名文 (ちくま学芸文庫 ナ 1-1)

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (395ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480080493

感想・レビュー・書評

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  • 日本の小説を題材にとり、それらの「名文」であるゆえんを解き明かそうとしている本です。

    本書は二部構成となっており、第一部では「名文」という概念をめぐって、これまでに提出されてきたさまざまな考えかたを紹介されています。同時に、「名文」がそうした概念的に規定しようとする試みによってとらえきれないものであることが、具体的な検討を通じて明らかになっていきます。

    第二部が本書の中心で、五十人の作家たちの文章の一節が引用され、それらについて著者が解説をおこなっています。すべてに通じるような「名文」の概念を規定するのではなく、個別の文章におうじた観点からの検討がなされており、著者にみちびかれて作品を味読するたのしみを知ることができます。

  • 再読になる。「はじめに」に1993年とあるからその頃に読んだのだろうが、内容はすっかり忘れていた。日本の小説などをあまり読まなかったので、読むにあたって道しるべとなるようなものを一時求めていて、参考にしようとしたのだと思う。覚えていないほどだから結果的には参考にしなかったのだろう。このように緻密に文章を読む人がいるというのを知ったことは、遅まきながら驚きであり、再読しようという気になったのはやはり影響があったのではないかと思う。特に筆者は、「井伏鱒二」「里見弴」「永井龍男」「小沼丹」に言及しているがいずれも読んだことがない。今後、気に留めて読んでみようと思う。

    〇平たく言えば、昔は「手本」であった名文が今では「見本」になったのだ。
    〇悪文の共通項は「判りにくい」という点である。字句や文法は整っていても、素直に頭に入ってこないのは、やはり悪文である。
    〇文章=風土説も、それを信じすぎさえしなければ、一つの有効なアプローチとなる。
    〇それぞれの個性が、そういった風土なり気質なり時代なりの風にあたりながら、書くべき何かを求めて表現をまさぐっていく過程で、少なくとも文学における悪文は必要悪として成立するのではないか。
    〇悪文は真剣に書かれなければならない、いい加減に書いたら、ただの「悪い文章」になってしまう。
    〇言語レベルで特に問題のない文章を良文と呼び、その一部を達文と呼んでその対極に位置づけた方が、悪文というものの性格は捉えやすいだろう。
    〇悪文は名文の対概念ではない。本来の悪文は表層の性格をはっきりと持った特殊な名文だと言うことができる。名文と同じ軸でその対極にあるのは駄文である。
    〇名文は一字一句に魂があって生きているのに対し、美文の方は調子に流れて内容が空疎になりやすい。もっと言えば、内容などというものを考える気にさせない、ひたすら耳に快い文章である。
    〇名文というのは、文章の命が瑞瑞しく匂うような、そういう文章だと考える人がいる。名文は拡張と気品に満ちた文章だとする立場もある。乾いた透明なすっきりした文章というのがある。文章をその作者と結びつけて、それを書いた人間の信念なり生活なり体臭なりが伝わってくるというあたりに、名文の本質を見ようとする立場もある。文章の呼吸が正しいというだけでなく、筆者の精神の充実を送り届ける文章なのだと説くのである。あらゆる用語を駆使しあらゆるセンテンスを自在に使いこなして、いろいろな風趣を含ませてこそ真の大文章は生まれると言う説がある。一般に文章表現で効果があったと本当に言えるのは、理性の領域で言えば、相手に説明しただけでなく、その相手が理解するところまで導くことができたときである。感性領域で言えば、鑑賞段階に止まらず、相手を感動にまで高めえた時である。生活領域で言えば、説得しただけでなく、相手を実際に行動に移らせたときなのである。
    〇述べたことや描いたことは、多くの人に通じるのが「良い文章」だということになる。文章心得についても「3Cの原則」というものがあるというclear(はっきりと)correct(正しく)concise(簡潔に)の順に並べるのだそうだ。
    〇明晰で判りやすいーこれが文章作法の一般原則である。
    語彙の面では、当然のことながら、判りやすい言葉を選ぶことだ。表記の面では、漢字・片仮名・平仮名のそれぞれの機能を最大限に発揮すること、特に漢字が並びすぎないように、仮名との混ざり具合を程よくすることなどが、取り上げられる主なものである。難解な表現を避けるばかりが能じゃない、面白いのも判りやすさのうちという考え方だ。
    〇名文家の一人である小林秀雄は呆れるほどよく削る。
    〇簡潔な文章がすなわち判りやすい文章だとは必ずしも言えない。
    〇片時も油断のできない、志賀直哉の「城崎にて」などを名文とする背後には一語一句も抜き差しならぬ形で置かれているのが優れた文章だとし、一字の誤植があってもそれによって全体の意味が不明瞭になる恐れがあってこそ名文だとする、きわめて日本的な文章観のあることは明らかだ。そういう余裕のない文章とあまり長く付き合いたくはないが、部分的に引用するとダメになってしまうのが名文に共通する性格だとは思う。
    〇行間を読むなどというのは大変な苦痛であるにちがいない。まして、どうでもいいような細かいことが雑多に並んでいるだけに見える文章から、ことばで書かれていない作品の意味を探れなどと言うのは、残酷にさえ響くかもしれない。しかし、そういう苦しみを楽しみとして文学は生き残ってきたのではないか。
    〇人を動かすのはその文章の運ぶ論理的な情報だけではなかった。どこまで意識しようと、人は文章そのものに感動している。
    〇文学作品は理解してもらう段階にとどまらず、場合によっては理解されなくても、ともかく広い意味での感動に人を導くところに本領があるといえる。
    〇ものになった作家には、いずれもその人ならではの文学の方法がある。ぎりぎりのところで考えるなら、彼らはそれぞれに決して譲れないスタイルを持っている。譲れるものはスタイルではない。文章のその意味でのスタイルを作者にとっての文体と呼ぶこともできよう。
    私が家庭の夕食時に求めているのは、結局、ひとつの充実した時間だったのではないか、そういう雰囲気に、安らぎと、ある充足感を覚えるのではないか。
    〇非個性的に見えながら、何とも言えないひとつの雰囲気を持った文章もないとは言えない。それが間違いなく本物の「雰囲気」であるならばその文章は間違いなく本物の名文であると言っていい。
    〇名文とは、人をまるごとまいらせる文章だ、と簡潔に言ってもいい。
    分析が可能なのは、自分が今そこにいないからである。距離を置いて眺めることができるからである。今、現に恋の中にいる人は総合的にまいっているのだ。人は総合的にしかまいることはできないのだから。
    〇ある作家が好きになるのも、もちろん、生の人間とのつきあいによってでなく文章をとおしてである。
    〇名文の構造 部分引用50冊
    ・国木田独歩「武蔵野」
    ・夏目漱石「草枕」
    現代日本の小説文章は文の長さの平均が40字ほどになると考えておいていいだろう。
    ・正宗白鳥「何処へ」・武者小路実篤「お目出たき人」・森鴎外「空車」
    ・佐藤春夫「田園の憂鬱」
    少し厳密に言うと、同じ語を別別の表記で表すのは、その部分を読みやすくする場合と、漢字と仮名の配合という主として字面の美しさを狙う場合とがあるが、もう一つ、表記の差によって同語の意味の微妙な違いを区別しようとする場合もある。
    ・久保田万太郎「末枯(うらがれ)」
    さらっと書くということは文を飾らないことである。それは結果として簡潔な文になる。そのようにして成立した短文は、文が短いために、また乾燥した感じが出てくる。
    ・宇野浩二「蔵の中」
    ・永井荷風「雨瀟瀟」
    「 その年の二百十日は確かに涼しい月夜であった。続いて二百十日の厄日も亦それとは殆ど気もつかぬばかり、いつに変わらぬ残暑の西日に蜩の声のみあわただしく夜になった。夜になってからは流石厄日の申訳らしく降り出す雨の音を聞きつけたものの然し風は芭蕉も破らず紫苑をも鶏頭をも倒しはしなかった―わたしはその年の日記を繰り開いてみるまでもなく斯く明に記憶しているのは、其夜の雨から時候が打って変ってとても浴衣一枚ではいられぬ肌寒さにわたしはうろたえて襦袢を重ねたのみか、すこし夜も深けかけた頃には袷羽織まで引掛けた事があるからである。彼岸前に羽織を着るなぞとはいかに多病な身波にもついぞ覚えたことがないので、立つ秋の俄に肌寒く覚える夕といえば何ともつかず其頃のことを思出すのである。
    その頃のことと云ったとて、いつも単調なわが身の上、別に変わった話のあるわけではない。唯その頃までわたしは数年の間さして心にも留めず成り行きの儘送って来た孤独の境涯が、つまる処わたしの一生の結末であろう。此れから先わたしの身にはもうさして面白いこともない代わりまたさして悲しい事も起こるまい。秋の日のどんよりと曇って風もなく雨にもならず暮れて行くように私の一生は終わって行くのであろうというような事をいわれもなく感じたまでの事である。」
    ・里見弴「椿」
    『蒲団へ転げ込んで、頭から夜着にくるまって、じッと息を殺し、耳をすましていた。
    しいんとした。
    暫くそうしていたが、息苦しくなって耐えられなくなって来て、姪が、そっと顔を出して見ると、いつの間にか叔母は、普段のとおり肩をしっかり包んで、こちらに向きに静に臥ていた。(まアいやな姉さん!)と思いながら、左下に臥返った。と、部屋の隅の暗さに、電燈の覆いの紅が滲んで、藤紫の隈となって、しじゅう見慣れた清方の元禄美人が、屏風のなかで死相を現わしている・・・・。
    「あら、いやだ」
    思わず呟いて、すぐまたくるりと向き変える鼻のさきで、出し抜けに叔母が、もうとても耐えられない、という風に、ぷッと噴飯(ふきだ)すと、いつもなかなか笑わない人に似げなく、華美(はで)な友禅の夜着を鼻の上まで急いで引きあげ、肩から腰へかけて大波を揺らせながら、目をつぶって、大笑いに笑いぬく、―ちょいと初めの瞬間こそ面喰ったが、すぐにその可笑しい心持が、鏡にものの映るが如くに、姪の胸へもぴったりと来た。で、これもひとたまりもなく笑いだした。笑う、笑う、なんにも言わずに、ただもうくッくと笑い転げる・・・・。それがしんかんと寝静まった真夜中だけに、―従って大声がたてられないだけに、なおのこと可笑しかった。可笑しくって、可笑しくって、思えば思えば可笑しくって、どうにもならなく可笑しかった・・・・。』
    ・徳田秋声「風呂桶」・柳田国男「雪国の春」・梶井基次郎「桜の樹の下には」
    ・谷崎潤一郎「陰翳礼讃」
    近代・現代の小説文書の平均文長は40字ほどだから、この文章はその2倍かそれ以上の長さだということになる。
    ・坪田譲治「風の中の子供」・堀辰雄「風立ちぬ」・瀧井孝作「積雪」・太宰治「富嶽百景」・網野菊「風呂敷」・木山捷平「大陸の細道」・坂口安吾「桜の森の満開の下」・尾崎一雄「虫のいろいろ」・大岡昇平「俘虜記」・高田保「ブラリひょうたん」・川端康成「千羽鶴」・志賀直哉「山鳩」・内田百閒「特別阿房列車」・小林秀雄「ゴッホの手紙」
    ・永井龍男「風ふたたび」
    『 数番の仕掛花火が、終りを告げたばかりらしく、濃い一面の白煙が、ほのかに余燼に映えつつ、川上へもうもうと吹き上げられていた。対岸のビルの灯も、川を渡る総武線の灯も、その中に見えがくれした。
    ほっと一息入れた川筋を見下していると、乱れ乱れたざわめきをこえて、時おりカン高い一人一人の遠い叫びも、はっきり、ひびいてくるのだった。
    いち早く香菜江が、両国橋をへだてた向こうの空に、音なく開く花火をみとめた時だった。身近に、虚空を切り、風を打つ気配ともども、香菜江の頭上は、金のあざみ、銀のあざみに、さあッとおおわれた。
    橋をはさんでの、最後の競り合いが、再び始まっていたのだ。
    金のあざみ、銀のあざみ、柳の雪が燃え、散る菊にダリアを重ねる。五彩の花々は、絶え間なく空を染め、絶え間なく空に吸い込まれた。
    香菜江は、息をのんだ。爆音も耳になく、ただ、異様に鳴りはずむ、おのれの胸に苦しんだ。長い瞬間であった。
    めまいのように、ぺたりと、もうせんに腰をおとした香菜江を、爆音のこだまが、一時におそった。手のひらで顔をおおうと、眼の中にも花火があった。』
    もし読者というものがいなかったら、スタイルとか文体とかいった問題は空になる。それらは読者のスタイルを通り抜けることによって現実になるのだから。そこに読者の影が映ずることは避けがたい。名文にしても同じことだ。
    読者の想像力を刺激する断片的な記述を述べた文章がある。日本人の伝統的な名文観にはそういうタイプの文章が思い描かれるのが常である。
    ・小島信夫「小銃」・吉行淳之助「驟雨」・北杜夫「幽霊」・串田孫一「秋の組曲」・幸田文「おとうと」・石川淳「紫苑物語」・円地文子「妖」・室生犀星「杏っ子」・小川国夫「貝の声」・井伏鱒二「珍品堂主人」・安岡章太郎「海辺の風景」・島尾敏雄「出発は遂に訪れず」・辻邦生「旅の終わり」・庄野潤三「秋風と二人の男」・丸谷才一「笹まくら」
    ・小沼丹「懐中時計」
    『 上田友男の家には使っていない懐中時計が二つある。二個とも彼の亡くなった父君の持ち物である。彼の父君は軍人だったそうで、一つは恩賜の銀時計、もう一つはロンジンの懐中時計である。この裡、恩賜の時計は譲る訳にはいかぬがロンジンなら譲らぬものでもない、ざっとそんな話である。
    ―しかしその時計は動くのかね?
    ―動くよ、と上田友男は心外だと云う顔で口をとがらせた。もう三十年ばかり経つが、いいかい、三十年だぜ…。
    三十年経つが今に至るも正確無比で1分1秒と狂わないのだそうである。
    ―まあ考えておこう。
    ―いいかい、と上田和夫は尤もらしい顔をして云った。一つはっきりさせておくが、僕は別に君に時計を売りつけようとしている訳じゃないんだぜ。あくまで好意的な提案なんだからね。そこんところを間違えないで貰いたいな。
    僕は、間違えやしないから安心しろ、と答えておいた。
    (中略)
    ―ところで、君の方の気持ちは決まったかい?
    ―一体、幾らで譲るつもりなんだい?
    ―幾らぐらいならいいかね?
    そんな話をしていたら駅へついたので、われわれは右と左へ別れた。時計の値段は次の機会に話しあうことにしたのである。

    果たして、十年前のそのころ、僕に上田友男の懐中時計を買う意志が本当にあったのか、また、彼に売る意志が本当にあったのか、どうも良く判らない。しかし、われわれが一個の時計を中心にいろいろ論じあったのは事実である。
    最初の交渉は、一軒の酒場で行われた。先ず、僕の方から、そんな古時計は只で呉れたらどうだ? と切り出したが、彼は問題にしなかった。それは死んだ親爺に失礼だ、と云うのが彼の云い分であった。僕はそんな云い分に一向に権威を認めなかったが、彼は固く自説を守って枉げなかった。
    その結果、われわれはうまいことを思いついた。双方で最高と最低の値段を云って、互いに妥協点まで歩み寄ろうと云うのである。僕と上田友男は酒場のメモ用紙を貰って、互いに数字を書き入れて交換した。
    ―ゼロが一つ足りないんじゃないのかい?
    上田友男が口をとがらせた。
    ―ゼロが一つ多すぎるな。
    と、僕は云った。上田友男は一万円の値をつけ、僕は千円とつけたのである。上田友男はロンジンのために弁じた。曰く、わが家のロンジンの懐中時計は正確無比の高級品である。今日懐中時計は流行から見放されているが、その骨董的価値は莫大である。そのような時計を身に着けていると、その所有者まで何やら奥ゆかしく見えるであろう、と。
    そこで僕も一席弁じた。
    いまどき懐中時計を買おうなんてもの好きは滅多にあるものではない。僕が要らぬと云えば、そのロンジンはおそらく君の家の抽斗のなかかどこかに、いつまでも眠っているであろう。無用の長物にであるにすぎぬ。まして、僕は実用品として懐中時計を求めるのであるから、その骨董的価値など一文にもならないのである、と。
    上田友男はパイプをふかしながら聞いていたが、軽く咳払いした。
    ―成程、尤もなところもあるね。じゃ、こっちは九千円にしよう。
    ―ふうん、じゃ公平を期してこっちも二千円まで出そう。
    それから、二人で乾杯した。
    この辺までは洵に円滑に運んだが、そのあとはなかなか進展しなかった。上田友男が六千円まで譲歩し、僕が四千円と値をつけるまでに、半年は経過していただろう。
    この間に、僕は上田友男に肝腎の時計を見せてくれと頼んだが、彼は決して見せようとしなかった。だから、僕がその時計の存在を疑ったとしても不思議はあるまい。
    ―ほんとにあるのかい?
    ―ありますよ、莫迦なこと云っちゃいけないよ。
    ―じゃ、何故見せないんだ?買主は品物を見てから買うものだろう。
    ―こっちを信用して貰いたいね。
    しかし、ある時上田友男が酔って話したところによると、うっかり僕に時計を見せて、僕が感心していい時計だと讃めたりすると、彼は何かの弾みで僕に時計を「進呈する」と云い出さぬとも限らない。それが心配だと云うのである。
    (中略)
    半年も経つと、この交渉も一種の遊戯と化した感があって、両方ともあまり熱がなくなっていたのも事実である。
    ―いい加減で買っといた方が、いいと思うがね・・・。
    ―この辺で売った方がいいぜ。
    そんな文句を、今日はいい天気だね、と云う替りに交していたのである。』
    【懐中時計】は、小沼丹が自らの個性を見定め、そういう独自の文体を獲得した後になった名品である。
    ・阿部昭「大いなる日」・田宮虎彦「沖縄の手記から」・上林暁「極楽寺門前」・藤枝静男「雛祭り」・宮本輝「蛍川」

  • 《判りやすいかどうかよりも、何が判るかが実は最も肝要なのだし、どう判るかが次に問題なのだ。つまり、伝わりやすさという一側面だけではなく、何が、どう、という面を含めて、作者と読者とがぶつかりあう芸術活動の前工程が取りあげられなければならないのである。なかでも、その文章の運ぶ書き手の人間性の価値がどの程度深く読み手の魂を動かすのかが、文章一般ではなく特に名文を問題とする際には、まっさきに論じられなければならないはずである。》(p.39)

    《この点描めいた部分だけでなく、引用文全体にわたって過去形がまったく現れず、ほとんど現在形で終止していることにも注目したい。これはある一定の時における武蔵野を描いた作品ではないからだ。武蔵野のいわば永遠の姿を描いているからである。「日が落ちる……寒さが身に沁む」につづく「其時」にしても、ある特定の過去を指さない。いつの年も、その季節の、そういう日の夕刻には、という意味での、いわば普遍的な条件を示しているにすぎない。そして、この文章の視点は明らかに歩いている。その歩調に合わせて文が展開する。動いている間はいつも現在なのである。》(p.97)

    《絵のように美しいといった表現が不思議にあてはまるような情景である。しかし、そこに必死に生きている男女に対する感情の動きが伴わなければ、それは一枚の絵はがきかスチール写真に堕してしまう。そういう危険な美しさがある。だが、さいわいなことに、私たちは、そこに、戯れではなく、一瞬ずつを悼まねばならなかった悲愴な愛を感じて、その姿に打たれるのだ。この感動は、しかし、状況という事実そのものから来るのではない。あくまで文章という言語表現を契機として起こるのである。ということは、別の書き方をしていたら読者側の感動の質も違ってきただろう、ということを意味する。すなわち、私たちは堀辰雄の文体に反応しているのである。》(p.190)

    《現象的に最も目だつのは、ひょいひょいと助詞が脱落する点である。これは文章のいわば民謡的で雑談的な印象と無関係とは思えない。例は探すまでもなく、すぐに目に飛び込んでくる。引用冒頭から特徴的な例で始まる。「三ッ峠、海抜千七百米」。まるで旅行案内のような文だ。が、三ッ峠のあとに助詞を入れて完結した文に直そうとすると、意外に厄介なことに気づく。「三ッ峠は海抜千七百米ある」としても、「三ッ峠は海抜千七百米である」としても、「海抜千七百米」という高さのところに重心がかかりすぎる。》(p.200)

  • 主に明治以降の文豪クラスの代表的文例を引いてきて詳細に分析してみせる。中村自身の華麗な語彙のほうが気になるな。

  • 12/12/29、神保町・澤口書店で購入(古書)。

  • 20100812購入

  • まだ読んでる最中。

  • これは授業の教科書だったんだけど
    いろいろと面白そうな本が見つかる

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著者プロフィール

1935年、山形県生まれ。早稲田大学大学院修士課程修了。国立国語研究所室長、成蹊大学教授を経て、早稲田大学教授(日本語研究教育センター所長)、現在は名誉教授。日本語文体論学会代表理事、現在は名誉顧問。主著に『日本語レトリックの体系』『日本語文体論』『日本語 語感の辞典』『日本語 名表現辞典』『日本語 笑いの技法辞典』『新明解 類語辞典』『類語ニュアンス辞典』『美しい日本語』『日本語の勘』『日本語名言紀行』など。

「2023年 『文章作法事典』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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