B-29の昭和史 ――爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代 (ちくま新書 1730)
- 筑摩書房 (2023年6月8日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (320ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480075604
作品紹介・あらすじ
B-29はいかにして、太平洋戦争そのものを象徴する存在になったのか。戦略爆撃機の開発から『火垂るの墓』まで、豊富な資料で読み解く縦横無尽のB-29史。
感想・レビュー・書評
-
筆者はあとがきにおいて「B-29を単に飛行機としてではなく、それによってもたらされた体験を表すものととらえたうえで書くことにした」としているように、B-29の開発史などは控えめで、それによって行われた空襲を経験した人々の記録や、防空対策の対象としてとらえられていたB-29、そして戦後にはアメリカという国の巨大さを表すメタファーとなったことなどを書いている。
そしてそこに「機能美」を見いだそうとすることを、白人に勝てないアジア人という劣等感、言い換えるとアジアにおいて中国などの国を下に見ようとしがちな日本人の根強い優生思想の裏返しではないかと語る。
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
B-29の歴史がテーマだが、戦争での航空機の使用から戦略爆撃思想に始まり、日本国内での航空機や空襲イメージ、更には戦後は宮城事件等の混乱、『火垂るの墓』イメージ等、幅広くややまとまりのない印象。海野十三の小説の章は、本書のテーマからは不要だったと思う。
B-29に絞った部分で言えば、東京を含む本土への直接攻撃であり、日本においてはその被害を含め「コンテンツ化」。また米の軍事力ひいてはその背後にある科学力、国力の象徴と見られたようだ。
同時に本書を読むと、本土空襲に先立ち日本軍が行った日中戦争では重慶等の市街地爆撃を正当化し、地上に思いをはせる視点は日本人には見られないことが分かる。それが後に逆の立場となるのだが。
また著者は飛行機ファンを自認するが、無批判にB-29の「機能美」を称賛することに対しては批判的だ。 -
B-29が日本人にどのように認知されていったのか、レコードや作家の日記、映画、小説などから読み解いていく。「戦略爆撃」という敵国の心臓部に入り込み、生産施設などの破壊を行って継戦能力を低下させる考え方から始まり、B-29の誕生、民間人への空襲、戦後と流れを見ていく。日本人にとってアメリカの象徴としてかなり認知され、様々な作品に出てくることを再認識した。そして無差別爆撃という行いについて、日本人も含め反省が少なく、今も続いているということを実感せずにはいられない…。
-
超空の要塞B-29についての本ではなく、それを枕に、かの大戦の、自分の気に入らないことをあげつらって批判する本。
まあ、昭和史と書いてるからそうなのかもしれないが、流石に、米国批判ほぼなく、日本の批判、体制も、空気も、戦後もってのは、どうかと思う。
東京大空襲の悲惨さなんかほぼ触れてない(知ってる前提?)で、重慶で日本もやったじゃん、で相殺、あのな、米国はきっちり被害を測った上で意図的に、逃げられないようにして民間人を焼き殺すことを狙ってやったんだけど。
突然海野十三批判。ぼくにとって海野十三は蝿男か金属人間なんだが、B-29に興味があってこの本を手に取った人の、どのくらいが海野十三知ってんの。
その分析も極めて恣意的。
後半に出てくる火垂るの墓は、全く興味がないのでみてないのだが、見てる前提で話は進む。
かなり厳しい読後感でありました。 -
東2法経図・6F開架:B1/7/1730/K
-
小さい頃読み漁った戦争漫画だとB-29の思い出が多い。恐らくは図書室に全巻揃っていた「はだしのゲン」からの広島原爆投下のイメージとインパクトが大きかったのだと思う。子供ながらに先端の網目の様に描かれたガラスの風防のイメージは良く記憶に残っている。恐らくは爆撃をある程度人の目視に頼っていた時代だからこそ、陸地が見える独特の形状になったものと思うが、記憶の中のそれはトンボの眼を思い浮かばせる。だから今でも田舎でトンボが飛んでいるのを見ると、何処となくB-29を思い出すのである。
本書はまさにタイトル通り太平洋戦争期のアメリカの戦略爆撃機B-29を取り扱うものだが、前述の記憶から思わず本屋で手に取ってしまった。
ライト兄弟によって飛行機が生まれてから僅か数十年の間に、人類は飛行機を戦争に使うことを思いついた。初めは偵察目的が主でありながら、やがて飛行機から爆弾を投下する事が目的になり、零戦に代表される様な飛行機同士の空の戦い、ドッグファイトの時代に移る。もしレーダー技術が先に進化していたら、空から敵地を見下ろす必要性も少ない事から、もっと飛行機の技術進歩は遅れただろうか。いや、誰もが空を眺めては自由に風を切る鳥たちに憧れ、空を飛びたい衝動に駆られて生きてきた。
戦争利用に於いては日本軍も中国の都市を次々と爆撃してきたし、誰もが知る様なドゥーリットル飛行隊による本土爆撃や東京大空襲、その他主要な日本の都市は悉くアメリカにより空から蹂躙された。本書では当時の防空小説の記述も多く引いている。空襲で予想される悲惨な事態を関東大震災に擬えて記載したものなどが存在する。「(爆撃が)本格的になってからは正味五か月の空襲によって東京を始め全国120の都市が大損害を被り、その中の44都市までは町の大半以上を喪失し、殊に大戦末期に至っては、一夜の空襲によって数箇所の都市が同時に地上から消滅し去る如き言語に絶した状態を現出するに至った。」とある様に太平洋戦争、特に日本の敗戦が濃厚な時期を象徴する書籍も数多くある。岩波文庫の早乙女勝元「東京大空襲」が地上を覆う業火に逃げ惑う人々の姿をリアルに感じるものとして、悲惨さを理解するには役立つ。
そうした書籍からも、防空を意識した都市作りの重要性が伝わってくる。当時の日本は大半が木造建築だから、一度火をつければ次々と延焼が拡がりあっという間に火の海になる。アメリカは特に東京大空襲においては、ガソリンをばら撒くだけでなく、風向きや効率的に焼き尽くす為の落下地点まで計算に入れて爆撃をしていた。この時点では一般人を含む無差別爆撃になり、今なら各国の非難を浴びそうなものであるが、当初のアメリカが民間人被害を避ける考えの元で中々成果が上がらなかった頃に比べ、トルーマン時代には「戦争を後押しする国民自体が敵(戦争の原動力)」と振り切ってからの殺人成果は圧倒的に飛躍した。勿論その手段は飛行機だ。元々日本も中国相手にやってきた事だから、いじめっ子を暴力で正す事が正当化される一つの理由であっただろう。
本書後半はB-29の美しさに触れる内容になる。斯様な戦争兵器の表現として、如何にも真逆に感じる表現ではあるものの、野坂昭如の記述にある様に、「B-29を憎むべき敵ではなく、あっさり美しいと認めてしまう日本人の後進国としての劣等感
」といった、戦ってきた強いアメリカだからこそ、その国の圧倒的な技術力の賜物であるB-29を美しいと感じてしまう日本人の心内がよく分かる。もしこれが中国の飛行機や爆撃なら、当時同国に対して優位性ばかり感じていた日本人は美しいとは思えなかったに違いない。
そして機能美は、大量に殺す為に作られた機体が結果的に美しくなっていった事実と、ガラス張りのコックピット、丸みを帯びた流線型ボディかつジュラルミンで輝く美しさ、流線型を「強さ」「支配力」などのイデオロギーと結びつけていく。
日本の新幹線やF1マシンも走行時の空気抵抗を極力低くしスピードを限界まで追い求めた姿ではあるが、特にF1などは富裕層、富裕国の象徴とも直ぐに結びつく。
本書はそうした飛行機が生まれてから戦争に使われるまでの過程や、朝鮮戦争時に国内基地周辺で頻発した飛行機事故の状況、兵器として実際に使われた側のそれに対する印象などB-29を中心に多彩な内容で構成されており勉強になる。
なお現在も現役機として活躍中のF-15はあの様な小さな機体に戦略爆撃機の爆弾搭載量としてはすでにB-29を超えているとのこと。北朝鮮が最も恐れるB1B通称「死の白鳥」は比較にならない程の爆撃能力を持つ。未だ人類はその象徴に更なる強さと威厳、恐怖を追い求めている。