人生の短さについて 他2篇 (古典新訳文庫)

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  • 光文社
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  • Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784334753504

感想・レビュー・書評

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  • 【哲学に興味を持った理由】
    若い時から自己啓発本やコミュニケーション本をよく読んでいた。しかし多読すればするほど、書いてあることが非常に似ており、書かれている知識は過去の哲学書からの引用が殆どだと、遅まきながら気づいた。であれば、元ネタである哲学書を時系列に沿って読んでいこうと思ったのが理由。

    【セネカとは?】
    約2,000年前のローマ時代を生きたストア派の哲学者。ストア派とは、理性に従い禁欲的に生きることを推奨する哲学。カリグラ帝の時代に政治の世界に入り、クラウディウス帝の時代には、コルシカ島への8年間の追放生活を経験。アグリッピナ(クラウディウス帝の妻)の進言により、赦免されローマに帰還。アグリッピナの要請によりネロの教育係に就任。その後ネロが皇帝に就任した後、セネカは補佐役としてネロの政治を支える。しかし、セネカは謀反の嫌疑をかけられ、自殺。

    【本の構成】
    訳者まえがき
    ・人生の短さについて
    ・母ヘルウィアへのなぐさめ
    ・心の安定について
    解説
    年譜
    訳者あとがき

    【それぞれのパートの構成】

    ・「人生の短さについて」
    (簡単な概要)
    パウリヌスという人物に宛てて綴られている。パウリヌスはセネカの妻パウリナの近親者と考えられている。パウリヌスはローマ帝国の食料管理官を務めていた。国家の食糧供給をつかさどる食料管理官は、きわめて責任の重い重職であり、多忙を極める仕事だった。本作でセネカは、パウリヌスに対して、多忙な職から身を引き、閑暇な生活を送るよう勧めている。

    (感想及び得た気づき)
    この章でセネカが終始訴えているのは、人生は決して短くはない、だが、ただ漫然と日々を過ごしていれば、あっという間に時間が過ぎてゆき、何も成し遂げぬまま、人生は終わってしまう。なので、そうならぬ様、多忙な生活から離れて、閑暇な生活を送るよう勧めている。

    セネカの言う閑暇な生活とは?
    →自分が本来なすべきこと、自分のためになることをしている時間のこと。
    閑暇な中でなすべきこととは?
    →英知を求め、英知に従って生きること。

    この章を読んでいるときに思い出したのが、スティーブ・ジョブズの名言だ。
    「もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは、 本当に自分のやりたいことだろうか?」

    これとほぼ同じことを、約2,000年前のセネカが既に教えてくれていた!
    以下、セネカの言葉。
    「すべての時間を自分のためだけに使う人、毎日を人生最後の日のように生きる人は、明日を待ち望むことも、明日を恐れることもない。」 
    この言葉から得た気づきが、『この世で唯一、全ての人間に平等に与えられているのは時間だ。だから、与えられた時間を最大限有効に使うことが、生きていく上で、何よりも大切だ』と再認識できたのが、この本を読んでの最大の収穫。

    「母ヘルウィアへのなぐさめ」
    (簡単な概要)
    クラウディウスが皇帝に就任した際、セネカはコルシカ島に追放される。罪状は、カリグラ帝の妹ユリア・リウィッラとの不倫関係。不倫が事実か冤罪かは不明。結局8年間もの間、流刑の罪を耐え抜く。本作はコルシカ島に追放されて暫く経ってから、母ヘルウィアに向けて書かれたもので、息子の不運を嘆き悲しむ母親を、自ら慰め、励ます内容。

    (感想及び得た気づき)
    ストア派の哲学において、いかに運命に立ち向かうかと言う問題は、きわめて重要な問題とある。セネカは本書で追放という運命に見舞われた自分がどのように運命を克服したか、そして母親がいかに自らの運命を克服すべきかについて、具体的な考察をしており、ストア哲学における生き方の指針を示す、実践例になっているとこと。
    セネカ自身は今回の追放をどう克服したのかというと、常識的な価値観を視点を変えることによって、転換したとのこと。
    具体的には、追放を「住む場所が変わること」と規定し、視点を変えることによって、物の見方を転換しようとしたことのこと。
    つまり、人類は絶えず移動し続けており、その意味では誰もが追放状態ともとれる。
    セネカによれば、人間どこに住んでいても、自然のもとで、自分が所有する徳と共に生きて行けるとのこと。
    では、追放につきまとう貧困や恥辱などの様々な不利益とは、どう向き合えば?
    セネカによれば、貧困はそもそも恐れるものではない。なぜなら、人間が生きるのに必要なものは皆、自然が与えてくれる。ただ、贅沢な生活に慣れてしまうと、それを失うことに恐れてしまう。その恐れてしまう心こそが、心の病のあらわれなのだと言う。また恥辱については、徳を持っていれば、そもそも恥辱を受けたと感じないし、仮に受けたとしても、容易に耐えることができるとのこと。
    前置きが長くなってしまったが、この章から得た気づきは、意味を規定しなおし、視点を変え、転換するとの部分だ。
    これってズバリ、世界で3,000万部も売れた、スティーブン•R•コービィー氏の7つの習慣にある、「パラダイムシフト」のことじゃないか!と思わず声に出しそうになってしまった。
    パラダイムシフトとは、自分に起こったネガティブな事象を、ポジティブな事象に変換できるよう解釈を変換することだ。
    コービィー氏が書籍で最も大切と言っていたパラダイムシフトが、既に2,000年も前から書物として残っていたんだ!
    しかし、ローマ時代の哲学恐るべし!
    この先の人生、きっと困難や辛いこともきっと数え切れない程あるはずだが、パラダイムシフトで乗り越えていこうと再認識したのがこの章での気づきだ。 

    ・「心の安定について」
    (簡単な概要)
    年下の親友セレヌスに向けて綴られてたもの。セレヌスが心の弱さを克服して、ぶれることのない安定した心を手に入れるためにはどうすれば良いか?との質問に対してのセネカのアドバイスを書いたもの。

    (感想及び得た気づき)
    本作品におけるセネカのアドバイスは、厳格なものというよりは、むしろ、セレヌス現状にに合わせた、現実的なものになっている。
    以下セネカのアドバイスの箇条書き。

    1.自分の仕事に打ち込み、自分に許された場所で、自分の義務を果たすこと。そして状況が悪化したら、自分から仕事を離れ閑暇の中で生きること。
    2.仕事を選ぶときには、自分の適性を考えると共に、自分の力量で対処出来ない仕事や際限のない仕事は避けること。また、一緒に仕事をする、良い友人を選ぶこと。
    3.少ない財産で質素な生活を送り、運命に翻弄されないように気をつけること。
    4.自分の置かれた境遇に不平を言わず、それに慣れること。どんな運命に襲われるか分からないから、常に警戒を怠らず、備えをしておくこと。
    5.決して、無意味で無益な仕事はしないこと。運命に翻弄されることなく、自分を保ち、逆境でも動じないこと。
    6.人々の欠点に絶望して嘆くようなことをせず、それを笑って受け止めるか、冷静に受け入れるかすること。
    7.正しい人間が不運に見舞われる姿を見ても、決して絶望しないこと。
    8.自分を取り繕うようなことをせず、率直な生き方を心がけること。
    9.人との交わりに疲れたら、孤独に逃げ込むこと。
    10.心が疲弊したら、様々な方法で気晴らしを与え、活力を回復させること。

    なるほど。ほとんど過去に読んだ自己啓発書に書いていたことばかりだ。
    つまり人間は、2,000年前から思い悩むことは、現在と何も変わっておらず、またその克服方法も、既にローマ時代から人類の叡智として残っていたとこうことなんだ。
    また、気づいたこととして、仏教(特に禅)の考え方にセネカの考えが似ているなぁと思った。それはセネカだけが似ているのか、ストア派全体、あるいはローマ時代の哲学全体なのか、その辺りは西洋哲学の本を読み始めたばかりなので、今後哲学書を多読していくにつれ、新たな発見がありそうで、今から楽しみだ。過去に自己啓発書を多読してきたことも、全く無駄では無かったと実感できたのも、良い発見だった。

  • 【過去を見失わずにふり返ることの大切さ。】

    ローマ帝国の政治の中枢で活躍するも追放、8年の後に、幼年期のネロの教育係として呼び戻されるも、後年その暗殺嫌疑をかけられ自死したルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年〜65年)。

    波乱万丈すぎる生涯から、漠然と野心的な内容を想像して読み始めたけれど、良い意味で裏切られる内容でした。
    表題の「人生の短さについて」では、人がいかに他人のために時間を浪費して簡単に生を終えてしまうかが指摘され、人生を長くする術として、自分の過去と向き合うこと、過去の哲人たちの思想に学ぶことが大切だとされています。
    セネカ、学ぶことや思索することが、大好きだったんだなあ。

    「悔やんでいることを思い出すのは不愉快なこと」という言葉に、自分の弱点を指摘された気がしてドキッとしました。
    なぜなら、私はそれが、大の苦手だから。
    思い返せば、小学生の時から、テストで解けなかった問題をふり返るのが嫌で嫌で。
    自分の力が及ばなかったこと、できなかったことに向き合うのが、あまり好きではないのは、大人になった今も同じだなあ。
    そういう意味では、今こうやって、古典を読んでいるのも、「読んでいなかった過去」に向き合うという、私にしては一大決心をともなって行っていることなのだけれど、そうやって手にした本の中で、自分自身を鏡にうつしたような言葉に出会うなんて、なんて不思議なんだろう。

    過去を受け止めて、哲人たちの知恵で包み込むことによって、安らかで静かな時間が得られる。
    そんなセネカの思想が頭に流れ込んでくるごとに、過去と向き合う辛さが温かくほどけていく気がした1冊でした。

  • 人生について考えることで、人生はたしかに変わる...ヒントをくれる3冊の本|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
    https://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2021/10/3-279.php

    人生の短さについて 他2篇 - 光文社古典新訳文庫
    https://www.kotensinyaku.jp/books/book249/

  • セネカの哲学の入門テキスト3通とあります。

    セネカは、帝政ローマ初期の哲学者で、ネロの家庭教師でもあった人です。ストア派に属していました。

    <心にのこった言葉>

    人生の短さについて
      ・多忙な人間はなにごとも十分になしとげることができない
      ・生きることは、生涯をかけて学ばなければならないのだ。
      ・ひとはだれしも、未来への希望と、現在への嫌悪につき動かされながら、自分の人生を生き急ぐのだ。
      ・賢者はいつ最後の日が訪れようとも、ためらうことなく、たしかな足取りで、死にむかっていく
      ・すべての人間の中で、閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。
      ・過去を忘れ、現在をおろそかにし、未来を恐れる人たちの生涯は、きわめて短く、不安に満ちている

    母ヘルウィアへのなぐさめ
      ・賢者に従い、運命に頼らない自分は、なにも辛い目にはあわない
      ・順境にあって思い上がることがない人は、たとえ状況がかわっても、落ち込むことはありません。
      ・人間が自分を維持するために必要なものは、じつにわずかです。(貧困のうちに追放生活を迎えても)
      ・賢者とは、自分だけを頼りとし、大衆の見解からは距離を置く存在です。
      ・運命から逃れようとするすべての人が逃げ込むべき場所に、あなたを案内しましょう。すなわち学問です。

    心の安定について
      ・人間の精神は、生まれつき活発で、動きやすいものだ
      ・まず心に留めるべきは、持たないほうが、失うよりも、はるかに苦痛が少ないという事実だ。
      ・無益な目的のために仕事をすべきではないし、無益な動機から仕事をすべきでもない。
      ・なんの成果も得られない無駄な仕事をするべきでないし、得られる成果に見合わない仕事をするべきでもない
      ・どんな仕事をするときでも、かならず一定の目的を設定し、その目的を見すえる必要がある。そして、仕事に専心すれば、心がぐらつくことはない
      ・(本書を読めば)心の安定を保つ方法と、それを回復する方法と、忍び寄る欠点から身を守る方法を手にしたことになる。

    <解説から>

    時代背景 セネカの時代 初代から、五代までを生き抜いた

    初代 アウグストゥス ネロまで5代 ユリウス・クラウディウス家という
    二代 ティベリウス 晩年は恐怖政治
    三代 カリグラ 愚行の皇帝 暗殺死
    四代 クラウディウス ただの傀儡、愚帝 セネカをコルシカ島へ島流し
    五代 ネロ 后アグリッピナが、その子ネロを皇帝につける、セネカも許されて政権へ復帰、だけども、暗殺計画に参画したとして自殺に追い込まれる ローマ各地で反乱がおき、ユリウス・クラウディス家は5代で終焉する。内乱の時代へとローマは入る。

    セネカが属したストア派とは

    ・ギリシア アテネのキティオンのゼノンが創設者
    ・自然に従う 人間が作りだした人工物は、人為的であり軽視
    ・自然と宇宙はロゴスという理性によって支配される世界
    ・人間は理性的な能力が重視され、苦痛、快楽、欲望、恐怖のような情念は理性の敵対するものとして否定的に評価される
    ・禁欲的なをストイックというのは、ストア派から派生している
    ・運命とは、ロゴスによってもたらされる必然的な因果連鎖。
    ・徳を完成させた人間であれば、何が起こるかを的確に予測して対処できる。
    ・ストア派の生き方を実践できる有徳者を賢者とよび、理想として掲げた。賢者は完全な徳を実現した人物であり、あらゆる情念から自由でいられる存在である。

    目次は以下です。

    訳者まえがき

    人生の短さについて
    母ヘルウィアへのなぐさめ
    心の安定について

    解説
    年譜
    訳者あとがき

  • 「あなたは、どこを見ているのか。あなたはどこを目指しているのか。これからやってくることは、皆不確かではないか。今すぐ生きなさい。」

    約2000年前のローマ時代 ストア派の哲学者セネカによる実践哲学書。

    妻の近親者(?)・母・友人へ宛てた手紙、3篇。

    人生の時間の過ごし方、不運への立ち向かい方、毅然とした心の持ち方を説いている。

    2000年前と現代では娯楽も増え、生き方も変わっているとは言え現代にも思想は通じる。ビジネス書のように読みやすかった。

    時間という財産の浪費、自分自身を見直すきっかけになる。

  • とっつきにくいと思いきや、生き方のメッセージが詰まっていて、とても面白かった。

    人生は多忙さに忙殺され、浪費すれば短い。
    過ごし方次第で、人生は長くなる。

    じゃあどういうふうに生きたらいいのっていう話になれば、無駄なことに時間を無益に費やさず、また未来に頼りすぎず、今をしっかり生きようということ。
    それが難しい。
    でもそれを意識して生きることが大切だと思った。

  • 「他人のために時間を使っているから『人生は短すぎた』と嘆くのだ。本当に貴方の時間と言えるものの割合はどれだけあるか。」って感じのところは本当に心に響いた。取捨選択しよう。

    他にも色々、人生のヒントとなる言葉が沢山ある。それは本当にありがたいけれど、自分の哲学と合わない生き方を(本人が後悔しているのなら別だけど)否定から入るのは好きじゃない。接待とかパーティをかなり貶していたけれど、そう断じるのもつまらない人。現代は様々な生き方が選べる時代。自分にとって良い生き方を選ぶのはとっても大切だけど、逆に他人を受け入れて一度は理解することも、生き方を選ぶ上で大切なはず。理解していない価値観をセネカに押し付けられて、それで良い人生になれるとは思えない。自分は生きてる中で無駄な経験なんてなかったと思ってるから、セネカは視野が狭いように思えて苦手。

    解説は気が向いたら読む。おそらく向かないけれど……。

    • もよしさん
      初めまして。セネカの本はいくつか読んで、学ぶこともありましたが、人柄は良いとは言えませんね。
      「怒りについて」は、さらに説教くさいです。
      あ...
      初めまして。セネカの本はいくつか読んで、学ぶこともありましたが、人柄は良いとは言えませんね。
      「怒りについて」は、さらに説教くさいです。
      あと、子供が嫌いだったエピソードもあります。

      生前、当時の社会人として当たり前だった喫煙飲酒とパーティが大嫌いだったことは有名です。
      金言も多いですが、哲学者としてはまったく私も魅力を感じませんねェ。。
      2021/07/16
    • もよしさん
      ただ、このうづきさんの、書かれたことと作者に疑問を持ちながら読んでいるのは、哲学者自身が最も喜ぶ読み方だと思います。

      セネカは、イメージと...
      ただ、このうづきさんの、書かれたことと作者に疑問を持ちながら読んでいるのは、哲学者自身が最も喜ぶ読み方だと思います。

      セネカは、イメージとは違いそうですが、至って地味で他の人とぶつかる事の少ない哲学者だったそうですよ。

      これは翻訳も悪いかと。光文社古典文庫のは、意訳が多いですし。。

      うづきさんには、他の作者の哲学書も読んで、ここで感想を見てみたいです。
      赤の他人がエラそうに言うのもナンですが……
      2021/10/02
  • 岩波文庫はKindleで読めなかったので、こちらにした。訳や注釈も読みやすく、必ずしも岩波文庫にこだわる必要はない。

    人生の短さについて、だけを読んでの感想になるが、内容としては残念ながら星2つレベルである。ストア哲学では理性、自省録を書いたマルクス・アウレリウスは自然(宇宙の秩序)に則って生きる事を推奨している。

    セネカにおいては、その自然は哲学者になることであると言っている。いや、哲学者とは明確に述べてないが、『英知を手にするために時間を使う人』を定義とし、例として哲学者を挙げているので、哲学者という解釈で問題ないと思う。

    この哲学者の話が出るまでは、とても吸い込まれるように読んでいた。時間というものが見えないものであるし、当たり前すぎて、お金の浪費は気にするのに、時間の浪費は気にしない人が多い。とか、他人のために時間を費やしすぎている。とか、そういう話は納得がいった。

    だからこそ、どのように生きるべきか?が気になっていたのだが、その結論が哲学者とはあまりにも面白くない。

    たしかに自然に従って生きることの解釈が人間にとって出来ることの追求だとすれば、『考える』という事なので、哲学者という流れは正しいように見える。

    ただ、それはある意味究極論でしかない。考えることだけをすれば、一番理性的というのは理想論で実践的ではない。

    もし世界中の誰もが考えることだけをして、生きるとは何か?とか幸福とは何か?だけを考えていたら、誰が国を運営し、誰が食べ物を育てるのか?

    そういう事をしている人たちの恩恵の上に、哲学者たちが生きられている事を忘れてはならない。哲学者でさえ、他人の時間を奪い、それによって生かされているのだ。

    私の思う理想は、自省録で書かれているように、自分の本質や本性を見つけ、それに従って生きていく事なのだと思う。

    ただし、自分らしさが自然、つまり宇宙の秩序に反してはいけない。あくまで秩序、理性ある中での自分らしさを発揮する事が大事なのだと思う。

    実践的であるはずのスコア哲学が、全く実践的でない点が腑に落ちず、この点数とした。

    ==追記==
    人生の短さについて、を読んだ後の2つの話、特に心の安定について、はより実践的であり、読み応えがあった。

    最も重要な違いは、自分に適した職につくことを勧めている点だ。哲学者こと全てだったはずが、晩年の作品では意見が変化している。

    ここにセネカの考え方の変化が見られ、人生を送っていく中でおそらく変化が出たのだと思える。

    3つの作品を踏まえれば、星4つくらいなるレベルの話になる。

    つまり、2000年前もひとたちの過ごし方も、現代の過ごし方も、文明の差はあれど何も変わってないのだなぁという事だ。

    哲学を読み進めるのは確かに大変だ。が、しかし、そこには読むべき意味がしっかりとある。

    過去に学び、今を全力で生きるためには、自分の過去だけでなく、2000年以上ある歴史から学べることを学ぶべきである。

    その上で何をするのかを考える方が、合理的だと思うから。

  • スラスラは読めたけど、意味を理解するために繰り返し読んだから時間がかかってしまった。

    印象的だったのは、振り返るに値する過去を持つこと、その過去があれば人生には厚みが生まれると。
    忙しい人ほど現在しかみておらず点で生きているため、人生の長さを感じることが出来ないと。

    振り返ることは悪くないらしい!
    振り返るに値する過去でありたい!

  • 人間の悪しき習慣やその原因等について述べ、本質的な言葉でその解決策を述べている。分かってはいるけど、なかなか改善できないんだよな〜と思いながら読み耽っていた。

  • 2000年前の人が書いたとは思えない。
    今も昔も悩みは変わっていないのだとしみじみ思った。

  •  もっと早くこの本を読んでおけばよかったと後悔するくらいに、素晴らしい本だった。これから先の人生で折に触れて読んでいきたい本になった。

     「人生の短さについて」を始めに3編の作品が収録されているが、どれもどう生きていくか、困難に直面したときどう対処すれば良いかという実践的な知についてのエッセンスが散りばめられていると思った。

     どの作品からも読み取れるセネカの考えは は、2000年経っても色褪せることはないと感じた。比喩や例え話こそ当時のものだが、その主張自体は現代でも十分に通用するものだと思う。どれも古典として読み継がれてきた所以をはっきりと見せつけられる作品だった。現代の自己啓発本もセネカの作品を焼き直した陳腐なものに思えてしまうほどだ。

  • 「心の安定について」で、「あちこち旅行に出掛けてしまうのは自分から逃げたいからだ」というようなことが書いてあって身につまされた。ローマ時代からわたしみたいな人間はなんにも変わっていない... 表題作にしても、何をして何をしないかしっかり考えろ、基本的には世界のためになる役に立つ人間になれというのがセネカ先生の教え。もう人生折り返しの自分にとって「世界のため」はちょっとモチベにならないので、エピクロス先生の話を聞いた方がしっくりくるかもしれない、と思ったことでした。

  • スラスラ読めるけど、文章の意味が捉えづらいところが多い。でも、印象的な言葉がたくさんあった。再読必須。

  • 「人生の短さについて」「母ヘルウィアへのなぐさめ」「心の安定について」の3篇からなります。自分としては、友人の選び方、付き合い方についてかかれた3篇目の「心の安定について」が一番心に刺さり、印象に残りました。

  • 今も昔も人の悩みは変わらない。人生を浪費せず生きれば、十分に生きることができる。自分のために生きる。先延ばししない。

  • 1. この本を一言で表すと?
    時間の使い方、悲しみへの対処、自分の弱さとの向き合い方について、まとめた短編集。

    2.よかった点を3~5つ
    ・われわれは、短い人生を授かったのではない。われわれが、人生を短くしているのだ。われわれは、人生に不足などしていない。われわれが、人生を浪費しているのだ。(p.17)
    →時間を浪費するか有効利用するかは本人次第ということだろう。

    ・人間の誤りを乗り越えた偉大な人物は、自分の時間から、なにひとつ取り去られることを許さない。それゆえ、彼の人生はきわめて長いのである。なぜなら彼は、自分の自由になる時間が長かろうが短かろうが、それをすべて自分のためだけに使うからだ。(p.38)
    →自分の時間というものは、放っておくと、どんどん奪われると思う。防ぐためには、自分のやりたいことを明確にしておく必要があると思う。

    ・真の閑暇は、過去の哲人に学び、英知を求める生活の中にある
     すべての人間の中で、閑暇な人といえるのは、英知を手にするために時間を使う人だけだ。そのような人だけが、いきているといえる。(略)人々に尊敬される諸学派を作り上げた高名な創設者たちは、われわれのために生まれてくれた。そして、われわれのために、生き方のお手本を用意してくれたのだと。(p.66-67)(p)
    →先人の残してくれた学問は有効利用して時間を有効活用すべきと思う。

    ・だが、あなたがそんなに長生きする保証が、どこにあるというのか。あなたの思い通りに計画が進むことを、だれが許したというのか。人生の残りかすを自分のために取っておき、善き精神的活動のために、もうなんの仕事もできなくなった時間しかあてがわないなんて、恥ずかしいとは思わないのか。生きることをやめなければならないときに、生きることを始めるとは、遅すぎるのではないか。
    自分が死すべき存在だということを忘れ、五十や六十という歳になるまで懸命な計画を先延ばしにし、わずかな人たちしか達することのない年齢になってから人生を始めようとするとは、どこまで愚かなのか。(p.25 – 26)
    →現代では、年代ごとに時間の使い方を考える必要があるのではないか。投資の時間、消費の時間をうまくバランスさせる必要があると思う。

    2.参考にならなかった所(つっこみ所)
    ・悲しみというものは、まぎらわせるよりも、克服してしまうほうがよいのです。(p155)
    →あなたの孫たちのこともお考えになってください。(p160)は紛らしているだけでは?
    ・ストア派というのがよくわからなかった。

    5.全体の感想・その他
    ・スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学での有名なスピーチの一節に通じる部分があるのではないか。
    If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
    「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」

  • 今こうしている時間も全て浪費なのかな
    やりたいことをやれていない時間は浪費なんだそう

    人生は何かを成すには短いなんてよく言うけれど、
    セネカに言わせれば浪費してる時間を無くせば、
    何かを成すには十分すぎる時間があるそうで。

    ただただ、この世に存在するのではなく、
    私は「生きてる」って胸を張れたらいいな。

  • 巻末の年譜より
    AD41「母ヘルウィアへのなぐさめ」
    コルシカ島に追放された後少しして母に送る
    48「人生の短さについて」執筆
    パウリルス宛て、彼は妻の近親者一説には父
    穀物管理の重責で多忙な仕事だった人
    55「心の安定について」執筆
    親友セレネスはセネカに悩みを打ち明ける
    そのアドバイス

    《セネカ》
    BC1~AD65
    幼い頃父と伯母と共にローマに移り住んだ
    子供の頃から哲学を学びその道を父に反対され断念
    カリグラ帝の財務官、後にカリグラ帝暗殺
    クラウディウス帝の妃の画策によりコルシカ島へ追放
    ローマに戻されネロの教育係→政治的補佐→辞表→執筆
    陰謀の嫌疑で自殺を命じられた

    《感想》
    易しい言葉で書いてあり読みやすい
    内容はなぜこう書くのか、あの人はこうだったとか、くどくど書いてある
    「母へ~」では、これを読める母親は、歴史も時事もわかる学がある人なんだろう

    《内容》
    人生
    1.4我々は短い人生を授かったのではない
    我々が人生を短くしているのだ
    我々は人生に不足などしていない
    我々が人生を浪費しているのだ


    2.4 君が求めているのは偉大で思考で神に近いこと
    2.15 我々を苦しめるのは土地の欠点なのではない 、自分自身の欠点なのである
    あらゆることに耐え忍ぶことなどできない
    労苦であれ 快楽であれ 自分自身であれ 何であってもそう長くは辛抱できないのだ
    10.3われわれはみな運命の鎖に縛られている
    だからこそ自分の境遇に慣れなさい

  • 面白い。

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著者プロフィール

ルキウス・アンナエウス・セネカ(Lucius Annaeus Seneca)。紀元前4年頃(紀元前1年
とも)~紀元65年。古代ローマのストア派の哲学者。父親の大セネカ(マルクス・アンナ
エウス・セネカ)と区別するため、小セネカ(Seneca minor)とも呼ばれる。ローマ帝国の
属州ヒスパニア・バエティカ属州の州都コルドバで生まれ、カリグラ帝時代に財務官とし
て活躍する。一度はコルシカ島に追放されるも、クラウディウス帝時代に復帰を果たし、
のちの皇帝ネロの幼少期の教育係および在位期の政治的補佐を務める。やがて制御を失っ
て自殺を命じられることとなるネロとの関係、また、カリグラ帝の恐怖の治世といった経
験を通じて、数々の悲劇や著作を記した。本書はそのなかでも「死」との向き合い方について説いた8つの作品がもとになっている。

「2020年 『2000年前からローマの哲人は知っていた 死ぬときに後悔しない方法』 で使われていた紹介文から引用しています。」

セネカの作品

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