- Amazon.co.jp ・本 (508ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480420558
作品紹介・あらすじ
フランス・ルネサンス文学を代表する作家フランソワ・ラブレーの傑作大長編、待望の新訳版。この巻では、巨人王ガルガンチュアの誕生・成長と冒険の数々、さらに戦争とその顛末が、笑いと風刺を織り込んだ密度の高い文体によって描き出されてゆく。現代的センスあふれる清新な訳文から、不朽の物語の爆発的な面白さと輝かしい感動が楽しく伝わってくる。
感想・レビュー・書評
-
いやはや、ルネサンス古典の途方もない可笑しさといったら、他にはないのではないでしょうか。
フランソワ・ラブレー(1483?~1553年)はフランスの修道士、医師でもある作家。敬虔なキリスト教徒であり、筋金入りのユマニスト(人文主義)でエラスムスを私淑し敬愛してやまない。私の印象では、「ガルガンチュアとパンタグリュエル」は、エラスムス「痴愚神礼賛」をもっともっとコミカルな物語にしてユーモア漬けにした作品で――人によっては下品でナンセンスにしたと言うかも(汗)――そのはちゃめちゃな可笑しさは、当時の最大権威だったパリ大学神学部(通称ソルボンヌ)、カトリック、スコラ学派などなどをめったうちにしています。本作が禁書になろうが、焚刑のおそれがあろうが、ラブレーは立ちはだかるいばらの森をガルガンチュアのようになぎ倒していきます。
巨人族のガルガンチュアは、巨人の母ガルガメルの耳から誕生しました。その破天荒な物語設定から、当時の信仰を巡って物議を醸し、ラブレーは次々に社会や学問や宗教の権威に対し風刺爆弾を投下して、笑える糞尿譚で遊びたおしています。ガルガンチュアだけでは飽き足らず、その息子パンタグリュエルの冒険でさらなる痛快活劇へと昇華させています(実は先に2巻目の息子パンタグリュエルが発刊されて好評を博し、次に1巻目の父親ガルガンチュアが発刊され、引き続き3巻目……となっています)。
ゴシック書体とローマン書体、スコラ学派とユマニスム、古臭いカリキュラムはダメだと悟ったガルガンチュアは、落胆失望することなく泰然自若。持ち前の明るさでそれまで19年近くも学んできたことを一気に流して初期化するのです。下剤で(笑)。ガルガンチュアが「新しい知」をインストールしていくあたりの描写は、当時のルネサンスの人間復興に向けた力強さを感じさせ、壮大でユーモアに富む見事なものだと感激します。
ラブレーと同世代のモンテーニュは自著の「エセー」の中で何度も紹介して称賛していますね。あのフロベールもラブレーを愛読していたようです。私の好きなミラン・クンデラは、この作品から「ユーモア」(ふれるものすべてを多義的な存在にすること、「相対性のカーニヴァル」)の霊感を授けられているよう。古典の力は凄い……そしてなによりも、私の好きな作家たちが時空をこえて同じラブレーの本を読んで大笑いしながら感激していること。
新訳者の宮下さんが読ませます。この破天荒な物語につき合うのは、相当なエネルギーが必要だっただろうな……と想像し、ただただ頭が下がります。おかげさまで、私は楽しく読了できました。ありがとう~♪
「作品が生きながらえるには、ラブレーの場合のように、その空想力(ファンタジー)が途方もないものであることが要求される」(フロベール)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
注釈が多くてそれは難しいけど、いっそ無視してその荒唐無稽な物語のリズムに浸ってしまった方が面白いと思う。
酒飲みにはたまらない物語だ。産声で飲みたいと泣いたガルガンチュアの、まわりの名もない人の会話だってたまらない。乾く前に飲めば渇かない、真理です笑 -
なんでこう、中世古典ってのはこうも面白いのか。デカメロンのときの興奮がよみがえってきた
-
ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル物語』から、巨人王ガルガンチュアの生涯の描かれた第58章までの訳出。大食とコプトマニーのナンセンスさ。
-
巨人ガルガンチュアの大活躍。
-
これは凄いとしか言いようのない,荒唐無稽かつ超博識な文章である。カタログが延々と続くところなど,テキストの驚異の入り乱れがまたとれる。
また,ルネサンス文学の研究において,だいぶ前の翻訳者の渡辺一夫から,現代の宮下志朗へと継がれていったことも良いことだと思う。 -
挫折
-
下らないんだか難しいんだか…。
-
『ぼくらの頭脳の鍛え方』
書斎の本棚から百冊(立花隆選)83
世界文学
まあ、最低こんなところを。