まぐだら屋のマリア

著者 :
  • 幻冬舎
3.79
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感想 : 188
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  • Amazon.co.jp ・本 (317ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784344020269

作品紹介・あらすじ

"尽果"バス停近くの定食屋「まぐだら屋」。様々な傷を負った人間が、集まってくる。左手の薬指がすっぱり切り落とされている謎めいた女性・マリア。母を殺したと駆け込んできた若者。乱暴だが心優しい漁師。そしてマリアの事をひどく憎んでいる老女。人々との関わりを通して、頑になっていた紫紋の心と体がほどけていくが、それは逃げ続けてきた苦しい現実に向き直る始まりでもあった…。生き直す勇気を得る、衝撃の感涙長編。

感想・レビュー・書評

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  • 『どこか、自分にはなんの関係もない場所まで行こう。知り合いがひとりもいない、誰とも会話しなくてもいい土地へ行こう』

    そんな風に考えたことって、今までにありませんか?人間関係に疲れたとき、仕事で大きなミスをしてしまったとき、そしてすべてのことが嫌になってしまったとき。不安や焦り、そして我慢、私たちの日常は思った以上に苦痛に満ちているのかもしれません。また、そんな風に追い詰められている時ほど視野も狭くなりがちです。現実から逃げたい、その後先を考えない行動が思いもよらない破滅への道へ自身を連れ去ってしまうかもしれません。私自身、今までの人生の中で『どこか遠くへ行きたい』、そんな風に思ったことがありました。でも、実際にはそんなどこかに行くことなく今日もここに生きています。行ってしまった人と、行かなかった人、そして行ってしまった人と、行ったけど帰ってきた人。何に苦しみ、何に悲しみ、そして何を辛いと感じているのか、その瞬間には本当のところはわからないのではないか、と思います。そこに存在するのは、今、その場から消えてしまいたい、という暗い感情のみ。でも、人は思ったほどにはひとりではありません。そんなあなたを心配してくれている人が、あなたのことを思ってくれている人が、そしてあなたのことをいつも見守ってくれている人が実はすぐ近くにいる。きっと。

    『どこか、自分にはなんの関係もない場所まで行こう』と『駅前のバスターミナルまで行き、最初に来たバスに乗った。そしていま、こうして、いつまでも終わらない水平線を眺めている』のは、主人公・及川紫紋。『七歳の頃父が他界したときですら、死は遠いところにあった』はず。それが『「死」が目の前に姿を現した。職場の後輩、十九歳の浅川悠太に化身して』という及川の脳裏に『悪いのは、及川さんじゃありません ー 自分です』という『悠太の最後の言葉が耳の奥に繰り返し蘇る』瞬間。『自分は知ってしまったのだ。思いがけず死はすぐ近くにある、ということを、悠太の自死によって』という紫紋。その一方で『同時に、母のことを考えた。郷里にひとり暮らす母はどんなにか悲しむだろう』と考える紫紋。そんな紫紋は、『つい二週間まえまで勤めていた』、『東京・神楽坂にある「吟遊」という老舗料亭』のことを振り返ります。『歴代首相も贔屓にしていた』というその店、『開店と同時に板場は修羅場になる。料理長を頂点として、各人が一糸乱れず仕事に専念する。またたく間に時間が過ぎていく』という日々。そんな中『とうとう後輩ができた。浅川悠太、十九歳』。『教えられる立場から、教える立場になったのだ。まかないのコツ、雑巾の絞り方まで、できる限りていねいに教えた』という紫紋。『きらきらとした目で紫紋を見る』悠太。『あの目が紫紋をみつめることは、このさき二度とない。悠太のまぶたは、閉ざされてしまったのだ ー 永遠に』と思い返しているところでバスのアナウンスがあり『尽果(つきはて)』という停留所で降りた紫紋。『バス停の名前としては、あまりにも悲惨で、あまりにも滑稽だ。やるせない名前のバス停だ』と思う紫紋。『崖っぷちに小屋が立っている。とにかく歩き始めよう、あの小屋に向かって』と紫紋は歩き始めます。『とりあえず、あの場所へ ー 自分の人生が終わるであろう場所へ』と向かっていきます。

    内容的にはとても重い背景を持った作品ですが、作品全体から受ける印象はそこまででもありません。その一番の理由は『あたたかな、素朴な食事は、そのまま命を輝かせるものなんだ。そんなふうに、素直に感じた』という食に関する描写の存在だと思います。『今日は大漁じゃけえ。ほれ、ブリも上がっとる』という起点から、『ああ、寒ブリの季節ですね』と美味しそうなブリがまず登場。そして今度は『おっ母が作っとる畑で採れた大根、持ってきたがね』という起点から、『ふくらはぎもありそうなみずみずしい大根が現れた』とこちらも食をそそる表現。そして、『じゃ、今日の定食はブリ大根で決まりね』ともう万人が心待ちにするであろうメニューの登場。『さいや、それが食いたかったんだがや』という読者も思わず自分もひとつください、と言ってしまいそうな納得の場面が展開します。他にも、『うまかった』と噂になっている『キンメダイ定食』、『雪が降るとおいしくなる食べ物』と紫紋の故郷に繋がる『凍み大根』、そして『食べに帰っておいで』と紫紋を待ってくれている人に繋がる『雑煮』など巧みな食べ物の描写が、それを食べて生きていく人の姿を浮かび上がらせます。そして、命が輝き、対照的に死の影が薄くなっていくことで、登場人物が、作品全体が活き活きと輝きだすように感じられました。人が生きていく上で、『食べる』という行為がいかに前向きさを象徴するものであるかということをとても感じました。

    また、『不思議なもので、互いの過去を探り合わない人々ばかりがこの尽果には集まっている』というこの作品の舞台となる『尽果』。それは、『哀れな召使いが足を滑らせて、命尽き果てる寸前に神に救われた』という『どこかおかしな、けれど母が子を思う感動的な伝説』が語り継がれてきた場所でした。紫紋は、死ぬ場所を求めて、偶然にもこの場所に辿り着きました。そこは、過去にも同様に流れ着いた者がいたことが語られる場所でもありました。『どこか遠くへ行きたい』という者がただの結果論として行き着いた先。しかし、『尽果』は、『野原を、黄色い雲のような菜の花が埋め尽くした。山桜が咲き乱れ、小高い山の斜面のところどころで霞のように白い花が揺れる。そのたびに、まるで山が笑っているように見える』という春、『目覚めてすぐ夏の気配があった。窓の向こうに、すとんと真っ青な空が現れた。さわやかに晴れ上がった空。国道沿いの林では蝉が大合唱をしている』という夏、と美しい自然に囲まれ、生命力に満ち溢れる場所でもありました。

    『この世界は、なんと多くの負の感情に満ちていることだろう』という人間社会。そこは『さびしさと、苦しさと、悲しみと、憎しみと。絡み合う負の感情の連鎖に縛りつけられている』世界とも言えます。生きることに悩み、生きることに苦しみ、そして生きることを諦めるという気持ちが心の片隅をよぎった時に『どこか遠くへ行きたい』という思いに人は囚われるのかもしれません。『尽果』を訪れた何人もの寂しい人たち。『ひとりひとりに降り積もる寂しさ。その重さ。せつなさ』を目にし、共にその痛みを感じながら、尽果の美しい自然と、あたたかな人々に接する中で再び顔を上げ前を向いた人たち、そして大切な人が待っている自分が本来生きるべき場所へと戻っていった人たちがいました。そんな人たちを送り出してきたマリア。送り出す喜びと悲しみ。そして寂しい思いを胸にしまってきたマリア。

    この作品は、紫紋(シモン)、丸孤(マルコ)、与羽(ヨハネ)、そしてマリアという登場人物、そしてその意味ありげな書名からも分かるように、新約聖書の世界を意識して書かれたもののようです。レビューを書くにあたって、私もそれなりにその繋がりを調べたつもりですが残念ながら理解が十全でないと感じたため、敢えてこのことには触れず、この作品で描かれているものだけに絞ってレビューをまとめました。しかし、【イエスの死と復活を見届ける証人であった】とされるマグダラのマリアという存在を思う時、『変わったよ。あなたも、私も』と紫紋に笑顔で語りかけたこの作品のマリアという存在は、【マルイセイユ郊外の洞窟で禁欲的な瞑想と苦行に余生を捧げた】というマグダラのマリアの伝承と重なるものを感じさせました。光り輝く未来を見るその結末に、マリアという女性の存在が自分の中に強く刻まれた、そんな作品でした。

  • 全作品読破を目指して読みふけっている原田マハさんの本。
    次はどれにしようかな?と検索していて
    うん?『まぐだら屋のマリア』? マグダラのマリアじゃなくて?
    と不思議に思いながら手に取ったのです。

    そうか、なるほどそういう仕組みだったのね!

    昔はクリスマスが近づくと、キリストに纏わる映画がテレビで放映されたものでした。
    その中でも、民衆に石を投げつけられるほど罪深い女性だったのに
    キリストに罪を赦され、敬虔な信者として彼の死と復活を見守ったマグダラのマリアは、
    幼かった私には特に印象的な存在で。

    尽果というバス停でバスを降りてとぼとぼと歩いた先、
    海に今にも身を投げるかのような風情で建っている食事処、まぐだら屋。
    そこに流れ着くよそ者や、工場で派遣労働者として働く男たちのため
    一食700円の定食にも一葉のもみじを添えて、心尽くしの料理を作るマリア。

    すっぱりと切り取られた彼女の薬指には、
    家族に恵まれず、救いの手を差し伸べてくれた人と
    道ならぬ恋に落ちて背負った罪が深く刻まれている。
    自分の罪と向き合いながら、同じように罪を犯して苦しむ人たちを受け止め、癒し、
    新しい生へと送り出す姿に、マグダラのマリアのイメージがぴったりと重なります。

    紫紋(シモン)・丸狐(マルコ)・桐江(キリエ)・予羽(ヨハネ)など
    キリスト教の聖人や祈りの言葉から名付けられた登場人物も
    もともとの逸話を思い起こしながら読むと、さらなる感動が得られるかも。

    生きてゆく中で、何ひとつ罪を犯さずに済む人なんかいない。
    赦し、赦されてつつしみ深く生きるすべての人を
    やわらかく見守るかのような一冊です。

  • 生きる目的を見失った人たちが知らない人たちにおいしい料理によって励まされ前向きになっていく...。
    涙が止まりませんでした。マハさんのお話には、毎回泣かされます。
    丁寧に、おいしい料理を誰かのために作る。普段のご飯作りに気合いが入っちゃいました。

  • 出奔した青年が降り立った尽果(つきはて)という町。
    崖っぷちの店「まぐだら屋」で出会った女性は‥

    及川紫紋は、神楽坂の老舗料亭「吟遊」に勤めていました。
    いつか店を持つ夢を抱いて、下働きでいいと飛び込んで5年。
    ところが店は偽装問題で告発され、紫紋も事件に巻き込まれてしまう。
    死を覚悟して放浪の末、たどり着いたのは「尽果」というバス停。
    「まぐだら屋」という小さな店からは美味しそうな匂いが漂い、思いがけず美しい女性マリアが料理していたのです。
    店を手伝うことになった紫紋は、謎めいた年上のマリアに惹かれて行きます。

    店の持ち主に会うために出向くと、白髪の老女がマリアに露骨な憎しみを向けるのに驚かされる。
    老女は町の有力者の桐江だったが、紫紋の料理を気に入り、マリアに惚れないことだけを条件に、正式に雇うことを許したのでした。

    精錬所に勤める男達が食事にやってくるほか、尽果の町には、時には絶望した人間が吹き溜まるように現れる。
    そんな人々を深く問うことなく受け入れる土地柄でした。
    行き倒れていた若者は丸弧と名乗り、4年間引きこもりだったと語ります。

    それぞれに重い過去を背負った人間が、身体を動かして食べ物を用意し、生きていることを実感しながら日々を送るうちに、いつしか過去に立ち向かうときを迎える。
    現実にあった事件、ありそうな問題を取り入れ、原田さんにしては湿度の高い日本的なねっとりした小説という印象。
    苦しみを抱えている様子も、しだいに立ち直るきっかけもわかりやすく、料理はとても美味しそう。
    息子を待ち続ける母親の存在の大きさを感じさせる内容ですね。

    登場人物は皆、聖書にちなんだ名前で、女性の通称がマリアなのは違和感なく、マグダラのマリアも罪を償う女性というイメージ。
    (「まぐだら屋」の意味は違うんですけどね)
    聖書の昔から、人の罪や迷い、その償いや再生には通じるところがあるというイメージでしょうか。
    紫紋の名前は、キリストの弟子であることを否認して後悔したシモン・ペテロにちなんでいるのでしょうが~音はともかく、こんな漢字、男の子につけるかなあ。それに与羽はまだしも丸弧って‥どうしてもという必然性もないわりに、漢字のセンスがちょっと感情移入を邪魔するところが。
    これがなければ★五つでした。

    絶望から再生するストーリーはあたたかく、読み応えがありました。
    きらきらと輝くような印象で、旅立ちも前向きに終わるところが素敵です。
    2009年から連載したものに加筆して2011年7月刊行の作品。

  • 職場の不祥事で追われるように「尽果」というバス停に降り立った主人公・紫紋(シモン)。そこには「まぐだら屋」という食堂があり、マリアという女性が働いていた。様々な闇を抱えた登場人物達が、互いに支え合いながら心が解放されるまでを描く。
    タイトルを見ても分かるように、聖書の人物や土地の名前が使われている。シモン、マリア、丸弧(マルコ)までは良いとして、名戯寺(ナザレ)が出てきた時には笑ってしまった。話の内容はコミカルではなく、重い感じであるのに、そういうこじつけ的な部分が台無しにしているような…。マリアだけで良かったかな。
    そして私は、不義をはたらいている人物というのに嫌悪感があるかも。一番何も共感できないし。
    こう書くとあまり内容が良くなかったようだが(^_^;)まぐだら屋に集まる人々の温かさや、母親の想いが感じれる部分は良かった。

  • 初めて原田マハさんの本を読んでみました。
    心に傷を負った人達が辿りつく終着地、尽果、崖っぷちに建つ定食屋。分岐点いくつもあるように思えるけど詰将棋の王将のように追いつめられ崖っぷちに集まってくる。
    来るものを拒まず暖かく迎えてくれる定食屋の存在は暖かいし、料理の描写も繊細で味覚が刺激される。
    こんなお店で食事してみたいです。

    電源入って未読メールが溢れ出すところがジーンときました。

    元凶は仲居の娘の弱さや狡さにあると思うのだけど実家に帰って反省できたのかな。
    登場人物みな過去を引きずってるなか現地の漁師カツオだけはバイアスかかってないみたい。
    時系列で追えば不倫、自殺、失踪に、小さな偶然の積みかさねによる変化と次第に謎が明かされる心地よさに再会、感動を呼ぶ黄金律満たしているし、食品偽装のトレンドワードも逃さない親近感。どうしてこんな定石に心震えてしまうのか食欲に性欲も刺激されたらずるいですよね。
    マリアは一生贖罪のために定食屋続けるのかな?
    薬指に指輪はめれないけど幸せになってほしいなあ。

  • ダジャレやないかーい!というね
    もうね絶対にそうですよ
    絶対に最初はダジャレですよ
    もう決めつけます
    決めつけの刃です(ダジャレやないかーい!)

    ダジャレ(決めつけ)からここまできれいな物語が出来上がるんだなぁって感動しちゃいました
    聖書の世界観からも着想を得てるんだとは思うけどね
    罪深い人たちが、自分は罪深いと感じ許せない人たちがたくさん出てきました
    投げ出さずもがき苦しみ続けながら生きることで償おうとする人たちが
    だけどこの本が自分に教えてくれたことは、読んだ人に伝えようとしていることは「生きることが償い」だってことではなく「許す」ということだった気がします

  • 内容的には昨今の世の中の状況がいい感じに織り交ぜてあって、
    料亭の内部告発とか、
    ネット依存症とか、
    ひきこもりとか。

    そして死を求めて行き着く先の「尽果」。

    ここには「まぐだら屋」という食堂があって、
    マリアがいた。

    でもマリアにも悲しい過去が。

    こう書くと凄く暗い内容に思えるけど、
    何故だろう?とっても気持ちが安らぐ文章なんです。
    ちょっと原田マハさんの文章のとりこになってしまいました。

  • 罪悪感から死に場所を探す者が辿り着く地、尽果。
    そこには「まぐだら屋」という小さな店があり、マリアと呼ばれる謎めいた美女が心尽くしの料理を振舞う。彼女の薬指は欠けている。

    大切な人を喪ったシモン。
    行き倒れのマルコ。
    後悔の消えないヨハネ。

    食品偽装、引きこもり、ネット犯罪、虐待、不倫等、重たい要素が盛り沢山。
    テーマは罪と救済、赦し、食、愛と破滅。

    逃げ道のない一途な想いは時に暴力的でさえあるな。たしか、『ダヴィンチコード』でマグダラのマリアはイエスの恋人だったはず。

    姦淫の咎で皆に石を投げられたマグダラのマリアの現代版ストーリー。

  • なんだろぅ…すっきりというよりは、ホワホワした感じ。
    読んだあとに気持ちが、ホワホワしたよ。
    心がホワホワ。
    この感じ、伝わるかなー…。

    東京の有名老舗料亭で働いていた紫紋(しもん)が、
    逃げて逃げて尽果という場所のまぐだら屋にたどり着く。
    そこにいるマリアと一緒に料理を作り、
    地域の人に食べてもらっていく話。

    途中で母を殺してしまって逃げてきた丸弧(まるこ)。
    マリアの昔愛した男である与羽(よはね)。
    食材を提供してくれる父ちゃん的存在のカツオさん。
    謎のラスボスー笑、女将さん。
    それぞれ、登場人物が際立ってて、読んでて
    気持ちよかった。

    そして、料理が美味しそうだったよー!!
    なんか、とっても良い話だったのに、
    ダメ、感想がうまく書けない!!!!
    良かったんだよー!!

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著者プロフィール

1962年東京都生まれ。関西学院大学文学部、早稲田大学第二文学部卒業。森美術館設立準備室勤務、MoMAへの派遣を経て独立。フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活躍する。2005年『カフーを待ちわびて』で、「日本ラブストーリー大賞」を受賞し、小説家デビュー。12年『楽園のカンヴァス』で、「山本周五郎賞」を受賞。17年『リーチ先生』で、「新田次郎文学賞」を受賞する。その他著書に、『本日は、お日柄もよく』『キネマの神様』『常設展示室』『リボルバー』『黒い絵』等がある。

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