大学病院のウラは墓場: 医学部が患者を殺す (幻冬舎新書 く 1-1)
- 幻冬舎 (2006年11月30日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344980044
感想・レビュー・書評
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大学病院の現実と世間の意識のギャップを的確に著していると思う。
世間の認識を変えることが必要であるという主張にも説得力がある。
医局が崩壊していること、医療がいまや崖っぷちの状況であること。
ジャーナリズムとして客観的によく書き切ったと思う。
オレは理学部出身だけど医学部の一部の連中とは特に気が合ったんで、3年4年の頃には毎週のようにスキーや飲みに行ったもんだ。
しかし、自分が病気にかかったら、彼らだけには診て欲しくないと思ったものだった。
どこも実態は似たようなもんなんだろうけどね。
オレが付き合ってた連中(10人くらいか)が特にバカ揃いだったこともあるけど…
(2008/5/6)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
父親に渡されるも未読
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タイトルだけ見るとどんなとんでも本かと思うのだけど、中身は素晴らしかった。確実に確かな医療が受けられると信じて疑わない現在の私たち。患者、医師両サイドの意識改革の必要性を警鐘している。医療崩壊と言われて久しい日本であるが、この書籍を読むと内実がよく理解できる。
<今後の医療発展のために必要だと感じたこと>
・医療ミスを糾弾するのではなく、補償制度を充実させることで対処。
・研究、臨床の分離。研究分野で先進医療を受けるものは治験を受け入れ、その代わり医療費を免除。
・医師の将来の保証。その分若い頃に技術修練などに頑張れる。 -
5/14読了
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なぜ医療の最高峰ともいうべき大学病院は事故を繰り返し、患者の期待に応え
られないのか。その驚くべき実態と医師たちのホンネに迫り、医者と患者の間
に立ちはだかる本質的な壁を浮き彫りにする。
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書名を見ると週刊誌的に大学病院の内部を告発する内容かと思うが、実質はその反対に近い。
大学病院が一般の病院と違うのは、教育・研究という部門が治療部門とは別についていて、そのため未熟な若い医師のオン・ザ・ジョブ・トレーニングの場になっていることだ。それは次の世代の医療を供給するのに必須なのだが、当然一定のリスクを伴う。
それで事故が起こるとマスコミは袋たたきにするが、常にベテランが治療に当たるのは物理的に不可能だし、実践を積まないでベテランにはなれない。
筆者ははっきりと、必要もないのにいつもベテランの最高度の医療を求めるのは患者のエゴであり、マスコミの無責任なあおりのつけは必ず将来の医療や地方やマイナーな医科などにしわ寄せがいくと批判し、リスクがまったく伴わない医療はありえず、必要なのはリスクをゼロにしようとする不可能な努力ではなく患者と納得した形で合意できる保障制度だとする。
ここでの批判の対象は、むしろできもしないことを要求するマスコミと患者のエゴの方だ。そしてこの議論にはかなり説得力がある。 -
『廃用身』『破裂』『無痛』の久坂部羊のノンフィクション。医療の世界に身を置く著者ならではの生の声。どうやら、日本医療界はかなりの危機らしい。
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大学病院とその他の病院。同じ「病院」と名がついていながら前者は医学の研究に重きを置いていて後者は診療に重きを置いている。大学病院が診るのは未来の患者、その他の病院が診るのは現在病気を抱えた患者。誰かが研究をしていかないことには医療分野は発展しない―。
現在の日本の病院が抱える問題点(主に大学病院の構造とその問題点)についてまとめてある本。病院選びで泣かないように、診療を受ける立場である私たちが読んでおくと面白い。 -
同じ自由が認められながら、なぜ今までは日本の医療はまがりなりにもやってこられたのか。それは端的に言えば、医師と時代そのものにモラルがあったからであろう。自由に任せていても、医学生は自分の能力に応じた科を選び、必要とされる場所で勤務し、節度をもって開業していた。医学部がそれほど多くなく、優秀なものが医師になり、世間から尊敬される分、それに見合う責務を果たしていた。
時代のモラルが低下したことも大きい。ルールさえ守れば何をしてもいいという風潮、少しでも自分が得をすることが要領のよい生き方とされ、若者はそのための情報収集に奔走している。
診療にすぐれた医師を優遇せよ
良い医療が優遇されれば、医師は水が低きに流れるごとく良い医療に向かう。しかし今、良い医療を行おうとすれば、医師の私生活が破壊されかねない状況になっている。