まちがったっていいじゃないか (ちくま文庫 も 4-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (225ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480022073

作品紹介・あらすじ

人間、ドジだってかまわない。ニブイのも才能だ。誤りを恐れず、お互いに迷惑をかけあいながら、ジグザグ進んで行こう。まちがったら、やり直せばよいのだ。そもそも世の中には、正しいか誤っているか、結論のくだせないことの方が多いのだから。-少年の頃を振り返りながら、若い読者に、人間の複雑さ、面白さを伝えて、肩の力を抜かせてくれる人生論。

感想・レビュー・書評

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  • 中学生、高校生、大学生に、おすすめ(๑・̑◡・̑๑)

  • いま大人になろうとしている10代への、ユーモアに満ちたアドバイス。学校や同級生や親との関係に、モヤモヤしていても、していなくても、うまい行き方の参考になる。どこを読んでもいちいちうなずける。私も10代のときに読みたかったな。

  • 知らずに読んで、易しいなと思ったら、30年以上前の、中学生の“きみ”に向けて書かれた本。中学生の頃の自分と、現在の自分、一冊のなかで時代を越えるように、両方に響いてきた。さらには、中学生の子を持つ親になった、将来の自分(妄想)にまで語りかけてくるような感覚。

    自分が大人になるにつれ持ってきた価値観と重なり、共感する部分が多かった。タイトルの時点で予感があったから手にとったのだけど。

    テーマは自由、暴力、自殺、豊かさ、男女についてなど、結構深いところまで及ぶ。

    中学生の頃の自分が読んだとしても、おそらく消化不良。

    今読んでこそ、心が軽くなる。

  • 非常に元気付けられた。
    人間関係のわだかまりや対立は、そのまま不安定な状態で持続させても構わないんだ、ということ。

  • 中学生のときに読みたかった〜!まじで。
    今の自分の生き方にグサグサ刺さる。
    二元論に昇華して一方の立場をとるのは、手っ取り早くて楽。
    時と場合によって、物事一つ一つに対して、都度向き合って考え、選んで、間違えて、そしてまた考える。
    今からでも逃げずに向き合おう。

  • 中学生向きに書かれたエッセイのようだ。ただ、内容は、大人にもとても良い薬になる。平易な文章で書かれてはいるが、内容は、優しく厳しく。人生をしっかり生きてきた作者の愛情こもった言葉は、きっと読書の背中を優しく押してくれます。そんな心に効くよい本です。

  • 高校、大学生は肩の力を抜いて読むべき。

  • 小学生の時に読みたかった。
    若干岡本太郎的な考え。
    僕にとっては何も新しさはなかったけど、
    これが80年代初期に出版されてるんだと思うと良い本だと思います。

  • 中学生にむけの内容らしいが、難しいところも結構あった。昔の中学生の読解力は今より高かったのかな。
    自分の「性質」に合わせて人生を歩んでいくべきという内容にとても共感した。

  • 受験戦争、出世競争、他人と比較される競争社会のなかで、気楽に生き抜くための考え方がつまっている、自分だけの価値観を持つことの助けとなる、気楽に生き抜くためのバイブル。

  • 森毅さんは、1928年生まれの数学者で、京都大学の名誉教授でもあった方。肩の力を抜かせてくれる人生論。この本は中学生に向けて書かれたものですが、大人にもオススメの本。

    ”心がすっかり通じ合った、何でも語り合える友、というのはいいものだ。だれもがいっとき、それを夢みる。しかし、本当のところは、そんなものはないと思う。心が本当に通じ合ったら、気味が悪い。 (一部の文章を抜粋)”

  • そうそうと相づちを打つようことばかりの内容だ

    本来学校は間違う場所だったと何かで読んだことがある
    本当にそうだと思った
    理解の度合いは人それぞれで、1回聞いてすぐ理解する者もいれば、100回で理解できる者もいる
    その後者は馬鹿にされたくないがゆえ、ますますやらなくなり落ちぶれる
    大人も同じだ
    間違ってもいい、恥ずべきことでないという前提があれば、学校生活はどれだけ楽になるだろうか
    今さら教育をひっくり返すのは無理だが、そういう精神で接していきたいものだ

  • すばらしい

  • 中学生に向けて書かれた文章はとても読みやすい。1981年に書かれたのに今でも全然頷けることばかり。それだけ普遍性があるのか、はたまた社会が進歩していないのか…。
    こんな考え方を知っておくだけでも人生は生きやすくなると思うのだけどな。もちろん人それぞれではあるけど…。

  • 話口調で書かれていて読みやすい
    主義主張がはっきりしているけど、それに拘りすぎた面もある
    中高生が読者層だから年寄りの感想になってしまった

  • 時々はこうやって、みんな違ってみんないい、という気持ちを思い出さないといけないわけで。
    思い出したら実践するかは別の話だけど、それでも良いって言ってるじゃん。だから良いのさー。
    と言うわけで、中学生に向けて書かれているので、君らは若い、って言われても厳しいけど、年をとってもまだ感じるところはあって。だって年とっても失敗したり誰かに何か言われたり、言われた気がしたり、中学生と変わらんからなー。
    まぁそんな時には思い出したい内容、でもきっと1週間で忘れちゃうけど。

  • 疲れた時、ネガティブになってる時読みたい1冊。とても心が軽くなります。

  •  中学生に向けられた本。筆者は戦前生まれで子供のころ軍事教練でしごかれたりしていて、そのころに比べて自由で豊かになったものの、生きずらい人たちに贈られたメッセージである。
     どの言葉もいろんなことを感じ、考えてしまうので詳細は落ち着いたときに書くことにするが、中学生でなくとも価値ある考えがたくさんある。筆者の言うとおりなのだろうけど、そうはできないこともたくさんある、悩みや葛藤を忘れて単純に事を決めすぎちゃいないかと反省させられる。

  • テレビでお姿を拝見した森先生が亡くなって、はや8年とか。本著作は先生60歳の時、それも30年前に中学生に向けて書かれている。「かくあるべき」「こうあらねば」は当時と異なる形で今も私たちを覆っていると感じる。他者からどうみられるか、受け入れられるか、寛容であるか、いい人間、正しい人であるかに重きを置いた、情報による息苦しい時代。検索で一発、答えが用意されてるかのごとき錯覚。「善悪はもつれ合っている」し、理想は理想の為にあるのではなく、自分の為。

  • 数学者の森毅が1981年に、中学生向けに53歳で書いた本だ。文庫化されてから読んだので学生時代の終わりごろに初読した記憶がある。大人になってずいぶんになるが、自分の生き方に大きな影響を与えた一冊であったことを再認識した。自分とものの考え方が違う者を友人にしろとか、個性的であろうと努める必要は無いとか、誤りの中からこそ真理が見つかるのだから間違ったことを言うのを恐れるなとか、ズッコケのままドロップインする道を選ぶとか、楽観派の方が運がつきやすいとか…、ありのまま楽しみながら生きて行けば良いと教えてくれる。本当にその通りだと思う。

  • こういう人を「おとな」というのだと思う。

    以下引用

    目的に向かって一直線というよりは、多少は目的に達するのがおくれても、適当にわき道に入り、その道草を楽しんでいて、結果的には目的に達してしまうほうが

    じぶんがさぼっていないとき、サボりのためにたくさん働かされてるなんて考えるより、そのうち自分がサボることもあると思っていたほうが、気持ちにゆとりが持てる

    あいつがサボっているのに、おれが働くのは損だなどと考えるものだから、サボりが増えていって、

    クラス全員が熱中したりするより、一人や二人はそれに背を向ける人間がいた方が、クラスの雰囲気が一方にかたまらないと思う

    たいていは、ドジなところが多少はほほえましくもあって、その人間の愛嬌になったりする、ドジなところこそ、人間の根源にかかわっている

    心のどこかにドジを秘めてゐて、そこで通じ合わなくては心はふれあわない

    人間の在り方に絶対的にいいことも、絶対的に悪いこともない、かならず善と悪はもつれている

    ぼくは大学にいるので、まわりには数学やら文学やらをやっている連中が多い。ところが、そうした連中は、あまり規則的に勉強しているように見えない。もちろん、人いろいろで毎日きまって勉強するのもあるが、どちらかというと少数派

    たいては、いったん熱中しはじめると、三日間ぐらいねなかったり。しばらくするとボケーとして山ばかり眺めてゐたり


    辛抱が足りないようだが、またしばらくすると、すっかり見限って次のモンダイヘ


    毎日規則的に勉強することを言いすぎるために、ものごとに熱中する機会を奪っている

    精神労働は規則的にやるのにあまりなじまない。それではただの鍛錬になる。一定時間を過ごすだけの苦行になる。勤務時間の消化

    勉強は時間でははなれない、机の前にいるかどうかでははかれない。山を眺めてゐようが、頭を働かせているかどうか

    数学者-数学を考えるのに草原にン\寝転がって、歩きながらというタイプも多い

    効率はさまざまだが、本当に集中して頭を使うのは、一日に二時間ぐらいが限度

    結局は、時間よりは密度。一日に6時間なんてのは、集中していない

    どうしてもいやなら、目に触れないようにする手もある

    いろんなことを知ってゐる人間がいる。ものおぼえのよい人間。本当のことを言うと、それはたいしたことではない。本を見れば書いてある

    たくさんのことを知ってゐる人間に会うと、自分がかなわないような気分になりやすい。とくに、若いあいだは。歳をとると、ものしりでも、たいして役にたたないことに、安心する

    あたまの回転が早いと頭がよさそうにみえる。頭がよくまわる秀才はごろごろいるが、それもどうということはない。ものがわかるのいゆっくりとした方も悪くない

    ゆっくりとわかるのも、一種の才能のように想う。

    他人のように勉強ができないとしても、それはたいてい他人のそのタイプでの勉強ができないといううこと

    自分を楽しんで生きている人は、他人がみてもおもしろい

    若い間は、普通の意味で才能があったり、普通の意味で容姿がととのっていたり、性格が良かったりした方が、楽に世がわたれる。しかし、一生がそうというわけでもない

    他人から低くみられているとしても、その自分を出して、自分にしかないタイプで進んだほうが、自分の才能はよりよく開花する。自分の性格をかくすることなく他人とつきあったほうが、他人がきみをもっと認めてくれる

    向上心-優等生という型へと向けて、その型に合そうとする努力

    自分よりもだめな人間からどれだけ学ぶことができるか

    いま苦労しておけば、将来に楽が出来るといったことを云う人がいる、ぼくはこの言葉が嫌いだ

    ずっと苦労してその計画が達成できて、満足している逃げなんてなりたくない

    現在の苦労が将来の安楽のためなどとは、絶対に思ってほしくない

    山を登るのに、汗をかくこともあろう、しかしそれは山頂をめざすためとばかり思うより、登り道のあれこれを汗を流しながら楽しむほうを好む

    →これも「こころがけ」かな。正位心。妙、言語滅行。こころではなく『芯』。

    ちょっと目をそらせば、そこらじゅうに「道草」がある。どれだけ忙しくても、それをこなすことに終止するんではなく、寄り道する「正位心」を持ちたい


    人生は山登りではない。山頂なんて定まっていない。かりに山に似ていても、となりの山に方向転換することだってある

    かりに五年後に死んでも、この今を充実して生きるべき

    不確実な未来の安楽のために、現在があるのではない

    役立てるために、いま勉強しているなどと思わなぬこと。現在の生をよりよく充実させること

    あとで楽をするためではなく、現在に張りのあることをするのだ

    戦争で未来がなかったので、いくら勉強したところで、役に立つ可能性は少なかった。それだけに今やっておくよりほかないという気分

    現在を充実して生きることのかなたにしか、よき未来は見えてこない

    歳をとってもこれからなにかをしようとしている人は、過去になにをしたか、あまり目をむけない

    コースをもうけて、最初の状態で、そこからさきが定まるように考えたがる

    悩むことを避けていては、どんどんすり減る

    人間は本音と建て前の間をやりくりしながら生きている。そこのふところが広いほうが人間としても奥行が深くなる

    目指すのは自分であること

  • 森毅(つよし)、敬愛の意を込めて呼び捨てにさせていただきます。まずは出会いから。高校3年生のとき、友人が「数学受験術指南」(中公新書いまは文庫で)を「おもしろいから読んでみて」と言って貸してくれました。たしかにおもしろい。2人で、大学にもぐりで講義を聞きに行きました。京都大学の教養部。先の授業はアウシュビッツか何かの話をしていて、大教室は満員。講義が終了するといっせいに学生が出て行きました。数名、寝たままの学生がいましたが。次の講義はいよいよ森毅。期待に胸は高鳴ります。学生があまりやってこないため、私たちは中に入るのをためらっていました。時間になっても森毅はやってこない。学生が数名いるだけ。ひょっとして今日は休講? と思っていたら、くわえタバコにジーパン姿でやってきました。生(なま)森毅。衝撃的でしたね。結局、中には入れず、外から少し様子だけ見て帰ってきました。それ以来のファンです。出る本、出る本飽きずに買って読んでいました。森毅は数学の先生ですからもちろん数学の専門書も書いています。が、それよりも、人生論、教育論、新聞連載の軽いエッセイなどを多く書かれています。私が今持っている、人生観、教育観のかなりの部分が森毅によって形成されたと言っても過言ではありません。その後、次回以降紹介する大村はま先生、林竹二先生、それから齋藤孝さんなどの教育観にも影響を受けていますが、ちょっとしんどくなったら森毅、いつも帰って来る場所になってくれています。森毅は大学定年退官後、テレビのコメンテーターとしてよく顔を見るようになりました。そのときはちゃんとネクタイを締めているんだ。へそ曲がりなんだなあ。講演会にも何度も足を運びました。そして、いまから十数年前。当時私が所属していた子育ての勉強会で、森毅を呼んで講演会を開催することになりました。まあ、ヘビースモーカーで、講演前に一服しながら、「タバコで肺がんになるとかいうけど、タバコやめて受けるストレスの方が体に悪いわ」と言っているのが印象的でした。終了後、居酒屋(お酒は一滴も飲まれませんが)での打ち上げで、私は森毅の向かいでお話を聞く機会に恵まれました。「人生20年説」の第2ステージが終わりかけだった私は、「次のステージはどんなふうに生きていけばいいんでしょうね」などと聞いていたら、「最近は、人生平方(2乗)説に変えたんや」と言っていました。つまり、生まれてから1歳まで、次は4歳まで、9歳まで、16歳まで、25歳まで、36歳まで、49歳まで、64歳まで・・・と区切ってみる。たしかに、26から36までは結婚、出産、37から49は子育てとか、わりとうまく合うのです。64歳までは働いて、その後は・・・と。その後、本の出版数も減り、テレビで見かける機会も減っていたのですが、あるとき、台所で料理中にあやまって熱湯を浴び大やけど、入院、その後、良くならずに亡くなられたということを知りました。まあ、らしいと言えば言えなくもないですが、残念なことでした。
    さて、本書について。最初どこに掲載されたかの記載が見当たらないのですが、1980年ころ、おそらく何らかの雑誌に、中学生向けに書かれたのだと思います。いま読み返しても、時代の古さは感じません。「半分おとな」の中学生に対して、「もしもきみが、なんでも親に話し、なんでも先生に話しているのなら、少しは自分の心のなかだけにとどめることを残し、少しは自分たちの世界でものごとを処理することを試みるよう、ぼくはすすめる。もしもきみが、親にも先生にも心をとざし、まったく信用していないのなら、同じ人間同士のことだし、少しは心を開いてみることを、ぼくはすすめる。」
    次に、森毅の考え方の中でも、私が最も好きなものの1つで授業中にもよく紹介しているもの。「なぜ勉強するの」という節から。「もちろん、まったく手がつかないのでは、おもしろくもないが、案外に、多少はわからないでも、うまく頭のなかに飼っておくと、そのうちに馴れてくれて、わかってきたりする。その、だんだん少しずつ、わかりかけというのも、オツなものだ。そのためには、それを飼っておく、頭の牧場がゆたかでなければならない。本当のところは、数学の力というのは、いろいろとわかったことをためこむより、わからないのを飼っておける、その牧場のゆたかさのほうにあるのかもしれない。」
    受験生へのアドバイスとして。「テストの問題が難しいときは、シメタ、これはほかの奴にできないぞ、と思うとよい。そして、テストの問題が易しいときは、シメタ、これは自分にできるぞ、と思うことだ。まあ、これは別に、受験に限ったことではないのであって、ものごとにはたいてい、よい面と悪い面がある。なるべくよい面に目を向けていると、楽観的になれる。いつでも悪い面を見ていると悲観的になる。そして、楽観派のほうに、運がつきやすい。」
    最後に、人生論として。「・・・現在の苦労が将来の安楽のためだなどとは、絶対に思ってほしくない。・・・もちろん、人生には多少は苦しいこともあろうから、それはそれなりにやってよい。山を登るのに、汗をかくこともあろう。しかしぼくは、それを山頂をめざすとばかり思うより、登り道のあれこれを、汗を流しながら楽しむ方を好む。山頂の白雲に思いをはせることはあっても、それは夢でいろどりをそえるためで、やはり現在の登り道にこそ、楽しみはある。」
    終わりに、「これから、きみたち自身について、なにを考えていくかは、きみたちの問題である。それには、答えはないだろう。でも、それが、とても大事な問題なんだ。」
     私は高校のとき1年間留学したため1つ下の学年で卒業しました。それで高3のときはあまり友だちがいませんでした。そんな中、数少ない友だちの1人I君が、私と森毅を引き合わせてくれました。I君とは、外部受験仲間としてもよく時間を共にしました。現在音信不通。いつか会って、森毅とのこと、お礼を言いたいと思っています。本人は覚えていないかもしれませんが。みなさんにこうして森毅を紹介しているのを「恩送り(ペイイットフォワード)」と考えてもいいのかもしれませんね。

    ほかに、ちくま文庫からは「エエカゲンが面白い」「ひとりで渡ればあぶなくない」、ちくまプリマーブックスから「悩んでなんぼの青春よ」などがあります。タイトル見ただけで、気持ちが楽になりますね。

  • 自由には責任はないが危険である。
    人はよく自由と責任を結び付けるけど、あまり腑に落ちていなかった。
    この本を読むことでやっと明確になった気がする。

  • まちがったっていいじゃないか。肩の力をふわっと抜いてくれる言葉の数々。

  • 2016年6月の統一模試で四谷大塚から推奨された本(理科)

  • 良い意味で拘りがなくなる本です。

    中学生向けに書かれている本ですが、大人になって読んでも学ぶことがたくさんあります。

    私も中学生のときにこの本に出会ってたらまた違った人生だっただろうなぁと感じたりもしました。

    大人になった今、世間を知り、現実を知ります。
    でもそれって本当に世間なの?現実なの?と自分の思考を改めさせてくれます。

    人それぞれ、これが世の中だと思って生きていますが、実はそうではなくただの思い込みだったり…。

    そういうことを気づかせてくれました。

    そして人にとって何が大事なのかというのも書いてあり、表面ばかりを取り繕おうと必死になっていた自分に反省しました。
    そういう、肩書きだとか、過去に自分がやってきた栄光とかそういうことに拘る人、それで人を判断する人がいますが、それよりももっと人間として大事なことを学びました。

    誰でも、自分の生きてきた人生、捨てたもんじゃないと納得させられました。

  • 若い読者に対して "そのままでいいんだ" , "人生は自分が主人公なのだから,自分に対しては誠実であれ" という事を伝えてくれる本
    他には戦争,いじめ,自殺,自由と責任について

  • 肩から力がちょっと抜ける。
    そんな気が楽になる本です。
    まちがたっていいじゃないか、はいい加減とかゆるくって意味ではなくて、びくびくしないでやってみよう、的なニュアンスかなと読み終わって思いました。

  • 中学受験時代にお目にかかっていたが、意味が全くわからなかった本。今読むと、目からウロコ。主に中学生に向けて発信されているメッセージであるが、おとなも考えさせられます。僕の気持ちをかなり楽にさせてくれた本です。

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著者プロフィール

1928年東京生まれ。数学者。東京大学数学科を卒業。京都大学教養部で教鞭を執り、民間の数学教育運動にも参画した。京都大学名誉教授。数学科関係の主な著書として『数学の歴史』(講談社学術文庫)、『微積分の意味』(日本評論社)、エッセイ・自伝に『まちがったっていいじゃないか』(ちくま文庫)『自由を生きる』(東京新聞出版局)ほか多数。2010年7月逝去。

「2021年 『悩んでなんぼの青春よ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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