昭和陸軍 七つの転換点 (祥伝社新書)

著者 :
  • 祥伝社
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  • Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784396116354

作品紹介・あらすじ

なぜ、日本は戦争へと突き進んだのか
陸軍は無策で無謀な日米戦争に突き進んだ――。
この見方を著者は否定する。陸軍は昭和に入ると変質し、一夕会・統制派が実権を握る。
彼らは第一次世界大戦後、次なる世界大戦が予想されるなか、それにともなう国家戦略を有していた。
しかし、それは刻一刻と変化する国際情勢に対応するなかで変容・転換を余儀なくされ、
徐々に日本の選択肢が狭まり、日米開戦に至った。
本書は、昭和戦前期の七つの事件や事例を取り上げ、その背後にある陸軍の思想・戦略を検討することで、
日米開戦に至る道筋を明らかにするものである。
みえてきたのは、今も変わらぬ地政学的条件に縛られた日本の姿であり、抗えない宿命ともいえるものだった。

(以下、目次)
第一章柳条湖事件――永田鉄山の戦略構想と一夕会
第二章五・一五事件――事前に計画を知っていた陸軍中央
第三章二・二六事件――昭和陸軍を動かした統制派の伸張
第四章盧溝橋事件――日中戦争は太平洋戦争の引き金ではない
第五章 「時局処理要綱」の策定――欧州大戦と武藤章の戦略構想
第六章日独伊三国同盟――対米戦争は望まず、されど……
第七章南部仏印進駐――日米開戦の原因は関特演だった
終章聖断――昭和陸軍の終焉と日本の限界

感想・レビュー・書評

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  •  無能、無謀と呼称される昭和陸軍について、その組織論理や合理性に着目して論じた本書。

     これまでそれなりに関連書籍を読破して来た為、陸軍が一概に考え無しの集団とは考えていなかった(視野狭窄である事は間違いないし、独善、傲慢、硬直性甚だしいが)。その観点からでも、改めて合理性を感じる事例に驚いた。統制派(陸軍内派閥、総力戦志向)が日米の物量差を曲がりなりにも認識していた点などは、特にである。

     しかし、最後まで読んで昭和陸軍に対するこれまでの(悪い)印象を補強こそすれ、覆る事はなかった。それよりも、歴史の中に類例を求める考えが強くなった。同時代的には第一次世界大戦時のドイツ帝国であり、古くは戦国時代の武田勝頼である。

     前者は分権主義的で責任者がおらず、軍部独裁化が進み見事に国家が硬直化した。戦前日本の鏡写しであり、「一周遅れた戦争をしたのか」という思いを抱く。

     後者は武田信玄亡き後、序盤は領土拡大を果たすなど中々の武功を挙げた。しかし、経済力など地力の差は覆せずジリジリと劣勢に陥り、外交の失敗(対北条)も重なった挙句に破断点(長篠の戦い)を迎えた。対アメリカ戦を考えた時、合致点に驚く。
     
     著者も述べているように、資源が少ないなど前提条件が厳しいモノというのは、取れる選択肢が少なくなり、さらにリカバリー(回復)も容易では無い、という事なのだろう。要は戦争(特に近代戦)なぞできる国家ではなかったと言う事だ。その上、外交の失敗で敵ばかり増やすなど何をかいわんや、である。

     自分たちがどういう状況なのか、という「看脚下」も徹底できず、さりとて相手国の分析もどこか杜撰。
     本書の中で特に目を引いたのは、アメリカとの破断点は関特演(関東軍特殊演習)であるという論だ。アメリカの観点からは、ソ連が潰れてしまってはその後に第二のイギリス侵攻が起こりかねず、その場合イギリス陥落も起こりうる。故に何が何でもソ連にナチスドイツを引き受けてもらわなければならない。日本は行き掛かり上、「打倒ソ連(ロシア)」を素朴に希求していた訳だが、それが国際関係上なにを意味するのか一顧だにしていなかった。ここでも武力を尊び、政治を疎かにする昭和陸軍(現代も?)の欠陥が露呈している。

     結局、「負けるべくして負けた(負けに不思議の負け無し)」という思いを強くした読後感であった。

  • 昭和陸軍史の著作が多い川田稔氏の著作。昭和時代の陸軍を牽引した陸軍統制派を中心として、昭和の7つの重要な転換点を見ている。永田鉄山が惨殺されるあたりまではさすがという内容で興味深く読めたが、大東亜戦争期になると少し考察が雑になった印象を受ける。出来れば大東亜戦争期は別に1冊にした方がよかったのかもしれない。とはいえ、昭和陸軍に興味がある方にはお勧めの1冊である。

  • 九州産業大学図書館 蔵書検索(OPAC)へ↓
    https://leaf.kyusan-u.ac.jp/opac/volume/1381110

  •  「転換点」かどうかはともかく、7つの大事件・事象に対する陸軍の動きを見る。著者の他の本と同様、永田鉄山を始祖とする一夕会・統制派系の責任を戦争末期まで問うている。
     著者は、国家総動員のために陸軍の組織的な政治介入が必要とする一夕会の思想を指摘。加えて、その派閥的な動きの弊害も述べる。犬養内閣成立時に政党政治を容認する宇垣系が追われ一夕会が重要ポストを占めたことが政党政治の弊害。5.15事件後の政党政治終焉には一夕会から西園寺への圧力。欧州戦線の情勢判断の誤りも含め、陸軍内の統制派系支配による組織の硬直化、情報収集と作戦指導に弊害。一方で、陸軍が戦争終結プランを作れなかったのは、世界戦略的な視野を持った永田・石原及び直接その薫陶を受けた武藤・田中のような人材が陸軍にいなかったためともしており、この点で初期一夕会メンバーを肯定的に評価しているようなのは面白い。
     皇道派については、荒木と真崎が土佐系・佐賀系を抱き込んで一夕会が分裂したのが起こりで、それと元々あった隊付青年将校グループが接近した、両者は問題意識も理念も異なるとしている。 
     ただ、一夕会・統制派だけを責めてもよいものか。日中戦争では陸軍首脳も拡大を支持。また拡大反対でそれ故に陸軍中央を追われた非統制派系の河辺虎四郎は、戦争末期にはクーデター計画を首脳部にもちかけ本土決戦を唱える。陸軍全体、ひいては国家全体の意思決定の問題だろう。
     ほか、1941年初の時点で陸軍も英米不可分論となり、仏印、タイ、蘭印には外交交渉を図るとソフト化していたとの記述が目に止まる。にも関わらず同年夏に武力行使を容認した南部仏印進駐となったのは、松岡が政局の主導権を握るため武力行使の決意を陸海軍に迫ったという国内事情のためだとする。南部仏印進駐が対米戦のポイントオブノーリターンだとよく言われるが、その原因がこんな国内事情だとするとやりきれない。

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著者プロフィール

1947年生まれ。名古屋大学大学院法学研究科博士課程単位取得。現在、日本福祉大学教授、名古屋大学名誉教授。法学博士。専門は政治外交史、政治思想史。『原敬 転換期の構造』(未来社)、『浜口雄幸』(ミネルヴァ書房)、『浜口雄幸と永田鉄山』、『満州事変と政党政治』(ともに講談社選書メチエ)、『昭和陸軍全史1~3』(講談社現代新書)、『石原莞爾の世界戦略構想』(祥伝社新書)など著書多数。

「2017年 『永田鉄山軍事戦略論集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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