どうして英語が使えない? (ちくま学芸文庫 サ 10-1)

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  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480082466

感想・レビュー・書評

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  • 日本人が英語を話せない理由がいくつも挙げられているが、それは非常に的を射ていると思われる。その主軸にあるのが、「一対一対応」なるものである。headの意味は頭で統一する。しかし、頭と言っても、英語のheadは顔も含みうるのである、場合によっては。eveningにしたって、夕方と訳すが、実際は夕方から就寝するまでの時間帯がeveningにあたるので、夕方よりもむしろ夜の方が長いわけである。といったように、英語と日本語ではそもそも言葉が表す「範囲」が異なるのに無理やりそれを対応させようとした結果、ズレが生じる。これは、発音にも該当する。実際には、英語と日本語の発音で同じものなどないのだが、それをaやi:は一緒だといったように一対一対応をさせようとする結果、おかしくなる。それくらいなら聞こえるままにひたすら発音練習をしてゆけばよい。要するに人によって音の聞こえ方なんて異なるのだから、「自分にはこう聞こえるものがaである」といったように練習を積んだ方がネイティブをききとる、あるいは、ネイティブと会話するには近道なのである。さらに、この一対一対応をつくりあげるシステムとして、「英和辞典」などがあげられる。さらには、受験英語や入試英語は生徒が間違いやすい部分に焦点を絞るために、実用性からは限りなく離れていくこととなる。早い話、関係代名詞などなくとも会話が可能である。

    特に、

    The boy who is tall is Bob.

    The tall boy is Bob. といった二文があれば上は意味不明であろう、なにゆえ、こういった言い回しがされるべきなのか?日本語で妙に角ばった言い回しをするとおかしく感じるだろう。ただ、我々は、英語に関してその感覚を持てないのである。それも問題である。


    ※その1
    「レモネード」→「ラムネ」 「エ」→「ア」
    「ガレー船」→「ゲラ」   「ア」→「エ」
    「トラック」→「トロッコ」 「ア」→「オ」
    「フック」→「ホック」   「ウ」→「オ」
    「チケット」→「テケツ」  「イ」→「エ」
    「マシーン」→「ミシン」  「ア」→「イ」

    といったように、聞こえる、という法則があるようです。

    ※その2「マクドナルドの法則:強い音節が弱い音節を飲み込む」などがある。
    「McDonald's」→「ムダノス」にきこえる。

    ※その3母音が非常にあいまいなどの特徴も見受けられる。

    ※その4
    What are you going to do tonight? 「ワデガナドゥーダナイ?」
    What do you want to do tonight?  「ワデワナドゥーダナイ?」と、きこえる。

    ※その5冠詞
           ■英語        ■仏語
    単数  複数      単数  複数
    不定冠詞  a   なし un,une des
    定冠詞 the the le,la les
    といったように、英語は、不定冠詞に複数形がないし、定冠詞は、単数複数一緒なので少しつかみにくい。



    ちなみに、日本人の英語例文の作り方は、知っている文法を元に創作的に作ってしまう。だから、ネイティブではほぼ使わないようなものや、あるいは意味がずれているのにそれと気づかずに使ってしまう。だから、おかしな例文ばかりが並ぶ。それも、孤立した例文である。本来は文脈を元に理解されるべきであるのに、我々は文脈を元にした理解を怠っているので、どうしても孤立した文が出来上がり、文脈を無視した表現などが多用されてしまう。それは、我々の英語教育が文法中心であり、文法を元にした精読中心であり、よって触れる文量が圧倒的に少ないことも、我々が生きた英語を持ちいれない原因であると、著者は述べる。我々は、時間をかけて客観的に分析する力は養えても、ネイティブのように生きた英語を使いこなす練習を欠いている、のである。よって、話せるわけがない、というのである。


    ※その6
    ■日本語            ■英語
    近くのもの→これ        近くのものや人→これ
    中間のもの→それ        近くないものや人→あれ
    遠くのもの→あれ

    英語には、中間的なものがないので、それ、という概念は実はない。it=それ、というのは、日本人が無理やり一対一対応させた結果できたものであり、itをそれ、と訳す必要はない。とはいえ、それ以外の適語がないのも実情であろう。


    ※その7
    How about tea?:これは、何か飲みましょうという文脈で、それなら、「お茶はどうですか?」という意味合い。
    How about some tea?:これは、そういった文脈なしで、「お茶でもどうですか?」と勧める際に用いる。

    ※その8
    不定詞の用法や、現在完了の意味わけなどといったものは、文脈で判断すればよい。また、三単現のsなど付け忘れたところでどうだっていい。

    さて、著者が英語学習のために提案している手法は3つ。
    1つ目は多読である。高校生1年生なら、中学1年生くらい。3年戻れ、そうすれば、すらすら読める=多読可能、ということである。また、知らない単語は1ページに3つまで、というのも重要。この二つの条件を満たせばすらすら読める、という次第なのである。これによって、ひたすら足りない量をこなしていく。
    2つ目は精読である。精読といっても、60%の精読である。全体の文意だけとられる。とりあえず、パラグラフの一分目さえつかめればあとは次にいってよい、それで全体の意味さえつかめれば大丈夫、ということである。つまり、精読しながらも多読をこなせ、という要求なのである。3つ目は、シャドウイングである。映画を見ながら、きこえてくるのとまったく同じ形で、セリフと同時に英語を唱える、という練習である。ネイティブと同じスピードで同じ呼吸で同じ発音ができえれば(それが不可能だとしてもそれに限りなく近づければ)、会話も自然とできるようになるだろう、というわけである。

  • ぐちぐちと日本の英語教育が悪い、との批判ばかりを展開している内容

    それでも、まだ対策が具体的で低レベル学習者でも一筋の光明が見える点は、一緒に読んだ「英文読解のストラテジー」に比べればましか。
    しかし、日本の英語教育者は、悲観的と言うか批判的と言うか自己責任感が低いと言うか、、、

    ちなみに、本書の約8割を使って
    ・辞書は英語と日本語が1対1で対応するように書かれていて単なる単語帳で使えない
    ・学校英語は文法重視で、そのため本来の英語とは違う人工言語でしかない
    ・そもそも教科書が〜、、単語帳が〜、、、
    とか、、、はいはいもういいから(笑)ッて感じ。

    じゃどうやって学習すればいいかについては、
    ・「やさしすぎる」児童書レベルから浴びるように読む
    ・努力と根性で読むのではなく楽しんで読むことが大切
    ・映画などを通じて浴びるように聞くのも良い
    ということが、最後の方にちょこっと書いてあります。
    こっちをメインに書いて欲しかった気もしますが。

  • 学校英語・受験英語のおかしさを具体的に指摘した本です。

    著者の主張自体はけっして珍しいものではなく、むしろ聞き飽きているといっていいくらいなのですが、英和辞典の硬直した訳語や、森一郎の『試験に出る英単語』(青春出版社)、伊藤和夫と鈴木長十の『基本英文700選』(駿台文庫)などから多くの例を引きながら、その問題点を明らかにしているところなどは、単純に勉強になりました。

    ただ正直なところ、受験英語に対する批判のトーンがやや強すぎるのではないかとも感じます。確かに、英語と日本語との間に硬直した一対一対応が成り立っているかのような理解には問題があるのでしょうが、学校英語・受験英語も初歩の段階においては役に立っているのではないかと思うのですが。ただのハシゴにすぎないと割り切れば、それなりに有益だと考えます。

  • 先日読んだ『快読100万語!ペーパーバックへの道』に共感したため、同著者のこちらを読んでみました。
    いや、なかなか舌鋒鋭いです。日本の学校英語、なかんずく受験英語批判。そしてその指摘のほとんどに「確かに」と頷かされます。日本で教えられている英語は「人工言語」。では、本来の英語を身につけていくためにはどうすれば良いか…
    すでに『快読〜』の方にその方法論は書かれていますが、こちらはその「理屈編」というべき内容でした。私は著者の方法論に共感します。

  • 日本の英語教育は、人工言語のお勉強とキッパリ断言。
    言葉は、文化が生み出したもの。文化が違う国の言葉と自国語は1対1対応の言葉や発音はありえない。
    身につけるためには、とにかくシャワーを浴びるように英語を聞き、読むことを繰り返すこと。
    訳さずにそのまま意味がわかるようにする。そのためには全部わかる必要はない。
    60%わかればよいと思って乱読すること。

  • 少々古くなってはいるが、受験英語の構造的欠陥を指摘した点、やはり出色であった。伊藤和夫、森一郎的受験英語が日本人の英語能力にいささかの寄与もなし得なかったことは何度繰り返されてもいいと思う。

  • 著者は、うちの学校にもよく来てくれる先生。

    うちの「英語教育」の考え方がよくわかる本だぞ。英語をもっと使えるようになりたいという人はぜひ読んでください。

    著者の先生は、しょっちゅう学校に来るので、直接質問もできるぞ。

  • 今年こそ使える英語を身に付けたい
    POINT
    “1対1対応”重視の英和辞典には間違いが多い
    学校英語は受験用に作られた人工言語と心得よ
    実践的な英語習得への第一歩は浴びるように読んで聴く

  • 最初の2/3は、学校英語、受験英語に対する批判。英和辞書における訳語、ニュアンスの違いや、文章から独立して短文のみを扱うことの危険性、型にはめようとする文法等を問題として挙げていた。
    後ろでは、どのように学習すれば良いかを挙げており、とにかく英語を聞くこと、聴きながらシャドーイングすることを良いとしていた。また、多読も必要とのことで、簡単な文章から良いとしていた。
    カタカナ英語に対する批判もしていて、アルファベットからカタカナにしたレモネードよりも、音をカタカナにしたラムネの方が実際の音に近いので、通じるとしている。

  • 多読指導で有名な酒井先生の初期の本。全体的な内容が多少古くなったような感じがするが、(特に「学校英語」については、2003年に改正された学習指導要領を見ても「実践的コミュニケーション」が前面に押し出されていることや、それに見合った指導を展開している先生も少なくないので、著者の当時の見解が現代の実態と全く一致するわけではない感じがする。)それでも学校文法や受験英語の弊害や多読・多聴の方法論の話は参考になる部分が多い。
     本書は、「学校英語=人工言語」となっているメカニズムを、英和辞典批判、学校文法批判等を通して分析し、多読・多聴の方法など、それに代わる新しい学習法を提示している。全体的に分かりやすい書き方で、特に方法論の解説は役に立つ部分もあるし、多読をやってみようという気にさせてくれるが、最後の「演習編」は紙幅の都合もあるのだろうが、少し不親切、というか無責任な感じもする。「演習編」は映画「スピード」とTIMEの記事でその実践法を紹介しているが、それらは全ての結果(答え)が分かった先生だからこそできるやり方であって、初心者は、例えばどんな映画を選べばよいか、どんな台詞を聞き取ってまねすれば良いか(つまりあらかじめ英語の台詞が分かっていないといけない。今ならDVDで英語字幕を出せるから良いが)、どの部分が読めれば記事の面白さが理解できるのか、といった肝心な点がよく分からない。映画には方言やスラングもあるし、必ずしもトピックセンテンスを読むだけで記事全体の面白さが味わえるわけでもないし、少し納得できない部分がある。映画や記事を楽しもうとする姿勢には賛同するが、おれならこんな読み方はかえってフラストレーションが溜まってしまいそうだ。
     上記の斎藤先生とは真っ向から対立するような方法論を展開している。リーディングに興味のある人は読み比べてみるのも面白いかもしれない。

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