人生の教科書「よのなかのル-ル」 (ちくま文庫 ふ 29-4)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (540ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480420855

感想・レビュー・書評

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  • もっと早く出会いたかった一冊。

  • 宮台 真司のところだけ読んだ。

  • ・2/11 衝動買いしてしまった.なかなかテーマが重いけどかなり面白そうだ.
    ・2/24 読了.本当だよ、尤もだと思えることばかりだった.よのなかのルールというよりよのなかで自分が生きていくための心構えや思想、考え方が書かれていてとても勉強になった.

  • 宮台ってやっぱりすごい

  • 「ぼくたちは「世間」という物差しを、そろそろ別のものに取り替えるべきだろう。もしかしたら、もはやかつてのように、誰もがひとしなみに持っている共通の物差しというものは成立しないかもしれない。それでも、だからこそ、ぼくたちは一人ひとりの責任において「私」の物差しをつくらなければならない。主語は一人称単数――「みんな」の陰に隠れるわけにはいかないのだ。」(重松清・解説より)

    ★が1つな理由は、別所で熱く語ったので、もうとやかく言わないけれど。
    反面教師として、言葉1つの重みというのをつよく教わった1冊。
    これで終りじゃないだろう、と思うので、またこの著者たちにはめぐり合うつもりだけれど、とにかく色んな意味でこの1冊は忘れないだろうな。

    とにかく、教育者だからって、ちょっと人とは違うことしてるからと言って、全面的に支持はできないと心から感じた。
    それは単に私が保守的だからとか、考え方が違うとか、価値観が異なるとか、そういうことじゃない。それ以前の問題。
    それはたったの1行で、そう思わせられたし、たったの1行でそれほどのことを感じさせたのだ。
    その意味で、スゴいかもしれない。

    【10/14読了・初読・大学図書館】

  • 開始:20090815、完了:20090820

    「人生の教科書〔よのなか〕」と「人生の教科書〔ルール〕」を合わせて再編集し文庫化した本である。成熟社会を担う「市民」を誕生させるための教科書である。確かに犯罪や性、お金と仕事、ビジネス、給与明細、結婚と離婚、自殺、薬物、社会のルールなど、学校では教えてくれないことが内容の中心になっている。ただし、法律をやさしく読み替えただけであるような記述も多く、新たな視点の切り口というものは少なく感じられた。宮台真司氏と藤原和博氏の記述部分はさすがに興味がわいた。以下、気になった言葉。社会生活のルールは、法律、倫理(個人道徳)、道徳(共同体道徳)がある。いまだに子どもに「いい学校・いい会社・いい人生」などというウソを教える母親や、子どもに思いを託すことで、やりたかった仕事や趣味を諦めざるをえなかった、といったような人生上の欠落を生め合わせたがる母親は「バカを伝染す」だけの存在になります。成熟社会では、どんな人間が何を考えて生きているのか分からないという「他人への警戒」こそが常識であるべきです。「知らない人の車に乗ってはいけない」「「知らない人から貰ったものは食べてはいけない」のです。ギャング系チーマーは、彼らは自分の仲間だと意識できる範囲では面倒見がよく、温かい、むしろ「アカの他人」をどう捉えるかという作法を学んできていないことが問題。自立と相互貢献(コントリビューション)を重視する事故決定型の教育。どんな状況でも言いたいことが言える、それが「自立」です。つぎに、大人が子どもに「そうか、それがしたいのか、でも一人じゃできないぞ」と言う。「どうすればいいの」と子どもがきく。大人は『誰かに助けてもらわなきゃ。それには友だちを作らなきゃ。君が魅力的じゃないと友だちはできないぞ」と言う。それだけじゃない。大人が「友だちがしてほしいことをしてあげないと、君がしてほしいことをしてもらえないぞ。友だちは何がしてほしいだろう」と言う。つまり、他人を助けないと自分がやりたいことさえ実現できないことを学ぶ、これが「相互貢献」です。日本では「共同性」の作法を教えても、違った人間が違ったままで互いに助け合うという「共生」の作法を一切教えません。成熟社会では「共同性」よりも「共生」のほうがはるかに重要。人類は伝統的に「仲間を殺すな」「仲間のために人を殺せ」の二大ルールでやってきた。先進国で唯一ともいえる、同じ学年の子が同じことをやる「一斉カリキュラム」。こんなものは百害あて一利なし。自分で計画を立て、好きな時間に好きな授業を好きな先生のところで聴けるようにするべき。日本人に「あなたのアイデンティティは?」と尋ねると、会社だ、学校だ、家庭だと所属対象を答えてしまいます。アイデンティティとは、会社をクビになろうが家庭が崩壊しようが、自分は自分だと言い続けられる根拠なのに、日本では全然理解されていません。子どもの周囲にいる大人(親)が何かに所属しなくても確かでいられるような、自立的尊厳を抱く存在へと変わらなければなりません。ところがそうした大人を生み出すためにこそ、教育改革と尊厳の初期値が必要とされ、そのためには大人が...。「バカが伝染らないシステム」。情報編集能力、の中身についてもう少し触れれば、それは、\\\"自分でゲームを作って友達と遊ぶことのできるチカラ\\\"のようなものだといえる。A君は「人生はそこそこ楽しい、でも世界は無意味だ」と言うのに、B君は「世界は無意味だ、でも人生はそこそこ楽しい」という。二人は似ているようで決定的に違う。Aくんは自殺する。イギリスによる中国人愚民化政策によってアヘン吸引が野放しにされたのが最初。その後、20世紀半ばにかけて、近代国家は例外なくクスリを禁止することになった。禁酒法時代の酒と同じで非合法になったので「金のなる木」になった。初めから意味ある人生を送れていないと思う者にとって、人間やめることなど、大したことではありません。しかも、人間やめない使い方をしている人だって、いくらでも目撃できる昨今なのだ。結婚相手が死んだ後も、夫はあとを追うようにすぐ死にますが、妻はなかなか死にません。火事場の馬鹿力も、圧倒的に女に出やすいのです。みなさんは同じ満員電車にすし詰めになる乗客たちを「かけがえのない人間たち」と思えますか。人にぶつかりんがら前に進む街頭の通行人たちを「かけがえのない人間たち」と思えますか。「平和は面白くない」「話なんかまっぴらごめんだ」と思っているこういう人たちに「平和が大切だ」「話せば分かる」とか言ったり「思いやりが大切だ」を説くだけで、問題は解決するでしょうか。無理でしょう。成熟社会とはそもそも何が幸いなのか、何が不幸なのかが人それぞれに異なる社会のことです。何に意味があり、何に意味がないのかが、人それぞれに異なる社会のことです。「共に生きる」ことを侵害しない強度追及・体感追及は許されてもいいはずです。共に生きることを侵害しない性、共に生きることを侵害しないクスリ、共に生きることを侵害しない暴力は、たとえ奇妙に見えたとしても、許されるべきなのではないでしょうか。いちばん学んでほしいこと。それは学校の中と違って、よのなかには「一つの答え」が見つからない問題ばかりなんだということ。大学のゼミで同じ課題本を素材に討論しても、発言の頻度も、議論の水準も年々低下しつつあることを実感します。問題意識がないので、本を読んでも議論にならないのです。最大の問題は知識量ではなく動機づけの希薄化です。問題の推定材料、?ゼミが男女同数だと発言権の7割は女が取る。?入試偏差値は低いのに夜間部のほうが議論がアクティブである。?カルチャーセンターでの教授経験だと、60歳以上の老人が議論にアクティブである。ハッキリしているのは社会経験が豊かなほど動機付けが強く、知識を自分なりに血肉化する力があることです。逆に言うと、社会経験の機会を犠牲にした高偏差値の優等生男子ほど動機付けを欠き、知識は砂粒のように相互に無関係なので議論に参加できません。論争技術以前に、議論に参加して自己主張するだけの「自分」がない。動機付けが希薄はなのです。本当に求められているのは、「万人共有の物語」も「実利的ごまかし」も頼らずに済む動機づけです。動機づけがあれば知識は自然に学ばれます。知識伝達はあるが、動機づけがなく、ゆえに知識の血肉化と自己陶治がない - これが日本だけ遅れた教育の現実です。この本では、生きていく上でのさまざまな動機づけと学問的知識の習得がうまくクロスする場所を見つけるように努力しました。うまくいっているかどうかわかりませんが、日本の学校教育にはない試みです。「よのなか」とはどういうものなのか。藤原さんは明快に答えてくれた。「あなたの世界」「あなたから見える世界」という感じだと思うんです。英語だと、society というよりは、your world、the world around you のほうがいいかな。少なくともsocietyではない。「世間に申し訳が立たない」「世間様にみっともない」というときの「世間」とは他人の目から見ている世の中、あるいは他人の目から見る自分、つまり他人の目。「よのなか」は自分自身と世界とのインターフェイスの部分でそれを通して世界を見てみようというわけです。

  • お金、犯罪、男と女の関係など、学校ではほとんど教えてくれない内容について詳しく書かれたいわば教科書。著者は2人となっているが、さまざまな人が執筆を行っている。

    教科書と言うこともあり、やや中盤は読みにくい印象を受けた。法律とか犯罪とか絡んでいる章なのでこれは仕方ないと思う。
    しかし、終章は今の世の中を生きる人にとって、一読の価値があるいい章であった。社会学の宮台真司という人をかなり尊敬してしまった。

  • 久しぶりに揺さぶられる感覚を持った一冊。
    全般を通じて「目からうろこ」がボロボロと。
    中でも宮台真司氏に共感。特に序章は必読。
    でも、自分としては終章を唸りながら読みました。
    真摯に考えることが求められます。

  • <font size="3">法律があるから人を殺さないのか?</font>

    0411-0417
    /////
    「全く新しい社会の教科書」として注目を集めた『人生の教科書 よのなか』と『人生の教科書 ルール』を合わせて再編集した一冊。「自殺」「少年犯罪」「仕事と給料」「結婚と離婚」「クローニング」等、学校では決して教えてくれなかった知識の数々がわかりやすく書かれており、日本に「成熟した市民」を誕生させるためのバイブルである。
    /////
    Life本に続き、これもまた『回答』ではなく『問題提起』。
    所々個人的に興味の無い分野も有りましたが、それでもどんどん先を読みたくなりました。
    理解や思考が深まる1冊です。

  • 21歳も十分勉強になりました。生きやすそうで生きにくいこの世の中。がんばらないと。

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著者プロフィール

藤原和博(ふじはら・かずひろ)
「朝礼だけの学校」校長。1955年東京生まれ。1978年東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任。メディアファクトリーの創業も手がける。1993年よりヨーロッパ駐在、1996年同社フェローとなる。2003~08年、杉並区立和田中学校で義務教育初の民間校長を務める。2008~11年、橋下大阪府知事の特別顧問。2014年から佐賀県武雄市特別顧問。2016~18年、奈良市立一条高等学校校長を務める。

「2021年 『「人生の教科書」コレクション全10冊セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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