東アジアの終戦記念日: 敗北と勝利のあいだ (ちくま新書 669)

制作 : 佐藤 卓己  孫 安石 
  • 筑摩書房
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感想 : 7
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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480063731

作品紹介・あらすじ

八月一五日に「終戦」を記念する国は少ない。日本以外では韓国・北朝鮮がこの日を独立の記念日にしているにすぎない。中国では九月三日が勝利の日、台湾では一〇月二五日が光復節である。日本国内に目を向けても、八月一五日=「終戦」とは言い難い。沖縄ではアメリカ軍との戦闘が九月七日まで続き、北海道は八月一五日からソ連軍の千島侵攻に脅かされていた-。その意味づけも日付も多様な東アジア各国の「終戦」を記念日から問い直し、歴史認識をめぐる対話への糸口を探る意欲作。

感想・レビュー・書評

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  • 新書文庫

  • 「戦前生まれの保坂【正康】は、正しい歴史認識の定着を「三世代か四世代あと」と見るわけだが、戦後生まれの私たちは、自分たちの責任において歴史を正しく選びとりたいと考えている。つまり、内向きな八・一五終戦記念日に固執することは、世界に対して目を閉ざし、対話を拒否する姿勢と思えてならない。」(p.19)

    東アジアの各地域において第二次世界大戦の終戦がどのように考えられてきたかを巡って、研究グループが記したもの。扱われている地域は沖縄、南樺太・千曲列島の北海道、北朝鮮、韓国、台湾、中国。これらの各地域で、第二次世界大戦の終戦に関して認識は大きく異なっている。本書では佐藤卓己氏の枠組みを得て、各種の終戦記念日を巡る各メディアの取り上げ方を中心にすることにより論じている。

    日本本土の認識を見れば現在は8月15日が終戦記念日と定められているが、この日は終戦の日ではない。8月14日のポツダム宣言受諾か、9月2日の降伏文書への調印が停戦の日であって、戦争状態の終結という意味での終戦はサンフランシスコ講和条約の発効日の1952年4月28日であろう(それでも連合国各国との終戦であって、全交戦国ではない)。日本本土の事情でも複雑なのだが、各地域に関しても複雑さは多い。それは当たり前で、終戦といえども一瞬で達成され状況がガラリと変わるものではなく、ステップを踏んで徐々に進むものだ。韓国や台湾などの日本の支配下にあった地域でさえ、例えば8月14日に一斉に日本の支配が消滅したものではない。終戦の日としてはどこかの一日に定めなければならないのだが、それは難しい。そうした状況でどの日に定めるかによって、各地域の事情と認識が見えてくる。

    本書自体は各地域の事情を扱っているとはいえ、歴史的事項の整理が大きな比重を占めているものが多い。そのため、その日付を採用することに何の意味があるのかについては、考察が少ないと感じる。例えば北朝鮮の事情について、8月15日が祖国解放記念日と定められている。だがソ連軍が平壌に到着し「解放」したのは8月24日である(p.144)。8月15日の玉音放送を端とする情景について記されていて、8月15日が特別な日のような印象を受けるが、これとて玉音写真や終戦を巡る記憶がいかに作為的・無作為的に偽造されてきたかを考えると、額面通り信じるのを躊躇する(韓国の事例も同じ)。こうしたなか、なぜ8月15日なのかについてほぼ説明がない。一方で韓国は単独政府が樹立されたのが1948年8月15日なので、8月15日という日付に1945年と1948年の二つを託すことに意味があるだろう(p.136)。また、中国本土の事情として『大公報』と『益世報』という二つの新聞メディアが8月15日と9月3日のどちらに抗日戦争の記憶をとどめるかを巡って揺れている様が描かれている(p.222-239)が、ここでも8月15日という日付の正統性と正当性については沈黙したままだ。

    そうした意味でよく書けているのは沖縄の認識を巡るものだ。沖縄の終戦認識はかなり複雑だ。沖縄を巡って記憶されている日付は、牛島満中将が自決し組織的戦闘が止んだ1945年6月23日(沖縄慰霊の日)、サンフランシスコ講和条約の発効により米国施政権下に入った1952年4月28日、日本に統治権が返還された1972年5月15日といったところだ。1945年8月15日は日本本土の、いわば「あちらの」記念日に過ぎない。そもそも、8月15日時点では日本放送協会沖縄放送局が爆破されていたため、沖縄に玉音放送は流れていない(p.88)。1950年代になって6月23日が取り上げられるようになる。沖縄内部を考える6月23日、本土との断絶・批判を考える8月15日となった。サンフランシスコ講和条約に基づく米国統治時代には6月23日の語りが消滅するが、これは著者は過去よりも米軍接収など現実の問題に向き合わなければならない沖縄の事情を見ている(p.105)。この四つの日付はさらに、沖縄の日本への変換が近づくに連れて揺れ動く。それは駐留米軍の土地接収などを巡る対米批判や、沖縄返還を巡る日本本土への批判(ベトナム戦争の基地としての沖縄、米軍負担の集約地としての沖縄)によって複雑になっている。どの日付を重視するのかは時期によって移り変わり、現在は平和への祈念・慰霊の心情を込めた6月23日と8月15日、それに対して戦後の沖縄の位置づけを巡って米軍・日本本土を批判する5月15日(4月28日は5月15日の陰に隠れる形となった)になっている(p.118)。

    総じて、第二次世界大戦の終結を巡る各地域の様子として歴史的事項がよくまとまっており、例えばアクセスできる資料の少ない北朝鮮の様子など参考となる記述となろう。だが、終戦記念日の認識を巡る論考としては、いま一つ考察の深みが足りないように感じられる。

  • 8月15日。この日は日本人にとって終戦記念日として平和を祈る日となっていますが、本当に8月15日に「戦争が終わった」のでしょうか。

    筆者はこの15日というものが、極めて一国中心的なもので、妥当でないとしています。なぜなら、ポツダム宣言受諾の宣言を通達したのは8月14日であるし、降伏文書に調印したのは9月3日なのであって、8月15日はただ「玉音放送が放映された日」にすぎないからです。

    そして東アジアのそれぞれの国で終戦記念日は日程もその意味も異なります。
    筆者はそれらを考慮した上で、「一国中心主義」を越えた文脈で東アジアの未来を考えていくために、国際的に通用する終戦記念日を定義しなければならないという主張をしています。

    本書は主に当時の新聞記事から、各国で終戦がどのように受け止められていたか調査しており、リアルな当時の人々の様子が伝わってきました。
    これを読むにつけても、終戦を迎えた(知った)日は地域によって、さらには人々によって千差万別であることが伺えます。

    その中から日本が玉音放送が流された15日を記念日としている意味、それを深く考えさせられました。
    確かに玉音経験とも言われる衝撃によって、日本人の多くに敗戦という事実が刻まれたのはこの日だったかもしれません。
    ただそれは天皇を中心とした宗教的考え方であり、日本国民の心情を第一とした見方から定められています。
    終戦とは外交事項であるから、当然関係国全ての事情を配慮した上で「終戦の日」というものは決められて然るべきではないでしょうか。

    東アジアの人々にとって共通なのは、終戦の日が新たな歴史の大きなスタートの日であったということです。
    その意味を日本はもっと重く受け止める必要があると思います。

  • ・恥ずかしながら、御前会議によるポツダム宣言受諾及びその結果が連合国に伝えられたのが8月14日、降伏文書調印のVJデイが9月2日という事実を知らなかった又は十分に認識していなかった。今の自分の関心は歴史問題が外交に与える影響であって、8.15の在り方といった観念的な思考を巡らす気はないのだけれど、日本で一般的には8.15しか認識されていないということは、日本人にとっては「犠牲者の慰霊」のみで、あの戦争の国際的な意味とか加害者の立場とかは十分に認識されていない、ということだろうか。以下本書の要点。
    ・日本では、「8・15革命」の民主化を掲げる保守派と、「降伏」の屈辱を忘れたいと欲し「御聖断」の国体護持を信じる保守派の利害が一致した結果としての8月15日だという。またお盆であることも影響を与えたという。
    ・樺太・千島では8月15日以後も戦闘があり、この日を「終戦ではない」又は「終戦だったがそれにも関わらず戦闘が起きた」という認識が並存。沖縄では、8.15以外にも6.23(沖縄守備軍司令官・牛島満が自決)、4.28(サンフランシスコ講和条約が発効、沖縄は米軍施政下に)、5.15(1972年沖縄返還)の記念日が存在。沖縄では当時ラジオ放送が中断され、従って玉音放送の体験もなし。6.23と8.15は「平和の希求」や「追悼・慰霊」、5.15(及び復帰後は影の薄い4.28)は「戦後」「復帰」の批判、と異なる意味づけ。
    ・朝鮮半島では8月15日の「解放」の喜びは組織的ではなく、一般には戸惑いの方が大きかった。その後左右の対立が激化し、右派李承晩は1948年のこの日に単独政府を樹立し、翌年には法律で「光復節」を制定(筆者(元容鎮・西江大教授)は左派寄りのようで、これに批判的)。
    ・ソ連軍は8月10日には北朝鮮北東部を占領、24日には平壌入り。一方8月15日の平壌ではソウルと異なり喜びを表す人が多かった模様。46-48年の3回のこの日の解放イベントは、ソ連への感謝と金日成による国家建設への動員が両立していた。その後次第に8月15日の地位は相対的に低下、金日成・正日の誕生日の方が重要となる。
    ・台湾では8.15以外に9.3(中華民国の記念日)、10.25(安藤台湾総督が陳儀に台湾の大権を返還)という記念日が存在。8.15は一度メディアから消えつつ1990年代に再び脚光を浴び、9.3は「軍人節」として限定的な位置づけを与えられるも現在は一般には意識されず、10.25は現在でも国定記念日。また、10.10は大陸とは異なる最低限のシンボルとして記念日として残存、一方霧社事件の10.27のように台湾化した新たな記念日も創出。
    ・中国では9.3の抗戦勝利記念日を重視。国民党は自らが当事者のため、共産党は・当初は力関係から国民党の勝利に擦り寄りざるを得ず、・9.3を記念日とするソ連の影響、・抗日戦争の最大の戦力は紅軍、という理由による。しかし、今や中国の成長に伴う自信から、05.9.3の胡錦濤演説では、国民党を主戦場、共産党を大後方とし従来とは違う観点を示している。

  • 佐藤卓己『八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学』(ちくま新書、2005年)の続編と言うべき新書。

    構成は
     Ⅰ 日本の「八月十五日」神話
      第1章 「八月十五日」の神話化を超えて
      第2章 戦争と日本宗教の軋轢の彼方へ
      第3章 「八・一五」でも終わらなかった北海道の戦争
      第4章 沖縄における「終戦」のゆらぎ  

     Ⅱ 南北朝鮮の光復と解放
      第5章 朝鮮における「解放」ニュースの伝播と記憶
      第6章 ソ連占領期北朝鮮における解放イベント

     Ⅲ 台湾・中国の抗日戦争記念日
      第7章 台湾の光復と中華民国
      第8章 中国の抗戦勝利記念日のポリティクス
      第9章 戦後中国の「戦勝」報道


     前作は佐藤の単著であったが、今回は佐藤(第1章を執筆)をふくめた東アジア出身の9人の研究者によって「終戦記念日」を検討している。

     前作を読んでおけば、日本の終戦をめぐる問題がだいたいわかるのだが、今回は全国紙や全国ラジオだけでなく、特殊な宗教新聞、沖縄や北海道の地方紙などを史料として扱うことで、宗教的・地域的な多様性が論じられている。

     東アジアの終戦記念日を、日本(本土)、沖縄、北海道、台湾、韓国、北朝鮮、中国(国府)という地域的・政治的に異なる視点でとらえることから見えてくるのは、メディアによって<創られる歴史>ということだろう。

     メディアによって、多様な歴史的事実が閑却され、画一的な記憶が恒常的に再生産されることで、日本(本土)においては贖罪意識や罪障感、韓国・北朝鮮においては光復というなの建国ナショナリズムが培養されてきた。

     このことが持つ意味をよく噛みしめてみると、毎年8月にやってくるあの報道特集を新たな視点から眺めることができるのではないだろうか。




     佐藤氏の論考(第1章)は非常に興味深いのだが、9月2日を真の「終戦」記念日とすべきという表現ばかりが強調され、そこが「占領」政策の開始時期であり、それはつまり日本の独立が失われた日であるということを、わずかでもいいから言及して欲しかった。戦争の終わりは、戦後の始まりであるのだから。

  • [ 内容 ]
    八月一五日に「終戦」を記念する国は少ない。
    日本以外では韓国・北朝鮮がこの日を独立の記念日にしているにすぎない。
    中国では九月三日が勝利の日、台湾では一〇月二五日が光復節である。
    日本国内に目を向けても、八月一五日=「終戦」とは言い難い。
    沖縄ではアメリカ軍との戦闘が九月七日まで続き、北海道は八月一五日からソ連軍の千島侵攻に脅かされていた―。
    その意味づけも日付も多様な東アジア各国の「終戦」を記念日から問い直し、歴史認識をめぐる対話への糸口を探る意欲作。

    [ 目次 ]
    1 日本の「八月一五日」神話(「八月一五日」の神話化を超えて 戦争と日本宗教の軋轢の彼方へ 「八・一五」でも終わらなかった北海道の戦争 沖縄における「終戦」のゆらぎ)
    2 南北朝鮮の光復と解放(朝鮮における「解放」ニュースの伝播と記憶 ソ連占領期北朝鮮における解放イベント)
    3 台湾・中国の抗日戦争記念日(台湾の光復と中華民国 中国の抗戦勝利記念日のポリティクス 戦後中国の「戦勝」報道)

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    [ 参考となる書評 ]

  • 東アジアの、日本、北朝鮮、韓国、台湾、中国、それぞれにとって8月15日が必ずしも終戦を意味していないことを改めて認識させられました。日本人にとってはものすごく時代の変わり目を象徴した玉音放送も流れていない地域が多く、さらに15日以降も実際の戦闘は続いていたところも多かったのでしょう。日本国内でも北海道や沖縄は本州(東京周辺?)とは別の終戦の日の迎え方をしていたわけで、歴史を画一的に見てはいけないとつくづく考えさせられました。タイトルこそ日本では人口に膾炙した「終戦記念日」ですが、本書を読むと敗戦でもあり戦勝でもあり、独立でもかり、解放でもあることがよくわかります。

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