- Amazon.co.jp ・本 (312ページ)
- / ISBN・EAN: 9784488017033
作品紹介・あらすじ
一九九一年四月。雨宿りをするひとりの少女との偶然の出会いが、謎に満ちた日々への扉を開けた。遠い国からはるばるおれたちの街にやって来た少女、マーヤ。彼女と過ごす、謎に満ちた日常。そして彼女が帰国した後、おれたちの最大の謎解きが始まる。覗き込んでくる目、カールがかった黒髪、白い首筋、『哲学的意味がありますか?』、そして紫陽花。謎を解く鍵は記憶のなかに-。忘れ難い余韻をもたらす、出会いと祈りの物語。気鋭の新人が贈る清新な力作。
感想・レビュー・書評
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'21年4月17日、読了。
読みながら、「これって、ミステリー?」と、思ってしまった…でも、「あとがき」を読んで、なんとなくですが、解った気がしました。
とても、良かったです。最後の最後に、少し、「謎解き」(らしきもの?)が出てきますが…甘酸っぱい、青春を描いた小説、と僕は読みました。守屋君の、熱い気持ち…その、甘酸っぱさ、みたいなものを、感じ、思い出し、年甲斐も無く、撃たれてしまいました。
わからない箇所が…276~279ページ(白河と守屋が、マーヤの出身地を推理していく箇所。正確には、277ページの12行目と17行目、279ページ14行目)に、白河の事を守屋が「マーヤは…」と語るところが、3箇所?ありますが…これは、何?まさか、「誤り」ではないよな…。(東京創元社ミステリ・フロンティアの単行本 '04年2月25日発行の、初版で読みました。図書館で借りて。)白河が守屋の眼には、マーヤに見えた、マーヤとダブった、という表現?
4月20日、追記…後から出版されたであろう文庫本で、上記の箇所を、ざっと立ち読みで、ではありますが、確認したら…直ってました。どうやら、単なるミスだったようです。初めての経験でした。こんなこと、あるんだなぁ…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
大刀洗の10年後を描く新作が発売されるということなので、読んでみた。1992年が作品の舞台で、当時の世界情勢のことなどを思い出しながら読んだ。日常の小さな疑問を上手に取り扱ってきた作者が、この作品では大きな問題を扱っていて、最後は今までに感じたことのなかった悲しさを味わった。それでも10年後の大刀洗に期待!
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最初は高校生の推理物かと軽い気持ちで読んでいたが、そんな軽い物ではなかった。恥ずかしながら、今まで真剣に知ろうと思ったことのない国の話。自分はその時代に学生でのほほんと毎日生きていた事を思うと、無知が心にのし掛かる。でも、米澤さんの読みやすい文章で、この国の事が少しでも知れたので、この本を読んで良かったと思う。
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「王とサーカス」が読みたくてあらすじを読んでみたら、
まずこちらを先に読んだ方がよさそうだったので
図書館で同時に借りてみた。
米澤作品は昔「小市民シリーズ」を読んだことがあったんだけど、
その時にはさほど感じなかった違和感が、
今回はけっこう感じられた。
高校生が高校生っぽくない。。。
世の中にはこういう高校生もいるのかな?
うん、いることにしよう、、と
自分を納得させながら中盤までがんばって読んだ。
後半、状況が一変してからは、
そっちに集中して読めた。
日本とユーゴスラビア。
同じ年代の少年少女たちが
平和な日本で過ごす二ヶ月あまりの時間が
最後まで読むと切ない。
何かしたくても何も出来ない
自分という小さな存在を
もどかしく感じる主人公の気持ちが
自分の中にもある気がした。 -
『王とサーカス』を読んで、ヒロインの太刀洗万智が高校生のときの出来事を扱っているというので手に取りました。
語り手である守屋路行、友人の太刀洗万智、白河いずる、文原竹彦の四人。
彼らには共通の、マーヤという友人がいる。
二か月という短い期間だったが交流を深め、彼女は安全とは言えない故国に帰って行った。
一年間。
音信不通である。
マーヤを心配する守屋と白河は何とかして行方を知りたいと思うが、太刀洗は「あの子のことは忘れたい」と言い、文原はそこまでする必要はないと思っているようだが資料だけは送ってくれた。
守屋の日記をもとに、短い間の彼女の言動から何か手掛かりをつかめないか、と振り返る2人だったが…
滞在する外国の文化をできうる限り吸収しようとしていたマーヤ。
茶色の手帳とボールペンを手に、乗り出すように聞き込む姿と、「哲学的意味があるのですか?」というお決まりのセリフが印象に残る。
その真摯さがどれほど深いものだったのか、安全な日本に住む守屋たちには完全に理解することはできなかったのかもしれない。
終章まで読めば、序章の太刀洗の突き放した態度が理解できる。 -
短編集「真実の10メートル手前」を読み、太刀洗万智という登場人物に興味を持ちました。
こちらは太刀洗万智が高校生の頃の話ということで、読んでみました。
が、太刀洗万智が主人公ではなく、同級生の守屋が主人公の長編です。
米澤穂信さんの小説の、淡々とした語り口が好きです。この小説も同じくですが、その分、高校生の語りとしてはおとなびている印象を受けます。
マーヤを通してみる、日本人の日々の暮らし…外国からきたマーヤと守屋の間には見えないけれど確実にある「境界線」があります。
感情だけでは近寄れないものが世の中にはあることを、人間個人だけの力ではどうにもならない大きな流れがあることを感じ、無力感が襲ってきます。
米澤穂信さんの最近の小説を読んでからだと、好みがわかれるかもと思います。ですが米澤さん初期の作品として読むと、その後の進化を感じていける小説です。 -
僕は、思い出す。
あの雨の日、偶然出遭ったユーゴスラヴィアの少女:マーヤのことを。
彼女が話した、遠い故郷が直面している問題のことを。
彼女と気の置けない仲間たちと過ごした、あの初夏のことを。
彼女の安否を知るために。
世界情勢苦手。。。
良い話なのだけど、
取り上げるテーマへの苦手意識が先に出てしまった。
『自分の手の届く範囲の外にかかわるのは嘘だと思っている』
というのが、この本で一番ガツンとくる台詞でした。
根の私はこの文原の言葉にとても共感していて
興味がある/ないの落差がはげしい。
でも、意識の高い私は、それでは駄目で
自分の手の届く範囲外にも
耳と心を傾けなければと思っている。
私は手の届く範囲がどうせ狭いのだから、
文原のこの台詞を読んだときに
嫌悪感を感じた自分=意識の高い自分の思考回路を
忘れないでいたいと思う。
大人になると腕の長さは伸びるけど、
手の届く範囲はどんどん狭くなる。
日々つまらなくなる自分を感じながら
この本を読んで、そう思った。
そうか、この本のテーマはそこにあるのか。
守屋が大人になるお話だったのか。
Da!
自分の手の届く範囲の外にかかわるのは嘘だと思っている -
なんと言っていいか分からない。
つまらないわけではないけれど、全然内容が残っていない。
まだ作者になれていないということなのか?
それともそもそも作風が合わないのか?
まあ、気が向いたらまた読んでみよう。