、どのように生きるべきか?が気になっていたのだが、その結論が哲学者とはあまりにも面白くない。
たしかに自然に従って生きることの解釈が人間にとって出来ることの追求だとすれば、『考える』という事なので、哲学者という流れは正しいように見える。
ただ、それはある意味究極論でしかない。考えることだけをすれば、一番理性的というのは理想論で実践的ではない。
もし世界中の誰もが考えることだけをして、生きるとは何か?とか幸福とは何か?だけを考えていたら、誰が国を運営し、誰が食べ物を育てるのか?
そういう事をしている人たちの恩恵の上に、哲学者たちが生きられている事を忘れてはならない。哲学者でさえ、他人の時間を奪い、それによって生かされているのだ。
私の思う理想は、自省録で書かれているように、自分の本質や本性を見つけ、それに従って生きていく事なのだと思う。
ただし、自分らしさが自然、つまり宇宙の秩序に反してはいけない。あくまで秩序、理性ある中での自分らしさを発揮する事が大事なのだと思う。
実践的であるはずのスコア哲学が、全く実践的でない点が腑に落ちず、この点数とした。
==追記==
人生の短さについて、を読んだ後の2つの話、特に心の安定について、はより実践的であり、読み応えがあった。
最も重要な違いは、自分に適した職につくことを勧めている点だ。哲学者こと全てだったはずが、晩年の作品では意見が変化している。
ここにセネカの考え方の変化が見られ、人生を送っていく中でおそらく変化が出たのだと思える。
3つの作品を踏まえれば、星4つくらいなるレベルの話になる。
つまり、2000年前もひとたちの過ごし方も、現代の過ごし方も、文明の差はあれど何も変わってないのだなぁという事だ。
哲学を読み進めるのは確かに大変だ。が、しかし、そこには読むべき意味がしっかりとある。
過去に学び、今を全力で生きるためには、自分の過去だけでなく、2000年以上ある歴史から学べることを学ぶべきである。
その上で何をするのかを考える方が、合理的だと思うから。 -
スラスラは読めたけど、意味を理解するために繰り返し読んだから時間がかかってしまった。
印象的だったのは、振り返るに値する過去を持つこと、その過去があれば人生には厚みが生まれると。
忙しい人ほど現在しかみておらず点で生きているため、人生の長さを感じることが出来ないと。
振り返ることは悪くないらしい!
振り返るに値する過去でありたい!
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人間の悪しき習慣やその原因等について述べ、本質的な言葉でその解決策を述べている。分かってはいるけど、なかなか改善できないんだよな〜と思いながら読み耽っていた。