- Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
- / ISBN・EAN: 9784344982550
感想・レビュー・書評
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なんつー本だ。
ここ数年自分の中にあったもやもやがぱっと開けた感じでした。
ただ知識を入れるだけじゃダメだ。
たくさん知っていることは最適じゃない。
それを利用することが重要だ。
それを利用して考えることが重要なんだ。
考えて判断する。
自分にとって重要な人が言ったから判断するんじゃなくて。
どっかの偉い人が言ったから判断するんじゃなくて。
自分で考えて判断する。
そのための知識。
はあ。
もう押井先生。
なんでもっと早く僕にこの考えをくれなかったんですか。
てかなんで前々から気になってたのにこれ読まなかったんだ!
でも読んでよかった。
これはいい本。
この本とは直接関係ないけど、攻殻機動隊めっちゃ観たくなった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
映画同様、読者に考えさせる構成で問題提起を繰り返します。
人を思考停止に陥れるという観点で、情緒が、空気を読むという美徳が危ういものであることは今一度認識すべきと感じます。
漢語教育の縮小、言文一致による論理的思考力の低下に関する考察のくだりには、水村美苗氏の「日本語が滅びるとき」の言論にもつながっており大変興味深いです。読まれてこそ、伝わってこそコミュニケーションであることもまた意識しなければなりません。
大多数にとっての社会性をマスメディアと個人の中間地点にあるものと確認したうえで、氏はインターネットをあくまで世界に向けた窓口を限定することに成功したツールと切り捨てます。こうやって投稿しているレビューもまたコミュニケーションとは呼べません。
ひとまず信じないことによって自分で考える。最後まで読んだあとにタイトルを見直してはっとさせられました。 -
個人的には好きな文脈で、内容はすんなりと頭に入ってきました。とはいえ、(余計な)コミュニケーションは要らないというお話なので、タイトルから入るとコケるやも。押井節という点も慣れない方にとっては注意が必要かもしれません。
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ツイートして空気を読んで生きている「つもり」になっている、現代の大半の人達に対して警鐘を鳴らす本書。
空気なんか読むな。
自分の頭で考えろ。
自分の言葉で語れ。
賑やかしのコミュニケーションなんかに意味はない。
そう強く主張する本書は現代社会へのカンフル剤である。 -
言語と思考、行動の密接なつながりを痛感させられる一冊。
個人的には押井守と言えばパトレイバーに始まり攻殻機動隊、スカイクロラという映像作品を連想するのだけど、今回は初めて著書、文章になっている押井守の作品を読んだことになるのかな。
読んでみて、まあ極端な意見をお持ちの方だなーって感じだけれども、現代の日本人が何がしかの「言葉を持っていない」と書いていたことには腹にすとんと落ちてくるものがあった。
私たちの思考が言葉で考える以上、使用している言葉との密接な関わりあいが、例えばその使用している言葉が曖昧であれば行動にも曖昧さが出てくるように、言葉が意思伝達で使われる記号以上の存在であることを気づかされた。
まあ、これは個人的に印象に残った箇所なので、全体的には映画を中心に色々な論点について書かれていますよ。
あー、にしてもこれ読むとスカイクロラまた観たくなってきたー! -
正直、読み始めたときは上から目線な書きっぷりに「んっ!?」と思ったが、物事の本質を見極めよ、という姿勢についてはその通りだと思う。
また、論理的な文章を書く言語能力が失われつつあるという点について、過去との比較はわからないが、私自身も難しさを感じることがある。そして、言語能力の低下=論理的思考能力の低下であろうとも感じている。ツイッターなどネット上の文章がすべての諸悪の根元とは言わないが、論理的な文章を書く訓練は、必要なんだろうなぁ(自分含め)。 -
タイトルに反し、コミュニケーションの在り方を論じています。著者の思いをエッセイ風に散りばめた内容は、あんまりまとまりがないけれど、どのページにも怒気と毒気が充満しております。
思考を停止して目の前の事象に情動的に動く日本人の習性に反発、あえて原発推進を唱えてみたりとか、言ってる内容に共感はできないが、天の邪鬼に突っかかる著者の姿勢には共感を覚えます。 -
まずはコミュニケーションをとる前に、土台となる共通認識が必要。