気をつけたほうがいい。久世光彦さんは文学の変態です。
「一冊の本を読むことは、一人の女と寝ることに似ている―外見だの評判だのは、むろん当てにならない。女は寝てみなければわからない」って、怖いよね……★
しかし、愛読書というのが、読み手とただならぬ関係に至った本のことを指すのは、間違いありません。そして久世氏は、複数の作品と特殊に濃くおつきあいしてきた作家なのです。
『美の死』には、多くの文学作品(古典多め)に触れた久世光彦さんがどのような反応を示してきたかが、しっとりと熱を帯びて艶めいた筆致で描き出されています。
美しきものへの愛や憧れを惜しまず文字化し、迷うことなく懐かしき思いに耽溺する。作者の姿勢は、冷めたふりした現代人たちがはっとさせられてしまうような、まっすぐな愛しかたです。それでいて、溺れを描くのにも品を欠かず、感傷が安っぽくなっていないのも素晴らしい。
個人的に最もはまって読んだのは、小川未明の章でした。風の音を聴いて笑い、澄んだ声で話す女性と過ごした日々のこと……。これはあまりにも鮮やかなお手並みで世界観が完成されていて、書評を超えてほとんど恋愛短編小説になっています☆
童話のように美しき感覚を愛するからこそ、死に至る美を見てしまう……。小川未明はずるずる続くなれ合いの関係を嫌った作家であり、そのことが久世さん自身の愛のエピソードと奇跡的に呼応しています。
そこには、その本を読んだのがこの人物なればこそ、という印がくっきりと捺されています。小川未明の童話は大人こそ味読すべき魅力があるとは思うけれども、少なくとも私が何度読んでも、こんな艶は出てこない。本とのつき合いかたは一人一人異なるのだという考えを、あらためて強くしました。
人の体に刻まれたことが染み出してきて、読書体験を特別なものにする。特別な物語は自分の血肉と化し、体内に息づくのです。