あなたをつくります (創元SF文庫 テ 1-16)

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  • Amazon.co.jp ・本 (412ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784488696160

感想・レビュー・書評

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  • 2014年9月5日読了。P.K.ディック中期の短編。米国の過去の偉人の情報をインプットし、人間よりも人間らしい個性を持つ「シミュラクラ」を開発したルイスたちは、売り出しに向けてやり手実業家バローズと交渉を進めるが・・・。いかにもディックらしく、SFアクションだろうがスペオペだろうがヒューマンドラマだろうがいかようにも転がせる話の展開をしながら、中盤以降主人公の妄想と精神世界への転落に延々とつき合わされる、というある意味とても『ディックらしい』長編小説。ディックという人は、「妄想が現実化する世界を描きたい、それならSFだ」と発想したのであって、「SF小説を書きたい」人ではなかったのだなあ・・・と感じる。シミュラクラのリンカーンに主人公が助言を求め、リンカーンがそれに答え協力して事に当たる、この展開はコメディなのか真剣なのか、読んでいるうちによく分からなくなってくるあたりがさすが。

  • 以前、旧訳版で読んだことあったけど最初からこちらの新訳版を読めばよかった

  • 読んでてイライラしたりハラハラして、読み終わったらなんだったのか……と思いつつなんか好きです。

  • 本書の裏表紙には『…ディック中期の名篇。』とあるのだが
    ディックの長編デビューは1955年、本書は出版は1972年で「中期」ではある(ブランク後の『流れよ我が涙…』1974以降が後期にあたる)、アポロ計画遂行中だが作中の「月世界不動産」はリアルに程遠い現状。莫大なエネルギーの見返りが少ないと感じはじめた時期でなかろうか?ベトナム戦争と並行して。

    作品の想定は’80年代。’72年から見た十年後には〈ありえない風景〉が展開する。1957年のスプートニク・ショック以前(合衆国がソ連に技術優位に立っているとの自負があった時代)に20年以上の未来を見ると、夢想的技術の“人と見まごうアンドロイドの製作”もありえなくはない、と想像されるかもしれない。
    出版社に拒否され、原稿が到着してからでも十年間、日の目を見るに至らなかった(そのあいだに世相は変わったが、PKDの評価も大きく変わった。年に数冊発表の多作だったのに2年のブランクで新作が待ち望まれていた。ブランクは4年続き中期の代表作『流れよ我が涙、と警官は言った』1974が出る)。
    1961年、ソ連は必死に人工衛星で追いつきかけたアメリカに「人類初の大気圏外地球一周」で突き放した。
    ケネディ大統領は同年「人類を月に送り届け安全に帰還させる、’60年台に」と公言した。
    PKDはロボット活用と並んで月を領土化するテーマの本作をそのころに構想したのではないだろうか。
     ベストセラーとなった『高い城の男』1962の直前ぐらいの執筆、あるいは’50年代か?オルガン=organ と(人体の)器官=organのダジャレ的連想から生まれたのか?
    『アンドロイドは…』でも出てくる情調オルガン(人間の感情をコントロールできる)が本書で(PKDではじめて)ライバル会社のキラーコンテンツとして登場して、精神科医は精神安定剤の処方箋に、薬と相当する「ハマースタイン・オルガンの音色設定」を記入し主人公は一瞥して「ベートーベンの四重奏曲第16番に近い」、「ベートーベンの第9交響曲の合唱で…(ドイツ語)『神はおわしますか』『はい、おられます』と応えるところはないかな」と言い、「さあ知りません」「薬物療法が有効でない場合には、いつでも脳切除(ロボトミー)が試せます」と告げられる。
    平静に描かれる残酷さ。このあたりで、すでに狂気は始まっているのかも知れない。

    未成年の少女が一人の技術者だけに助けられて「人間同様の受け答えをして、会話程度の距離では機械だと思えない」ロボット体を作る、しかも歴史上の実在の人物の再現だという。
     スタントン(南北戦争時の副大統領)=俗物の代表、ついでリンカーン自身=弁護士として有能、を作って、事業家=不動産王バローズ(月世界の不動産を売るという奇策で一代をなした)に量産をもちかけるが、“南北戦争再現イベント”を公共事業と見たバローズは興味を示さず、つぎにリンカーンが制作される。シミュラクラ自身が勝手な行動をはじめる…

     アメリカ人の“南北戦争トラウマ”を指摘する辺りはベトナム本格介入以前(リアルの戦争をしているさなかに作中で提案される〈模擬南北戦争〉もないだろう)(本書では「シミュラクラ」と訳しているが、PKDの同題の長編作品1964までは出現しなかったPKD造語。

    PKDの他の作品で“シミュラクラ”=疑似人間が、見た目は「人間そっくり」なのに恐ろしい非人間的行為をするのに反して、本作の疑似人間たちは登場人物のなかでもっとも「人間味」がある。キャラクターが立っている。
    傑作とされる『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に出て来る冷酷な女性型アンドロイドもプリスという名。
    本書のプリスはアンドロイド製作者で、創作に熱中していないときにはダラダラと寝そべったり破壊的な行動をとったり、あきらかに発達障害だが、
    スタントン疑似人間体は勝手に
    プリスは不動産王バローズのもとに出奔し
    製造者たちは悩みを相談するようになる。リンカーンは哀愁を帯びた彼らしいキャラクターだが彼の時代になかった児童文学に大ハマリ。朗読をさせないと会議を始められない。憂愁を帯びた物腰が悲劇を予感させる。
    看護ロボットも企画されるがなんと南北軍兵士の服装をさせる(人を守るのは軍という発想)のがアメリカ的。

    語り手のルイス自身も行動が常軌を逸していて、

    「恋愛はアメリカの宗教だ」の発言から突如、語り手が“精神分裂症”を自覚しはじめ、
    出来損ないのブース(暗殺者)→恋人による破壊、憂鬱症のリンカーンの神託的助言が続き、ライバルが居宅を施錠してなかったのはすでに幻想の一部か?プリスとセックス…
    終盤でプリスに恋し熱望するようになる…その恋は満たされない。
    現実と二重写しになった白昼夢が続き
    「『転がる石に草生えぬ』の解釈は何ですか?」といった質問をされて、精神に以上を来しているとされて精神療養所に軟禁されることになった。訳がわからなくなる描写がリアルで作者自身の(実際に起ったことではなくても内的な)体験かと疑わざるをえない。ブリスの姓“フラウエンツィンマア”は「女性一般」の意味があるかとも考えられる。

    「精神病者は穏やかな施設に隔離される」それはファシズムの定義である「弱者への優しさ」そのものではないか?
    1972年、出版された際には(ひそかに)テッド・ホワイトによって19章が付け加えられた、

    (病院から「全快」で解放され、プリスは「嘘をついていたの、私はずっと悪くて出ていけないの」…わたしにはすべてがある。プリス以外は)失意の底にあったルイスの前に、ふたたびリンカーンの擬似人間体があらわれ、二人はとりとめもなく現実とは何か、人間とは何だという話をするが…ふとルイスは疑念を覚える「本当に、私が知っているあの疑似人間体なのか?それとも替え玉ではないのか?」…ルイス自身も、彼の父も、弟も実現可能性をテストするために作られた試作品だったのだ!「プリスは?」「本物さ、まったくの本物だ」ルイスは運命を受け容れ、人間の入居者を安心させるための隣人として月に移住する…
     勝手な加筆にPKDは激怒したらしい(「あんまりだ」と解説『シミュラクラと黒髪の娘』で牧眞司も言う)が、「夢オチ」のままよりはまとまりが出来た。読んでみたいものだ。

    巽孝之は、(記憶のまま)PKD全作品評価で「大傑作」「傑作」「佳作」「問題作」「失敗作」…とあるなかで本書を「病気」に仕分けしていた、言い得て妙(と言わざるをえない)。
    人間の労働力代替のロボットは、いずれ単純労働を代替し人間を自由にするとして発想された、が
    現実は(イチエフの現場で、人間が「ロボットのお世話係」となったように)細部の瑣末でありながら際限ないトラブルに対応できるほど柔軟性のあるロボットは無い、将来もありそうもない。
     むしろ「ニンゲンの話し相手」(AI将棋のように)という使途が浮上する。
     ニンゲンは“癒される存在”ではあるが、“気苦労のタネ”でもあるから。ペットや愛玩用機械に慰められる必要も出てくる。インターネットは情報交換に交通便利な道路のようなもので、行動力を何倍何十倍にもするが、悪の可能性も拡大する
    傑作とされる『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』では惑星開発用アンドロイドが反逆するが(私はPCがトラブルと「こんぴゅーたーのはんぎゃくだあ」と叫ぶ)、ニンゲンに忠実なペット動物のシミュラクラは、飼い主を救う大衆宗教のようなものとなっている。心のきれいな羊には拡大しようにも悪がなかったのか?

    SFとSci-Fiとの違いとして、前者には根本的=ラディカルに“科学技術の発達は人類に幸福をもたらしたか”の疑問がある。後者は「面白ければ、いいんじゃないの?」だろうが。
     岸田秀の本を読むと《ヒトのあらゆる悩みの根源は“他人が自分の欲するように動かないこと”》とあるが、現代人は“情報ライン(ことにPC)のトラブル”というイライラの源を別に知っている。本作のアンドロイドの勝手な振る舞いはユーモラスだが、非人間的となると
    端的に「スマホはヒトを賢くしているか?」「ネットで調べられるようになって、オウム真理教系教団は絶滅寸前か?」中学生でも宿題の調べ物など、Wikipedia検索でしてくる異口同音がほとんどという。それは教養ではない。

    先行翻訳のサンリオSF文庫の『あなたを合成します』(阿部重夫;訳)は翻訳者のせいばかりではないが、すごく読みにくかった。リンカーンの科白が「…でござる」といった古語になっていて、そりゃ1860年代前半は江戸時代に当たるが、100年前の米国英語がそこまで違うわけはないだろう。内容を…後半ほとんど忘れていた。
    創元SF文庫で新訳が出ているのを近頃知り、読んでみたが、2002年出版のこの本も「品切れ」になっているようだ。深切な解説で、ようやく「読んだ」気がしたが。

    ほとんどの小説は忘れ去られる、読んだ者の夢が覚めるように。小説は「都市の見る夢」かも知れない。夢として本作の示唆するものはなんだろう?
    州ごとの大統領選〈選挙員投票〉は、南北戦争の制限と言える。1864年、現職リンカーンが民主党マクラレンに敗れれば、南部連合存続に妥協したかもしれないのだから(民主・共和両党はその後、タカ派ハト派の主張が入れ替わった)。

  • 内容(「BOOK」データベースより)
    落ちめの弱小電子オルガン業者が、起死回生の策として打ち出した新商品。それは精巧な模造人間の製造だった。宇宙開発用ロボットを改造し、歴史上の人物に関する生前のありとあらゆるデータを詰め込んで、この世に“再生”させたのだ。だが誰もが驚いたことに、そいつらは人間以上に人間らしかった。彼らはこれをアメリカ一の実業家に売り込もうと画策するが。ディック中期の名篇。

  • ディックの長編はやっぱりかなり辛い。
    短編は好きなんだけどなぁ。
    シーンシーンは面白い部分が多いのに、大分間延びして中だるみしている部分が多いように思う。ディックは、ペイチェックなんかのようにいかにも長編向けのアイディアを短編か中篇にまとめるくらいが一番面白いんじゃないだろうか。

    それに加えてこの本が辛いのは、非常に文化から歴史から登場人物から全てアメリカンだからだと思う。これが日本が舞台で、シュミラクラが織田信長や西郷隆盛だったら結構楽しく読めたのかもしれないとは思う。リンカーンに彼らが太刀打ちできるかどうかはともかくとして。
    あと、精神病の描写も辛い。一人称でやられると特に辛い。
    プリスとの追いかけっこが作品に一つのベクトルを持ち込んでるのは確かだけれども、シミュラクラの存在を問いかけ続けるだけの構造であったら良かったのにと思う。

  • 2009/07/21 購入
    2009/07/27 読了 ★★
    2017/01/08 読了

  • SFってこんなにしっとり。中途半端もいいじゃないか。
    ふと、「トータル・リコール」をみたときの衝撃を思い出す。
    こんなに面白くない映画があるなんて! と少なからず感動したのだった。
    13歳くらいのとき。

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