サバイバル!: 人はズルなしで生きられるのか (ちくま新書 751)

著者 :
  • 筑摩書房
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本棚登録 : 172
感想 : 31
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  • Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480064523

作品紹介・あらすじ

日本海から上高地へ。200kmの山塊を、たった独りで縦断する。持参する食糧は米と調味料だけ。岩魚を釣り、山菜を採り、蛇やカエルを喰らう。焚き火で調理し、月の下で眠り、死を隣りに感じながら、山や溪谷を越えてゆく-。生きることを命がけで考えるクライマーは、極限で何を思うのか?その洞察に、読者は現代が失った直接性を発見するだろう。"私"の、"私"による、"私"のための悦びを取り戻す、回復の書。驚異の山岳ノンフィクション。

感想・レビュー・書評

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  • なんだかんだでこれで服部さんの本読むの8冊目でした。もっと読んでいると思いましたが、角幡さんの本とごっちゃになっているような気がします。自分の中でイメージが被っています。
    そしてこれはサバイバル登山についてのエッセイというか、説明のような本ですね。ある意味既に色々読んでいるので新味は無いです。
    しかし、この自分でルールを決めて、その制約の中で活動するのって、子供の頃の白線の上だけを歩いてどこまで行けるか、という遊びの延長という気がします。これは否定的な意味ではなくて、誰でもそうやって自分の想像力の中で、家の中や町の中でも冒険のフィールドを作り出していたなあと。いつの頃からか、人が決めたルールの中で遊ぶことしかしなくなりますよね。自分を振り返っても本当にそう。
    とにかく自分では出来ないけれど憧れてしまいます、サバイバル登山。男なら誰しもそうなんじゃないかな?

  • サバイバルな登山とは何か。著者の私生活がサバイバルなのかははっきりしないが、今やブーム化された登山スタイルに対する徹底抗戦の精神が清々しい。
    特に、第一章の日本海から上高地までの200キロの単独行は読み応え抜群だった。ほとんどの装備を持たず、食糧は現地調達で蛇や蛙、野草に岩魚を食す。危ない思考回路だと思いながらも、リアルファイトで山に挑む服部文祥に圧倒された。

  • サバイバル登山の定義は少し難しい所だが、著者である服部文祥氏によると、自分が許す可能な限り軽量な装備で、食料を現地調達しながらする登山、と言った感じだろうか。

    本作には服部氏が実際に行った、北アルプス単独縦断11日間の記録が紹介されている。主食である米や、現地調達が不可能な基礎調味料類は持って行くが、基本的には採った山菜や川で釣ったイワナを食べながらの縦走である。

    釣り方にもこだわりがあって、毛バリを使用したテンカラ釣りという方法だ。
    釣りをする方ならわかるだろうが、エサ釣りの方が確実に多くの魚を釣る事が出来る。しかし毛バリを使用した方が、自分の能力が占める割合が高い、というのが理由のようだ。

    時にはロープなしのフリーソロという危険な方法で、難所を越えることもあるらしい。サバイバル登山とは死と向かい合う事で、よりいっそう強く生を感じる行為であり、彼の言葉を借りれば、「あいまいな生命の輪郭に触れる瞬間」なのだろう。

    かなりストイックな行為の反面、避難小屋に置いてあったカップ麺を無断拝借した事や、たまたま出会った知人に食べ物をねだった事など、俗世間的な一面も正直に書いているところが面白かった。

  • 北アサバイバルの記録に臨場感があって面白かった。
    最後はコネで泊めてもらおう、なんて人間臭さもまた面白い。
    沢の脇で大便をしていいのか?と疑問が残った。
    生きるとは死に向かう流れの中逆らうこと、現代では普段は緩い流れの中にいる。山に入ることは一時的に、激流に身を置くこと。の例えはイメージとして掴みやすい。
    全てが予定通りに整備された道を辿ってピークを踏んで下りて、という登山はお客様。
    街でも山でも欲しいものはお金を払って手に入れる、資本主義の枠の中でしか生きられない。
    そうではないもの、を求めたい気持ちもあるが、お客様だから土日でサクッと行ける。
    自分の中で答えは出ていない。

  • 摂南大学図書館OPACへ⇒
    https://opac2.lib.setsunan.ac.jp/webopac/BB99105586

  • サバイバル登山家「服部文祥」のエッセイ。
    前半は紙上サバイバル登山、後半は著者の道具解説等。
    前半のほうが圧倒的に面白い!

    この本は、山ヤならではの活動記録なので、ロープを使う登攀、沢登り、山スキー等の登山をやっているとより楽しめ、また、北アの山地名や沢の難所等を随所にイメージできるとなお楽しめるかなって思った。

    本サバイバル登山では、厳しい縛りを自ら堂々宣言しながら、意外と煩悩に屈してもいるので、山をやらない人のほとんどは、著者の活動に共感できないかもしれない。でも自分はそういった人間味のあるちゃっかりしたところがなんか好きだったりする。ガチでストイックなだけなら全然面白くない。

    また山に対する姿勢と登山客ではなく”登山者”の定義が書かれていたけど、そこは確かに、って思うところがあった。山は誰にとっても自由で平等!格差も忖度もない。自分で考え自分で決めて自分で登る。自立力が絶対必要不可欠、そして当然自己責任でもある。

    あと(小っさいとこですが)山に結構いる、建前ばかりで信念のないうすっぺらな保安官づらしたしたがる「忠告オヤジ」、自分が一番大嫌いな人種なので、著者に同館でした。加えてこちらも細かいですが、「雨を見て、家族のことを思い出した。妻は雨が好きなのだ。」という一文、ぐっと来ました。

    (好きな山ネタ本なので感想長くなってしまいました、すみません。。。)

  • 2018/12/31読了

  • 東京大丸の書店で見かけて。ズルをしないで生きる、山登りという特殊な行為から人生全般に敷衍するまとめの部分は、強引ながら共感してしまう。しかし山登りの話はなぜこんない面白いのだろう。風呂を借りるのを断られたり、情けない部分も◎。

  • 「恒常的なゲストという人生に何の魅力があるのか、私にはまったくわからない。」

    と、表紙にあるが、思ったよりワイルド過ぎもせず、人間味あふれる内容で読みやすかった。

  • この本に書いてあること、作者が編み出したサバイバル登山は、「山に登ること」の目的がよく表現されている。それは、生死の境目で自分の能力・判断をぎりぎりに試すこと、そこから生きている感覚を得る。ということ。

    ただし、タイトルにもある「ズルなし」や「フェア」という表現には言葉の意味することとはずれた作者の独自用語だと思う。 文明の利器を使用することをズルなし、フェアじゃないと表現している。

    この作者の魅力は、自分自身のポリシー(ある意味頑固で、排他的な嗜好)をストイックに信じていながら、客観的に自分のこと観察し、一般的な人から見ると滑稽に映ることを、理解して、自分を笑えるという知的な余裕があることだと思う。

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著者プロフィール

登山家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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