丘の屋敷 (創元推理文庫 F シ 5-1)

  • 東京創元社
3.76
  • (19)
  • (28)
  • (28)
  • (5)
  • (0)
本棚登録 : 452
感想 : 31
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488583033

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 舞台は闇を抱いてひっそりと建ち続ける丘の屋敷。

    屋敷調査のために集まった四人の男女。

    このどこか幻想的な匂いが漂う屋敷が秘めているものに惹きつけられた。
    終始まとわりつく不穏な空気、その空気がもたらす喜怒哀楽、狂気、そして結末。次第に心がのみこまれていくような状態に薄気味悪さを感じる。
    これがこの作品の最大のポイントなんだろうな。

    彼女は屋敷にのみこまれたのか、いや、彼女が屋敷をのみこんだように感じた。

    哀しみの空気が漂った。

  • シャーリー・ジャクソン初読。

    典型的な古典ホラー。
    いわくつきの屋敷に心霊実験をしにきた四人が、怪異に見舞われる。扉が勝手に閉まる、ポルターガイスト、血の文字、幻など。

    原型のようなホラー。じわりじわりとした恐怖はあるが、流石に古いか。徐々に乗り移られる恐怖は良かったが。。。


    読み終えて思い出したが、凄く小さい頃、映画版を見たなぁと(それこそ四半世紀ほど経つのでホラーだが)。登場人物も少なく、そこまで怖くなく、結構ぐだぐだだったけど。リーアム・ニーソン若かったよなぁ。。。

  • 幼いころや若いころ頃に読んで興奮したミステリアスな物語のパターンは、「古い広大な屋敷に数々の部屋があり」「その屋敷の家政を取り仕切っている怖い女管理人(女中頭とか)が居て」「ヒロインはどこかひねくれて孤独の女性」だったのです。

    つまりバーネット『秘密の花園』は伯父さんの大きなお屋敷、怖い女中頭のメドロックさん、わがままで気難しい孤児のメアリが主人公。デュ・モーリア『レベッカ』では結婚したマキシム所有のお城のようなマンダレイ屋敷、使用人の得体が知れない意地悪なデンバース夫人、ヒロインの質素で孤独な独身女性「わたし」という構成なのです。

    ここでも丘の上の屋敷、エレーナという孤独なヒロイン女性と厳格で頑固な管理人料理人のダドリー夫人が登場します。

    ただ、大きく違うのは、『秘密の花園』が荒涼としたムーアの風が吹くに屋敷の中で子供らしく探検するのと、『レベッカ』がツツジの花の香りと霧にまかれてそくそくと謎めいていくのにたいして、『丘の屋敷』は湿った寒い空気に触れられて、ぞおっとする超常現象が起こるのですが、それをどう理解するのかで違ってくるのです。ええーっこんなこと信じられない!ではだめなんです、正直わたしは途中まではそうでしたけどね。

    しかし、シャーリィ・ジャクスンの『お城で暮らしている』でも描いていますが、ヒロインの女性の個性・気質・属性がなんとも真に迫っていて、読み終わったときにはこちらが鬱々としてしまうのであります。

    この物語冒頭の

    「この世のいかなる生き物も、現実世界の厳しさの中で、つねに正気を保ち続けていくというのは難しい」

    という言葉が恐ろしくなります。

  • 以前スティーブン・キングの吸血鬼小説『呪われた町』を読んだときに、この作品について言及されていたので興味を持ち、早速本屋さんで探したところ、どうもすでに絶版らしく全く見つからず、古本屋で地道に探すか~と思いつつ放置していたのがいつのまにか今年(2016)後半のシャーリイ・ジャクスン新作翻訳ブーム(?)のおかげで重版されていたようです。「処刑人」の帯見るまで気づかなかった。とりあえず読めて嬉しい。もとは1959年の作品で、日本では時代によって「山荘綺談」「たたり」などのタイトルで翻訳されており(原題は「THE HAUNTING OF HILL HOUSE」)、映画化も2度(「たたり(1963)」「ホーンティング(1999)」)されているゴシックホラーの古典。

    とても怖かったけれど、個人的にはその怖さはホラー映画の手法的な怖さではなく、シャーリイ・ジャクスンらしい人間の心理面での怖さだと感じた。幽霊屋敷の調査、という設定だてはいかにもホラー的だし、確かに幽霊がいるらしき事象は度々起こるけれど具体的な姿は現さない、屋敷の由来を調べても、最初に家を建てた家族の不幸な因縁話と、その後誰も長期的に棲みつかない、近隣からも忌み嫌われてるという事実がある程度で、大量殺人も起こっていないし、その屋敷で死んだ人も実はいない。つまりこの屋敷を「祟って」いるものの正体がイマイチはっきりしないのだけど、家を建てた男が自分の娘に残したスクラップが発見されたときに、とんだ毒親というか、この父親ちょっと狂ってる、という印象だけがほのめかされる。屋敷を覆っているのは悪霊ではなく狂気なんじゃないのか。

    一方、主人公のエレーナ(ネル)は、過去に心霊体験らしきものがあることで博士に呼ばれて来たけれど、霊感以前に本人の性格のほうで読者に不安を感じさせるタイプ。10年以上母親の介護に追われ恋愛経験もなく気づいたら32才。介護を彼女におしつけて自分は家庭をもっている姉もとんだ毒姉で自己中心的。地味で内向的で自分に自信がなく情緒不安定なネルは霊の側からしたら付け入る隙満載。一緒に実験に加わったセオドラは美人な上に明るく社交的。最初は仲良くなるものの次第にネルはセオに対して劣等感から疑心暗鬼になり殺意まで覚える。私が屋敷の霊でも、明るいセオやノーテンキなルーク、現実的なモンタギュー博士ではなく、ネルを狙うと思う(苦笑)

    そういう意味では後半突如やってくるモンタギュー夫人とアーサーという男はあまりにも現実的で私が霊なら絶対こいつらには憑りつきたくない(笑)モンタギュー夫人は日本でいうコックリさんみたいな降霊術を使ったりするけれど、とても霊能力がある繊細なタイプとは思えない強烈なオバチャン。屋敷の雰囲気や4人のチームワークをぶちこわしに来たかのような俗物の彼らはまるで悪役のように描かれているけれど、実は救世主だったんじゃなかろうか。こういう人たちには、遠回しで思わせぶりな霊の嫌がらせとか通じないもの。こんな人に住まれたら、この屋敷逆にきっと健全になると思う。

    そういう意味ではネルは、屋敷に取り込まれたわけじゃなくて、居場所も自信もない彼女自身が、この屋敷で初めて得たリア充体験(気のおけない女友達と気のあるそぶりをしてくれる男友達と父親のような大人の男性と寛いで振る舞える時間と空間)を手放したくなかったがゆえの結末で、彼女の内面の狂気がすべて引き起こしたのかもしれない。屋敷に幽霊がいると思うより、そっちのほうが私は怖かったし切なかった。

  • 20代の頃にハヤカワ文庫版『山荘綺談』を読んで以来、20年以上この作品の再読を頑なに拒んできたのは、本作が本当に怖いからでなく、堪らなく“厭だった”からだと改めて気付かされた。

    “厭だった”のは作品のプロットや雰囲気云々というよりも、孤独感と己の所在なさを抱えて餓える一方で、他者との距離感を巧く取れないが故にそれらを得ることができず、次第に「屋敷」に取り込まれていき、遂には拒絶され破局を迎えるエレーナの姿(彼女の末路は破局ではなく、むしろ安住の場を得たという見方もあるか)が、まるで―『山荘綺談』で初読した当時、色々と足掻いてもがいていた己自身の戯画化を、薄ら笑いしながら見せ付けられたような気分になっていたから……今にして思えばそんなようにも感じたからかもしれない。

    当時エレーナやルーク達より若かった自分も、現在はモンタギュー博士に近い年齢になったことで、今回はエレーナの痛々しさにもそこまで心を掻き毟られることなく再読できた気がする(それなりに長く生きて、ホラー小説も散々読んで免疫もかなりついてるだろうしw)。ハヤカワ版の『山荘綺談』はだいぶ前に手放してしまい、生憎手元にはないので訳文の比較は出来ないのだが、旧作の小倉多加志訳に比べ本作の渡辺庸子訳は登場人物、特にエレーナの躁的、ヒステリックさは抑えられ、文体から滲む雰囲気が柔らかくなっている模様。当時の強烈な印象はそれも一因としてあるかもしれない。

    本作について複数の方々と語り合う機会が先日あったのだが。この作品を「好き」という方がかなり多く、自分にはちょっとした驚きだった。今回再読了したことで「二度と開きたくない」ほどの拒絶反応はなくなったが、と言ってエンタメ作品、幽霊屋敷小説のマスターピースとして素直に愉しめるか……というと、そこまで気に入ったわけでもない。ただ、傑作と称される理由は理解できた気はする。

    ま、自分の嗜好からするとジャクスン作品はどれも“愉しめる”もの(但し「くじ」を除く)ではないのだけれども。

  • 読んでいて小説の中で辻褄が合わないこと、意味不明な言葉が当然飛び出してきて不安を覚えては心がざわつく。
    気が狂いそうだった。
    幽霊が出てくる描写等は特に無いのに堪らなく怖くてもう勘弁してくれと思っていたらあの結末で地獄を見た。

    途中からとある人物の精神が蝕まれ、おかしくなっていく描写が見事過ぎて本当に怖い。
    そしてそんな彼女が一瞬だけ正気に戻る、そのタイミングが絶妙に最悪過ぎて呻く。
    ラストの後、丘の屋敷は壊されることも浄化されることもなくどんどん呪いを集めて住人を増やしていくんだろうな。

    Netflixで絶賛配信中のドラマ、『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス』を観た後に本作を読んだため端から端まで面白かったが、こんな凄まじい小説を現代的に解釈したマイク・フラナガン監督があまりにも天才すぎて何も言えない。
    『丘の屋敷』を読んだ今だからこそ、『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス 』の結末があれでベストだったと思ったし、あの結末にしようって決めたその姿勢が本当に素晴らしい。
    『丘の屋敷』を見事に再構築した『ザ・ホーンティング・オブ・ヒルハウス 』も併せて観て欲しい。

  • 古典的な怖さのある小説。
    直接的ではなく、得体のしれないものにじわじわと後ろから近づかれているような怖さ。距離が縮まるにつれて息遣いがはっきりと聞こえるようになり、いつそれが自分の首筋に吹きかけられるのか。
    振り向く勇気のない者は、想像し怯えながら、ただ立ち尽くすことしかできない。

    80年前に建てられた『丘の屋敷』。幾人か借り手は現れるものの、数日で引き払ってしまう。今となってはもう誰もその屋敷には近づかない。
    心霊学研究者のモンタギュー博士はその屋敷の調査のために、心霊に関係する経験や能力を持っていると思われる人に協力を求め、コンタクトをとる。丘の屋敷に滞在し、そこで起こる現象を論文にして発表しようと考えているのだ。集まったのはポルターガイストの経験を持つエレーナと、透視能力を持つセオドラ、その屋敷の持ち主の甥のルーク、そして博士の4人。
    到着してその屋敷を目にした途端、誰もが得体の知れない嫌な気配を感じた。2日目の夜にいよいよ『それ』は明確に存在を現し始める。屋敷の中にある図書館、不気味な顔が飾られている子供部屋、少しずつ位置をずらして作られている奇妙な部屋の配置、不気味な存在感のある灰色の塔。何度開けても、知らず知らずに閉まってしまうすべてのドア。
    形がバラバラの小さな石をひとつひとつ積み上げていくような、そんな不安定な気持ちになるこの小説は、『それ』の存在がなんだったのかを解明する話ではない。彼らのうちのひとり、エレーナがこの屋敷に共鳴し、心を囚われ、自覚のないままやがてすべてを飲み込まれていく怖さを描いたものだ。

    物語の始まりと終わりが全く同じであるのも怖い。一言一句違わない。
    それは、丘の上の屋敷は何十年経っても変わらずあの場所にあり、そして永遠に叶うことのない願いのためにまた誰をとりこもうと待っていることを表しているに違いないとわたしは思う。

  • 丘の屋敷
    著作者:シャーリィ・ジャクスン
    発行者:東京創元社
    タイムライン
    http://booklog.jp/timeline/users/collabo39698

  • 80年前に建てられた〝丘の屋敷〟と呼ばれる家は、これまで何人もの人が借りて住んだものの、いずれも短期間で出て行ってしまうという、いわくつきの屋敷でした。そんな建物に興味を持ったのが、怪異な現象の謎を解き明かそうとするモンタギュー博士。博士はこの屋敷を借り受け、調査の手助けになると思われる何人もの人物に招待状を出しますが、その招きに応じたのが、屋敷の持ち主の甥にあたるルーク、透視能力を持つと思われるセオドラ、そして物語のヒロインであるエレーナの3人でした。モンタギュー博士は、先入観に囚われない学術的見地から調査にあたろうとしますが、4人は次々に不可思議な現象に見舞われます。ところが彼らは、怯えながらも平静を装い、その振る舞いには陽気さえ感じられます。
    エレーナは青春時代のほとんどを、病弱な母親の介護についやし、30歳を超えていまだ独身の女性です。彼女は母親が亡くなり、〝丘の屋敷〟の招待に応じることで、はじめて開放感をおぼえていました。屋敷で生活するうちに、そんな彼女の内側で何かが変化していきます。その様子が心理描写を通じて表現されています。
    ひとがほんとうに怖れるのは、自分の胸の奥底を覗き見て、そこにあるものに気づかされることなのかもしれません。ヒロインの孤独が痛々しく、とても哀しい物語でした。

  • 良かった。

    幽霊屋敷に調査に行くわけだし、実際怪奇現象もなかなか強烈なのが出たりするけど、この話はそういった単純に霊が怖いというようなホラーではなくて、人間の孤独や狂気のほうがより恐ろしく感じる話だったと思う。
    私はそういうところが好きだった。

    エレーナの感情の起伏が本当に怖かった。
    セオドラのことを愛しく思ったり、疎ましく思ったり、死ぬところがみてみたいと思ったり…。
    どんどん様子がおかしくなっていってるのに、本人は楽しい幸せだと感じているところもゾッとした。

    母親の介護に生きてきたエレーナの孤独と夢みがちなところはこの屋敷に馴染むものがあったというか、惹き寄せられてしまうところがあったんだろうなと思う。

    最後は魅入られたままでいられたら幸せにあのあとも屋敷に取り憑くことができたのかもしれないけど、『なぜわたしはこんなことをしているの?』と正気に戻ってしまったのが哀れだし怖かった。
    最後の瞬間エレーナには結局絶望しかなかったのだろうし。
    やっぱり屋敷は寂しい心に寄り添ってくれるような優しいものではなく、ただただ邪悪な存在だったんだろうなと。

    結局怪奇現象の原因もわからずじまいなところも私は好き。
    やばそうな父親や、哀れな姉妹、村娘など、いかにも怪奇現象の原因になってそうな出来事は多く出てくるけど、結局そのうちのどれが原因なのかはぼんやりしたまま。
    でもこの話の主軸はそこではないから、わからないままのほうが逆にいいのかなとも思った。

    冒頭にあるように、『この世のいかなる生き物も、現実世界の厳しさの中で、つねに正気を保ち続けていくというのは難しい』ということなのかなぁと。
    どんなに辛くても現実を真っ直ぐ受け止めて進んでいくしかないんだよなぁ…それはすごく難しいことでもあるけど…。

全31件中 1 - 10件を表示

シャーリイ・ジャクスンの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ジョナサン・キャ...
倉橋由美子
シャーリイ ジャ...
ジェフリー フォ...
サン=テグジュペ...
遠藤 周作
三島由紀夫
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×