- Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
- / ISBN・EAN: 9784400427049
作品紹介・あらすじ
キリスト教神学とレズビアン・スタディーズが切り結ぶセクシュアリティ研究の新たな地平。『福音と世界』好評連載に大幅な加筆修正。当事者であること、他者と連なること、現場にふみとどまることから見えてくる生き延びるための思想。
感想・レビュー・書評
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牧師でレズビアンの著者が語る日本の今のキリスト教会内の異性愛主義。
キリスト教という宗教の中の、ではなく日本のキリスト教会という団体内の話。
なんか宗教上どうのっていうより保守というか躾のなってないおっさんに牛耳られた団体ゆえの、という感じだなあ。
レズビアン=女性同性愛者であることは、「女性」「同性愛者」というダブルの弱者であるということだ。
「女性」というくくりで闘う時も、「同性愛者(セクシャルマイノリティ)」というくくりで闘う時も、ないがしろにされやすい。
今はアンタの話をしてるんじゃないの!と脇によけられてしまう。
そんな内部の批判をすれば「もっと大きな敵と戦ってるんだから味方の足を引っ張るな」と言われてしまう。
自分を踏みつける足を払ったら相手が勝手にすっ転んだだけなのに。
マイノリティの中のマイノリティという存在の闘いにくさは、ブラックフェミニズムや障害のある失業者や薬物依存の女性なんかと同じ。
否定され続けていると理不尽なことをされても自分に怒る権利があると思えないから抗議できないというところも同じ。
という辺りはわかる。
でも最初からわかる人にしか伝わらない文章かもしれない。
「伝わらなさ」を語り、せめて「響く」ことを願うと書いてあるけれど、これはたしかに伝わらないだろうなあ…
「思い」は「響く」。わかる気がする。
でも、なぜそう感じるのかが説明不足だから、同じ部分を持っていない人にはきっとわからない。
私はたぶん同じようなものを持っているからわかる気がする。
けれど、もやもやを共有しているだけだから発見があるとか言語化してもらったという感じではない。
感覚を共有していない部分については解れなかった。
たとえば異性愛者が結婚することが婚姻制度からこぼれた人たちに対してどうのって部分。
著者の立場が説明されていないから、ダメだと思っているということしかわからない。どうダメかがわからない。
婚姻制度に無視された同性愛者をヘテロの結婚式によぶ暴力ってのは過剰反応のように感じた。
のっかれる人がのっかるのを悪いとは思わない。
異性愛者が結婚することを、著者がどんな意味で受け止めているのかがわからない。
「有色人種の友達と出かけて自分だけ白人専用ゲートを通る」みたいなことなのか「花粉症の友達の前で花のにおいをかぐ」みたいなことなのか。
前者なら差別に加担するなよと思うけれど、後者なら気遣いを要求するような場面じゃない。
ただ、わからないのは私の無知のせいもあるかもしれない。
これはどちらかといえばキリスト教徒(日本のキリスト教界隈に身を置く人)向け。
セクマイ用語の説明はあるけれど、キリスト教会の内部事情の説明はない。あとビヘイビアってなんぞ?
教義以前に組織がわからないから、たとえば総会がどんな意味を持つのかよくわからない。
だからそこで起こるひどいことがどんな影響をもつのかもわからない。
興味深いけど隔靴掻痒。
「ライファーズ」被害者で加害者http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4622076985
「生きのびるための犯罪(みち)」依存症の女性http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/478169053X
「ジェンダーフリーはとまらない」民族的にマイノリティで女性http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4879740179
「カラーパープル」民族的にマイノリティで女性http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/408760117X
暴動は起こさないが正しい抗議活動も抑え込まれる日本、とか
「みんな仲良く」を強制されて少しのけんかも許されないから陰湿化するいじめ、とか
怒りを否定されてなすがままの女子と泣くことを否定されて怒りしか抱けない男子、とか
なんかそういうのも関連している気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ジェンダー論、そのなかでもセクシュアリティについての本に関心がある。特に性的マイノリティと位置づけられた人々が当事者として語る本(例えば井田真木子『もうひとつの青春―同性愛者たち』や蔦森樹『男でもなく女でもなく―本当の私らしさを求めて』等)に。それは「自分は誰だ」という存在への真摯な考察であるとともに、対峙するマスとしての私にも「おまえは誰だ」「当たり前とは何だ」という問いを突きつけてくるから。これもいい本でした。タイトルからして期待していたキリスト教の教義についての話ではなかったが、丁寧に先人の仕事をたどり、自分の経験を踏まえて辿られた本は、明快な文章とあいまって一息に読ませてくれた。ここで言う教会は「教義」がどうというよりも、ホモフォビアであるところの社会の濃密な縮図のようである。女であると同時に同性愛者という二重の複雑な抑圧について考えさせてくれる、性的指向がいずれであるかに関わらず、一読の価値はあると思う本。
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堀江の個人史をもとに「同性愛者」ではなくレズビアンをめぐるテーマが書かれている。2部の「キリスト教と同性愛者差別」(ここでいう「キリスト教」は日本最大のプロテスタント教会である日本基督教団で起こった事件に大きく焦点が当てられている)はキリスト教以外の方にはあまり関心がない部分かもしれないが、差別と著者がどう闘っていったか、また、同性愛差別の大きな部分を占めるキリスト教による同性愛差別がどのようなものかを知る現場からの貴重なレポートでもある。
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男性中心社会の歪み
パブリックとは異性愛化された空間であり、このことが認識されない限り同性愛のカミングアウトはプライベートな問題として矮小化され無化される。
カミングアウトという行為は権力構造への問いを目的としているにもかかわらず、その問いかけを受け手側がプライベートな問題という解釈へずらすことで、カミングアウトした側の問題とされる ということがおこっている。
差別に公的に抗うことは異性愛主義という規範に異議申し立てをすることである。
GID法には同性婚禁止法としての機能がある。(特例法の条件二、現に婚姻をしていないこと)
p58当事者性とヴァルネラビリティについて
p62残念ながら、わたしは、生まれてから一度も、自分の性別に違和感を感じたことはない。つまり、自分が「男」であるとも「女」ではないとも認識したことはない。「女であるがゆえ」の「生き難さ」は感じてきたけれど。
p90「レイプ」の問題を考えるとき、そして、とくにそれを第三者に語ろうとするとき、生じる困難がある。たとえば、出来事を語ったときに、どんな反応が起こるのか。語る側は、その反応を予測しながら、語らなければならない。もし、その予測される反応に自分が耐えられないと判断するのであれば、語ることはできない。 -
権利を、そして自らの居場所を勝ち取っていくためには、一番身近なところが一番、困難であることを示している。
女性同性愛者という社会的に危うい立場を鮮明にしているからこそ、社会に横たわる権力性を分かりやすい言葉で伝えてくれる。 -
レズビアンでありキリスト者として、社会の中、教会の中で闘い生き延びることについて書かれた本。非常に真っ直ぐではあるが、書きぶりに余裕がないのは事実で、読み通すのは正直しんどいものがあった。
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楽しみにしていたのを今日落手。一気に読んでしまった。情報源、研究の結果の提示としての作業をきっちりした上で、口語もときどき混じる、屈託のない文体で、ものごとにずんずん迫っていく様子がいいと思った。後半、宗教団体としてのキリスト教の様子が出てくるが、こういうところも読ませてしまう筆力もすごい。なお、未読のひとにひとこと言えば「レズビアン」について、はたぶん何もわからない(^^;)と思うよ。ここにあるのは不当に不可視化される人の怒りと人間の尊厳、だと思う。