- Amazon.co.jp ・本 (211ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480422484
作品紹介・あらすじ
雪に埋もれた海辺に佇む「兎屋敷」と、そこに住む、ヤンソン自身を思わせる老女性画家。彼女に対し、従順な犬をつれた風変わりなひとりの娘がめぐらす長いたくらみ。しかし、その「誠実な詐欺」は、思惑とは違う結果を生み…。ポスト・ムーミンの作品の中でもNo.1の傑作として名高い長編が、徹底的な改訳により、あざやかに新登場。
感想・レビュー・書評
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かなりの辛口。数字しか信用しない姉カトリと少し鈍いが器用な弟マッツが、カトリの思惑から裕福でお金に無頓着な作家アンナと同居する事に。3人のやりとりや村人達の噂、飼い犬の態度など次第に心がひんやりする。理解したいようなしたくない話。
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ムーミンの作者の長編小説。
北欧の冬から春にかけての景色が美しい。
読んでいる間ずっと「誠実な詐欺師」とは何のことか考えていた。
数字に疎い老女性画家アンナと実務的な若い女性のカトリ。カトリは雑貨店や出版社にアンナが「ちょろまかされていた」ことを明らかにしていく。
他人の悪口を言わず、人の好かったアンナは段々猜疑心が強くなっていく。
猜疑心の虜になったアンナは美しい春の訪れも感じられなくなってしまう。
教訓的に読む話ではないのかも。
世の中には芸術的気質の人間と実利的な人間がいるってことだろうか?
トーべ=ヤンソンが実際に陥ったジレンマの話なのかはわからない。 -
いるだろうか、誠実な詐欺師なんて。いるんだ、それが。舞台は北欧のとある雪景色の村。知性と洞察力はあるが、愛想がなく、にこりともしないカトリと、カトリの弟で心が繊細なマット。村での二人の評判は、愛想のない姉と役立たずな弟。さらに村の人々と目の色もちがう二人は、村の連帯からはじき出されている。お世辞も言わず、人にみじんも期待を持たせないカトリを思慮深く、誠実な人物だと思っていたわたしは、とんでもなく欺かれることになる。カトリは、目的を達成するために人の懐へ入り込み、虎視眈々とチャンスを狙う。そして欲しいものを一つ、また一つと奪っていく。その様子は、誠実な詐欺師そのもの。おお......。
p49
アンナ・アエメリンは、自分の領域を画すべくカトリがひいた境界の外側からでは、手のとどかない存在なのだった。
p55
「気を悪くしないでくださいね、クリングさん。ただ、人が期待することはぜったいに口にしないあなたの対応のしかたが、なんだか気にいってしまって。いわゆる-そのう-礼儀正しさの片鱗すらなくて......。礼儀正しさはときに欺瞞だったりする、そうでしょう?わかっていただける?」
「ええ」とカトリは答える。「わかります」
そして自分に命じる。平静と熟考、いまはこれが肝心だ。賭けをつづけよう。これからは自分の武器で闘える。その武器は穢れていない。カトリはそう信じた。
p58
「重要なのは誠実であること、そして騙されないことです、たとえ一ペンニであっても。他人のお金を奪うことがゆるされるのは、そのお金を増やして、正当な分け前をさしもどす場合に限られるんです」
p76
「注意力を」とアンナは口を開いた。「まったき注意力をほかの人に注ぐ、これはめったにみられない現象よ。そうね、ごく稀にしかない......。じっさいらたいへんな直感と思考の力が必要だわ。相手が口にせずとも心から焦がれているものを知ること、といえるかしらね。けっこう本人すら気づかずにいる。自分に必要なのは孤独だ、または逆に、だれかといっしょにいることだと思って......。人間ってわからない......。」
「(前略)いいたかったのはね、じっくり時間をかけて相手を理解し、話に耳を傾け、その生にかかわろうとする人間は、めったにいないということよ。(後略)」
「(前略)たんなる観察の問題です。なにかの習慣や行動様式を観察して、欠けたものや足りないものをみぬき、手当てをする。ただの定石。そして力をつくして改善する。あとはようすをみるだけです」
「なにをみるというの?」とアンナはいう。逆なでされた気分だ。
「その後のなりゆきを」とカトリは答え、アンナをまっすぐみた。
p77
「アエメリンさん、人が互いに相手にすることなんて、行為としてみれば、たいした意味はありません。意味を決めるのは行為の目的、なにをめざしているのか、どこに至ろうとしているか、ですから」
p107
「(前略)いかなる人間も、いいですか、いかなる人間も、例外なく、身体のサイズとは関係なく、なにかを手に入れようと虎視眈々なんです。とにかく手に入れたい。彼らには当然の希いです。年とともに知恵がついて、心なごませる無垢は失われますが、意図そのものは変わりません。(後略)」
p133
いつも待っている。記憶にあるかぎり、わたしはただ待つ以外のことをしたことがない。知性と洞察と胆力のすべてを賭けて、行動できる状況になるのを、じっとひたすら待ってきた。いっさいを決定し、いっさいを正しく配置しなおす大いなる変革を待って。 -
カトリとアンナの両者ともに、自分の内面に近いものを感じて、2人に自分を重ねながら物語を読んだ。アンナは本来の自分に近くて、カトリは大人になるにつれて飼い始めた自分に近い。物語では、2人のエゴは相容れない性質であるが故に互いに悪影響を及ぼし合う。自分の中ある2つの性質も互いに反発し合っていて、似ているなと思った。だからこそ、読んでいて他人事とは思えなくて、2人から目が離せなかった。
この訳者さんが『誠実な詐欺師』を読んだときに、「人と人が近づきすぎると必ず傷つくのだけれど、逆に言えば、傷つかない人間関係には意味がない。」ということを伝えたい本だと思ったと言っていた。
私は、傷ついてもなにかしらの意味があるとは思える。エゴの衝突で、強い絆が生まれることもあれば、最悪の関係性に終わることもある。ただ、エゴとエゴが衝突したからこそ分かることが確かにあると思う。でも、傷つかない人間関係には意味がないとまでは、まだ思えないな。だからこれからも私は、傷つかない人間関係に留まらせることは幾度もあると思う。それでも、人と近づくことに前向きな気持ちにさせてくれた、この訳者さんの一言にはとても感謝している。
多様性を受け入れることや、異質なものに対して寛容であることが、美徳とされつつあるように思う。でも、他者のエゴへの寛容って、あるんだと認めることと、行動で反発しないことくらいが限界だと思う。変に納得や共感を目指すと、似たような性質をもつ人間ばかりになって、かえって多様性を失う気がする。
自分のエゴがある以上、それと反発するエゴがあることは仕方のないこと。エゴには正しさはないし、人によって違うのは当たり前。自分とは異質なエゴについては、存在は認められても、感覚的に納得できないし、共感もできない。自分が自分を見失わないような範囲でしか、受け入れることはできないって割り切ることも必要なのかな。
自分の抱いていた誠実に対するイメージと照らし合わせるなら「正しくて、媚びへつらわない」カトリは誠実じゃない。逆に、人の心を思えるアンナはかつて誠実だったように思う。タイトルでカトリが誠実であることになってるから、カトリは誠実なんだろうけど。
なんか、「誠実」っていう言葉に対して抱いていたイメージと、実際の意味は違ったのかもしれない。正しさと正直さは、私のイメージしていた「誠実」の、高潔で優しいイメージとは必ずしもリンクしないって教えてくれた本だった。カトリに捉われ続ける必要はなくて、もっと柔軟に生きていいんだなって思えた。
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飯能市にあるトーベヤンソン あけぼの子どもの森に行った。キノコの家、鱗のある家など、川と森の佇まいがいい。そのことから、トーベヤンソンの本を読みはじめた。フィンランドのムーミン物語の作者として有名である。フィンランドのイメージは、サンタクロース、オーロラ、サウナなどである。フィンランドは3年連続で、2020年幸福度1位である。日本はなんと62位。
老いた女性画家アンナ、従順な犬を従えた姉カトリ、寡黙な弟マッツの物語。
海が近くにある雪深い寒村。ウサギの顔のような表情をしたウサギ屋敷に住む老いた独り身の画家アンナ。人付き合いもあまりせず、ファンレターがたくさん届く画家で、精密に森の土を描き、その中にウサギの絵を書き込む。食べるものや郵便を届けてくれる人たちがいるので、あまり外に出ない。
カトリは、飼っている犬の目が黄色で、彼女の目の色も黄色だった。野生に生きる力を持っている。数字に強く、純文学を読み知性的である。交渉力もあり、村の人の困った時に相談に乗っている。誠実な人間として評価されているが、村の人たちとは距離感がある。弟マッツは、寡黙な少年で、姉カトリは、なんとかボートを贈ってやりたいと思っている。カトリは、老画家のアンナに手伝いをして、泥棒の真似をして、ひとりであることを怖がらせる。アンナは周りの人からは、独り住まいはよくない、カトリと住みなさいと忠告を受け、カトリ姉弟といっしょに住むことを決める。
カトリは、家の中を片付け、冷蔵庫を片付け、整理整頓をして、次第にお金の管理もするようになる。アンナの収入を増やす中で、その増えた中から、マッツにボートを買うお金を確保することを始めた。アンナは、ひとりであることに慣れているので、カトリの足音や整理しすぎることに不満を募らせていく。そして、アンナは、弟マッツに冒険小説を進めたり、カトリの犬を調教する。
アンナ、カトリ、マッツの3人の関係がくづれていく。犬がカトリとアンナの主人を持つことで、変化し野生を取り戻して、吠え続ける。そして、ボートがやっと手に入るが。
アンナは多分老いたトーベヤンソン自身であり、またカトリは若い頃のトーベヤンソンなのだろう。
二人の私が同居することで、化学的な変化が少しづつ起こっている。厳しい自然の中で、孤独でありながら、自立して生きていこうとする姿勢が屹立した人間を描き出す。
誠実であろうとして誠実とみなされない「私」を描き出そうとする。厳しい自然の中でたくましく生きている。 -
誠実さ故に放言が言えず、人を疑い孤立してしまうカトリと表面上人当たりがよいが何でも信じて、真に誰とも打ち解けていないアンナが衝突する物語。正反対の世界観を持つが、2人とも孤高である。互いに影響を受けながらも最終的に相入れなかった2人だが、自らのアイデンティティが否定された後に何が起こるのだろうか。
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私、「ムーミン」って、実はほとんど読んだことがないのだ。
途中で挫折。
アニメのキャラは好きだったのだけれど……
ま、ヘルシンキに行くなら、ヤンソンの1冊くらい、読んどかなきゃねってことで読み始める。
しかも帰りの飛行機で……(行きは寝ちまった 爆)
……良かった。
……ムーミンも深いとは聞いていたが、ヤンソン、すごい。
ほとんど改訳だそうだが、文体が良い。
余分なものがない感じ。
それが小説の世界と響き合う。
25歳のカトリは数字に長けた、明晰な女性。
兎屋敷に住む、ヤンソンをモデルにしたらしき老画家アンナは裕福で、穏やかな女性……
大雪に閉ざされたその冬、カトリは最愛の弟マッツのために、或る計略を以てアンナに近づく……
春の始まる頃、アンナとカトリに、思いがけない展開が……
これが不穏な、張り詰めた空気に満ち満ちていて、実に怖い。
孤独。
人と人との関係。
欺瞞と潔さ。
自分の大事にするもの。
そういったものが真っ白な村を舞台に、冷徹な観察眼であぶりだされていく。
読んでいくうちに、胸がしんとするのは、私にとって、良い本の証拠。
フィンランドの冬も、かくやあらん……と思えるほど、胸がしんとした。 -
ムーミンで有名なトーベ・ヤンソンの小説。
小説は初めてです。
ちょっと癖のある文体で、分かりづらい箇所もありましたが、主な3人の不器用な人柄がぐっときます。
特にカトリ。
1人で弟を養い、苦労してます。常に気を張ってる感じ。
肩の力を抜いて、と言いたくなる。
不器用で懸命で、聡明。
アンナは裕福さくる世間知らずさん。
マッツは知的な遅れがあるけど、素直で一生懸命。
3人のその後を想像して、きっとうまくチームとしてやっていけると思いました。