- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784334753795
感想・レビュー・書評
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著者の出発点と言われる短編集『動物寓話集』新訳、
全8編。
作風は
日常にあるものを日常にないものと融合させる表現技法、
マジックリアリズムにカテゴライズされると思うが、
ボルヘスが描くマチスモ(machismo)の横溢する
ならず者の世界に比べると
女性に優しく、洗練された印象を与え、
翻訳の文体の効果か、
クールにしてエレガントな雰囲気が漂う。
以下、特に印象的な作品について。
「奪われた家」
古い大きな家を守り続ける中年兄妹の
静かな二人暮らしにある晩、侵入者が罅を入れる。
不審な気配を察した兄は
生活エリアを区切るドアに鍵を掛けて事なきを得たが、
屋敷の半分は――調度や思い出の品を含めて――
奪われてしまった。
声も立てず姿も見えない「敵」と対決もせず、
「何も考えなくても生きてゆけるものだ」という
感懐のままに無条件降伏した兄妹にとって、
守るべきものとは一体何だったのか。
憐れだが滑稽にも映る淡々とした兄妹は
正常性バイアスに囚われていたのだろうか。
「パリへ経った婦人宛ての手紙」
パリへ行った友人の部屋に住むことになった「私」は、
重大な心配事を抱えていた。
「私」はストレスを感じると
口から仔ウサギを吐き出してしまう(!)のだ。
一部始終は不気味だが、
生真面目な口調が却ってユーモラスに響く。
「キルケ」
マリオ青年は
二度も結婚前に婚約者を不可解な形で失った女性
デリアに惹かれ、交際する。
二人は婚約したが、
マリオの許に「身の危険を顧みよ」といったニュアンスの
怪文書が届く……。
キルケはギリシャ神話に登場する
アイアイエー島に棲む女神もしくは魔女で、
辿り着いたオデュッセウスらに酒を飲ませて
彼の部下を豚に変えてしまったとされる。
現代のキルケと呼べそうなデリアは
サイコパスの一種なのか。
いずれにせよ、すべての経緯を知っていながら
惚けているらしい彼女の両親が怖いが、
生臭い事件が、静かで
ひんやりした感触の文体で綴られているのが好ましい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「奪われた家」
アンソロジーで既読。中年にさしかかっている兄妹だけが暮らす広い家、正体不明の何かにどんどん侵食されてゆく不穏さ、けれどそれを当たり前に受け入れている二人。
「パリへ発った婦人宛ての手紙」
ストレスを感じると定期的に口から小さいウサギが出てきちゃう女性の話。突拍子もなくて可愛くてシュールでとても怖い。もし誰かが兎アンソロジーを編むことがあったら、金井美恵子の「兎」と並べて入れて欲しい。
「遥かな女──アリーナ・レエスの日記」
おそらく旧訳では「遠い女」というタイトルだったもの。アルゼンチンで暮らすアリーナ、しかし彼女はハンガリーのブダペストにいる自分の分身のようなもう一人の女性の存在を常に感じている。あちらの彼女は寒くて貧しくて殴られている。妄想か現実か、本当にアリーナがブダペストを訪れたとき・・・。何が起こるかは想像できるのだけど、実際起こるとキャーっと思う。怖い。コルタサルは最後に何かをくるっと裏返してしまうのが上手いのだよなあ。設定だけならキェシロフスキの『ふたりのベロニカ』という映画もこんな感じなのだけど、あちらは良い話。
「バス」
ある日バスに乗った一人の女性、運転手も車掌も他の乗客もなぜか彼女をジロジロ睨み付け・・・最後まで何が起こっているのかわからないままにただただ不気味。でもこういう感覚、日常でふと感じることって実際にあったりする。
「片頭痛」
本書でもっとも難解だった一編。マンクスピアという謎の動物の飼育をしている「私たち」は、さまざまな病気の症状に悩まされホメオパシーという治療法をもちいている。マンクスピアは架空の動物だけれど、ホメオパシーは実際にある方法らしい。「私たち」「私たちの一方」という言い方からはまるで一心同体のシャム双生児のようだけれど、ちゃんと別個に活動できるし、男と女がいる。なにかの寓意なのかそれすらもわからない。
「キルケ」
婚約者が立て続けに二人死んでしまった女性デリアの三番目の婚約者となった男マリオ。しかしデリアの飼っている金魚が死んだり、彼女の両親が妙に怯えていたり・・・。タイトルがギリシャ神話のキルケである以上、怖い女性の話に決まっているので、どうなるかの想像はつくのだけれど、それでもやっぱりなんともいえない不気味さがある。○○○○入りのボンボン・・・ある意味殺されるより怖いかも(苦笑)比較的わかりやすいホラー風。
「天国の扉」
親友カップルの女性のほうが亡くなり、残された男性をなぐさめようと一緒に遊びに出かける弁護士。どうやらこの主人公も、亡くなった女性を好きだったのか・・・?二人は幻影を垣間見る。
「動物寓話集」
これもちょっと難しかったな。コルタサルは基本的に、まず登場人物の年齢や相関図を把握するのに時間がかかるのだけど、これもなんだかややこしかった。夏休みを田舎の親戚の家で過ごす少女イサベル、その親戚一家の父ルイス、妻レマ、息子(イサベルのいとこ)ニノ、あとネネという人物が出てくるのだけど、名前だけで女性かと思ったらおじさん、おそらくルイスの兄か弟なのだろうけど、なぜかエラそう。レマに対しても様子が変。さらになぜかトラがいて、農園などの戸外のみならず室内にまで侵入するので一家は常にトラの居場所を把握するべく警戒している。ラストで何が起こったのかすぐに把握できない。餌食になったのは・・・?
よくわからないものも、それなりにわかるものも、どれも面白かった。翻訳者の解説によるとコルタサルは“精神疾患に悩まされることも多く、短編小説の執筆はその重要な解決策の一つ、一種のセラピーでもあった。後に彼は「悪魔祓い」という理念を持ち出してこの点を説明しているが、コルタサルは自分の心にとりついた妄想や脅迫観念を短編小説の形で表現し、具体的なイメージとして吐き出すことによってそれを乗り越えていたのである。(212)”とあり、なるほど、と思った。その前提で読むと難解だと思ったものもなんとなくわかる。そういえばボルヘスの「記憶の人フネス」も、ボルヘス自身が自分の不眠をフネスに託して書き上げたら治癒したというようなエピソードがあったっけ。
※収録
奪われた家/パリへ発った婦人宛ての手紙/遥かな女──アリーナ・レエスの日記/バス/偏頭痛/キルケ/天国の扉/動物寓話集 -
コルタサルの「石蹴り遊び」は長編で読もうとは思えないが、この本は短編集で読みやすい。
「パリに発った婦人宛ての手紙」子ウサギが喉からこみあげてくる話がおもしろい。 -
コルタサルはいつか「石蹴り遊び」を読みたいと思っている作家なのだが、長編にはなかなか食指が動かず、まずは短編集から。
『奪われた家』だけバベルの図書館ラテンアメリカ編で既読だったが、その他の作品もラテンアメリカ文学の雰囲気をたっぷりと湛えた秀作揃いで、マジックリアリズムと称される雰囲気に加えて、独特なスリラーがある。中でも「キルケ」の恐しさは群を抜く。『パリへ発った婦人宛の手紙』もラストが衝撃的で秀逸。 -
コルサルタルの第一短編集。一冊まとまった形で邦訳されるのは意外にもこれが初めてとのこと。
「奪われた家」古い屋敷に二人きりで暮らす兄妹の無気力とも思えるほど静かな生活が、予告もなしに奪われる不条理感。
「キルケ」婚約者に次々と死なれて不吉な噂のある美しい娘に、三人目となる青年が求愛する。薄闇の中で差し出される禍々しいほど艶やかなボンボンに、嫌悪感を覚えながらも目が吸い寄せられてしまう。
最後の「動物寓話集」では、トラがうろつく屋敷に預けられた少女イサベルの、ときおり混線したようになる気まぐれな視点が面白かった。
“イサベルは不安と美味を同時に感じ、柳の匂いとフネスのuの字がライスプリンの味に混ざって、もう遅いから寝なさい、今すぐベッドに入りなさい。”(p.171)
(1951) -
古い大きな家にひっそりと住む兄妹をある日何者かが襲い、二人の生活が侵食されていく「奪われた家」。盛り場のキャバレーで、死んだ恋人の幻を追う「天国の扉」。ボルヘスと並びアルゼンチン幻想文学を代表する作家コルタサルの「真の処女作」である『動物寓話集』。表題作を含む全8篇を収録。(裏表紙)
最初は、ぜんっぜん文章が頭に入ってこなくてびっくり。原文ゆえか翻訳ゆえか…。
話としても、一読してはっきりするものが少なく、読んでて疲れてしまった。
『バス』の不気味さや『キルケ』のホラータッチは良いんだけどなぁ。 -
コルタサルの読みやすい?傑作短編集
『偏頭痛』を読みながら、私の頭痛はMS由来なのか?精神疾患の方なのか??と迷い道くねくねくねくねに… -
原書名:Bestiario
奪われた家
パリへ発った婦人宛ての手紙
遥かな女
バス
偏頭痛
キルケ
天国の扉
動物寓話集
著者:フリオ・コルタサル(Cortázar, Julio, 1914-1984、ベルギー・ブリュッセル、作家)
訳者:寺尾隆吉(1971-、名古屋市、ラテンアメリカ文学) -
2018-6-29