夢遊の人々 上 (ちくま文庫)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (668ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480420060

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  • チェコの作家ミラン・クンデラが敬愛する、ヘルマン・ブロッホ(1886年~1951年・オーストリア)の代表作『夢遊の人々』。ちなみにブロッホの同時期の作家には、ジェームス・ジョイス、フランツ・カフカ、ヤロスラフ・ハシェク、マルセル・プルースト、イヴォ・アンドリッチなどがいます。すごっっ!

    さてさて果たしてどんな作品かな? とわくわくしながら読んでみたところ、いや~凄まじい迫力。ブロッホの魂の叫びが炸裂しています。でも一貫して抒情性を排した怜悧な作品で、特に第3部は白眉です。

    *第1部「1888年 パーゼノウ またはロマン主義」(上巻)
    *第2部「1903年 エッシュ または無政府主義」(上巻)
    *第3部「1918年 ユグノオ または即物主義」(下巻)

    サブタイトルも明快。時代、主人公名、社会背景をあらわしたもので、15年ごとにブロッホが時代を考察した長編作品です。一見すると、別々の物語のように思われますが、さにあらず。ちゃあんと繋がるからさすがです!

    作品全体に貫かれているのは、「価値の崩壊」と、その流れ(歴史というもの)に夢のようにぼんやり呑み込まれていく人々を描いていると思うのです。そして、その流れはとまることはなく今も続いている。

    第1部のパーゼノウは軍人。軍人の価値体系から世界をとらえています。実業家は企業のそれ、商人は商行為のそれ……それまでは、それぞれの部分社会で構築された価値体系の中で自我を形成し、生を全うしていた時代でした。しかし近代化により、個人主義、自由主義、価値観の多様化が広がり、これまでの生の形式はしだいに揺らいでいきます。

    このパートのキーワードは「制服」。軍人パーゼノウから軍服(という価値世界)をはがしてしまえば、そこには一体何が残るのか? パーゼノウは軍人の世界にしがみつきながら、その一方で、軍服を潔く脱ぎ棄てた実業家の友人の自由な生き方や奔放な価値観に、激しい苛立ちと羨望の眼差しを向けます。

    第2部のエッシュは会計士。やはり会計原理に基づいた価値世界に生きている男です。

    「……簿記は周知のように、借方は必ず貸方によって相殺されるのがルールだった」

    エッシュが勤めていた会社の不正事件に巻き込まれてクビになるところから物語ははじまります。キーワードは「簿記」、「借方&貸方」。世界はさらに混沌として不条理なものとなり、簿記のように整然とはいかない。その渦中でエッシュはもがき苦しみます。なんだか、カフカの測量士Kや銀行家のヨーゼフ・Kを彷彿とさせます。しだいに、せん妄状態になり、刹那的な生き方で身を持ち崩していくエッシュ。彼の無秩序・アナーキー状態がはじまります。

    ……ということで、続きは懲りずに下巻で♪

  • 19世紀後半から20世紀前半あたりのドイツが描かれる『夢遊の人々』。上下合わせて約1200ページの大作である。三部構成で第一部「1888年 パーゼノウ またはロマン主義」、第二部「1903年 エッシュ または無政府主義」、第三部「第3部 1918年 ユグノオ または即物主義」となっている。第三部が特に実験的な手法を駆使していて、途中読む集中が切れてしまったりしたけど、何とか最後まで読めて満足した。

    解説や他の人の感想などいろんなところを総合すると「人はいかにして夢遊の状態に陥るのか」ということが書かれていることの一つだと言えそうだ(そのことしか書いていないのかもしれない)。第一部、第二部はリアリスティックな手法で読みやすい。その分退屈と思えるところもあるが、ところどころいろんなことをこちらへ考えさせる断片がある。たとえば「制服」についてであったり「簿記」であったり。

    「制服」のくだりは第一部に出てくるのだけれど、「制服」が人を縛るもの、というのはわりとイメージしやすい。「学校の制服を撤廃せよ!」なんて血気盛んな若者の叫びとかそうでなかろうか。何かに縛られることによって思考停止に陥ってしまい、結果「夢遊」状態になる。このへんはなじみのある感覚だ。

    でも例えば「簿記」は? 第二部に登場するエッシュは、しばしば「勘定が合わない」とか会計用語で自分の感情を測定しようとする。こういう風に書かれると読んでいる側は「戯画的だなあ」と客観的に受け止めることができるけれど、「自分も案外そういうところに陥ってないか?」と自問自答したりすることにもなる。損や得を何かのルールにのっとって測定するのは、実は夢遊の始まりなんじゃないか。

    第一部と第二部は、それほど劇的なところのない話なのだけれど、普段住んでいる家とか慣習のような身近なものが、人の心に少しずつではあるけれど、後で振り返ると決定的だと思えるような影響を及ぼしていて、「あなたはこういうものでできているのですよ」と語りかけられるような気持ちになる。分析が正しいのかどうかは判定がしにくいのだけれど、分析を精密にしていく意志はこの小説から強烈に感じる。

    ナチスの台頭へ至る、群衆のぼんやりとした心理を活写している、というような記述もあり、どこかずっと薄暗い霧がかかったような毎日を想像しながら、ずっと読んでいた。今の時代も先行きが不透明だとか言われるけれど、その不透明な感覚は実は本当に意外なところに潜んでいるのかもしれない。「失業率が~%」とか、そんなわかりやすいところではなくて、例えば整然と並んだ家屋のような本当に何気ない風景とか。

    裏表紙には「英語圏のジョイス、仏語圏のプルーストと並んで~」のような記述がある。観念的でいかにも独語圏の作品らしい作品だった。

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